二百九十五話 ラザートラムの王
ラザートラム軍の北の拠点がディフィア砦に攻撃を仕掛けたその日。
敵の意表を突いた奇襲により、北の拠点は、見事ディフィア砦の奪還に成功した。
この出来事により、トライファス大平原のラザートラムの支配地域は拡大する。
加えて、デイフィア砦からの攻撃という懸念がなくなり、大々的に本隊を動かすことが出来るようになる。
このまま、ラザートラムは、さらに東へ支配地域を広げ、その規模はベアムスレトの支配地域を上回るだろう。
停滞していた戦況を変えるほど、ディフィア砦は重要な拠点であったのだ。
その奪還作戦の一番の功労者は誰かと言えば、作戦に参加した兵達は口を揃えて、一人の者の名を言う。
それは、セアレウスだ。
北の拠点に攻撃命令を出したのは本部である。
しかし、充分に補給が出来ず、本来なら攻撃を断念せざるを得ない状況で、その命令を素直に聞く者はいなかった。
そんな状況で、セアレウスは命令の本質を見抜き、躊躇していた兵達を動かした。
そして、ディフィア砦の奪還のための奇襲作戦においては、重要な役目を担い、それを果たした。
セアレウスがいなければ、ディフィア砦は奪還できなかった。
そう言った時、奇襲作戦に参加した誰もが首を縦に振るうだろう。
この出来事により、セアレウスの名は明確にラザートラム国内に広まり、大きく評価されることとなった。
奪還後、元から北の拠点にいた部隊は、そのまま砦に駐在。
北の拠点と共に戦った第十一補給部隊は解体され、ディフィア砦に残ることなく、ラザートラムの城郭へ帰還した。
ディフィア砦の奪還後、数日経ち、待機状態にあったセアレウスは、ある報告を受け、ラザートラムの第一城郭に足を運んだ。
「わぁ……」
第一城郭へ足を踏み入れた時、セアレウスは、思わず見上げた。
彼女の前方には、城郭の壁と同じ石材で作られたであろう巨大な城が建っていた。
その城は、全体的に砦のように派手な装飾がないものの、城の一部である三角錐に尖った塔は、どこか攻撃的で――
(本に出てくる魔王の城みたいです。カッコイイ……)
セアレウスに変な見方をされていた。
この城は、第一城郭というラザートラムの中心で、一番奥に建てられている。
言うまでももなく、最重要施設だ。
今から、セアレウスは、ある人物に会うために、この城の中に入る。
その人物とは、この国の王のこと。
セアレウスは、王に呼ばれてここに来ていたのだ。
何故、呼ばれたかといえば、ディフィア砦の奪還のことだろうか。
セアレウスの活躍を耳にし、セアレウスを一目見たいと思ったのか、ラザートラム王は彼女を城に招いた。
考えられる理由は、これが一番有力であると考えられるだろう。
「セアレウス殿だな。王の場所へ案内する。ついてこい」
城の中に入ったセアレウスは、常駐する兵に案内され、王のいる部屋へと向かう。
その途中、城の廊下を歩き、セアレウスは城の内装を見て回ることができた。
(城……というより、砦みたいですね……)
城の内装を見たセアレウスは、そう思った。
歩いている途中、廊下には彼女が目を引くものはなかった。
城の廊下には、絵画や彫刻などの装飾がなかった。
本での豪奢な城のイメージを持つセアレウスとって、それは意外なことであった。
目に映るのは、石の壁と廊下を照らすためだけの燭台。
それしかなく、あまりにも無骨であるため、セアレウスは砦と称したのだ。
長い廊下と幾つかの階段を上り、セアレウスは、王のいる部屋の前に辿り着いた。
その部屋の扉は、やはり無骨なもので、派手な色をしてなければ装飾もない。
ただ大きいだけの扉である。
その扉の前には、二人の番兵が立っていた。
「報告します! セアレウス殿を連れてきました! 」
案内をした兵が扉に向かって、そう叫んだ。
しかし、中から返事はない。
返事は無いのだが、番兵達は扉に手をかけ開き出す。
「えっ!? 返事がまだいていませんよ!? 」
返事を待たず、扉を開くことに、セアレウスは驚く。
「自前に、来たら入っても良いと聞いているから問題ない」
「そ、そうですか……」
「それより、これから我が国の王に会うのだ。粗相をしないよう気を引き締めることだ」
「……分かりました」
セアレウスは返事をすると、徐々に開かれる扉に目を向ける。
今の彼女は、神妙な顔つきとなっていた。
一国の王に会うともなれば、緊張するのは無理もないこと。
しかし、それ以上にセアレウスは緊張していた。
その要因は、ディフィア砦へ攻撃をする中でのこと。
ラザートラムがベアムスレトへ侵攻する理由を聞いたからだろう。
その理由は、トライファス島にいる獣人達を殲滅すること。
理由はどうであれ、残酷な考えだ。
そのような考えを持つ国の王が、まともな人格の持ち主であるとは思えない。
(どんな人かは分からない…‥ただ、一筋縄ではいかないことだけは、分かります)
故に、セアレウスは緊張しているのだ。
やがて、扉が完全に開かれ、セアレウスは神妙な顔つきのまま、部屋の中へ足を踏み入れる。
彼女が部屋の中へ入ると、扉は閉められた。
この部屋には、ラザートラム王とセアレウスの二人だけ。
セアレウスは閉じ込められた気分になった。
部屋の中に入ったセアレウスは、ラザートラム王の姿を探し、周囲を見回す。
この部屋も無骨なもので、広い割には何もない。
否、何も無いということはなかった。
部屋の奥には椅子があり、そこに一人の男性が座っている。
その男性がラザートラム王なのだろう。
彼の座る椅子は、流石に王が座るということもあってか、装飾は少ないものの、金が使われており、高価なものなのだろう。
そこに座るラザートラム王は、頬杖をついて、顔を横に向けていた。
彼の顔の方向から、窓の外を見ているのだろう。
(思っていたより、若い……)
その横顔から、セアレウスは、そう思った。
彼の顔は険しいものの皺は少なく、二十代後半から三十代前半の年齢の男性の容姿をしていた。
身につけている服は、将校達が鎧の下に着込む服に似ており、それよりほんの少し豪奢なだけだ。
王というより、将校達の上に立つものである将軍のようであった。
「……」
部屋に入ったにも関わらず、微動だにしないラザートラム王に対し、セアレウスは、さらに緊張した面持ちとなる。
どうするべきか分からず、セアレウスはしばらくの間固まる。
やがて、一向に事が動かないことに痺れを切らし、セアレウスはラザートラム王の元へ歩き出した。
「ん? 」
あと二十歩ほどで、彼の元へ辿り着く距離だろうか。
そこにセアレウスが到達した時、ピクリとラザートラム王の顔が動いた。
そして、勢いよくセアレウスの方へ顔を向け――
「おおっ! お前がセアレウスか! よく来たぁ! 」
そう声を上げながら、立ち上がった。
今の彼は、険しい表情をしていない。
まるで、訪ねてきた友人を出迎えた時のように笑顔であった。
「え……」
ラザートラム王の豹変ぶりに、またもセアレウスは固まる。
「ほぉ! どんな女傑かと思えば、こんな可愛らしい女の子だとは。時代は変わっていく……いや、変わったなぁ」
そうしている間に、ラザートラムは、彼女の下まで歩いていき――
「俺の名は、イグザラット。皆は、俺のことを王って呼ぶから、知らなかっただろ? ちゃんと名前を覚えといてくれよな。まぁ、とりあえず、よろしく……だ」
握手を躱すため、セアレウスに手を差し出した。
「あ……はい。よろしく……お願いします……」
差し出された手を握り、イグザラットと握手を躱すセアレウス。
あまりにも予想外なイグザラットの人柄に、今のセアレウスの頭の中は、空っぽになっていた。
「わはははは! 」
イグザラットの笑い声が部屋中に響き渡る。
握手を交わした後、彼はセアレウスに、補給物資運搬時の防衛戦、ディフィア砦への攻撃時のことを話させていた。
その話の中で、セアレウスの活躍の場が訪れる度に、イグザラットは笑い声を上げていた。
「は、ははは……」
イグザラットが笑い声を上げれば、セアレウスも合わせて笑うが、どこかぎこちない。
「お? どうした? 遠慮なく笑うがいいさ。お前は、誇らしいことをしたのだからな! 」
そのぎこちなさにイグザラットは気づいたようであった。
「いえ……わたしだけでは、出来なかったことばかりです。一人の活躍として喜ぶわけにはいきません」
「はぁ、そうでもないと思うがね。謙虚な奴だなぁ……あ! 分かったぞ! お前、よく真面目って言われるだろ? 」
「は、はい。よく言われます」
「やっぱりなぁ! 良い子ちゃんオーラがすごい出てるもんな! 」
「あはは……」
苦笑いを浮かべるセアレウス。
彼女は今、一国の王と話すというより、町の気のいいオジさんと話している気分であった。
先ほどまでの緊張感は、もうどこにもない。
しかし、それはイグザラットが本当に、街の気のいい町オジさんだったら言えること。
(気さくな人。とても獣人を殲滅しようだなんて思う人には思えないです)
獣人を殲滅せんと他国へ攻める国の王として、その気さくさは違和感であった。
故に、表面に出してはいないが、セアレウスはイグザラットのことを警戒していた。
「まぁ、真面目すぎるのもどうかと思うがね。実力もあるようだし、合格だな」
「えっ……合格? 」
唐突に言われた言葉に、セアレウスは不意を突かれ、表情を固くする。
「ははっ! そんなに警戒しなくてもいいことだ。なに、お前を指揮官として認めるってことだよ」
「指揮官……ですか? もしかして、ここにわたしを呼んだのは……」
「おう。指揮官の器かどうか見極めるためだ」
イグザラットがセアレウスを呼び出したのは、このためであった。
「普通はある程度、色んなことを経験してなるもんだが、お前は特別でね。急遽、俺が面談して決めることになったのよ」
ラザートラムにおいて、指揮官というのは、複数の兵を率いることが許された者のこと。
隊長に任命できる能力を持った者のことである。
彼の言うとおり指揮官になるには経験を積まなければならず、最短でも五年はかかるとされていた。
「お前を指揮官に推薦する奴がいてな。どうしても、指揮官としてのお前を使いたい作戦があるらしい」
「……」
イグザラットの言葉を黙って聞くセアレウス。
自分を指揮官に任命した人物は、聞くまでもなく誰であるか分かっていた。
「俺を使うとは、ふてぶてしいが賢明だ。何せ、入ったばかりの奴を指揮官にしようなんざ、大半の奴が反対するだろうからな。特にイサナマスらへんの奴が……」
イグザラットは渋い顔をした。
彼もイサナマスを厄介に思っているようであった。
「ということで、今日からお前は指揮官だ。そのうち指揮官としてお前に声が掛かるだろう。それまで、任務はないから待機だ。じゃ、そういうことで、よろしくな」
「はい。分かりました」
セアレウスは、そう返事をした。
その後、部屋から出るため、体の向きを変えようとしたが――
「あの……」
それをやめて、イグザラットに声を掛けた。
「ん? なんだ? 」
すると、椅子に座ろうとしていたイグザラットが動きを止め、セアレウスに顔を向ける。
「その……い、いえ、やっぱり何でもないです」
イグザラットに何事か訊ねようとしたセアレウスだが、それをやめた。
「……? そうか。もう指揮官になったとはいえ、お前は俺の軍に入ったばかりのぺーぺーだからな。分からないことがあれば、遠慮なく誰かに聞けよ? 」
「分かりました。ありがとうございます」
セアレウスは、イグザラットに頭を下げ――
「では、これで失礼します」
と言って、開かれた扉から部屋を後にした。
「おう。頑張れよ」
イグザラットは椅子に座り、部屋から出ていくセアレウスの背中を手を振って見送った。
最後まで彼は町の気のいいオジさんのようであった。
セアレウスは結局、彼に対する違和感を抱いたまま、城を出ることになった。
セアレウスが指揮官として認められてから、二日後の夜。
キキョウの家、その自室にてセアレウスとキキョウは、座布団の上に腰を下ろして向かい合っていた。
二人以外誰も人はおらず、キキョウは本来の獣人の姿をしている。
この日、キキョウは本陣から帰ってきたばかりで――
「指揮官になったんですって? おめでとう。よくやったわ」
誰から聞いたのか、指揮官となったセアレウスに賞賛の言葉を送った。
「ありがとうございます……というか、あなたの言う通りにしただけのような気がしますが……」
何もかもキキョウの思い通りに進んでいると感じ、セアレウスは素直に賞賛を受け取ることはできない気分であった。
「ああ、やっぱり気づいていたのね」
「はい。失敗や窮地は勝利の兆し……このことを教わっていなければ、あなたの出した攻撃命令の本質を理解することはできなかったでしょう」
「ふむ、あの時言ったことが役に立ったのね。良かったわ」
「しかし」
「ん? 」
セアレウスの発したしかしという言葉に、キキョウは僅かに顔をしかめた。
「あなたのことで、理解できないことがあります」
「へぇ、それはどういうことかしら」
「……どうして、ラザートラムに加担するのですか? 」
「ああ、そういえば、追々話すと言っておいて、まだ言ってなかったわね。けれど、どうしてそれを聞こうと思ったの? 」
「……ラザートラムの目的を聞きました。わたしは、この国に加担するあなたが理解できないのです」
セアレウスにしては珍しく険しい顔で、キキョウに答えた。
彼女の言うとおり、セアレウスは、獣人を殲滅することが目的であるラザートラムの軍師となったキキョウを理解できなかった。
否、どうしても理解することが出来ず、キキョウのことを許せない気持ちになっていた。
「ふぅん」
そんな彼女の心情をくだらないと言わんばかりに、キキョウは相槌を打つ。
「……」
そして、キキョウは口を閉ざした。
手にした扇で額を突っついていることから、何事かを考え込んでいる様子であった。
「……納得しなきゃ、この先支障が出るの? 」
ようやく口を開いたが、まだキキョウは答えない。
「……出るかもしれません」
「そう……」
再び、キキョウは口を閉ざした。
そして、しばらくした後――
「……貴方の思う通り、ラザートラムは酷い理由で戦争をしている。そんな国に入った私を理解出来ないのは、同然でしょう。だから、何だというの? 」
と言った。
「なっ……!? 」
思わぬキキョウの返答に、セアレウスは驚愕の声を上げた。
「あなたは、私の課題を手伝いに来たのでしょう? 余計なことを考えていないで、私の言うことをよく聞くべきよ。以上」
「待ってください! わたしの質問に答えていないじゃあないですか! 」
「別に言う必要がないからよ。さっき言ったように、貴方はわたしの言うことを聞いていればいいの」
「それが出来ないから、聞いているんですよ!! 」
横暴なキキョウの態度に、セアレウスは怒鳴り声を上げた。
セアレウスは怒っていた。
「……ねぇ、何でそんなに怒っているの? 」
キキョウは、セアレウスが怒っている理由が分からなかった。
「何でって……それは……」
セアレウスは、キキョウの問いかけに答えようとしたが、口を閉ざして俯いてしまう。
今、自分が怒っている理由は、なんとなく理解していた。
しかし、それをうまく口にすることが出来ないのだ。
「……はぁ……面倒な奴…」
そんなセアレウスを見て、キキョウはため息をつき――
「まだラザートラムに加担する理由は言うことはできないけど、これだけは言える。過程はどうであれ、結果はあなたが嫌な気持ちになるようなことにはならないわ」
と言った。
この時のキキョウは、顔を引きつらせており、面倒くさいと言わんばかりの表情をしていた。
「……! それは……どういう……? 」
「……いいから、私を信じなさいということよ。ふんっ! 」
いまいち分からなかったセアレウスに、キキョウは彼女から顔を逸らしながら答えた。
「……」
キキョウの言葉を聞き、セアレウスは口を閉ざした。
そして、徐々に彼女険しい顔は柔らかいものになっていく。
笑みを浮かべるほど柔らかくはならなかったが、セアレウスの表情から怒りの色は消えていた。
つまり――
「分かりました。ラザートラムに加担することに納得はしていませんが、もう良いでしょう。あなたを信じます」
キキョウの言葉を信じることにしたのだ。
何故、信じることにしたかと言えば、キキョウの顔を見たからだろう。
顔を逸らした時の彼女の顔は、いつも見せる済ましたような表情ではなく、拗ねた子供のようなツンとした表情であった。
表情を見たセアレウスは何かを感じ、彼女のことを信じたいと思ったのだ。
「……分かればいいのよ。ふん、バカは役に立たないけど、ちょっと教養のあるクソ真面目は扱いにくいわ」
ようやく大人しくなったセアレウスに、ブツブツと文句を呟いたキキョウ。
「……? なんですか? 」
「何でもないわよ」
その声は小さく、セアレウスには聞こえなかった。
「はぁ……余計なことに時間が取られてしまった。今から、本題に入るわよ」
「本題……わたしが隊長として行う作戦のことですか」
「ええ。後で詳しく説明するけれど、ざっくりとどういうものかを言いましょう」
キキョウとセアレウスに先ほどのことを引きずっている様子はない。
まだ完全に二人の間の確執が取り除かれたわけではないが、互いに気持ちを切り替えることにしたのだ。
「あなたにお願いしたい作戦は、裏切り者を追跡することよ」
次にセアレウスが行う作戦が告げられた。




