二百九十四話 ディフィア砦奪還戦
「……え? 」
「攻撃? 冗談……だろ? 」
「本陣の……誰だ? 誰がこんなおかしなことを考える? 」
集められた兵達も、本陣の命令に理解が追いついていない様子であった。
防衛隊長や兵達が納得しないのは、もっともなことだろう。
補給と増援の攻撃を仕掛ける前提が充分ではないのだ。
対して、ディフェア砦の戦力は充分に整っているだろう。
ならば、このまま攻撃を仕掛けにいけば返り討ちに遭うことは、誰にだって分かることであった。
しかし、この中に本陣の命令に疑問を持つ者が一人いた。
(……攻撃? 本陣には、襲撃されたことが伝わっていないのでしょうか? )
それは、セアレウスだ。
彼女一人が、何故本陣が攻撃命令を下したのかを考えていた。
「すみません。少し、質問が……」
「あ、ああ……何だ? 」
その疑問を解消するために、セアレウスは防衛隊長に訊ねることにした。
「そのスクロールに書かれていることは、さっき言った言葉だけなのでしょうか? 」
「ん? こ、言葉? 何を言っている? 」
「えーと……すみません、わたしにも見せてください」
「ああ……まぁ、いいが……」
セアレウスは、防衛隊長の元へ行き、スクロールを受け取った。
すると――
「……! 今日……今が攻撃を行う絶好の好機、全兵をもってディフェア砦に攻撃すべし……! 」
と、スクロールには記されていた。
防衛隊長は、スクロールに記されていることをそのまま言っているわけではなかった。
そして、今が攻撃を行う絶好の好機という言葉で、セアレウスには分かったことがあった。
(これ……命令を出したのは、キキョウさんですね! )
この命令を出したのは、キキョウであることだ。
(ということは、本当に攻撃のチャンスなんだ。でも、どうして攻撃のチャンスなのでしょう……? )
彼女の命令だと分かったことで、セアレウスはさらに疑問を追求し始める。
「な、なんだ? この命令に何か裏が……はっ! そういえば、あのキキョウ殿と同じ思考を持つ者が、第十一補給部隊に配属されたと聞いたような……」
「そのセアレウスが、その子ですよ」
防衛隊長の呟きに、リゼタが答えた。
「お、おおっ! そうか! ならば、本陣がこの命令を下した理由が――」
「分かりました! 」
その時、セアレウスが声を上げた。
「何か分かったのだな。どういうことなのだ? 」
「恐らく……いえ、十中八九ディフェア砦の人達は、わたし達第十一補給部隊の襲撃のことを知っています」
「ふむ……撤退した者がディフェア砦に向かい、襲撃の結果を知らせた……ということか? 」
護衛部隊の隊長であった兵が、セアレウスに、そう訊ねる。
「はい。その可能性は高いと考えられます」
「むぅ、やはりそうか。だが、それがどうだと言うのだ? 」
「補給が妨害され、わたし達の攻撃を仕掛ける機会を失いました。これが、ディフェア砦の方にも伝わってる……はずなのです」
「それは……そうなのだろうな。だから、なにが攻撃のチャンスだというのだ? 」
僅かに苛立ち始めた防衛隊長に、セアレウスは――
「ディフェア砦も、わたし達と同じように攻撃が出来るとは思わないはずなのです。今日は特に……」
と、言った。
出鼻をくじかれ、失意に沈む北の拠点は、ディフェア砦に攻撃をするつもりはなかった。
第十一補給部隊の襲撃の結果をディフェア砦側も知っているのなら、考えることは同じはず。
ここで、攻撃を仕掛ければ、ディフェア砦側の不意を突くことができるのだ。
「「「……!? 」」」
セアレウスの発言に、多くの兵が衝撃を受ける。
そして、徐々にその顔は明るくなり、目は闘志が湧いたかのように光が宿る。
浮かない表情をしている兵は、誰一人としていなくなる。
|襲撃による第十一補給部隊の壊滅《失敗》が、ディフェア砦への攻撃に変わろうとする瞬間であった。
ラザートラムの北の拠点から東へ歩くこと二時間ほど。
そこに、ディフェア砦がある。
硬い石材で作られた巨大な壁、それに囲われた三階建ての小さな城で構成された砦だ。
ラザートラムが建築した砦で戦争開始直後から、前線の防衛拠点として、ベアムスレトの侵攻を妨げることに活躍していた。
しかし、それは少しの間であった。
人間と獣人の能力の差により、徐々にベアムスレトに勢いが付き始めた頃、ディフェア砦は総攻撃を受けたのである。
当時のディフェア砦の防衛部隊は籠城し、砦を守りきることにしたが、とうとう落とされてしまった。
食料や矢等の物資が尽き、士気の低下と守りが弱くなったところを一気に攻め込まれたのだ。
以降、ディフェア砦はベアムスレトが占有し、今日まで落とすのが困難な砦として、ラザートラムに立ちはだかっていたのだった。
日が沈み、辺が暗闇に包まれた頃。
北の拠点に駐在していたラザートラムの兵達は、ディフェア砦から少し離れた場所にいた。
そこから様子を伺うと、砦の外に幾つかの明かりが見え、周りにベアムスレトの兵であろう獣人達の姿を確認することが出来た。
「ほっ……ほう! セアレウス殿の言った通りのようだな」
彼らの姿を見て、防衛隊長は笑みを浮かべた。
ベアムスレトの兵は焚き火に集まり、騒ぎながら食べ物や酒を口にしていた。
どうやら、補給部隊の襲撃に成功した祝いに宴を開いているようであった。
砦の外で宴を開いていることから、北の拠点が攻めてくるとは微塵も思っていないようである。
「ははは! 普通は怒りが込み上げてくるのだが、今は笑いが込み上げてくるわ! 」
「ええ、攻撃を仕掛けるのが楽しみですな。皆、準備はいいか」
かつての護衛部隊の隊長――ゴウラスが周囲に呼びかける。
兵の多くは、弓を手にしていた。
これから彼らは、ベアムスレトの兵達に奇襲を仕掛ける。
矢を放った後に突撃を仕掛けるという単純な作戦だ。
しかし、単純な作戦であっても、今のベアムスレトの兵達には効果的だ。
数を見るに、砦に駐在している全てのベアムスレトの兵が宴に参加している。
彼らは全く警戒しておらず、この奇襲で全滅させる可能性は充分にあるからだ。
「よし。セアレウス殿も準備はいいか? 」
「はい。大丈夫です」
この奇襲作戦で、セアレウスは重要な役目を担っている。
まず、彼女に任されたのは、敵の指揮官を倒すこと。
指揮官を排除することで、ベアムスレトの兵達をさらに動揺させるのが目的だ。
「セアレウス殿、もう一度確認するぞ。隊長クラスの者は、頭に帯を巻いている。そして、あのでかい獣人がディフェア砦の一番の隊長だ」
防衛隊長がセアレウスに言う。
彼が指を指す方向に、一際大きな獣人の男がいた。
その獣人の男がセアレウスが一番優先的に倒すべき者。
ディフィア砦を防衛するベアムスレトの部隊の総隊長である。
倒すことが出来れば、敵の統率力を大幅に下げることが出来るだろう。
「はっきりと顔は見えないが、あの図体……奴で間違いない」
ラザートラムの北の拠点とディフィア砦の部隊は、何度か戦闘を行っている。
その戦いの中で、防衛隊長は総隊長の姿を見ており、暗がりの中でも彼を判断出来るようであった。
「タイミングは、セアレウス殿に任せる。いつでも構わないぞ」
「はい……少々荷が重い気がしますが、任せてください」
そして、その獣人の男に攻撃することが奇襲の合図であった。
セアレウスは、左手を突き出し、総隊長に狙いを定める。
彼女が見る総隊長の姿は、一際大きい獣人の人影。
焚き火の明かりで照らされているものの、視界が良いとは言えない。
そんな状況で、遠く離れた人影にウォーターブラストを命中させることは、困難である。
セアレウスは、確実に総隊長を倒すため、じっと左腕を構えて機会を伺う。
「……来た」
そして、構えてから数分経った頃、セアレウスは待っていた時が訪れた。
総隊長の人影が小さくなったのだ。
これが何を意味するのかというと、座ったということになる。
つまり、あまり大きい動作をしない姿勢になったのだ。
「行きます! ウォーターブラスト! 」
掛け声と共に、セアレウスは水の砲弾を撃ち放った。
彼女の放つ魔法で生み出した水は、砲弾と称するに相応しい威力を持つ。
しかし、従来のセアレウスが放つウォーターブラストとは違う。
形状は細く線状に長く伸び、速度はより速い。
そして、極めつけは水の先端の鋭さである。
鋭さをもって、総隊長の体を貫こうというのだ。
従来の水の塊をぶつけるだけのウォーターブラストが水の砲弾なら、これは速度と貫通力が高められた水の弾丸。
暗い中で誰も見ていないが、形状、速度、貫通力と共に高められた殺傷能力から伝わる凶悪さに、見る者は身を震わせるだろう。
「……!! 」
その凶悪さを肌で感じたのか総隊長は、顔を素早く水の弾丸の方に向けた。
それと同時に彼は、空高く跳躍した。
総隊長は、水の弾丸に気づいてしまったのだ。
しかもそれだけではなく、即座に回避行動に移していた。
ここで、自分に向かってくる何かに気づいたら、どのように避けるだろうか。
左右のどちらかに移動、頭を下げて屈む等、様々な方法があるが一番は上に跳ぶことだろう。
即座に追撃が行われる状況であれば危険だが、この場合は効果的である。
何故なら、大半のものが下へ落ちるから。
途中で上に逸れるという可能性が一番低く、確実に躱すことができるからだ。
これらの素早い危機察知能力と正確な判断力は、数々の武功を上げて総隊長になった彼ならではの能力。
総隊長を仕留めることは容易ではない。
水の弾丸は、虚しく目標のいない虚空に向かって飛んでいく。
その一部始終を見下ろしていた総隊長は――
「……!? 」
驚愕の表情を浮かべ――
「がはっ――!? 」
喉元に穴を開けられた後、地面に落下した。
水の弾丸が彼の喉元を貫通したのだ。
真っ直ぐ飛んでいたはずの水の弾丸がどのようにして、宙に浮く総隊長の元へ向かったのか。
答えは、セアレウスの水の遠隔操作である。
彼女は、自分の意識を水の弾丸に移し、状況に応じて軌道を変更できるようにしていたのだ。
つまり、追尾性能を持った水の弾丸をセアレウスは撃ち出していたことになる。
確実に倒すということは、このことであった。
「……! 」
総隊長を倒した直後、意識を自分の体に戻したセアレウスは、ディフィア砦に向かって走りだした。
「今だ! 矢を放てーっ! 」
それと同時に、ラザートラムの兵達が一斉に矢を放つ。
夥しい数は矢は、放物線を描いて、ベアムスレトの兵達に降り注いだ。
状況を把握せず、騒いでいたベアムスレトの兵達は、次々と矢に射抜かれてゆく。
「矢? き、奇襲!? なんで!? 」
「一体何が起きているのだ!? 」
攻撃されていることを理解した兵もいたが、動揺を抑えきれない。
自分達を攻撃できるラザートラムの部隊がいないと思い切っているからだ。
その思い込みが障害となり、兵達はまともに動くことができなかった。
そして――
「大変だ!! 部族長が……部族長が殺られたーっ!! 」
自分達の部隊の長である総隊長の死が、さらに兵達を動揺させる。
どうやら、ベアムスレト側では部族長と呼ばれているようであった。
「今のところ順調……ですね」
そんな兵達を横目に見ながら、セアレウスは走っていた。
彼女は、頭に帯を巻いているベアムスレトの兵を見つけては、ウォーターブラストで撃ち倒しながら進んでいる。
やがて、目的の場所に辿り着くと、そこで足を止め――
「よし、矢の一斉掃射も終わったようですね。間に合いました」
左右の手にアックスエッジを持った。
彼女が立つ場所は、ディフィア砦の門の前である。
これは、二つ目のセアレウスに与えられた役目だ。
矢の一斉掃射により、大半の者を倒すことができるが、生き残る者は少なからずいるだろう。
その生き残りが砦に入らないようにすることが、セアレウスの役目だ。
「敵の襲撃だ! 砦に逃げ込んで大勢を……お、おまえは……」
「むっ!? その服、ラザートラムの……」
門の前に立つセアレウスの元にベアムスレトの兵達が集まってくる。
「ここは通しません」
「くっ、我らを砦に入らせないつもりか! 」
「そこをどけ! 小娘! 」
二人のベアスレトの兵が剣を抜き、セアレウスに斬りかかる。
「ウォーターブラスト! 」
セアレウスは、その二人に目掛けて水の砲弾を撃ち放った。
すると、二人は水の砲弾を受け、勢いよく吹き飛んでいく。
「水の魔法……そうか、貴様は襲撃した者の報告にあった魔法使い……」
吹き飛んだ二人とは他の兵がセアレウスを見て、そう呟いた。
「やはり、あの襲撃部隊は、こちらに来ていたようですね」
ベアムスレトの兵の呟きを聞き、セアレウスは自分の推測が当たっていたことを確信した。
その後、自分の周りにいるベアムスレトの兵達の様子を伺うが、誰も攻撃してくる気配はない。
セアレウスの魔法に対抗できる者がいないのだ。
(わたしを恐れている……もしかしたら……)
セアレウスは、ある可能性を見出すと――
「……投降しませんか? 」
周囲のベアムスレトの兵に提案した。
今ならば、自分の話を聞いてくれると思ったのだ。
「投降……? 」
「はい。もうじき、ラザートラムの兵が来ます。あなた達よりも数は多いです。もう……あなた方には勝ち目はありません」
「……だから、投降しろと? 」
「は、はい。ここで命を落とすよりは――」
「はははははは!! 」
セアレウスが言葉を発する中、彼女と話していた一人のベアムスレトの兵が笑いだした。
「「「はははははは!! 」」」
彼に釣られてか、他のベアムスレトの兵達も笑い出す。
「なっ……!? 何がおかしいのです? 」
「ははは! いやぁ、そんなことを言う奴は初めてだ。あんた、ラザートラム……いや、この島の出身じゃあないだろ? 」
「え? あ、はい……」
セアレウスは、思わず頷いてしまった。
「そんで、何でこの戦争が起きたか……それを知らないだろ? 」
「……はい」
「やっぱりな。じゃなきゃ、そんなことは言わねぇ」
「どういうことですか。どうして、戦争が起きた理由が、投降……の提案することがおかしいことに……」
「くくく、もうじき分かるさ」
その時――
「セアレウス殿! よくぞ持ちこたえた!」
防衛隊長が多くの兵を引き連れて現れた。
彼らは、ベアムスレトの兵達の後方からやってくる。
ベアムスレトの兵達は、セアレウスと防衛隊長達に挟まれた形となった。
「後で、あいつらに聞いてみるんだな」
一人のベアムスレトの兵がそう言うと、セアレウスに背を向けた。
他のベアムスレトの兵達も彼と同じように背を向ける。
「「「うおおおおおっ!! 」」」
そして、彼らは向かってくる防衛隊長達へ斬りかかり――
「ふんっ! いくら獣人といえど、そのような数ではなぁ! 」
無残にも、その命を散らしていった。
「ふぅ……これで、最後のようだ……が、他にも生き残りがいるかもしれん。探せ! 可能な限り……いや、一人残らず始末するのだ」
「「「はっ! 」」」
防衛隊長の指示により、彼についていた兵達が散開する。
「セアレウス殿、ご苦労だった。これで、ディフィア砦の奪還は成功だ。しかし、これほど楽にディフェア砦を奪還できるとは、夢にも思わなかった。貴殿のおかげだな」
セアレウスの元に駆け寄ると、防衛隊長は、そう言った。
「……防衛隊長……殿。お聞きしたいことがあります」
「ほ……ほう。何かな? 」
そんな彼に、セアレウスは訊ねることにした。
「この……戦争の理由とは、一体何でしょうか? 」
ラザートラムとベアムスレトが戦争をしている理由を。
「……はぁ、何を聞くかと思えば……あなたほどの兵がそれを知らないとは、また意外……」
すると、防衛隊長は――
「お答えしよう。戦争の理由……というより、我らラザートラムの目的は、このトライファス島から獣人を根絶やしにするため。そのために、ベアムスレトへ戦争を仕掛けたのだ」
と、答えた。
「……」
セアレウスは、その答えを聞き、何も言葉を返すことができなかった。
ただ、拳を握りしめるだけ。
自分の中に湧き上がる気持ちを抑えることで、セアレウスはいっぱいであった。
その気持ちを一番にぶつけたい相手は――
(何故ですか。何故、あなたはこんな国に加担したのですか……キキョウ)
キキョウであった。




