二百八十六話 二人のキキョウと謎の影
――次の日の朝。
ブリスの宿屋に泊まっていたセアレウスの元に、サマヴァスがやってきた。
彼の弟であるパーシーは連れておらず、サマヴァス一人である。
サマヴァスがセアレウスの元にやってきたのは、先生と呼ばれる人間のキキョウから伝言を預かり、それを伝えに来たからだ。
その伝言の内容は、まず人間のキキョウはセアレウスに興味を持ち、会って話がしたいということ。
これに――
「おおっ! そうですか! 」
セアレウスは喜んだ。
しかし、喜んだものの、どこか納得していないことが彼女にはあった。
人間のキキョウとセアレウスは面識もなく、何らかの繋がりも無い。
ただセアレウスが探すキキョウと同名なだけの赤の他人である。
そんな相手に興味を持たれる要素に、セアレウスは心当たりがなかった。
(もしかしたら、本当に獣人のキキョウさんと関係が……? )
自分に興味を持った理由を推測するセアレウス。
(いえ、分かりませんね。会った時に聞いてみましょう。)
しかし、まだ情報が少ないためか、推測の域を出ることはない。
セアレウスは、自分が興味を持たれた謎を一旦忘れることにした。
そして、人間のキキョウは、ここブリスから北西にある森に行けば会えるらしい。
その森は、ブリスからも西にある村であるバームからも離れた位置にあり、滅多に人が向かうことが無い場所であるらしい。
「人気の無い森……ですか。家を見つけるのは苦労しそうですね。早めに見つかるといいのですが……」
森の中にある家を探すのは大変であるとセアレウスは思った。
「……先生の伝言は以上だ。会えるといいな」
サマヴァスの伝言は、人間のキキョウがセアレウスに興味を持ったこと、その人間のキキョウがいる場所の二点であった。
「ありがとうございます」
宿屋から立ち去るサマヴァスに礼を言うセアレウス。
彼女は旅立つ準備を終えた後、宿屋を出て、北西の森に向かうことにした。
セアレウスがブリスを出て、北西を目指して歩くこと二時間ほど。
彼女は、サマヴァスの言っていた森に辿り着いた。
「うわぁ……広い……」
目の前に広がっている森を見るセアレウス。
森の広さは、人口百人ほどの村とほぼ同規模。
森としては、それほど大きいとは言えないが、この中で一戸の家を探すとすれば広いと言えるのかもしれない。
セアレウスは森の中へ続く道を探すと、その道を辿り森の中を進むことにした。
道を進みつつ、セアレウスは周りを見回す。
家らしき建物が無いか探しているのだが、見える物は木ばかりである。
道から外れたところは木々が密集しており、家があるとは考えられない。
そのため、道の先に家があるのではと思い、セアレウスは木々で挟まれた道を進んでいく。
セアレウスが森に入って一時間経った頃。
道を進んでいた彼女は、開けた場所に辿り着いた。
そこは短い草が生い茂るだけの場所で、円状に広がっている。
木々が密集していないため、そこから空を見上げることもできた。
不思議な場所であるが、それだけだ。
そこに家らしき建物があるわけでもなく、先に続いている道も無い。
「何も無い……」
セアレウスが呟いたように、何もない場所であった。
そう思いつつも、セアレウスはその開けた場所に足を踏み入れる。
「……ん? 」
すると、セアレウスは、この開けた場所の中央に何かが落ちていると気づいた。
「これは……スクロール? 」
近づいてみると、それはスクロールと呼ばれ羊皮紙を丸めた物のようであった。
スクロールとは、本が普及する以前に書物として扱われたもので、地域によっては今もその役割として使われている。
材料は羊皮紙だけではなく、紙であったり竹という硬い植物であったりと種類は様々だ。
それらのことを知識としてセアレウスは知っている。
自分が持つ知識の元に、そのスクロールは――
「何でこんなところに……まさか、これは人間のキキョウさんのもの? 」
伝達手段として作られたものであると、セアレウスは思った。
彼女の持つ知識の中に、スクロールは情報を伝達する手段として使われるというものがあった。
それらのことから、このスクロールは、人間のキキョウから自分に宛てたものだと、セアレウスは推測したのだ。
開けた場所の中央に辿り着くと、セアレウスはスクロールに手を伸ばす。
その途中――
「……!? 」
セアレウスは、伸ばした左手を引っ込めた。
すると、彼女が手を伸ばしていたところに黒い何かが通過し、地面に突き刺さる。
それを確認する間もなく、次々と黒い何かが飛来してきたため、セアレウスは後方へ飛び退った。
「飛んできた位置から前方の……上! 」
跳躍し空中を漂う一瞬の中、セアレウスは左腕を突き出す。
左手は何かを掴むように開かれ、そこに球状の水が生まれ出す。
固定するかのように、右手で左手を掴むと同時に、地面に着地。
右足を前方に大きく踏み出すと――
「ウォーターブラスト! 」
左手に出来た球状の水を撃ちだした。
その反動を受け、セアレウスの左腕は上に持ち上がり、体は後ろへ下がる。
撃ち出された水は楕円状になり、セアレウスが狙った方向――前方斜め上方向へ飛んでいった。
ウォーターブラスト――
セアレウスの水魔法の一つで、水の砲弾を撃ち出すという攻撃に特化した魔法だ。
水魔法には、水を撃ち出すということで共通しているアクアショットというものがある。
初級魔法の類で、魔法の道へ歩み出した者の多くが最初に行使した魔法の一つであると言われている。
セアレウスのウォーターブラストは、そのアクアショットの発展型と言える。
アクアショットには大した威力は無いのだが――
バキッ……バキバキバキ!
ウォーターブラストには、木の幹を砕くほどの威力を持っているからだ。
木の幹を砕かれ、それより上の部分が音を立てながら倒れ出す。
その間に、セアレウスはアックスエッジを左右の手に持ち、地面に刺さった黒い何かに目を向ける。
その黒い何かは、平たく長細い形状をしていた。
真っ黒で光を反射していないが、地面に深々と刺さっている様子から、硬い材質であることは分かった。
黒い何かから視線を外し、顔を上げる。
すると、セアレウスの前方に何者かが降り立った。
その者は、全身を黒い装束に身を包んでおり、仮面を付けているせいで顔は見えない。
右肩から刀の柄が出て見え、刀を背負っているようであった。
状況から、セアレウスへ黒い何かを投擲した人物なのだろう。
黒い装束の者は腰を下ろすと、地面に手を伸ばす。
「あっ! 」
その仕草を見て、セアレウスは思わず声を出してしまった。
黒い装束の者が地面に落ちていたスクロールを拾ってしまったからだ。
そのまま、黒い装束の者は拾ったスクロールを装束の中へ仕舞い、高く跳躍する。
そして、離れた場所に着地すると、背負っていた刀を抜き、その刃をセアレウスに向けた。
セアレウスを攻撃したことやスクロールを拾った理由は分からない。
しかし、その姿勢から黒い装束の者はセアレウスと戦うつもりなのだろう。
「何者かは知りませんが、スクロールを返してもらいます」
セアレウス自身もそう思い――
「水魔精 セアレウス、行きます! 」
名乗りを上げ、黒い装束の者に向かって駆け出した。
(刀を持っていますが、片手は空いています。投擲攻撃が来ますか……)
セアレウスは投擲攻撃に備え、アックスエッジを前方へ構えた。
前方の黒い装束の者を見据え、戦闘方法を思案するセアレウスだが――
「うわっ!? 」
彼女にとって予期せぬ出来事が起きた。
「ああああ!? 」
何が起きたか理解できず、セアレウスは叫ぶだけしか出来なかった。
セアレウスは落下したのだ。
この開けた場所には高低差などはなく、彼女が落ちる直前まで、その足元には地面があった。
その状況で落下したのならば、考えられるのは落とし穴だろう。
セアレウスは落とし穴に落ちたのだ。
「くっ……こんなところに落とし穴があるなんて……」
落とし穴の底へ落下し、そこでセアレウスは自分に起きたことを理解していた。
体を打ち付け痛みが生じる中、セアレウスが見上げると、上から黒い装束の者が覗いていた。
心のなしかその体が小刻みに震えていたため――
「よくも騙しましたね! 」
落とし穴に嵌った自分を笑っているのだと思い、セアレウスはこれが黒い装束の者の仕業であると判断した。
落とし穴から抜け出そうと、セアレウスが立ち上がった時――
「むぶっ!? 」
黒い装束の者は何かを投げつけ、それがセアレウスの顔に当たった。
セアレウスはアックスエッジを仕舞うとそれを掴み、なんとか落とし穴から抜け出した。
しかし、もう黒い装束の者は姿はどこにも見えなかった。
「逃げられましたか……」
セアレウスは、ガックリと肩を落とした。
それと同時に顔を俯かせており、その時、自分が手にしているものに気がついた。
それはスクロールであった。
奪われたスクロールと同じ物であるかは不明だが、セアレウスはとりあえずそれを読むことにした。
巻かれていたスクロールを広げると、そこには――
セアレウスと名乗る者へ。
単刀直入に言うと、私はあなたの探しているキキョウのことを知っています。
彼女に会いたかったら、私の元へ来ることです。
ちなみに今、私はラザートベルにいます。
私の元に来る方法は別紙に書いてあるので参考にしてください。
あと、この巻物を読む前に、謎の黒い者に襲われましたか?
あれは、特に何でもないので気にしないでください。
キキョウより。
と書かれおり、数枚の紙が挟まれていた。
「気にしないでくださいって……すごく気になるのですが……」
スクロールを目にしたセアレウスは苦笑いを浮かべた。
「結局、ここにはいないと……はぁ、回りくどい……」
人間のキキョウの遠回りなやり方に、セアレウスはため息をつかざるを得なかった。
「でも、キキョウさんには近づいているはず。人間のキキョウさんに会いにラザートラムに行きますか」
現状、意味不明なことばかりである。
しかし、人間のキキョウの言葉を信じ、彼女に会うため、セアレウスはラザートラムに向かうことを決めた。
セームルースのバーム、ブリス、エドラーの村々の南にはルース森林と呼ばれる森林地帯が広がっている。
その森林地帯は西から東に広大に広がっており、南へ抜ければ国外となる。
つまり、ルース森林とは、セームルースの南側の国境だ。
森林を抜ければ、トライファス大平原という島の中央に広がる平原地帯に出る。
このトライファス大平原は、どの国にも属さない土地であった。
しかし、今はそうではない。
平原の中央から西側がラザートラム、東側がベアムスレトの支配下になっているからだ。
今、こうした状況になっているのは戦争のせいであり、現在の主な戦場がこのトライファス大平原になっているのだ。
そのせいで、セームルースからラザートラムに向かうのは危険であると言える。
戦場であるトライファス大平原を通るのだ。
どちらかの兵に見つかれば、怪しい者と見なされ拘束される可能性がある。
どのようにして、ラザートラムへ向かうか考えものになるだろうが、セアレウスには頼りになるものがある。
それは、スクロールに挟まれていた紙の一枚であった。
そこには、トライファス大平原に駐屯してあるラザートラムの部隊の位置、見回りで通るルートが細かく記されていた。
それを頼りに、セアレウスはトライファス大平原を進むことにした。
ブリスからルース森林を抜け、トライファス大平原を進むこと、三日後。
無事、セアレウスはトライファス大平原を抜けることができた。
紙に記されていた情報は正確で、誰に見つかることもなく進むことが出来たのだ。
ここまで来れば、あとは人間のキキョウに会うのみ。
彼女の居場所は、別の紙に記されており、そこへ向かうだけであった。
「……」
セアレウスは紙を手にし、遠くを見つめている。
彼女はトライファス大平原を抜けただけで、まだラザートラムに入れていない。
ここまで来て、彼女はある問題に直面していた。
ラザートラムは丘に出来た国で、セアレウスのいる北東の位置から南西に向かって、段々と土地が高くなっているように見える。
国の領地のほとんどが城郭に囲われており、国が一つの城のようである。
今、セアレウスが手にしている紙には、ラザートラムの国内――城郭の中が記されている。
それを見ると、城郭の中は第三、第二、第一とさらに細かい城郭があり、第一城郭には城があると記されていた。
「……」
セアレウスは自分の手にする紙に目を向ける。
彼女が見ているのは、第二城郭の部分で、そこには赤い丸があり――
「ここに来てください。国の者には見つからないように……」
そこに記された言葉を口に出して読んだ。
「……え? 」
セアレウスは、間の抜けた声を漏らした。
ラザートラムは今、ベアムスレトと戦争中で、まともに国内に入ることは難しい。
だからと言って、人間のキキョウは、忍び込めと言うのだろう。
彼女の見た限りでは、ラザートラムは難攻不落の巨大な城。
戦争中であり、警備はかなり厳しいことも想像できる。
「そんな無茶な……」
セアレウスの呟いた通り、この国に忍び込むのは無茶なことであった。
2017年8月5日――誤字修正
ラザートベル → ラザートラム
補足
第一城郭は本の丸、第二城郭は二の丸、第三城郭は三の丸と同じ、第三、第二、第一と段々土地が高くなっています。
ラザートラムは、日本のお城みたいな感じになっていると想像して頂ければ幸いです。




