二百八十五話 キキョウの行方
トライファス島――
バイリア大陸から南東に位置する島である。
島としては広い面積の部類に入り、一つの国が島には存在していた。
その国の名は、セームルース。
建国は数百年前にまで遡るとされ、古くから存在する国の一つに数えられる。
王が存在し、それ故に王国ではあるが、この国は特殊である。
何故なら、その王が二人存在するからだ。
王が二人存在することは一代だけではなく、建国時から代々受け継がれた伝統。
どの時代でも二人の王は存在し、その二人が争うことなく、セームルース、またはトライファス島は平和であり続けた。
しかし、それはもう昔のこと。
今のトライファス島は平和とは呼べない。
二十年ほど前、トライファス島に多くの獣人達が移住してきた。
この出来事がきっかけかは定かではないが、その年から一年後に事件は起きた。
セームルースの一人の王が自分を慕う者達を率い、新たな国を建国したのだ。
こうして、トライファス島に存在する国は三つとなった。
国王が一人となってしまった北のセームルース。
新たに生まれ、軍事国家と化したラザートラム。
移住してきた獣人達により建国されたベアムスレト。
トライファス島が平和ではなくなったのは、この三国になってから。
数か月前、ラザートラムがベアムスレトに宣戦布告をしてから現在まで、その二国は戦争状態であるからだ。
コウユウと別れてから一か月ほどの時が経つ。
セインレーミアに帰ったセアレウスは、モノリユスより次の指示を受け、セームルースに来ていた。
コウユウの時と同じく課題の協力を行うためである。
その協力を行う相手はキキョウだが、セアレウスは彼女の居場所を未だに判明していない。
セームルースに向かったという情報しか彼女の手掛かりは貰えなかったからだ。
それでもセアレウスはキキョウに会うため、彼女らしき人物の目撃情報を頼りに探した。
その結果、北の港町ペーシアから南へ向かい、国の中央にある王都を通り、さらに南へ向かった。
現在、セアレウスはセームルースの南に位置するブリスという村に来ていた。
「すみません。この村に宿屋はありませんか? 」
「宿屋かぁ……この道をまっすぐ行けば分ると思うよぉ」
「分りました。ありがとうございます」
道を教えてくれた村人に頭を下げるセアレウス。
彼女がいるのは、村の入り口。
ブリスに来たばかりであるのだ。
セームルースの大半は草原地帯で占められ、気候は比較的温厚。
ブリスは草原地帯の中にあり、草原の上に家々が立ち並んでいるというのが、この村の見た目であった。
「しかし……まだ日が明るいってのに、もう宿探しかぁ? 」
村人は立ち去ることなく、セアレウスにそう訊ねた。
温厚な気候の中であるが故か、村人も穏やかでのんびりとした雰囲気がある。
(島には戦争中の国があると聞いていますが……)
争いから遠い場所はこうも平和であるのかと、セアレウスは思っていた。
「いえ、実は人探しをしていまして、宿屋の人なら見かけたかもしれないので」
「ああ、そういうことか。大変だなぁ。見つかるといいねぇ」
村人はニコニコと微笑みを浮かべた。
「はい。頑張ります」
「うんうん。ほんじゃあなぁ」
微笑みを浮かべたまま、村人はセアレウスの元から去って行った。
セアレウスが道をまっすぐ進むと、宿屋と思わしき建物が目に入った。
「いらっしゃい」
中に入ると、カウンターが正面にあり、そこに一人の男性が立っていた。
その男性は体格が良く、先ほど会った村人のように穏やかな雰囲気を持っていた。
「……すみません。ここは宿屋……なのでしょうか? 」
セアレウスがある一点を見つめながら、男性に訊ねた。
「……? そうですが……ああ、あれですか」
セアレウスの視線の先を見て、男性は納得したかのように微笑んだ。
今、二人がいる部屋は、このカウンターと階段、待合室に分けられる。
セアレウスのいるカウンターから待合室が見える。
そこには、テーブルや椅子がいくつかあり、その他に宿屋として似つかわしくない物がある。
それは、武器だ。
待合室の隅に、円筒状の籠があり、そこに何本か剣が入っているのだ。
男性はその籠の元へ向かうと、一本の剣を持ってカウンターに戻ってくる。
「ここは宿屋で間違いないよ。これは、土産用の剣で……ほら、刃が潰してあるだろう? 」
「あ、本当ですね」
剣に目を向けると、男性の言う通り刃が潰されていた。
その剣と同じように、籠に入っている剣はどれも刃が潰れているのであろう。
この宿屋に置いてある剣が実用的なものでは無いことが分かった。
しかし、疑問はある。
何故、実用的でない剣を土産物として売っているのかと。
「どうして土産物の剣を売っているのですか? 」
セアレウスはその疑問を男性に訊ねた。
すると――
「それはもちろん、売れるからだよ」
男性は、そう答えた。
「そ、そうですか。ああ、そういえば、聞きたいことがあります」
セアレウスは話題を切り替え、キキョウのことを聞くことにした。
「聞きたいこと? 」
「はい。実はここに来たのは、それが目的でして、最近白い獣人の女の子を見ていませんか? 」
「うん? 知らないね。そんな目立つ特徴の人が村に来たなんて聞いたことがない」
「そうですか……」
宿屋にキキョウは来ていないどころか村にも入っていないようだった。
「その白い獣人を探しているのか。力になれなくて申し訳ない」
「いえ、この村に来ていないことが分かっただけでもありがたいです。では、失礼しました」
セアレウスは男性に頭を下げると、宿屋の外へ出た。
「はぁ……この村に来ていないのですか」
道をトボトボと歩きつつ、セアレウスはそう呟いた。
港町ペーシア、王都と来て、それらの場所ではキキョウらしき人物の特徴はあった。
しかし、この村に来てキキョウらしき人物の情報は無い。
「一体どこにいるのでしょうか。見つかるかなぁ……」
セアレウスは振り出しに戻された気分になり、憂鬱な気持ちになっていた。
そんな気持ちのまま、村の中の道を歩くセアレウス。
ふと、彼女は周りを見回した。
すると、低い背の草むらと木で出来た家々、村人らしき人物達がセアレウスの目に映る。
「アレ……本当に売れているのでしょうか? 」
セアレウスは顔を振り向かせ、遠ざかっていく宿屋に目を向けた。
先ほど彼女が周りを見回した時、自分と同じ旅人らしき人物は、全くと言っていいほど見当たらなかった。
距離は少し離れているが、ブリスの両隣に村がある。
ブリスから西側の方がバームで東側がエドラーだ。
セアレウスは村の者から、それらの村があることを知り、まずバームへ向かうことにしたが――
「え……? 」
村の西側を通る途中で、セアレウスは呆然と立ち尽くしていた。
彼女が目を向ける先で、不可解なことが起きているからだ。
まず、そこでは村の子供達が遊んでいる。
これは、どこの村や町でも見かけることで、問題はない。
しかし、子供達が遊んでいる場所は雪が積もっていた。
雪が降る気候や時期でも無いのに、子供達は雪遊びをしているのだ。
立ち尽くしたままのセアレウスの存在に気づかず、子供達は丸く固めた雪を人型に積み上げたり、雪を投げ合って遊んでいる。
「こらーっ! 」
しばらくすると、離れたところから一人の少年がやってきた。
セアレウスよりも背が高く、年齢はイアンと同じくらいのように見える。
「あっ! サマヴァス兄ちゃんだ! 逃げろ! 」
少年に気づくと、子供達は蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
しかし、一人だけ逃げなかった者がいた。
その一人は、サマヴァスと呼ばれた少年と同じくらいの年齢で、バツの悪そうな顔をしている。
「はぁ……はぁ……いつもいつも逃げ足が速い……」
サマヴァスは、残った少年の前で膝に手をつく。
息が整うとサマヴァスは背筋の伸ばし――
「こらっ、パーシー! 魔札を使うと言っているだろう! 」
残った少年――パーシーを叱りつけた。
「ごめんよ、兄さん。でも、子供達がどうしても雪で遊びたいっていうから……」
パーシーは申し訳なさそうに、顔を俯かせた。
「まったく、魔札が何のためにあるか……」
パーシーを叱りつけていたサマヴァスの言葉が途切れた。
口を開いたまま、彼が見つめる先にセアレウスがいる。
サマヴァスはセアレウスに気づいたのだ。
「あ……すみません。少しお話……いいですか? 」
自分を見て固まるサマヴァスに、セアレウスは恐る恐る訊ねた。
「白い獣人の女の子? いや、知らないな」
草むらに不自然に広がった雪溜まりの上で、サマヴァスはそう言った。
セアレウスは、サマヴァスとパーシーの元へ向かい、話を聞いている最中であった。
「そうですか……」
しかし、彼らもキキョウの姿を見たことが無いようであった。
「宿屋のおじさんには、村には来ていないって言われたんだったよね? どうして、僕らに聞こうと思ったの? 」
パーシーがセアレウスに訊ねた。
何をしに来たかを説明する過程で、セアレウスは宿屋に言ったことを彼らに話していた。
パーシーは、村にいないと言われたにも関わらず、同じ村人である自分達に訊ねてきたセアレウスを疑問に思っていた。
「パーシーの言う通りだ。旅人の往来に詳しい宿屋がいないって言ったんだ。オレ達だって、いないって言うはずさ」
サマヴァスも気になっている様子であった。
「実は、わたしの探している人は、雪の魔法が得意のようで、あなた達と関係があるのかも……と思ったのです」
セアレウスは、素直に答えた。
足元にある雪は魔法によって生み出されたもの。
サマヴァス達の会話を聞いていたセアレウスは、そうであると確信していた。
そして、雪の魔法はキキョウが得意としている魔法。
発した言葉の通り、セアレウスは彼らとキキョウに何らかの繋がりがあるのだと思っているのだ。
セアレウスの発言を耳にしたサマヴァスとパーシーは互いに目を合わせる。
一瞬でそれをやめると、サマヴァスが口を開いた。
「ふーん、同じ魔法ねぇ。白い獣人の女の子……って言っているが、名前はなんて言うんだ? 」
「あ、言ってませんでしたね。キキョウという子です」
「「キキョウ? 」」
名前を聞いた途端、サマヴァスとパーシーは首を傾げた。
「え……こ、心当たりがあるのですか? 」
セアレウスの問いかけに、サマヴァスとパーシーは気難しい表情をする。
「……今から二ヶ月ほど前か。この村にキキョウっていう名前の女の子が来てな」
「え……」
サマヴァスの発言に、セアレウスは間の抜けた声を漏らす。
「物知りな人でね。色々と教えてくれるから、僕達は先生って呼んでたよ」
「名前がキキョウで、物知り……もしかして、魔札というのは、その人に教えられたものでは? 」
「……ああ、そうさ。魔法を出す道具をあの人はくれた」
サマヴァスが、僅かに険しい表情を浮かべて、セアレウスの問いに答えた。
この時、パーシーは怯えた表情をしていたが、サマヴァスも含めて、セアレウスは気付かなかった。
何故なら――
「ようやく! キキョウさんの手ががりを見つけました! 」
高確率でキキョウその人の情報を手に入れたからだ。
その嬉しさで、セアレウスは周りがあまり見えていなかった。
「喜んでいるところ悪いが人違いだな」
「え……? 」
しかし、サマヴァスの言葉により、セアレウスの笑顔は凍りついた。
「だって、あんたの探しているキキョウは獣人のようだが、オレ達が先生って呼ぶキキョウは人間なんだからな」
「え……ええええええ!! 同名の人違い!? 」
セアレウスは絶叫を上げると、その場に崩れ落ち、雪溜まりに手をついて跪いた。
「そんな……人違いだなんて……」
「お、おい、大丈夫か? 」
落ち込むセアレウスを気遣うサマヴァス。
今の彼は、先ほどのような険しい表情をしていなかった。
「はぁ、落ち込む気持ちは察するが、落ち込めば見つかるってこともないだろう。ほら、とりあえず立ちなよ」
「ううっ、ありがとうございます」
セアレウスはサマヴァスの手を借りて立ち上がった。
「今度は、こっちが話を聞かせてもらう番だ」
「……? わたしに……ですか? 」
何を訊ねられるか分からず、セアレウスは首を傾げる。
「ああ。まず……オレはサマヴァス。こっちがパーシーだ」
「は、はぁ……」
「……何してんだ? こっちが名乗ったんだから、お前も名乗れよ」
「あれ? 名乗ってなかったですか? 」
「うん。僕らはまだ君の名前を知らないよ」
「そ、そうでしたか、失礼しました。わたしの名はセアレウスです」
「……そうか」
セアレウスの名前を聞いた時、サマヴァスの片眉がピクリと吊り上がった。
「な、なんですか? 」
サマヴァスの様子を訝しむセアレウス。
「……セアレウス。先生に会ってみるか? 」
「先生……人間のキキョウさんですか? 」
「ああ。あの人は物知りだからな。もしかしたら、あんたの言うキキョウのことを知っているかもしれない」
「そうですか……」
セアレウスは考える。
別人に会っても、どうしようも無いのが普通の考えだ。
しかし、サマヴァスが言うには、人間のキキョウは物知りのようである。
さらに、魔札という魔法を使う道具を扱うという。
(物知りで魔札という道具を使う人……その人の噂を聞けば、キキョウさんは会いに行く……のかな? )
セアレウスは、獣人のキキョウが人間のキキョウに興味を持つ可能性があると考え――
「はい。ぜひ、先生の方のキキョウさんにお会いしたいです」
と答えた。
「分かった。じゃあ、今日はこの村の宿で止まってくれ」
「え? 今日はダメなのですか? 」
「ああ。あの人は今、遠いところのいるからな。しかし、あんたは運がいいな」
サマヴァスは、頬を吊り上げた。
「運がいいとは? 」
「それは、先生に会ったら分かる。明日の朝、宿屋に行くよ。じゃあな」
「さようなら、セアレウスさん」
サマヴァスとパーシーは、セアレウスの元から歩き去っていった。
「あ、さようなら……えーと、色々とよく分かりません」
去っていく二人の背中を眺めながら、セアレウスは首を捻る。
しかし、考えても何も分からないので、サマヴァスに従い、宿屋に向かうことにした。
この国でキキョウを探して数日。
セアレウスは、まだ彼女の行方を掴むことが出来ない。
それどころか分からないことが増えていくばかりである。
それ故に、セアレウスは――
(一筋縄ではいかないみたいですね)
と、思った。
これは、キキョウの協力が決まった時から、彼女が何度も思っていることであった。
2017年5月5日――誤字修正
ラザートベル → ラザートラム




