二百七十八話 思い出の赤い帯
――夕方。
この日行われるトーナメントの試合が全て終わった。
そのため、多くの者がコロシアムを後にする。
自分が泊まる宿屋に帰る者もいるが、大半はこのソルジャーガーデンに留まる。
ソルジャーガーデンには大きな酒場があり、皆そこへ行くのだ。
今日、行われた試合を肴に酒を飲むために。
「ゴートさん、ここへ寄って行くのですか? 」
その酒場の前にセアレウス達はいた。
「おう、ちょっくらな。悪ぃけど、クーティには遅くなるって言っておいてくれ」
訊ねたセアレウスに、ゴートはそう言うと酒場の中に入っていった。
「行っちゃいましたね」
「んん? ゴートは、ここに何の用があるって? 」
セアレウスの横に立つコウユウが訊ねる。
「情報収集……みたいなことを言っていましたよ」
「ふーん、今日は他の試合も見れたし、わざわざゴートがやる必要はないと思うけどな」
訊ねたにも関わらず、セアレウスの答えに対するコウユウの反応は、興味なさ気であった。
コウユウ自身が言うように、今日彼女が意識を失うことはなかった。
故に、今日は他の試合を観戦することができていた。
「情報収集とか言ってたけど、自慢じゃないの? ほら、あの人賭けでダンナに賭けてたじゃん。このままダンナが勝てば、ゴートの一人勝ちだもんね 」
セアレウスとコウユウの後ろに立つキハンが、半目で呟いた。
「……それもありますか……ね? まだ、コウユウが勝つとは決まっていないのですが……」
「……」
セアレウスの言葉に、コウユウが何も言うことはなかった。
ただ、神妙な顔つきで前を向いているだけである。
そんなコウユウの姿にキハンは――
「オオダンナ……その……ダンナが勝つって信じてないのかい? 」
と、コウユウを憂うように言った。
「そんなことはないです。でも、コウユウが必ず勝つとは言えません」
「そりゃそうだけど……」
「キハン、セアレウスの言ってることは正しい。あたしが優勝するのは、まだ厳しい。リオダイナや象獣人の戦いを見て分かったよ」
コウユウは、キハンを諭すように言った。
今日のリオダイナは、魔法学校の学生の少年。
火の魔法を得意とする少年の攻撃範囲は広い。
剣や槍などの近接攻撃をする者には、圧倒的に有利であった。
一方的に魔法を放つ彼の戦いは、観客達にとってはつまらないが、彼の勝率は高い。
賭けで少年に賭けた者は多く、彼を応援する声は大きいものであった。
しかし、少年はリオダイナに負けた。
さらに言うと、決着はこの日行われた試合の中で一番早い。
どのような戦いが繰り広げられたか簡単に表現すると、少年が自分の魔法を披露し、リオダイナが拳を突き出したとなる。
リオダイナは、少年の魔法を全て躱し、一撃で彼を倒してしまったのだ。
あまりの呆気なさに、その時の観覧席はシンと静まり返った。
魔法による広範囲攻撃が通用しない。
この時より、リオダイナは象獣人と並んで、大会優勝の有力候補となっていた。
「リオダイナは相変わらずだったけど、象獣人の方も油断できない。こいつらに勝つために、修行をしないと」
コウユウは、そう言うとこの場を去ろうと歩き出す。
「待ってください、コウユウ。今日……いえ、明日の午後まで休みましょう」
そんなコウユウをセアレウスが呼び止める。
「休む? そんな暇ないでしょ」
「焦ってはいけません。意識があるとはいえ、ダメージはあるはずです。無理をしては、次の試合に支障が出てしまいますから」
「……分かったよ」
コウユウは足を止めると、セアレウスの元に戻ってきた。
「それで、どんな修行をするか考えていたりするの? 」
セアレウスならば、何かを思いついているかもしれない。
そう思い、コウユウは彼女に訊ねた。
「えーと……だいたい……ですかね」
しかし、その答えは曖昧な返事であった。
「……? あんたにしてはハッキリしないね。何か問題でも? 」
「いえ、そういうことではありません。修行をする時までには、ちゃんとするので心配はしないでください」
「そうか、何かあったら……いや、何でもない」
何かを言いかけ、コウユウは首を振った。
今の彼女は、拳を握り締めていた。
「……お腹減った。そろそろ帰ろう」
その後、コウユウは気持ちを切り替えるようにそう言うと、宿屋に向けて歩き始めた。
「そうしましょう」
「今日は、何が出るかなぁ」
コウユウに続いて、二人も歩き始める。
「……そういえば、変な試合だったなぁ…」
その途中、キハンが呟いた。
「ああ、コウユウの次の試合でしたか。確かに、おかしな試合でしたね」
その呟きにセアレウスは同調する。
「おかしな試合? 試合じゃなかったでしょ。あれは」
二人の呟きを耳すると、コウユウはそう言い――
「試合が始まってすぐに降参するとか。何をしに来たんだって言いたいよ」
と続けた。
――次の日の朝。
セアレウス達三人は、食堂のテーブルに座っていた。
「ふわぁ、今から何すんの? 」
欠伸をしつつ、コウユウがセアレウスに訊ねる。
三人は、ここで今日の予定を考えていた。
とは言っても――
「何するの? オオダンナ」
コウユウとキハンは何がしたいということはなく、セアレウスの話を聞くだけである。
「ソルジャーガーデンを見て回りましょう」
「ん、分かった」
「せっかくここへ来たもんね。行かなきゃ損ってやつだ」
故に、セアレウスの意見に反対することはなかった。
「お、なんだ。やっと、ソルジャーガーデンに行くのか」
そこへ、厨房の方からゴートがやってきた。
「はい。おすすめの屋台とかはありますか? 」
「それは、言えねぇな。見て回んのが目的だろ? 自分達で探しな」
「あ、それもそうですね」
「おう。そんで、頼みてぇことがあるんだが」
「頼みたいこと? 」
セアレウスは首を傾げた。
「「……? 」」
コウユウとキハンも首を傾げる。
すると――
「どうせ、お酒を買ってこい……とかなんでしょ? お客さんに、そういう頼みごとをしちゃいけないよ、お父さん」
クーティもセアレウス達の元へ来て、ゴートを嗜めるようにそう言った。
「ちげぇよ。なぁ、アオちゃん達。クーティも連れてってくれないか? 」
「えっ!? 」
ゴートの申し出に、クーティが驚きの声を漏らす。
「クーティさんをですか? 構いませんよ。良いですよね? 二人共」
「ん」
「もちろん」
三人は申し出を断ることはなかったが――
「ちょ……ダメだよ。今日もお店の手伝いしなきゃ」
クーティは、行く気ではないようであった。
「何言ってんだ。毎年、あそこに行くのを楽しみにしてんじゃねぇか。今年は、まだ行ってないんだろ? 」
「うっ……でも……」
クーティは、周りを見回す。
客は来ないとゴートは言うが、そんなことはない。
少ないながらも、セアレウス達以外にテーブルに座る者達はいた。
「ふん! 今日も客は少ねぇよ。俺一人でも充分だ。ほら、行った行った」
「……なら、お小言に甘えて……」
「お言葉な」
「うっ……」
ゴートに言い間違いを指摘され、クーティは顔を赤くする。
その後、セアレウス達に体を向け――
「えと……お願いします」
と、頭を下げた。
「はい、こちらこそ。では、行きますか」
「あ……ちょっと、待ってください。準備してきますので」
クーティは、そう言うと厨房の奥へ向かった。
「出かける時の服に着替えに行ったな。悪いな、ちょっと時間かかるぞ」
「いえ……あと、その……優しいですね」
「ん? ああ……最近は一人で店を任せてたからな。あいつにも遊ぶ時間は作らねぇと、そのうち雷をとされかねんからなぁ……」
「うーん……コロシアムに来るのは、ほどほどにしませんか? 」
渋い顔をするゴートに、セアレウスはそう提案せずにはいられなかった。
準備を終えたクーティがやってくると、セアレウス達はソルジャーガーデンに向かった。
この時期のソルジャーガーデンにある屋台の数は多い。
闘技大会が開かれ、多くの人々が集まるからだ。
売り出す物は大会に関係がある物がよく売られているが、他の物もある。
土産として買われることがあり、様々な物がここで売られているのだ。
「色んな物が売られてますね」
ソルジャーガーデンに並ぶ屋台の数々を眺めながら、セアレウスが呟いた。
今、セアレウス達三人とクーティはコロシアムの前の広場にいる。
「うん。色々あって、毎年売られてる物が違うから面白いですよ」
「へぇー! そりゃ毎年楽しみになるよね」
「だけど、すごい人の数だ……」
皆が盛り上がる中、コウユウだけが憂鬱な表情をしていた。
彼女達がいる広場には、道に隙間が見えないほど人で溢れかえっていた。
「コウユウさんは、こうゆう人ごみが苦手なのですか? 」
クーティが心配そうな表情で、コウユウに訊ねる。
「苦手な方かな。まぁ、あたしのことは、気にしないでいいよ。それで、セアレウス。ます、どこに……」
コウユウがセアレウスに声を掛けようとすると――
「……あれ? いないし……」
彼女の姿は見当たらなかった。
「どこに……って、キハンもいない」
辺りを見回しても見つけることはできず、キハンの姿も見当たらなかった。
コウユウの傍にいるのは、クーティだけである。
「はぐれましたか。どうしましょう? 」
「うーん……あの二人なら、はぐれても問題ないかな。こっちはこっちで屋台を回ろう」
「そうですか。では、どこへ行きます? 」
「ん、特にない」
「え……」
コウユウの即答に、クーティは呆気に取られた。
「屋台の物に興味ない。だから、あんたの好きなところに行きなよ」
「は、はぁ。じゃあ、行きましょうか」
困惑しつつ、クーティは歩き始め、コウユウは彼女の後ろをついていった。
初めは、ついてくるだけのコウユウに慣れないクーティだったが――
「あ! 髪飾りが売ってます! コウユウさん、行きますよ! 」
そのうち慣れて、あちこちとコウユウを連れ回すようになった。
クーティは、興味を持った屋台目指して走っていく。
「ちょ! はぐれるから走るな! あたしは、あんたの荷物で前がよく見えないんだから! 」
大量に積み重なったクーティの荷物を持つコウユウは、ついていくのに精一杯であった。
(くそぅ、セアレウスの奴。休むとか言ってたけど、全然休みになってないぞ)
心の中で、どこかへ行ったセアレウスに悪態をつくコウユウ。
「む! 」
クーティの元へ向かっていたコウユウだが、ふと彼女は足を止めた。
「…………気のせいか? 誰かに見られていたような気がしたけど……」
彼女は、誰かの視線を感じていた。
しかし、今は感じることはなく、周りに怪しい人物は見当たらなかった。
「……おっと、いけない。別の屋台に行っちゃう前に、追いつかないと」
程なく、コウユウはクーティの元へ向かうのを再開した。
ふらふらと人を躱しながら、彼女はようやくクーティの元に辿り着いた。
「はぁ……ここは、飾り物屋か」
クーティがいた屋台は、耳飾りや首飾り等を取り扱う店であった。
「やぁ、猿人のお嬢さん。その子の付き添いのようだが、あんたも見るかい? 」
屋台の店主がコウユウに話しかけた。
「……戦闘に役に立つ物はあるか? 」
「戦闘……もしかして、アクセサリーのことか。悪いけど、うちは扱ってないよ」
「そうか……」
一応、屋台に並べられた商品を眺めていたコウユウだが、それらに視線を外す。
その代わりに、隣に立つクーティに視線を向けた。
彼女は、商品である髪飾りを試着し、鏡で確認している。
「うーん……どうだろ? コウユウさん、これ似合います? 」
難しい顔をした後、クーティはコウユウに意見を求めてきた。
彼女が付けている髪飾りは、桃色の花の装飾が付いたもの。
「……良いと思う」
コウユウは、それがクーティに似合うと思った。
「じゃあ、これを買いましょう。すみません、これをください」
クーティは、髪飾りを外すと店主にお金を差し出した。
「まいど! 」
「えへへ、早速帰ったら付けようかな」
包みに入った髪飾りを受け取り、クーティは上機嫌に笑みを浮かべる。
「コウユウさんは、こうゆうものは買わないんですか? 」
すると、彼女はコウユウは、そう訊ねた。
「必要ない。役に立つアクセサリーだったら、買うんだけどな」
「はぁ、そうですか。でも、髪飾りくらいは買った方が良いと思いますよ。今付けているのけっこうボロボロですし……」
「え……うそ…」
コウユウは抱えていた荷物を下ろすと、三つ編みに束ねた髪を自分の目の前に持ってくる。
すると、髪を束ねている赤い帯は所々がほつれ、見るからにボロボロであった。
「本当だ、どうしよう。なんで、今まで気付かなかったんだろう。直せないかな……」
ボロボロになった赤い帯を見て、コウユウは悲しげな表情を浮かべた。
「直せると思いますけど、この辺では……やっぱり、大切な物なんですか? 」
「うん。アニキ……大切な人から貰った物なんだ。この三つ編みもその人から教えられたもので……」
「そうですか……」
クーティもコウユウと同様に悲しげな表情を浮かべる。
「……あ、そうだ! 」
しかし、何かを思いついたのかクーティの顔はすぐに明るくなった。
「やっぱり、髪飾りを買いましょう」
「……どういうこと? 」
コウユウはクーティに顔を向けると、怪訝な表情を浮かべる。
「その赤い帯は治すまで大切にしまっておいて、代わりに別の物をつける……のはどうでしょうか? 」
「なるほど……分かった。じゃあ、この中から選ぼう」
コウユウは頷くと、並べられた商品の髪飾りを眺める。
「これだ! 」
「早っ!? 」
そして、数秒も時間をかけることなく選び、手に取った。
それは、拳を象ったプレートの装飾が付けられた黒い帯であった。
「ほ、本当にそれでいいんですか? 」
コウユウの選んだ髪飾りに、顔を引きつらせるクーティ。
「なに? あたしが良いんだからいいじゃん」
「い、いやーそうなんですけど……独特すぎるデザインというか、誰もそんなの買わないというか……」
「えぇ? あたしが買うのに、そんなこと関係ないでしょ。というか、店主。これは売れてないのか? 」
コウユウが店主に訊ねると――
「ああ、これですか。珍しいことに、今日一個売れましたよ」
買った人物がいることが分かった。
「ほら、他にもいるんだって」
「えー!? もうはっきり言いますけど、ダサいです。これのどこがいいんですか? 」
「そりゃ、この拳の形でしょ。これを付ければ、なんか腕力上がりそうじゃない? 」
「上がりませんよ。さっき、アクセサリーは扱ってないって言ってたじゃないですか」
「ああ、そういえばそうだっけ。じゃあ、いらないや。良い形なんだけどな」
コウユウは、興味が無くなったのか手にした髪飾りを元の場所に置く。
「髪留められれば、何でもいいや。選んでよ、クーティ」
「はぁ……分かりました。私が選んだほうが良さそうですもんね……」
ため息をつくと、クーティは髪飾りを眺め始めた。
そうすること一時間。
時間をかけて選び出されたのは、丈夫な素材で出来た赤いリボンだ。
結局、すぐボロボロになるであろうということで、見た目は二の次となったのであった。
首飾りを買った後も、コウユウはクーティと共に屋台を回った。
そして、昼を過ぎた頃に、二人が広場へ行くと――
「あ、クーティさん! と……コウユウ! やっと見つけました」
「はぁ。二人共すぐいなくなるんだから」
セアレウスとキハンに合流することができた。
一瞬、セアレウスがコウユウの確認に遅れたのは、コウユウの持つ荷物のせいで顔が見えなかったからである。
「まったく、いなくなったのはそっちだよ」
二人の言葉に納得がいかず、コウユウは顔をしかめた。
「なんにせよ、合流できて良かったです。とはいっても、お互いに屋台は充分見回ったみたいですね」
「そう……ですね。そっちの荷物は少ないように見えますが……」
クーティはセアレウス達を見ながら、そう返した。
荷物の多いクーティとコウユウに対し、セアレウスとキハンの荷物は紙袋一つであった。
「オオダンナ、けっこう本を買ってたんだけど、全部読んじゃってね。今日買ったのに、もう売っちゃったんだよ」
「一回読んだら充分なものばかりでしたので」
「本読みに来ただけかよ。本屋なら別にあったでしょ……」
ため息混じりに、コウユウはそう言った。
「いえいえ、本を読んでいただけではありませんよ。ちゃんと、買い物をしました。ほら」
セアレウスは、手に持っていた紙袋を見せつけるように、コウユウの前に突き出した。
よほど良い物を買ったのか、セアレウスの目はキラキラと輝いていた。
「良い髪飾りを見つけましてね。思わず買ってしまったんですよ」
そう言いつつ、セアレウスは紙袋を開け、中に手を入れる。
そして、その中から取り出されたのは――
「じゃーん! 見てください、コウユウ。これを付ければ、力が……というか拳の威力が上がりそうじゃあないですか? 」
拳を象ったプレートの装飾が付けられた黒い帯だった。
「あー……そう。良かったね」
コウユウはセアレウスにそう言うと、隣に立つクーティに視線を向ける。
「あなた達のセンスはどうかしてます……」
すると、コウユウの思った通り、クーティは顔を引きつらせて、そう呟いていたのだった。




