二百七十三話 答えは思い出の中に
「はぁ……」
宿屋の食堂である一階にて、キハンはテーブルに突っ伏し、ため息をついていた。
「今日もため息ついてんな、ネズミちゃん」
そんな彼女に、カウンターに立つゴートが声を掛ける。
彼の声が耳に入ると、キハンは体勢を変えないまま、顔だけをゴートに向けた。
「ため息をつかずにはいられないよ。今日も降りてこないんだよ? 」
「サルちゃんか……分からねぇぜ? 今日は、上から降りてくるかもよ」
「残念。それは無いと思うよ。お父さん」
二階へと続く階段から、クーティが下りてくる。
彼女の手には、料理の乗った皿があった。
「……そうかい。今日もドアを開けてくれなかったか」
「うん。心配だよ」
ゴートにそう返すと、クーティは手に持った皿をキハンに差し出した。
「ごめんなさい。今日もコウユウさんの代わりに食べてくれますか? 」
「……うん。できれば、一緒に食べたいんだけどね」
キハンは皿を受け取ると、少しずつ料理を口に運ぶ。
多く料理を口にできることは彼女にとって喜ばしいことだ。
しかし、今の彼女に喜んでいる様子はなく、あまり乗り気でない様子だ。
「はぁ……オイラ達じゃあ、どうしようも出来ないよ。早く目を覚ましてくれないかな、オオダンナ」
手を止めると、キハンは何度目かのため息と呟きを口にした。
今は、Cブロックの予選があった日から、六日後。
明日は、とうとう闘技大会初級クラスの本選であるトーナメントが始まる日だ。
その前日にも関わらず、コウユウは部屋に閉じこもったままであった。
ただ部屋から出ないのは、あまりよろしくないが、マシと言える。
コウユウは、Cブロックの予選があった日から、ずっと部屋に閉じこもっているのだ。
「そもそも、何で閉じこもってんだ? サルちゃんは、予選を通過したんだろ? 」
「そうだよ……あ、でも、オオダンナは予選で落ちたんだ」
「セアレウスさんが落ちたことがショックで落ち込んでる……のかな? 」
「ほう、そうだとしたら、とんだ甘ちゃんだな」
「甘ちゃん……ダンナが? 」
「そうさ。二人仲良く予選を通過することを夢見ることは構わねぇ。だが、それが出来なかったことで、落ち込むなんてのはセアレウスちゃんに失礼だろ。勝ったんなら、アオちゃんの分まで頑張らねぇと」
「……そう……かな。いや、違う……かも。ダンナが何で落ち込んでるかなんて、ダンナにしか分からないよ」
キハン達は、コウユウが何故落ち込んでいるかが分からなかった。
故に、どうしたらいいのかが分からず、何もしてやれることはなかった。
唯一、コウユウをどうにか出来る人物がいるとすれば、それはセアレウスである。
しかし、今は彼女を頼れない。
セアレウスは今、予選Cブロックの試合のダメージから回復しておらず、未だに意識を失ったままだ。
この六日間で、彼女が目を覚ましたことはない。
「そういえば、セアレウスさんも、なかなか起きませんね」
「無理もないよ。オイラ、観覧席で見てたけど、オオダンナはすごい技を喰らったんだ。死んだかと思ったよ」
「だろうな。でなきゃ、こんなに寝てるわけはねぇ」
セアレウスが回復するのは、まだ先のことであると考えられた。
「くそ……せっかく、通過したってのに、ダンナは本選に出ないつもりなのか……」
「あれ? コウユウが見えませんね。どこですか? 」
「どこって……部屋に閉じこもってるってば」
「え、そうなんですか? 」
「そうだよ! だから、どうにかしてくださいよ、オオダンナ……って、えっ!? ええええっ!? 」
突如、キハンが驚愕し、大声で叫び出す。
「お、おう。起きたのか。元気……そうだな」
「何というか、唐突ですね……でも、良かった」
ゴートとクーティは困惑している。
なんと、ずっと意識が戻っていなかったはずのセアレウスがこの場にいるのだ。
「……あ! おはようございます」
「おはよう……って、今は夕方……じゃなくて! 」
キハンは、そう返すと、テーブルから立ち上がり――
「うおおおおっ! オオダンナが起きてるーっ! これで、もう安心だーっ! 」
セアレウスに抱きついた。
「おっと…」
あまりの勢いに、セアレウスは倒れそうになるが踏みとどまる。
「だいぶ日が経っているようで……コウユウに何かがあったようですね。詳しく教えてください」
キハンを手で押しつつ、セアレウスはそう訊ねた。
「ああ、そうだ。ちゃんと説明しないとね。実は……」
予選Cブロックの試合が終わってから今日までのことを、キハンはセアレウスに説明する。
その中で、コウユウが部屋から出てこないことを強調するキハンだが――
「……ああ、そうですか」
今のコウユウの状況を聞いて、セアレウスに驚くような特別な反応は見られなかった。
「じゃあ、まずは部屋に行ってみましょうか」
キハンの説明が一通り終わり、セアレウスはコウユウの部屋に向かうことにした。
「頼むよ、オオダンナ。あんただけが、ダンナを何とかできるんだから」
キハンは祈るように、セアレウスを見送る。
「そんで? アオちゃんが行ってもダメだったらどうすんだ」
「ちょっと、お父さん! セアレウスさんのことを信じられないの? 」
クーティがゴートに詰め寄り、叱りつけるように言った。
「そういうわけじゃあねぇよ。最悪の場合のことも考えとかねぇとってことさ」
「う……」
ゴートの言うことは一理ある。
そう思い、クーエィは助けを求めるように、キハンに顔を向けた。
「……分からない。最後の最後はダンナ次第だから……」
キハンは、そう答えるしかなかった。
「そりゃあな……って、アオちゃん、もう戻ってきたみてぇだぞ」
「え? 」
ゴートの言葉を聞き、キハンは耳を疑った。
セアレウスが二階へ行ってから、まだ五分も経っていない。
コウユウを説得したには、あまりにも早すぎる。
故に、キハンが想像するのは、セアレウスでも無理という、最悪の結果であった。
「ダメですね」
一階に下りてきたセアレウスは、そう言った。
その言葉から連想できる結果とは裏腹に、セアレウスに焦ったような雰囲気は見られない。
何事もなかったかのように、普通の様子であった。
「コウユウは、部屋にいませんでした」
何故なら、話に行こうとしたコウユウがいなかったからだ。
「「「え? 」」」
セアレウスの発言に、キハン達三人は、間の抜けた声を出す。
まず、どういうことなのかと、三人は疑問に思っただろう。
「部屋に入ったのですが、いなかったのです。鍵……かかってませんでした」
セアレウスに鍵がかかっていなかったことを知らされ――
「「あ……」」
「おいおい……」
キハンとクーティがハッと顔を上げ、ゴートが呆れたように額に手を置いた。
コウユウの部屋に行き、外へ出るように呼びかけていたのは、キハンとクーティである。
二人に部屋に入ってしまうという考えはなかった、
故に、これまでコウユウが部屋にいるはずだと思い込んでいたのだ。
「あはは……ということで、わたしはこれからコウユウの所に行きます」
苦笑いを浮かべた後、セアレウスは宿屋の外へ向かう。
「どこにいるのか分かんのかよ、アオちゃん」
「ええ、分かりますよ。きっと、あそこにいるでしょう」
ゴートの問いかけに答えた後、セアレウスは宿屋を後にした。
「頼もしいこった。サルちゃんは、大丈夫かもしれねぇぞ」
セアレウスを見送ったゴートは、自然と笑みを浮かべた。
しかし、その笑みはすぐに消え、代わりに呆れた表情となり――
「だから二人共、元気だせよな」
床に跪き、落ち込んでいる様子のキハンとクーティに、そう声を掛けた。
二人が立ち直るのは、もしかしたらコウユウよりも遅くなるかもしれない。
「はっ! たありゃあ! 」
ゾロヘイド周辺の荒野に、コウユウはいた。
一人、そこで何も無いところに拳う打ち出したり、蹴りを放ったりしている。
そんな彼女の全身は、汗で濡れており、ずっとそうしているようであった。
「う……」
激しく動いていたコウユウは突然、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
地面に倒れることはなかったが、片膝は地面に付き、吐く息は荒い。
体力の限界が来たのだ。
「……まだ……まだ、足りないんだよ……」
体の限界を感じているにも関わらず、コウユウは立ち上がろうとした。
コウユウは、今の自分の実力に納得がいっていなかった。
(こんなんじゃ、すぐ負ける。強くならなきゃダメなんだ)
今よりずっと強くなる。
その一心で、彼女は拳を打ち続けていたのだ。
しかし、何千と拳を打ち続けても、コウユウの気持ちが晴れることはない。
強くなるという気持ちだけで、彼女の思う強さには近づけていないのだ。
本人もそれを自覚してはいるが、どうすればいいのか分からない。
今のコウユウは、ただ闇雲に拳を打ち続けているだけ。
今のコウユウは、暗闇の中で、もがいているのと変わりはなかった。
「まだ……届いてないのに……! 」
膝に手をつき、立ち上がろうとするも――
「うあっ!? 」
ガクンと膝が揺れて、コウユウは前のめりに倒れてしまった。
「くそ……くそっ! 」
力が入らず、腕を立てることすら出来ない。
コウユウは、今の自分の状況を恨めしく思うことしか出来なかった。
「……! 」
その時、コウユウの体が影に包まれた。
日は、まだ赤く荒野を照らしており、夜が来たのではない。
「どうしたのですか? コウユウ」
セアレウスがやってきたのだ。
彼女は、地面に倒れ伏すコウユウの前に立っている。
「……起きたのか。くくっ、どうしたって? 」
コウユウは、セアレウスに顔を向けることなく、自嘲気味に笑った。
「セアレウス。今のあたしは、あんたにどう見えている? 」
「よくは分かりませんが……必死……ですね」
「そうさ、必死なんだよ。必死に……あんた達に追いつこうとしてるんだ」
「……どうして? 」
セアレウスは、コウユウに訊ねた。
彼女には、コウユウの気持ちは分からない。
故に、聞くしかないのだ。
「……いいよな、あんたは……強くてさ」
すると、コウユウの口から、彼女の心の声が溢れる。
「この数日で、あっという間に強くなってる。それだけじゃない。自分よりも強い相手と互角に戦ってる……あたしは、後ろからあんたを見てるだけしか出来なかった」
「……」
コウユウが言葉を紡ぐ中、セアレウスは黙って、彼女の言葉を聞いていた。
「教えてくれ……あんたの強さは何なんだ? 考えても、あたしには分からない……」
そう言いながら、コウユウは顔を持ち上げた。
彼女の顔が向く先には、セアレウスの顔。
その顔を見つめる彼女の目は、縋るように揺れ動いていた。
「……コウユウ。兄さんと過ごした日々……あの人がどんな人だったかを思い出してください」
「アニキ……を? 」
セアレウスに言われ、コウユウはイアンと過ごした日々を思い浮かべた。
その中で特に印象に残っている思い出は、イアンと初めて出会った日、護衛依頼でカジアルへ向かう旅の途中、王都での信仰教団との戦いだ。
「……どんなにピンチでも諦めなかった? 」
「……そうですね。あの人は、諦めない……人でした」
この時、セアレウスは僅かに歯切れが悪かった。
(諦めかけた時はありましたね。でも、今は黙っときましょう)
セアレウスは、イアンが諦めかけたことを知っているのだ。
「ですが、それだけですか? 諦めない人だけではないでしょう」
「……強い相手でも立ち向かっていた。いや、勝っていた……アニキも、自分より強い相手に勝っていたのか! 」
コウユウは、セアレウスに促されることで、そのことにようやく気づくことができた。
「はい。時には、誰かの手を借りる時もありましたが、兄さんは強い相手でも勝つことが出来る戦い方を知っています」
セアレウスは、そう言うとその場に腰を下ろした。
そうすることで、コウユウと目線の高さが近くなる。
「兄さんに教えられたことをあなたに教えましょう。工夫しながら戦うのです」
「工夫? 」
「はい。どうすれば、相手に攻撃が当たるか。どういう攻撃をすればいいかを考えながら戦うのです」
「な……なんだそれ! 当たり前のことじゃない! 」
コウユウは、思わず声を上げてしまった。
セアレウスの言ったことは、誰だって考えること。
言われなくても分かっていることであった。
「当たり前……そう言うなら、どうしてコウユウはやらないのですか? 」
しかし、セアレウスの言うことは、コウユウの思っているものとは違うようであった。
「え……やってない? 」
思わぬセアレウスの問いかけに、コウユウは戸惑った。
「そうでしょう。やっていないから、あなたはわたしが強いと言うのです」
「ま、待って! あんたは、それをやっているから強いのか。それをするかしないかで、こんなにも差ができるか! 」
「はい。今、あなたがわたしに差を感じているのなら、そうなのでしょうね」
セアレウスはそう言うと、ゾロヘイドの町の方へ体を向けた。
彼女はいつの間にか立ち上がっていた。
「明日は、大事な本選です。歩けますか? コウユウ」
「歩けるって、こんな状態じゃあ……あれ? 」
コウユウは、その時になってようやく気づいた。
自分がいつの間にか立っていることに。
コウユウには、まだ立ち上がれる力が残されていたのだ。
そして、彼女が立ち上がったことに気付かなかったのは、セアレウスとの視線の高さが変わらなかったため。
セアレウスは、コウユウに合わせて立ち上がっていた。
「立ってる……くっ、でも、立つだけで限界だ」
程なく、コウユウの体はグラつき始めた。
無意識に立ち上がったコウユウだが、それまでが限界なのだ。
「そうですか。では、肩を貸しましょう」
セアレウスはそう言うと、コウユウの肩に腕を回し、彼女を補助しながら歩き始めた。
「どうですか? これなら歩けるでしょう」
「あ、うん。ひょっとして、これって、さっきの話と関係があること? 」
「無いですよ」
セアレウスはあっさりと答えた。
何か意味のあることなのだろうと思っていたコウユウは――
「……無いのかよ……」
余計に、セアレウスの返答にガッカリした。
「でも、忘れないでください」
「え……? 」
しかし、セアレウスの言葉は続いた。
そこで会話が終わるのだと思っていたコウユウは、僅かに目を見開く。
「予選を通過したのは、あなただけで。でも、一人じゃありません。わたしやキハンさんも一緒です。そのことを忘れないでください」
セアレウスは顔を真っ直ぐ前に向けながら、コウユウにそう言った。
「……うん。分かったよ」
コウユウは、彼女の横顔を見ながら頷いた。
この時、コウユウはセアレウスの言わんとしていることを、しっかりと理解していた。
従って、闇雲に拳を打ち出していた時のような、鬼気迫る表情を彼女はしていない。
今のコウユウは、穏やかな表情をしていた。
「工夫して戦え……だっけ? 」
そして、今度はコウユウがセアレウスに話を振った。
「はい。もしかして、分かりましたか? 流石は、コウユウです」
「いや、全然分かんない」
「ええーっ! 」
コウユウの返答に、セアレウスは体勢を崩しかける。
「いてて。あたしの思ってることと違うってのは分かるけど、あんなんで分かるわけないじゃん」
巻き込まれつつ、コウユウは嫌味を言うように、そう言った。
「ううっ、けっこう分かりやすく言ったつもりなのですが……あれ以上、どうやって分かりやすく言えと? 」
「ふん! 工夫すればいいんじゃないの? あと支えるんなら、ちゃんと支えてよ」
セアレウスが動揺することによって、二人はグラグラと揺れながら歩いていた。
「工夫!? その手が……って、どう工夫したらいいんですかーっ! 」
どう説明したらいいのか分からず、セアレウスは悲鳴を上げた。
そんな彼女の姿を見て――
(ちょっと、言いすぎたかな? でも……くくくっ、面白い奴だ)
コウユウは、心の中で笑っていた。
そして――
(やっぱ、アニキの妹なんだね。少しだけ強くなった気がするよ。ありがとうね、セアレウス)
心の中で、セアレウスに感謝した。
まだ口にして言うには、早過ぎると思ったからだ。
それから、横に並んだ二つの影は、ゾロヘイドの町へと向かっていった。
その二つの影は、宿屋に入るまで横に並んでいた。
精霊斧士のコンセプトの一つ。




