二百七十二話 黄金の竜巻
闘技大会予選Cブロック。
試合が始まってからおよそ半時間の時が経つ。
この頃には、多くの戦士達が倒れ、残っているのは三人だけ。
試合は大詰めを迎え、この三人の中から、うち二人のトーナメント出場者を決める戦いが始まろうとしていた。
闘技会場を取り囲む観覧席から、観客達の声援が大音量となって発せられ、コロシアム中に響き渡る。
観客達が声援を送っているのは、二人の出場者。
セアレウスと金色の獣人である。
今、二人は対峙しており、これからこの二人の戦いが始まろうとしているのだ。
観客達の声援を受ける二人は、拳を構えた体勢である。
そのまま動かず、互いに出方を伺っている様子だ。
しかし、どちらも動く気配はなく、このままでは戦いは始まらない。
そう思い、行動を始めたのは、金色の獣人であった。
「あ……セアレウス! 」
その時、蹲り顔を上げていたコウユウが声を上げた。
彼女の目に、高速でセアレウスに接近する金色の獣人の姿が見えたのだ。
コウユウが見つめる中、金色の獣人は、セアレウスの目の前に到達する。
そのまま攻撃するかに思われたが、金色の獣人は右斜め前へ跳躍。
着地と同時に体の向きを反転させ、背後からセアレウスに接近した。
(は、速い! あいつ、こんなに速く動いていたのか! )
セアレウスと金色の獣人の戦いという客観的な視点で見ることにより、コウユウは改めて金色の獣人の凄まじい敏捷性に驚いた。
金色の獣人の動きの一部始終を見ることができたコウユウ。
しかし、セアレウスは動かなかった。
彼女には、金色の獣人の動きが見えていないようであった。
しかし――
「あ、回転蹴り!! 」
「……!? 」
セアレウスは、体を横へ回転させながら蹴りを放った。
円を描くようにセアレウスの右足は、彼女の周囲に振るわれる。
この攻撃が金色の獣人に当たることはなかった。
セアレウスの攻撃に驚きつつ、彼女は後方を飛び退り、攻撃を躱したのだ。
「後ろにいましたか」
回転蹴りを放った後、セアレウスは金色の獣人に向かって駆け出す。
金色の獣人は着地すると同時に拳を振りかぶり――
「はっ……! 」
一歩前へ足を踏み出しつつ、右の拳を突き出した。
この金色の獣人の行動は、攻撃ではあるが牽制の役割が大きい。
先に攻撃を行い、セアレウスの攻撃する機会を潰すことが目的であるからだ。
「……! 」
金色の獣人の突き出された拳を見て、セアレウスが目を見開く。
防御するか躱さなければ、ダメージを負ってしまう状況であると、彼女は気づいたのだ。
考える間もなく、セアレウスは顔の前で腕を交差した。
セアレウスは、防御することを選択したのだ。
しかし、その選択は金色の獣人の思惑どおりである。
金色の獣人は、セアレウスの攻撃を潰せれば良いと考えていたのだ。
さらに言えば、防御しようと回避しようと、どちらも金色の獣人の思惑通りに代わりはない。
牽制の拳を放った時点で、セアレウスの攻撃が潰されることは決まっていたも同然であった。
そして、セアレウスの攻撃を潰した瞬間、金色の獣人の反撃が始まる。
「なっ……!? 」
ところが、思惑通りにいったはずの金色の獣人が驚愕した表情を浮かべていた。
セアレウスは腕を交差し、防御の構えを取っているのだが、その足は止まっていないのだ。
ゴッ!
さらに、腕に金色の獣人の拳を受けても、セアレウスは止まらない。
止まらないどころか加速していき――
「ぐあっ! 」
金色の獣人に突進した。
セアレウスは、防御することを選択した。
しかし、攻撃を行うことを諦めず、防御しながら攻撃を行うという選択肢を生み出したのだ。
この第三の選択肢を金色の獣人は予想していなかった。
「くうっ、痛い……やはり、相当の力を持っているようですね」
腕に拳を受けた痛み感じ、セアレウスは僅かに顔を歪める。
「ですが、戦いは力だけじゃありません」
金色の獣人を突き飛ばしたセアレウスは、足を止めることなく交差した腕を解き――
「猛雨連打拳! 」
水を纏った左右の拳を連続で突き出した。
「……くっ! 」
仰向けに倒れつつあった金色の獣人だが、足を踏ん張り、無理やり体勢を整える。
その後、セアレウスと同じように、連続で拳を突き出した
ガガガガガッ!
二人の間で、互の拳が激しくぶつかり合い、観客達も歓声を上げる。
互角の戦いに見えるが、二人には大きな差が存在する。
それは拳の速さであり、金色の獣人がセアレウスよりも勝っている。
加えて、腕力も金色の獣人の方が上だ。
故に、徐々にセアレウスが金色の獣人の拳に押され始め――
バンッ!
「……! 」
セアレウスに大きな隙が生じる。
彼女の右腕が大きく弾き飛ばされたのだ。
これにより、セアレウスの体は仰け反り、金色の獣人に絶好の機会が訪れる。
ここで、一気に彼女へ接近し、渾身の一撃を叩き込めば、勝負は決してしまうだろう。
しかし、ここで金色の獣人は後方へ飛び退った。
その間に、セアレウスは体勢を整える。
金色の獣人は絶好の機会を手放したのだ。
それは、誰が見ても分かること。
観覧席からは落胆した声がちらほらと聞こえ、コウユウとキハンはホッと息を吐く。
「……どうして、攻撃をしなかったのですか? 」
セアレウスは、金色の獣人にそう訊ねた。
「生憎……その手は、もう受けている」
「……はぁ、そうでしたか…」
金色の獣人の返答に、セアレウスは肩をすくめた。
そんなセアレウスの胸の辺りは、水の塊で覆われていた。
彼女は自分が押し負けることを見越していた。
そして、今の自分では、それを覆すことは出来ないと判断し、利用することを考えたのである。
よって、無防備になった自分の胸を水で覆い、即席の鎧を纏ったのだ。
そうすることで、金色の獣人の攻撃を防ぎ、反撃に繋げようとしていた。
しかし、これと似たようなことをコウユウがやっていたため、金色の獣人はいち早く、彼女の思惑に気づくことができた。
「お前は、油断出来ない奴だ……」
金色の獣人は、セアレウスを見つめながら、そう言った。
「……! 楽しいですか? 」
セアレウスは何かに気づき、金色の獣人にそう訊ねた。
「む……何故、そんなことを聞く? 」
「顔……今、あなたの顔は笑っていますよ」
セアレウスにそう言われ、金色の獣人はペタペタと自分の顔を触る。
今は無表情に戻ってしまったが、先ほどの金色の獣人は笑みを浮かべていた。
そのことに、金色の獣人は気づいていなかった。
「ふむ、笑っていた……か。久しぶりだな……」
そう呟いた後、金色の獣人は拳を構えた。
声を発することなく構えた彼女は、セアレウスを見据えている。
相変わらず無表情であるが、そんな金色の獣人から読み取れることがある。
それは、これから彼女が本気で戦うこと。
「あいつの雰囲気が変わった……これからが本番ってこと? 」
離れたところで、金色の獣人を見るコウユウも、それを感じていた。
もちろん、彼女と戦うセアレウスも気づいており、彼女の顔から笑みという余裕が消える。
観覧席からは観客達の声が止むことはなく、コロシアムを騒がしくしている。
その騒がしさの中、闘技会場だけは静まり返っていた。
まるで、嵐が来る前の静けさのように。
息が詰まるような静けさの中、再びセアレウスと金色の獣人の戦いが始まる。
互いに拳を放ち、蹴りを繰り出し、闘技会場に乾いた音が響き渡る。
二人に、ダメージを負うような攻撃は入らない。
両者共に、相手の攻撃を腕は足で防御しているのだ。
その攻防の中で、勝負が決っしてもおかしくはない瞬間はいくらでもあった。
それらは、セアレウスが仕掛けた奇抜な攻撃、金色の獣人の強力な技などによるもの。
慎重になりがちな状況だが、臆することなく互いに必殺の攻撃を繰り出しているのだ。
(……すごい…)
離れた場所から、二人の戦いを見るコウユウは、そう思わざるを得なかった。
未だに、腹のダメージから回復できず、地面に膝を着く彼女は、顔を上げるので精一杯だ。
そんな彼女は、セアレウスと金色の獣人のどちらとも、まともに戦える気はしなかった。
充分に立つことの出来ない今の状況ならば、そう思っても仕方のないことだろう。
しかし、ダメージの負っていない通常の状態でも、コウユウは戦えないと思っていた。
そんなコウユウには、もう一つ思うことがある。
(セアレウスの奴……ちょっと前までは、あたしと互角だったのに……もうあんなに強くなっている……)
それは、セアレウスのことだ。
セアレウスは、コウユウが勝てなかった金色の獣人と互角に戦っているのである。
そのことにコウユウは――
(なんでだ? なんで、セアレウスは、あいつと戦えてる? )
疑問に思っていた。
コウユウから見て、セアレウスは強い。
しかし、自分よりも遥かに強く、大きな差があるとは思えない。
金色の獣人にも、身体能力は劣っているのだ。
なのに、彼女は戦えている。
(あの技も……その技も……あたしにできるやつ。力もあたしの方が上なのに……どうして……)
その理由がコウユウには分からないのだ。
そう思いながら、金色の獣人と拳を交えるセアレウスを見る。
すると、彼女の姿が、ふと別の人物の姿になった。
それは、セアレウスの兄であるイアンの姿だ。
(アニキ……アニキも、あいつと同じものを持っているのか? )
セアレウスにイアンの姿を見たことで、コウユウは、彼女の強さの理由がイアンにもあることを感じた。
その時――
ワアアアアアア!!
観客の歓声が一際大きくなった。
何度目かの二人の戦いが決しそうな瞬間の訪れである。
しかし、この瞬間はこれまでとは違い、本当に勝負が決してしまいそうな瞬間だった。
故に、コウユウは――
(とりあえず、勝った……か。でも、あたしはあんたに勝てるかな……)
セアレウスが勝ったのだと確信した。
「ぐうっ!? 」
終始無表情であった金色の獣人の顔が大きく歪む。
これまで、戦いにおいて、彼女がこのような表情になったのは初めてであった。
金色の獣人は、生まれて初めて追い詰められたのだ。
今の彼女は、右の腕も左の腕も大きく弾かれて、拳を握ることもできない。
さらに体は仰け反っており、倒れなように踏ん張るので精一杯であった。
「決まった。水弾砕甲撃……」
金色の獣人の目の前には、左腕の拳を突き出したセアレウス。
彼女は、修行の間で編み出した技の中でも最強である水弾砕甲撃を放ったのだ。
金色の獣人は、それを防御したものの、あまりの威力に体の体勢を大きく崩したのである。
その体勢では、何も出来ない。
セアレウスの右腕の拳は水の塊に包まれており、彼女が次に行うであろう技は、勢水拳からの水弾破甲撃。
防御することなく、その技を受ければ、金色の獣人であろうと、ただでは済まないだろう。
「勢水拳! 」
セアレウスの水を纏った右の拳が放たれる。
何の妨げもなく、彼女のその拳は、金色の獣人の顔に向かっていく。
このセアレウスの技によって、二人の戦いの幕は下ろされるだろう。
誰もがそう思っていた。
故に、誰も予想しなかった。
ガオオオオオッ!!!
金色の獣人が、観客の声をかき消すほどの咆哮を上げることを。
それが、体勢を崩していた彼女に出来る唯一のことであった。
そして、この咆哮が、金色の獣人にとっての必殺技を一つであった。
彼女が咆哮を上げた後、コロシアムはシンと静まり返る。
「あ……」
水弾破甲撃を放ち、勝つはずだったセアレウスは動きを止めていた。
否、彼女は体を動かせなかった。
「う……」
「な、なんて、娘なんだ……」
それは、闘技会場にいるコウユウや役員達も同様であった。
「ふぅ、強力すぎる。使うつもりはなかったのだがな……まだ、負けたくはないのだ」
体勢を整えつつ、金色の獣人は、セアレウスにそう言った。
「体が動かないか? 無理もない。我の咆哮を受けて動ける者は、我よりも遥かに強い者だけ」
「う……ぐ……」
金色の獣人の声を聞きつつ、セアレウスは体を動かそうとするが、まったく動かなかった。
セアレウスの体のあらゆる部分が震えていた。
全身が竦んでしまっているのだ。
金色の獣人の咆哮は、聞いた者の体を無理やり緊張させて動けなくするもの。
そうすることで、相手に恐怖心を与え、多くの場合、咆哮を上げただけで勝負が決してしまう。
戦わずして、勝つことができるのだ。
「だが、悔しく思うことはない。お前は、我にこれを使わせた。そのことを誇りに思うがいい」
「……あ、あなたは……」
力を振り絞り、セアレウスが口にできた言葉はそれだけであった。
「名か? 我の名は、リオダイナ。獅子獣人であり、その貴族種……獣人達の王者になるべく、武を極める者の名よ」
金色の獣人――リオダイナはそう答えると、右腕を左へ、左腕を右に振りかぶる仕草をした。
今のリオダイナの体勢は、自分の肩を抱きしめているように見え、彼女の全身が金色の光に包まれる。
「名は何と言う? 」
その体勢のまま、リオダイナはセアレウスに名を訊ねた。
「……セ…セアレウス……」
「そうか。セアレウス、この我を追い詰めた褒美だ。我が最強の技を以て、お前を倒すとしよう」
リオダイナの体は金色に輝いている。
その輝きはやがて風となり、勢いを増して暴風となる。
金色に輝く暴風を纏ったリオダイナは――
「アウレア アネモストロヴィロス!! 」
と叫び、振りかぶっていた左右の腕を振り広げた。
すると、纏っていた暴風がセアレウスへと向かい、彼女を中心にして黄金の竜巻に変化する。
「うわああああ!! 」
黄金の竜巻に巻き上げられ、セアレウスは宙に投げ出される。
セアレウスの位置が、竜巻の中心から変わることはない。
しかし、竜巻の中は黄金の風があらゆる方向に吹き荒れており、彼女の体は風に吹かれる塵のように転がされている。
今のセアレウスの視界はグルグルとあらゆる方向へ彷徨っており、空と地面の方向の区別がつかないほど、激しく回っていた。
そんな状況で何かが出来るわけもなく、彼女に為す術はなかった。
セアレウスがそうしている中、リオダイナも黄金の竜巻の中に入る。
彼女は黄金の竜巻の風に乗り、螺旋を描くように上昇。
あっという間に、セアレウスと同じ高度に到達した。
セアレウスとは違って、リオダイナは竜巻の外側で円運動をしている。
黄金の竜巻の風の勢いと遠心力によって、その速度は目に見えないほど凄まじい。
やがて、黄金の竜巻は収束していき、徐々にその直径が小さくなっていく。
これは技の終焉。
じきに、リオダイナのアウレア アネモストロヴィロスという技が完成するのだ。
竜巻の直径が小さくなっていく中で、リオダイナがセアレウスへ近づいていく。
螺旋の軌道を描いて、竜巻の中心に向かったリオダイナは――
「はああああ!! 」
掛け声と共に、セアレウスの腹へ拳を放った。
黄金の竜巻の中に閉じ込めることで、相手を防御不能にし、竜巻の遠心力を乗せた攻撃を放つ。
それが、リオダイナの言う最強の技であった。
リオダイナがセアレウスへ拳を放った瞬間、黄金の竜巻が跡形もなく消え去る。
「ぐ……う……」
腹に凄まじい威力のダメージを受けたセアレウスは地面に落下し、力なく横たわる。
地面に着地したリオダイナがセアレウスを見下ろす。
「ふ……」
程なく、彼女はセアレウスから視線を外した。
セアレウスに起き上がる気配が無い。
二人の戦いは、リオダイナの勝利で幕を下ろした。
戦いの結果が決まったにも関わらず、未だにコロシアムが静けさに包まれている。
「そ……そんな……」
その中で、コウユウは震える足で立ち上がり、信じられないといったような顔でセアレウスを見つめていた。
「……はっ! これ……は…」
呆然としていた役員は我に返ると、他の役員と顔を見回す。
互いに頷きあうと、一人の役員が片腕を広げ――
「これにて、予選Cブロック終了! 」
試合の終わりを告げた。
ワアアアアアア!!!
その瞬間、止まっていた時が動き出すかのように、観覧席が歓声で湧き上がる。
絶望的な状況から大逆転したリオダイナに、観客達は大いに興奮しているのだ。
「君、運が良かったな。これで君も本選のトーナメントに行けるんだ。おめでとう」
コウユウは役員に、そう声を掛けられたが、彼女が言葉を返すことはなかった。
セアレウスが倒れたことで、闘技範囲内で立つ二人が予選を通過したのだ。
その二人とは、リオダイナとコウユウ。
「……セアレウス。お前とは、トーナメントで戦いたかった…」
横たわるセアレウスにそう告げると、リオダイナは闘技会場から去っていく。
予選を通過した者の一人であるが、彼女が喜んでいる様子は無い。
勝って当たり前といったような雰囲気が、去っていく彼女の背中に漂っていた。
コウユウも喜ぶことはない。
その理由は定かではないが、リオダイナとはまったく異なるものだろう。
「ここで……あんたが負けるのかよ。なんで、あんたが負けてあたしが勝ったんだ……」
コウユウは横たわるセアレウスに、そう問いかけた。
しかし、セアレウスが答えることはなかった。




