二百六十九話 少女達の拳法
闘技大会の予選まで、残り五日となった日の夕方。
この日のゾロヘイド周辺の荒野にも、乾いた音が響き渡る。
そこには、拳をぶつけ合うセアレウスとコウユウの姿があった。
今の二人は、武器を持っていない。
素手で戦うため、二人の武器は宿屋に預けていた。
「はああああ!! 」
セアレウスがコウユウの顔に目掛けて、左腕の拳を突き出す。
コウユウは、顔の前で腕を交差し、セアレウスの拳を防御する。
「ぐっ……」
倒れまいと踏ん張るも、コウユウは砂塵を巻き上げながら、後方へ突き飛ばされる。
この時、コウユウは自分の腕を身外甲で覆っており、その部分は石と同等の硬さである。
剣や槍の刃を通さず、大抵の攻撃をものともしない防御力を持っている。
しかし、拳を受けたコウユウは突き飛ばされ、拳を放ったセアレウスは痛がる素振りをしない。
何故、身外甲を纏うコウユウに、セアレウスの拳が通用したかというと、その秘密はセアレウスの腕にある。
彼女の拳は、波打つ透明な球に包まれていた。
セアレウスのことを知っているものならば、その球が何であるか容易に想像できるだろう。
(こいつ、腕に水を……! )
突き飛ばされる中、コウユウは気づいていた。
振り切られたセアレウスの拳が水に包まれていることを。
コウユウの身外甲に対抗するため、セアレウスは拳に水を纏わせた。
水が拳や足を保護することによって、身外甲の部分へ殴りつけた時に生じる痛みを防ぐことができる。
よって、セアレウスは、コウユウが身外甲を纏っていようと構わず攻撃ができるのだ。
コウユウの身外甲を真似たものであり、名をつけるのならば、身外水甲となるだろう
「まだです! 」
突き飛ばされたコウユウに、セアレウスは追撃を仕掛ける。
彼女は、右腕を振り上げながら、コウユウに接近した。
踏ん張っていたコウユウは、咄嗟に動くことができず、彼女が出来ることは――
(来る! ここは、守るか……迎え撃つか)
その二択しかなかった。
腕を振り上げるセアレウスは、再びコウユウの顔を狙ってくると予想できる。
コウユウは交差した腕を解かず、セアレウスの攻撃に備える。
彼女は防御することを選択したのだ。
「ふふっ……」
セアレウスがコウユウの一歩手前まで接近した時、彼女は笑みを浮かべた。
その瞬間――
「うぐぅ!? 」
コウユウは自分の腹に、強烈な痛みと衝撃を受けた。
視線を下に向けると、自分の腹に突き出されているセアレウスの拳を見た。
その拳を目で辿っていくと、それがセアレウスの左腕の拳であったことに気づく。
セアレウスにとって、振り上げられた右腕は囮であり、左腕が本命の攻撃であった。
これに気づかず、コウユウは意表をつかれ、まんまとセアレウスの攻撃を受けてしまったのである。
腹を殴られたコウユウの体は浮き上がり、足が地面を離れる。
交差していた腕も解いてしまい、今のコウユウは完全に無防備であった。
「もらいました! 猛雨連打拳! 」
そんなコウユウに向けて、セアレウスは左右の拳を連続で突き出した。
高速で突き出される彼女の拳は、技の名の通り、まるで激しい雨のようであった。
ただ高速の拳を連続で突き出すだけではなく、威力も凄まじいもので、コウユウの体に当たる度に更に彼女の体が浮かび上がる。
「ぐっは……! 」
拳の雨に打ち上げられたコウユウは、空を舞い、やがて落下を開始する。
今の彼女に意識はあるものの、体を動かす力はなかった。
「今だ!」
そんな状態になっても、二人の戦いは終わらない。
セアレウスは落下するコウユウを目で捉えつつ、右足のくるぶしからつま先まで水で覆う。
その後、体を捻りながら跳躍し、地面に対して体の軸を垂直に保ったまま回転し――
「激流回転蹴り!! 」
落下してきたコウユウに目掛けて、右足を振り回した。
セアレウスの右足はコウユウの体に命中し、彼女の体は地面と水平に吹き飛び、ゴロゴロと転がりながら地面に落下した。
「ふぅ……」
着地したセアレウスは拳を構えたが、程なくその構えを解いた。
地面に横たわるコウユウに起き上がる意思が感じられないのだ。
「おーい、ダンナ……って、気絶してる。やり過ぎだよ、オオダンナ」
コウユウに駆け寄ったキハンが確認すると、彼女は気絶していた。
「けっこうわたしの攻撃を受けていましたからね。でも、夕方までもったのは流石ですね」
「流石って……ダンナもすごいけどさぁ……」
キハンは、苦笑いを浮かべる。
朝から、セアレウスとコウユウは殴り合いを始めていた。
結果、多くの攻撃を受けたコウユウは気絶している。
今日もセアレウスは、ほぼ無傷であった。
加えて、彼女に疲れた様子は見られなかった。
(バ、バテてないのか!? 本当、この人は何者だよ…)
セアレウスをよく知らないキハンは、彼女のことを不思議に思っていた。
「さて、今日はここまでです。帰りますよ」
この間に、セアレウスは気絶したコウユウを背負っていた。
コウユウを背負うセアレウスは、ゾロヘイドに向かって歩き出す。
「……お? 待ってよ、オオダンナ! 」
しばしぼうっとしていたキハンは、慌ててセアレウスの後を追った。
その後、セアレウス達が宿屋に帰ってきた頃には、もう夜になっていた。
この日、コウユウは日が昇るまで、目を覚ますことはなかった。
次の日、闘技大会の予選まで、残り四日となった日の夕方。
ゾロヘイド周辺の荒野。
「ぐっはああああ!! 」
叫び声と共に、コウユウが荒野の地面に倒れ伏す。
「……はい。今日は、おしまいですね」
コウユウが気絶したことにより、セアレウスは彼女を背負ってゾロヘイドの宿屋へ戻る。
この日もコウユウがその日のうちに目を覚ますことはなく、次の日。
次の日、闘技大会の予選まで、残り三日となった日の夕方。
再び、ゾロヘイド周辺の荒野。
「うおりゃああああ!! 」
コウユウが渾身の一撃を放とうと、右腕を振りかぶりながら、セアレウスへ向かう。
その攻撃に備え、セアレウスは拳を交差させ、防御の構えを取った。
「もらったああああ!! 」
しかし、コウユウが右腕の拳を突き出すつもりはなかった。
彼女は、素早くセアレウスの後ろに回ると、左腕を横へ勢いよく振るった。
狙うは、セアレウスの即頭部である。
「くっ、やりますね」
しゃがんで、それを躱すとセアレウスは、前方に足を踏み出しつつ、体を回転。
コウユウから少し離れると同時に、彼女へ体を向けたのだ。
「ちっ! 石撃連打拳!! 」
セアレウスに対して、コウユウは正面から接近し、身外甲を纏った拳を連続で突き出す。
「猛雨連打拳!! 」
セアレウスは、水を纏ったも拳を連続で突き出し、彼女の攻撃に応戦した。
ドドドドドドッ!!
石の拳と水の拳が激しくぶつかり合い、周囲にそれらが激突する音が響き渡る。
二人の拳がぶつかり合う光景は圧巻で――
「お、おおっ……」
戦いを見ていたキハンは、思わず感嘆の声を漏らした。
しばらく、拳をぶつけ合っていた二人だが、やがて終わりは来る。
「もらった!! 」
セアレウスよりもコウユの拳を突き出す速さが上回ったのだ。
ぶつかり合う拳の中から、コウユウの右腕の拳が突き抜け――
ドガッ!!
セアレウスの左頬に命中した。
拳を受け、その衝撃のせいか、セアレウスの体は回転し始める。
(や、やった! )
ようやく、セアレウスにダメージを与えられ、コウユウは心の中で喜びの声を漏らした。
それで、彼女は気づくことはなかった。
セアレウスがその場から、まったく動いていないことを。
回転する中で、彼女が笑みを浮かべていることを。
「激流回転蹴り!! 」
故に、コウユウはセアレウスの反撃に対応することができなかった。
拳を撃ち合う中、コウユウの拳の方が速いことに、セアレウスは気づいていた。
それは、コウユウと同じ時である。
防御も回避も出来ないと判断した彼女は、自ら左頬を差し出し、コウユウの拳を受けた。
それは苦肉の策ではなく、反撃の布石。
刹那の時間の間に、殴られた衝撃を利用し、激流回転蹴りを放つことを考えたのだ。
「……!? 」
勢いよく振るわれたセアレウスの足を右頬に受け、コウユウは吹き飛ばされる。
そして、ゴロゴロと地面を転がった後、地面に横たわった。
コウユウは気絶していた。
「ふふっ、その意気ですよ、コウユウ」
左頬を拭いながら、セアレウスは、気絶するコウユウに向かって、そう呟いた。
セアレウスはコウユウを背負い、ゾロヘイドへ帰る。
またも、コウユウがその日のうちに目を覚ますことなかった。
次の日も、コウユウはセアレウスに気絶させあれ、その日のうちに目を覚ますことはなかった。
そして、闘技大会の予選まで、残り一日となった日の夕方。
「勢水拳っ!! 」
「ぐっ……!! 」
セアレウスの水を纏った左腕の拳が、コウユウの右頬に命中する。
コウユウの体はよろめくはすであるが、そうはならなかった。
拳が当たる直前で、右頬の部分を身外甲で覆ったのだ。
「へへっ…」
攻撃を防いだことと、セアレウスに反撃できる機会が来たことに、コウユウは笑みを浮かべる。
しかし――
「笑うには早すぎですよ、コウユウ」
反撃の機会など、訪れてはいなかった。
「勢水拳には、次の技があります! その名も水弾砕甲撃!! 」
パァン!!
セアレウスが技の名前を口にした瞬間、強烈な破裂音が発生し――
「なっ――!? 」
コウユウが吹き飛んだ。
その勢いは凄まじく、彼女の体は十メートルも吹き飛んでいた。
「ええええ!! ダンナが吹き飛んだんだ!? 」
コウユウの吹き飛ぶ瞬間を目にし、キハンは驚愕の声を上げた。
彼女が驚くのは無理もないことだろう。
何故なら、セアレウスは何の動作もなく、コウユウを吹き飛ばしたのだ。
どのようにして、一人の少女を十メートルも飛ばす爆発力を生み出したかは、当の本人であるセアレウスにしか分からない。
「……やはり、この技は良い。砕甲撃、これをわたし達の拳法の必殺技にしましょう」
突き出していた拳をゆっくりと引き戻しながら、セアレウスはそう呟いた。
吹き飛んでいたコウユウは、地面に横たわっている。
いつものように、気絶しているかに思われたが――
「くっそおおおお!! なんだ、今の!? 」
今日は違った。
大声を上げると同時に、コウユウは起き上がると――
「セアレウスーっ! 今のなに? 必殺技って言ってたよね? 」
全速力でセアレウスの元へ行き、彼女の左腕を見回す。
起き上がる上に、彼女はまだ元気な様子であった。
「ふふっ、今のは破甲撃。拳に纏わせたものを破裂させる技で、わたしの場合は水。なので、水弾が頭につけ、水弾破甲撃と呼ぶことにします」
得意げに笑いながら、セアレウスは答えた。
「纏わせたものを破裂か。あたしにも出来るかな? ふんっ!! 」
コウユウは右腕の拳に身外甲を纏い、破甲撃を試みる。
「ふんっ! ふんっ! うーん……出来ない……」
何度も力を入れてみるが、一向に思うとおりに出来なかった。
「すぐには出来ませんよ。あなたが気絶している間に、こっそり練習して、ようやく昨日できるようになったのですから」
「うっ……くそっ! もう一回だ! もう一回戦おう! 」
コウユウはセアレウスへそう言うと、拳を構えた。
自分も破甲撃を習得したいがため、セアレウスと戦い、それを習得しようと思っていた。
「いえ、今日はもうやめましょう」
しかし、セアレウスは彼女の言葉に乗らず、拳を構えることはなかった。
「なんで? まだ時間あるよ? 」
コウユウは、太陽の方へ顔を向けた。
太陽は赤く染まってはいるが、まだ地平線に沈んでいない。
夕方になったばかりであった。
「後は、この修行の間に編み出した技の確認です。大会でちゃんと使えるよう、練習しましょう」
「えー!? 練習するなら、破甲撃を教えてよ」
「教えたいのは山々ですが、出来る技を磨く方が今は大切です。その後はゆっくり休んで、明日に備えましょう」
セアレウスは困った表情を浮かべつつ、諭すようにコウユウへそう言った。
「……分かったよ…」
渋々といった様子で、コウユウは頷いた。
「でも、もう一回だけ破甲撃を見せてよ。やるだけならいいだろ? 」
「……仕方ないですね。破甲撃は、まず拳に水を纏わせて突き出す! 」
セアレウスは、水を纏った左腕の拳を突き出した。
「そして、纏った水を……弾き飛ばす! 」
パァン!!
突き出した拳に纏っていた水が勢いよく弾け飛んだ。
弾けた衝撃で生み出された風が、セアレウスとコウユウの前髪を舞い上がらせる。
「……ふぅ、簡単にやってるように見えると思いますが、失敗すると腕を痛めます。教える時にも言いますが、気をつけてくださいね」
「……うん、分かった」
セアレウスに声を掛けられるまで、コウユウは彼女の左手をじっと見続けていた。
まるで、自分の記憶に焼き付けるかの如く。
その後、コウユウはセアレウスの指導の元、自分が扱える技の練習をし、最後の修行を終えた。
宿屋へ帰り、明日の闘技大会に備えて、いつもより早く就寝することにした。
「……」
宿屋の二階の部屋の中。
ベッドに横になったコウユウは、仰向けの体勢で、右腕を天井目掛けて突き出した。
そして、拳に身外甲を纏い、それが破裂するイメージをする。
「…………やっぱ、できないか…」
コウユウはそう呟くと、腕を下ろし、やがて眠りに就いた。




