二百六十八話 足りないのは技 求めるのは拳法
夕日の赤い光に照らされて、白かったゾロヘイドの町並みは赤く染まっている。
この時間帯になると、ゾロヘイド周辺を歩く人影の数はめっきり少なくなる。
町の外へ一歩でも出れば、そこは殺風景な荒野なのだ。
まだ、日の光が出ている今の時間は、まだ魔物は活発に動いておらず、未だに荒野は静寂に包まれている。
しかし、今日のゾロヘイド周辺の荒野は、いつもとは違う様子であった。
パァン!
風の吹く音をかき消すかのように乾いた音が、その周辺に響き渡った。
音の正体が分からない者が聞けば、その音にビクリと体を震わせてしまいそうなほど、その音は強烈なものであった。
「え……ええええええ!! 」
音の正体を知る者――キハンの反応はというと、彼女は目の前の光景に、驚愕の声を上げていた。
その光景は、予想していなかったというわけではなかったが、彼女にとって衝撃的であった。
「ぐううっ……」
乾いた音が発生してから程なく、地面に仰向けに倒れるコウユウが呻き声を上げる。
苦悶の表情を浮かべる彼女の前方には――
「あ……勝っちゃいました…」
右の拳を振り上げた状態で、きょとんとした表情をするセアレウスの姿があった。
ゾロヘイドに辿り着いた次の日、セアレウス達三人は町の外の荒野にいた。
ここで何をしていたかというと、セアレウスとコウユウが戦っていたのである。
二人が戦うのは二度目であるが、前回と違って、二人は武器を使っていない。
互いに拳と足を武器にして戦っていたのだ。
そして今、その戦いの結果、セアレウスがコウユウに勝ったのである。
この結果には勝った本人も驚いており、きょとんとした表情をしているのだ。
「く、くそっ……セアレウス。あんた、素手での戦いに心得があったのかよ……」
上体を起こしたコウユウが、自分の顎を手でさすりながら、セアレウスに訊ねた。
少し前、セアレウスは、右の拳を振り上げた攻撃を繰り出した。
その右の拳は、コウユウの顎に当たり、彼女は放物線を描くように吹き飛んだ後、地面に倒れていたのだ。
セアレウスの拳を使った攻撃は妙に洗練されており、拳を使った戦いに慣れているはずのコウユウが圧倒されていた。
その証拠に、コウユウの体には、殴られて赤くなった部分が所々見られるが、セアレウスには一切見られない。
「す、すごい……オオダンナ、素手でも強いんだな…」
コウユウに勝ったセアレウスを見て、キハンもコウユウと同じようなことを思っていた。
「ふぅ……」
振り上げた右の拳を下ろし、セアレウスは一息ついた。
「……いえ、武器を使わず素手だけで戦ったのは、今のが初めてです…」
そして、彼女は頬を掻きながら、そう口にした。
「は? 」
セアレウスの口にした言葉に、コウユウは思わず、間の抜けた声を出してしまった。
「ここで冗談言う? あたしは、素手で戦う戦士達と戦ってきたから分かる。あんたの拳や足は、そいつらと同じ洗練されたものだったよ」
「そ、そうだよ。オイラが言うのもなんだけど、ダンナが素人のように見えたよ」
「そうそう、あたしが素人の……って、それは言い過ぎでしょ」
「うっ……す、すまん。でも、本当にそう見えたんだ…」
コウユウに睨みつけられ、キハンは申し訳なさそうに顔を俯かせた。
「そうでしたか。えへへ、照れますね」
二人に褒められたと思い、セアレウスは嬉しそうに、はにかんだ。
「いや、褒めたつもりは…………本当に、今のが初めて? 」
セアレウスの反応に、コウユウは彼女の言葉を信じ始める。
「あはは……」
コウユウの問いかけに、セアレウスは笑って答えた。
「あははじゃないよ! なんで、そんなに強いの? 素人があんな動きできるわけがない! 」
「あー……わたしもびっくりなのですが、さっきの戦いは、龍の拳闘士の風龍黄塵拳を参考にしました」
「ふ、風龍黄塵拳……だって? 聞いたことが無い。龍の拳闘士って奴もそうだ。一体、どんな奴なの? 」
「え? ああ、違います。龍の拳闘士は人じゃなくて、本の名前ですよ」
コウユウに訊ねられ、セアレウスは、顔の前で手を降る仕草をしながら答えた。
龍の拳闘士とは、彼女の言う通り本の題名である。
この本には、風龍黄塵拳の達人である主人公が、拳闘士の集まる学校に入学し、学校最強の拳闘士を目指す物語が描かれている。
現在、九巻まで出版されており、最新巻では、主人公の父を殺害した男の子供がメインヒロインであることが発覚し、それに怒り狂った主人公の妹が放った悪龍逆鱗黒塵拳から、メインヒロインを身を呈して庇い、胸に穴を開けられた主人公が崖から落ちて生死不明になったところで終わっている。
風龍黄塵拳とは、主人公の先祖が編み出した拳法で、つまり――
「本……ってことは、作り物……風龍黄塵拳なんてのは、無いってこと? 」
「でしょうね。色々と無茶な技がありますし」
実際には存在しない架空の拳法であった。
そうだと気づいた瞬間、コウユウは地面に手を付いて跪き――
「くそーっ!! そんなものに、あたしは負けたってのかよ!! 」
と、悔しげに声を上げた。
「ああ……なんか、悪いことをしちゃった感じになっちゃいましたね。でも、跳龍舞塵拳が綺麗に決まったのは、嬉しいですね」
悔しがるコウユウに反して、セアレウスは技が決まって嬉しそうな様子であった。
「……」
この時、キハンはセアレウスに戦慄していた。
実際に存在する拳法の本を参考にしたのなら、多少は理解できるだろう。
しかし、セアレウスが参考にしたのは、本の物語に出てくる架空の拳法である。
それらの架空の拳法は、実際には役に立たないものばかりである。
使おうとする者はおらず、使っても勝てるはずはないのだ。
それらを覆し、コウユウを圧倒したセアレウスに、キハンは驚愕と共に恐れに似た何かを感じていた。
「さて、戦って分かったのですが、やはりこのままではいけませんね」
神妙な面持ちで、セアレウスはコウユウに言った。
それに答えるように、コウユウは顔を上げてセアレウスを見る。
「コウユウ、あなたは並外れたパワーが持っています。あなたの戦い方は、それに頼って、ただ殴る蹴るをやっているだけに見えました。これで、大会に出る他の方々に勝てると思いますか? 」
「……」
セアレウスの問いかけに、コウユウは答えられなかった。
素手で戦う戦士達と戦ってきたコウユウは、彼らとそれなりに戦えていた。
しかし、それはセアレウスの言うパワーに頼りきった戦い方に過ぎない。
コウユウは、素手での戦いを出来ているつもりだったのだ。
今、それをセアレウスに指摘されたことにより、ようやく気づくことが出来たのだった。
「……そうでしょう。それで、わたしはあなたのすべきことが分かりました」
セアレウスは、そう言うと腕を組み――
「コウユウ、技を磨くのです! 」
と、コウユウに向けて声高々に言い放った。
「技を磨く……」
セアレウスの言葉を反芻するコウユウ。
彼女は気にしていなかったが――
「……あれ? なんかいつもと雰囲気違うような…」
キハンは、セアレウスの様子が微妙に変わっているが気になっていた。
「ええ、そうです。あなたの戦いには技がありません。なので、技を身につけて、それを磨きましょう」
「技……それって、さっきセアレウスがやってた技……っぽいやつのこと? 」
「いいえ、少し違います」
コウユウの問いかけに、セアレウスは首を横に振る。
「コウユウには効きましたが、他の方々に通じるとは限りません。よって、作りましょう。わたし達の拳法を」
「「……!? 」」
セアレウスの言葉に、コウユウとキハンは驚愕した。
「拳法を作るだって? そんな、武術の達人みたいなこと、あたし達に出来るのか? 」
「きっと出来ます。そして、大会……だけではなく、これからに役に立つことでしょう」
「でも、オオダンナ。どうやってやるのさ? 」
「やることは簡単です」
キハンの問いに、そう答えると――
「ただひたすら、わたしと素手で戦うのです。そうすれば、自然と出来るでしょう」
セアレウスは、自分の言うことを少しも疑わない様子で、そう続けた。
彼女の言葉に、コウユウとキハンは微妙な表情をするのであった。
辺りが暗くなり始め、今日はこれまでと、セアレウス達三人は、ゾロヘイドの町に入った。
ゾロヘイドに入った彼女達が向かったのは、町の西側。
そこ一帯は、民家が立ち並ぶ地域で、コロシアムがある北側と比べれば、遥かに人通りは少ない。
闘技大会が開かれるこの時期であっても人通りの少なさは変わない。
そんな町の西側に彼女達が向かう理由は、宿屋で休むことだ。
人通りの少ない場所に構えるだけあって、その宿屋は小さく、ボロ臭い外観から稼ぎも少ないように見える。
「お! こんな所に泊まる物好きな嬢ちゃん達のお帰りだ」
三人が入ると、一人の男性が彼女達を見て笑みを浮かべた。
彼はこの宿屋の店主で、名前をゴート・エドカバンという。
客に敬語で話さないが気さくな男性で、彼のことを嫌う者は少ない。
宿屋は二階建ての構造で、一階は食堂兼酒場になっており、二階に泊まる部屋がいくつか存在する。
一階は、四方に椅子が置かれたテーブルがいくつかあり、奥にはカウンターがある。
そのカウンターのさらに奥にある厨房から一人の少女が出てきた。
少女は、三人の中で一番小柄なキハンと同じくらいの背で、手に料理が盛られた皿を持っている。
「お父さん! お客さんに、そんな喋り方はダメって言ってるでしょ? 」
少女は皿を運びながら、ゴートを睨みつけた。
彼女は、ゴートの娘で、名前をクーティという。
この宿屋はゴートとクーティの二人で運営していた。
「お帰りなさい、お客様。今、ディナーが出来たので、テーブルに……」
クーティはそう言うと、テーブルに皿を乗せようとするが、重いのかなかなか上がらない。
「ありがとうございます、クーティさん。ここまででいいですよ」
セアレウスはクーティにそう言い、彼女が持っていた皿を持ち上げて、テーブルの上に置く。
「ああっ! お客様! お客様は、従業員のお手伝いをしなくていいって言ってるのに! 」
「すみません。つい……」
両手を振り上げるクーティに、セアレウスは頭を下げる。
「あははっ!! クーティ、まだまだ口だけが立派な従業員みてぇだな」
笑いながら、ゴートが厨房へ入っていく。
「もうっ! お父さんが運ばないから、あたしが運んでるのよ! 」
クーティも厨房へ入っていった。
「相変わらず、客は少ないけど賑やかだね」
「うん。それより、腹減った。早く飯を食べよう」
キハンとコウユウは、皿の置かれたテーブルに座った。
二人に続いて、セアレウスも座る。
「ご飯を食べた後なのですが……」
「お? 早速、拳法を作るの? 」
口を開いたセアレウスに、コウユウはそう訊ねた。
「いえ、すぐに寝ましょう」
「なんだ、何もしないのか…」
セアレウスの返答に、コウユウは僅かにガッカリする。
「何にもしないということはありません。明日からに備えて、しっかり休んでおくのです」
「うわぁ、言い方的に、明日から過酷な日々が始まりそう……ダンナ、大丈夫? 」
「なんのことは無いでしょ。勝つためにやるし、本望ってやつだよ。クーティ、ジュースちょうだい! 」
余裕と言わんばかりにそう言うと、コウユウはジュースを注文した。
「あ、ジュースキャンセルで」
しかし、その注文をセアレウスが断った。
「え……何で…」
「オ、オオダンナ? 」
コウユウとキハンが、困惑しながらセアレウスを見る。
「コウユウ。わたしに勝てるまで、ジュースは禁止です。クーティさん! わたしが良いというまで、コウユウにジュースを出さないでください」
「はーい! 」
厨房の方から、クーティの返事が聞こえた。
「は、はぁ!? ジュースくらい飲ませてくれたって」
「明日からの修行で、わたしに勝てば、ジュースくらい飲めますよ? 」
「ぐっ……」
セアレウスの言葉に、コウユウは思わず口を閉ざした。
拳法を編み出すために、ただ戦うのではなく、自分を倒しに来いとセアレウスは言ったのだ。
コウユウは、その意図を理解し――
「上等! あんたなんかすぐに倒してやる! 」
セアレウスの言葉に乗った。
(おお……ダンナ、すごい気迫だ。にしても、オオダンナは本気だね……ダンナ、本当に大丈夫かな? )
セアレウスとコウユウを見て、キハンはそう思っていた。
闘技大会まで、残り六日。
明日から、拳法の開発を目的とした素手で戦いをひたすら続ける日々が始まる。
ギラついた目をして意気込むコウユウに対し、セアレウスはニコニコと笑みを浮かべていた。




