二百五十九話 セアレウスが行く
セインレーミア――
聖獣と呼ばれる種族が管理する島である。
この島には、森や草原、滝や湖などの自然が多く存在する。
世界のどこかの海に浮かぶ島であり、例外を除いて聖獣達以外の部外者には、決して辿り着くことはできず、知られることもない。
しかし、この島に招き入れられた少女がいる。
その少女の名は、セアレウス。
イアン・ソマフという少年の妹である。
血は繋がっていないが、イアンの持つ何らかの要素をその身に宿しており、この世の中では一番彼と近い存在であると言える。
そんな彼女は、妖精と魔物が混ざり合った水魔精という、まったく新しい種族で、その名の通り、水魔法が得意である。
彼女がこの島にやってきたのは、自分のため。
強くなり、誰かを守れる人物になるためである
セインレーミアには、大きな湖がある。
青い空を水面に映しつつ、水中の中が見えるほど、水は透き通っている。
綺麗な湖であった。
その湖の辺は、短い草が生い茂る野原が広がっている。
そこに、セアレウスはいた。
彼女が立つ前方には、三本の木の棒が立てられており、セアレウスはじっとそれらを見つめている。
「行きます! 」
セアレウスはそう声を上げると、右手を前に突き出した。
すると、突き出された右腕の手のひらから、水の球が現れる。
水の球は、人間の大人の頭ほどの大きさになると、真っ直ぐに伸びていった。
細長く伸びる水は、槍のような鋭さを持っており、立っていた木の棒のうちの一本を貫いた。
水の槍に貫かれた木の棒は、真っ二つに折れ、野原の上に転がる。
水の槍はセアレウスの右手から離れ、木の棒を貫いた後も真っ直ぐに飛んでいくが――
「それっ! 」
セアレウスが右腕を上げたと同時に、水の槍は真上に進路を変えて飛んでいく。
その後、セアレウスは右腕をあらゆる方向に動かした。
水の槍は、その彼女の右腕の動きを真似るかのように動き回り、立っていた二本の木の棒を貫いていった。
「ふぅ、これで終わりですね」
セアレウスはそう呟くと同時に、右腕を振り払う。
その彼女の動きにより、水の槍は、ただの水となって野原に飛び散った。
「先生、全ての的を破壊しました。何かアドバイスはありませんか? 」
後ろに体を振り向かせつつ、セアレウスはそう言った。
彼女の後方には、一人の女性が立っている。
「アドバイス……ですか…」
先生と呼ばれた女性は考え込むように、腕を組んだ後――
「……いえ、特に。よく水を操れていると思いますよ 」
微笑みながら、そう答えた。
その女性は、水色の法衣を身に付けている。
その法衣を着る者は、精霊教会に属する者であることを、法衣の色は、その者が何の精霊を信仰しているかを示す。
女性は、水精霊を信仰する精霊教会のものであった。
そこに属する者達は皆、水に関するものに長けている。
代表的なのが魔法であり、法衣の女性も水魔法が得意である。
その女性は、セアレウスに水魔法を教える先生として、この地に来ている者であった。
セアレウスは、この地に来てから彼女の指導の元、水魔法の修行に励んでいた。
「本当、セアレウスさんは、水流操作が得意ですね。一回の魔法で、三つの的を破壊するとは……」
「できると思ったので、やっただけですよ」
「簡単に言ってくれますね。今のは、本当にすごいことなのに……」
法衣の女性は、呆れたような声音で、そう呟いた。
的であった木の棒は、人間の女性の腕ほどの太さである。
それらを矢で狙うとしたら、難易度はそれなりに高いものだろう。
セアレウスは、それを水の槍で貫い抜いたのである。
水を自在に操れるセアレウスにとっては簡単なことだが、水魔法に長けた者でも、なかなかできることではなかった。
「私だったら波を作って、まとめてなぎ払うのですが……」
「……それだと、的の意味が無くなってしまうのでは……」
法衣の女性の呟きに、セアレウスは苦笑いを浮かべた。
「別に的に意味はありませんよ。水魔法を工夫して使うのが目的ですので……お? もう時間ですか」
法衣の女性は、セアレウスの背後に広がる野原を見つめる。
「時間? 」
何事かと、セアレウスが後ろに振り向くと、野原の向こうから歩いてくる人の姿が見えた。
まだ距離は遠く、その人物は小さく見える。
分かることと言ったら、その人物が白いということだけだ。
しかし、それだけでも、セアレウスはその人物が誰であるかを推測できた。
「……あれは、モノリユスさん? 」
野原からやってくる人物は、モノリユスであった。
セアレウスは、小さく見えるモノリユスを見つめながら首を傾げる。
モノリユスは、滅多に修行の場に現れることがないため、何故ここへ来たのかが疑問となっているのだ。
「先生……」
どういうことかと、セアレウスは、再び法衣の女性に顔を向ける。
「今日の修行はここまで……というか、修行はしばらく無いようです。詳しいことは、モノリユス様から聞いてください」
すると、法衣の女性はそう言った。
湖の辺には、小屋が建っている。
木材で出来ており、建てられてからだいぶ経つのか、所々が傷んでいた。
それでも、暮らすには問題なく修行の間、セアレウスと法衣の女性は、この小屋で寝泊りをしている。
今、セアレウスと法衣の女性は、モノリユスと共に、小屋の傍にいた。
小屋の傍には、木で出来たテーブルとベンチがあり、彼女等はそこに座っている。
「ここで修行を始めてから、あと少しで半年。遠目から見ていましたが、だいぶ上達していましたね」
モノリユスがテーブルを挟んだ向かいに座るセアレウスにそう言った。
今のモノリユスは、銀の鎧を身につけているが、武器の槍は持っていない。
「いえ、まだまだですよ。ここに来てから色々なことを教わりましたが、まだ出来ないことはたくさんあります」
「一教えたら、十を返してくるあなたは、本当に教えがいがありますよ」
モノリユスの隣に座る法衣の女性が微笑む。
「順調そうで何よりです」
隣で微笑む法衣の女性を見て、モノリユスも笑みを浮かべる。
セアレウスの修行について、自分が言うことは何も無いと判断した。
法衣の女性に、セアレウスの修行を見ることを依頼したのは、モノリユスである。
聖獣と精霊教会は、精霊と関わりのある者同士、ある程度の関係を持っているのだ。
「それにしても、私で良かったですか? 私よりも実力のある人も知っているんでしょう? 」
「そうなんですけどね……あなたが一番信用できるのです」
中でも、モノリユスは、この法衣の女性を信頼していた。
そして、信頼できる者にセアレウスの修行を依頼した理由は――
「この娘は巫女にできません。あなた以外の方だと、納得しないでしょう? 」
「……そう……かもしれませんね…」
セアレウスを精霊教会に属させないためであった。
水を自在に操る能力の高いセアレウスは十分、水の巫女になりうる可能性を持っている。
精霊教会の者ならば、彼女を何が何でも精霊教会に引き込むだろう。
モノリユスにとって、それは避けたいことであった。
何故なら――
「この娘は、ある方の妹になったのです。水の巫女にさせたい気持ちは分かりますが、譲れません」
セアレウスはイアンの妹であるからだ。
「あなたの頼み……セアレウスさんを水の巫女候補に推薦しないこと。肝に銘じております」
法衣の女性は、セアレウスのことを精霊教会に報告しないだろう。
故に、モノリユスは彼女に頼んだのだ。
「それにしても、ある方とは何者ですか? 」
しかし、法衣の女性にも納得していないことがあった。
彼女は、イアンの存在を聞かされていなかった。
「水の精霊様は、セアレウスさんを水の巫女候補にするつもりだったはず。その水の精霊様の意思よりも、ある方との関係を優先した……どういう存在か気になりますね…」
「……申し訳ありませんが、それはあなたにも……言うことはできません」
モノリユスは、イアンのことを彼女に話さないつもりであった。
「……! 」
二人の会話を聞いていたセアレウスに緊張が走った。
一瞬だけ、モノリユスが鋭い視線を送ってきたのである。
彼女は、セアレウスにイアンのことは言うなと、視線で訴えたのだ。
「彼のことを知っているのは聖獣でも極僅か。あまり探らないようお願いします」
「……分かりました」
モノリユスに返事をすると、法衣の女性は立ち上がった。
「これから、モノリユスさんが話すことは、私は聞かないほうがいいでしょう。これで失礼します」
そして、モノリユスに背を向ける。
「……頼って下されば、どんな時でも私はあなた方の力になります。モノリユスさんがピンチの時は特に……ね」
「ありがとうございます。もし……話せるような具合になれば、あなたにもお話します」
「……無理はしなくていいですよ…」
法衣の女性は、そう言うとこの場を歩き去っていった。
しばらく、モノリユスは、法衣の女性の背中を見つめていたが、やがて、セアレウスに顔を向けた。
「さて、本題に入りますか。セアレウス様、今日はあなたにお願いがあってここに来ました」
「お願い……ですか? 」
モノリユスの言葉に、セアレウスはキョトンとした顔になった。
彼女の発した言葉は、自分の予想していたものとは違っていたからだ。
「な、なんでしょうか? お願いされるほど、わたしは――」
「セアレウス様にしかできないことです」
「……! 」
モノリユスのはっきりとした物言いに、セアレウスは思わず口を閉ざした。
自分にしかできないこと。
それを託される覚悟を持つ準備を彼女は自然としたのだ。
神妙な表情を浮かべつつ、セアレウスはモノリユスの言葉を聞こうと、耳を傾ける。
「……ふふっ…」
そんなセアレウスとは裏腹に、モノリユスは笑みを浮かべ――
「これから、あなたには、他の三人の元へ向かってもらいます」
と、言った。
「三人……? あ! も、もしかして! 」
セアレウスは、モノリユスの言う三人に心当たりがあった。
「ええ。あの三人です。彼女等は今、ある課題を受けているはず。その手伝いをお願いしたいのです」
「……あの三人に会える……でも、課題を手伝うとは、何をすればいいのでしょうか? 」
「あなたの思うように手伝ってあげてください。それで……」
モノリユスは、畳まれた紙を取り出し、それを机の上に広げた。
その紙は地図で、モノリユスは地図の一点に指を差す。
「まず、行って欲しいところは、ザータイレン大陸のユンプイヤにあるゾロヘイドです。そこへ向かってください」
「ゾロヘイド……たしか、闘技大会が開かれる町でしたか。そこには、誰が? 」
「流石、セアレウス様、詳しいですね。そこには――」
ザータイレン大陸の西、ユンプイヤ。
その国は、様々な地形があることで有名である。
西の端から、森林、荒野、草原、高原、山岳といった具合だ。
それらの地形の中でも、荒野は危険である。
他の地形と比べて、魔物の数は多く、村や町は存在するが、治安の悪いところが多い。
月の光が明るい夜、その荒野地帯に一人の少女がいた。
「グルルゥ! 」
「ガアッ! 」
荒野を歩くその少女を複数の魔物が取り囲む。
魔物は狼のような姿で、名前をウィンザーと言った。
ウィンザーの体は大きく、成獣の全長はニメートルを超えるとされている。
少女達の周りを取り囲むウィンザーは、どれもそのニメートルを超えていた。
一メートルと五十センチほどの身長の少女にすれば、脅威と言える大きさだろう。
「グルアッ!! 」
「ガアアッ!! 」
無慈悲にも、少女に向かってウィンザーが一斉に飛びかかる。
まず、少女の正面から襲いかかるウィンザーが――
「ガブァ!? 」
少女に頬を殴られた。
殴られたウィンザーは、飛びかかる前の場所まで飛び、そこで倒れる。
「ブガッ!? 」
「ギャアアアアッ!? 」
他のウィンザーも、少女の体に牙を立てることなく、殴り飛ばされていく。
結果、飛びかかったウィンザーは例外なく、荒野の地面に倒れ伏した。
「……」
少女は、ウィンザーが動かないことを 確認すると、再び歩き始めた。
「へへっ、流石ダンナだ。相変わらず、めちゃ強いこと」
そんな少女に声を掛ける者がいた。
しかし、周りに少女以外の人らしき者の姿は無い。
「……」
声を掛けられた少女だが、彼女が足を止めることはなかった。
「あ! またそうやって無視するぅ! 」
ボワン!
その時、歩く少女の後方にあった岩が煙を上げ――
「待ってよー! ダンナー! 」
そこに一人の少女が現れた。
「コンセイマオウと呼ばれたオイラを無視すると、ひどい目に遭うぞー! 聞いてるー? 」
黒い衣類を身に付け、赤いマントを羽織るその少女は、ウィンザーを倒した少女の後を追う。
「おーい! このキハン様を無視するなー! 」
少女の後を追うこの者の名は、キハンと言った。
彼女の髪は短く灰色で、瞳は赤い。
体型は小柄で、少女よりも背は低い。
頭部には、対になった丸い耳があり、腰の辺りから細長い尻尾が伸びている。
キハンは、鼠獣人であった。
「……うるさいなぁ、お前」
「うっ……」
喚くキハンに機嫌を悪くしたのか、少女は振り返ると彼女を睨みつけた。
少女に睨みつけられ、その剣幕におされたのか、キハンは押し黙る。
「わ、悪かったよぉ。もう騒がないから、そんな怖い顔をしないでおくれ」
「……うっとおしいやつ…」
少女は顔を正面に向けると、再び歩きだした。
「やっぱり、そのでかい武器は使わないんだね」
キハンは、少女の横に並び歩くと、そう言った。
少女は、幅の広い刃がある柄の長い武器を背負っていた。
「……使うなって言われてるから、使わないだけ……」
少女は無愛想に、キハンに答えた。
「ふーん、ダンナにも色々あるんだねぇ」
「そのダンナって言うのやめてよ」
少女は足を止めると、キハンにムッとした顔を向けた。
少女は、ダンナと呼ばれることを良く思っていなかった。
「……そんなこと言ってもさぁ。ダンナ、名前教えてくれないじゃん。だから、オイラはダンナって言うのさ。ダンナもいいけど、オイラも名前で呼びたいよ。そろそろ教えてくれもいいんじゃない? 」
キハンがそう訊ねると、少女は――
「……教えられる名前は無い。今のあたしには、名前なんて無いから……」
と答えて、再び歩き始めた。
「またそれかぁ……あ、待ってよ、ダンナー! 」
キハンは納得していないような顔を浮かべた後、少女の後を追っていった。
東を目指して歩く少女の髪は栗色で、髪は長く後ろで三つ編みにしていた。
一見、少女は人間のような姿であるが、腰の辺りから茶色の毛が生えた尻尾が伸びている。
少女は猿の獣人である猿人であった。
自分に名がないと言った時の少女の表情は、どこか悲しげであった。
2016年12月22日――誤字修正
幅の広い刃がある柄の長い武器に背負っていた → 幅の広い刃がある柄の長い武器を背負っていた




