二百五十七話 歪んだ宿命
「死ね! 人間! 」
ジャバラジャンは、前方に立つイアンに向けてそう言い放った。
突き出された彼の両腕の先、手のひらには、集められた闇の魔力が渦巻いており、巨大な球体の形を成している。
彼は、その闇の魔力の塊をイアンに向けて撃ちだした。
ゴゴゴゴゴ……
撃ちだされた闇の魔力は、屋根を破壊しながら進んでいく。
破壊が行われる際に、瓦礫となった屋根が飛び散ることはない。
闇の魔力は、触れたものを粉々に削ってしまうのだ。
故に、この闇の魔力が通った後には、半球状に削られた屋根だけ。
自らが進んだ証だけしか残さないほど、とてつもない破壊力を持っているのだ。
「ぐっ……これでは…」
向かってくる闇の魔力に、イアンは顔を引きつらせる。
彼の位置からも、闇の魔力が屋根を破壊している様を見ることができた。
その絶望的な光景を見ながら、状況を打開する方法を考え出そうとするが、出来ることは後ろへ下がる事。
程なく、イアンの背に砦の壁面が当たる。
左右に足場はなく、後ろはもう下がれない。
そして、前方は闇の魔力。
この状況で、彼が頭に思い浮かんだことは――
(……ここまでか…)
ここが、自分の最期であることだった。
イアンは諦めたかのように息を吐くと、右手に持っていた戦斧を左手に持ち替える。
そして――
「だが、足掻かさせてもらう」
右手を引き、今にも突き出しそうな構えを取った。
引いた右手の先は、イアンの足元に向いており、彼が行おうとする行動はシルブロンスの召喚。
自分の限界を超えた一撃を放とうというのだ。
シルブロンスの威力は凄まじいもので、その一撃で強大な力を持つ者達を葬ってきた。
しかし、その力を使った代償なのか、イアンは気を失ってしまう。
仲間が近くにいる時など、気を失っても良い状況であれば問題ないのだが、本来は最後の最後で使うべき力。
「来い! シルブロンス! 」
闇の魔力が迫る中、イアンは自分の足元に向けて右手を突き出す。
しかし――
「……!? 」
彼がシルブロンスの柄を掴むことはなかった。
ズドオオオン!!
闇の魔力が砦の壁面に激突し、勢いを緩めることなく砦の内部を破壊しながら進んでいく。
破壊が行われた屋根の上に、イアンの姿はなかった。
「……はぁ……」
ジャバラジャンは、突き出していた両腕をゆっくり下ろすと、深く息を吐いた。
そして、彼は空を見上げる。
「……いい加減にしてくださいよ。ヴィオリカ」
顔を上げるジャバラジャンは、苛立った声音でそう呟いた。
夜空に顔を向ける彼の視線の先には、イアンを抱えて飛ぶヴィオリカの姿があった。
「……助かった……のか? 」
眼下の破壊された通路の屋根を見下ろしつつ、イアンはそう呟いた。
彼は今、後ろからヴィオリカに体を支えられている状態である。
自分の背後にいるヴィオリカに顔を向けようとした時――
「む? 」
イアンは落下した。
ヴィオリカが彼の体を離したのだ。
高度は脅威となるほど高くはなく、イアンは破壊された屋根の上に着地する。
着地したイアンの前方には、ジャバラジャン。
「……」
「……」
無言でイアンを睨みつけるジャバラジャンと、左手の戦斧を右手に持ち替えたイアン。
見つめ合う両者の間に、ヴィオリカが降下してくる。
彼女はジャバラジャンに体を向けており――
「くっ、ああっ…」
破壊された屋根の上に立つと同時に、膝をついた。
彼女は、闇の魔力がイアンに迫る直前、彼に向かって飛んでいた。
そして、イアンに到達するとその体を抱えて上空へ飛び上がり、結果的にイアンを救ったのだ。
「何故ですか? ヴィオリカ」
「何故だ? ヴィオリカ」
ジャバラジャンとイアンがヴィオリカに問いかける。
二人が理解できないことは共通のもの。
イアンを救った理由であった。
「……奴は…………す…」
「何ですか? 」
「なんだ? 」
顔を俯かせるヴィオリカは何事かを呟いたが、二人の耳に入らなかった。
そのことが彼女に影響したかは定かではないが、ヴィオリカは勢いよく顔を上げ――
「奴は! イアンを倒すのは我輩だ! おまえは手を出すんじゃない! 」
と、ジャバラジャンに向けて言い放った。
「「……!! 」」
彼女の言葉を聞き、ジャバラジャンとイアンは目を見開く。
二人は同じ反応をしたのだが――
「聞く必要はなかったですね……ふざけるなああああ!! 」
ジャバラジャンは激怒した。
とうとうヴィオリカに対して募っていた苛立ちが限界を超えたようであった。
今の彼は言動のみならず、表情までもが怒りの色に染まっていた。
ジャバラジャンは早足でヴィオリカの元へ向かい、彼女の胸ぐらを掴み上げる。
「一人の行動が、組織にどれだけの影響を受けるのか、まだ分からないのか!! 俺が! そこの人間を殺しそびれた失態が、この魔族領が崩壊した要因の一つになっているんだぞ!! 」
「うぐっ……」
ジャバラジャンは、ヴィオリカの体を大きく揺さぶりながら怒鳴り声を上げる。
「わ、分かっているつもりだ!! だが、我輩の手で倒さねば……我輩は奴に負けたままだ! 我輩は、奴に勝ちたい! 」
「うるせええええ!! 知ったこっちゃねぇんだよ!! 」
「あああっ!! 」
ジャバラジャンが下に腕を振るったことで、ヴィオリカは彼の足元に投げ飛ばされた。
「ぐううっ!! 」
そして、自分の足元に倒れ伏すヴィオリカをジャバラジャンが片足で踏みつける。
「俺達はなぁ! 組織で動いているんだよ! 一人の個人的な感情なんて二の次だ! それを第一に持ってこられると、組織全体に響く……いい加減理解しろよ!! 」
繰り返し片足を突き出し、何度もヴィオリカを踏みつけるジャバラジャン。
「……これは……あいつらは仲間割れをしているのか…」
その光景をイアンは見ているだけしかできなかった。
二人が敵である以上、ジャバラジャンを止める必要はない。
そのはずなのだ。
「……やはり、あの男の娘……貴様がイカれているのは、血のせいか…」
蹴ることをやめたジャバラジャンは、そう呟いた。
「……血だと? お、おまえ……父上を馬鹿にしているのか? これは……父上は関係無い……ことだ! 」
ただ蹴られるのを耐えつづけていたヴィオリカだが、自分の父親を貶されたと思い、ジャバラジャンを睨みつけた。
「……ちっ、もういい。おまえは、もう知らん……言っておくが、魔大公様を貶したわけではない。貴様のような者を娘にした魔大公様のことを思えば、心が痛むほど悲しい気持ちになるがな」
ジャバラジャンはそう言うと、ヴィオリカを踏み越えていく。
「ま、待て! おまえは血と言った! 父上を馬鹿にしたのではないのか! 」
「うるさい、黙れ」
「……! 」
ジャバラジャンに顔を蹴られ、ヴィオリカは顔を押さえて蹲る。
彼の頭の中から、ヴィオリカの存在は一時的に消えていた。
代わりに今、ジャバラジャンの頭の中にあるのは――
「邪魔が入ったが、今度こそ貴様の最期だ! 」
イアンであった。
ババッ!
彼はそう言ったと同時に、右手を突き出し、そこから紫色の電を放った。
紫色の電は、槍のように真っ直ぐ伸びて、イアンに目掛けて飛んでいく。
「……! 」
イアンは動かない。
ジャバラジャンが攻撃をしたということしか分からなかった。
放たれた紫色の電を目で捉えられていないのだ。
従って、イアンはこのまま紫色の電に貫かれ、倒れ伏すだろう。
そして、もう起き上がることはないのだ。
ドォン!!
しかし、それはイアンに紫色の電がイアンに当たった時のこと。
幸いにも、そうなることはなかった。
「……」
イアンは、目を見開いたまま、固まっていた。
彼の目の前には、轟々と赤い炎が燃え盛っている。
数秒前、上空から炎の塊が飛来してきたのだ。
炎の塊は、紫色の電をかき消し、屋根の上に落下して今に至る。
それが分からないイアンは、この炎がジャバラジャンの攻撃だと考えたが――
「なにっ!? 今度は誰だ! 」
ジャバラジャンの様子から、炎は彼の仕業ではないことが分かり、その考えはすぐになくなった。
次に、ヴィオリカの仕業だと考えたイアンだが――
「……ほ、炎だと? 一体何が起こっている…」
ヴィオリカは呆けた様子であり、彼女の仕業でもない。
なら、一体誰の仕業なのか。
「なんとか間に合った…だね」
その疑問はすぐに消え去ることとなった。
イアン達三人以外の者の声が聞こえてきたのだ。
その声は空から聞こえ、イアンが見上げるとそこには、白い魔族の服を着た魔族の少女が背中の翼を広げていた。
白い魔族の服を着る少女がゆっくりと降下していく様を、イアンはじっと見つめていた。
その少女は、白い服を来ているがイアンが持つ彼女の印象は赤だ。
彼女の長い髪、頭から生える角、コウモリのような翼、細長い尻尾の部分が赤く、腰に下げた剣の鞘も赤いのだ。
そして、もう一つイアンが少女に対して持っている印象がある。
それは、少女が敵か味方かが不明なことだ。
見た目からして魔族であり、姿から判断すれば彼女は敵である。
しかし、彼女はイアンに背を向けて、彼の目の前に降り立ったのだ。
その姿は、まるでイアンを守るかのようであり、敵がするようなことではないのだ。
「……とりあえず、その邪魔な炎を消してもらえますか? 」
煮えたぎる怒りを押し殺しつつ、ジャバラジャンが少女に訊ねた。
「いいよ」
少女はそう答えると、右腕を横に振り払う。
すると、ロウソクの火のように、炎は呆気なく消え去った。
「……その白い制服……ビアンク様の部下の者ですか。何のつもりですか? 」
「んー……さぁて、なんのことかな……だね」
ジャバラジャンの問いかけに、少女はとぼけたような振る舞いをする。
「説明できないのですか? それとも、やましい理由があるのでしょうか? 」
彼女の振る舞いに反応することなく、ジャバラジャンはさらに彼女へ問いかけた。
彼は、少女に対して疑惑の念を抱いていた。
その理由として、敵であるイアンを助けた行為を少女がしたからであるが、それだけでない。
「ローザレッタ・ビアンク様……インベリアルデーモンの一人で、彼女の武勇の数々はよく耳にします。一方で、良くない噂もあるようですが……」
ジャバラジャンは、少女の上司である人物をよく思っていないのだ。
「噂ってねぇ……やましいことなんてないよ。ちゃんと理由はある。あたしが知らないだけだよ。つまり、ただ命令されただけ……だね」
少女はそう言うと、ジャバラジャンから視線を外し、顔を横に向けた。
「理由が知りたいのなら、本土に帰るといいよ」
そして、ジャバラジャンに顔を向けることなく、そう言った。
「……それは、帰れってことですか……」
「君の任務はもう終わったんでしょ? なら、早く帰りなよ。後はあたし達の管轄だからさ」
少女が不意に空を見上げたため、ジャバラジャンも空を見上げた。
すると、夜空を飛び回る複数の白い影が見えた。
目を凝らせば、その影が白い服を着た魔族達であることが分かる。
つまり、少女と同じローザレッタ・ビアンクという者の部下達である。
「……本当……何を考えているのですか。あなた達……いえ、ビアンク……様は…」
ジャバラジャンは、翼を広げて飛び上がる。
「いいでしょう。ここはおとなしく帰ることにします。ですが、ここで目にした全てのことは、上に報告させてもらいます」
徐々に空へ上がっていく中、ジャバラジャンは、少女に向かってそう言い放った。
「お好きにどうぞ……だね」
「……いつまでも好き放題ができると思うなよ…」
ジャバラジャンは、少女に背を向けると速度を上げて飛び去っていった。
彼が体の向きを変える際、イアンを睨みつけていたのは言うまでもないだろう。
「好き放題ね……やれるものならやってみたいよ……」
飛び去っていくジャバラジャンを見つめながら、少女はそう呟いた。
イアンからは、彼女の顔は見ることができないが、背中を見るにどこか悲しげであった。
「……さってーさてさってー、邪魔者はいなくなった……だねぇ」
しかし、急に元気になったようで、弾んだ声を発しながら、少女は振り返った。
「な、なんだ? 」
少女は頬を吊り上げており、イアンにとってその顔は不気味であった。
イアンが顔を引きつらせる中、少女は体もイアンの方へ向けると――
「ヴァルリエ・ロッシオです! 握手お願いします! 」
頭を下げ、右手をイアンに差し出した。
「なに!? あ……握手か…」
イアンは呆気に取られつつ、少女――ヴァルリエと握手を交わす。
「……! や、やった! 握手しちゃったよー」
イアンに手を握られると、ヴァルリエは顔を上げ、満面の笑みを浮かべる。
「……おい……そこの赤いの。一体、どういうことだ? 説明してくれ」
二人が握手をしていると、ヴィオリカがヴァルリエにそう訊ねた。
「ヴィオリカ……か」
ヴァルリエは、ヴィオリカに顔を向けると――
「悪いけど、説明はできない。本当に残念なことだ……」
悲しげな表情を浮かべながら、そう答えた。
「ヴァルリエと言ったか。オレにも説明はできないのか? 色々と聞きたいことがあるのだが……」
「え? えーと……」
ヴァルリエが顎に手を当てた時――
「あ、いた! イアン先輩! 」
破壊された砦の壁面の穴から、マコリア、ロシ、パレッドの三人が現れた。
「ひどい有様ですね。とにかく無事で良かったです」
「無事? なんか見知らぬ方々がいますけど……」
「おまえ達……そうか。奴の言っていたことは本当のことだったか……」
イアンはマコリア達がやってきたことで、バレッグルが倒されたのだと判断した。
「げえっ、時間切れか。名残惜しいけど、ここまでだね」
マコリア達を見て、苦い表情を浮かべると、ヴァルリエは翼を広げて飛び上がった。
「む! おい、まだ聞きたいことが……」
「それはまた今度ということで……ん? ああ、なるほどね。いいね、君」
ヴァルリエは、そう呟くと――
「へ? うわあああああ!! 」
高速でパレッドの元へ向かい、彼を抱えて飛び上がった。
「君、イアンに協力してたんだろ? じゃ、あたし達と一緒に来なよ」
「わああああ!! って……え? なに、どゆこと? 」
「後で説明するよ。じゃ、また会おう…‥だね、イアン」
ヴァルリエは、イアンに笑みを浮かべた後、彼に背を向けて飛び去っていった。
「ちょ、ちょっと待って! 俺、イアンさまに呪いをかけられてて、離れたら死ぬかもしれないの! 」
「え? そうなの? 」
しかし、すぐに羽ばたくのをやめて空中に停止した。
「ああ、まだ気にしていたのか。おーい、呪いというのは、実はかけていない。すまんな」
「だって、良かったね」
ヴァルリエは翼を羽ばたかせ、飛行を再開する。
「ええええええ!? 嘘でしょ!? 全然良くないよおおおお!! 」
パレッドは絶叫を上げたが、その声は徐々に小さくなっていき、やがてイアン達には聞こえなくなった。
「な、なんだったんっスか……今の……」
「パレッドさん、連れて行かれましたね……」
ヴァルリエが飛び去っていった方を見つめ、マコリアとロシは唖然としていた。
「オレも分からん。だが、これでようやく終わったと言えよう。砦から出るぞ。ここにはもう用はない」
「そう……ですね。魔族領からも早く出ましょう」
イアンとロシは、壁面の穴に向かって歩き出す。
「……待つっス、二人共。まだ終わってないっスよ」
しかし、マコリアは動かなかった。
彼女だけは、イアン達と真逆の方向に体を向けている。
イアンとロシが振り返ると、マコリアは前方を指差していた。
「そこに魔族がいるっス。あいつは、何なんっスか? 」
彼女が指を差す方向には、ヴィオリカがいた。
ヴィオリカは、屋根の上に立っているが、両膝が折れており、まともに立てない状態のようであった。
「イアン……悔しいが我輩は貴様よりも弱い。だが、我輩は強くなる。次、会うときは貴様よりも強くなっているだろう…」
ヴォオリカは、空へ舞い上がり、イアン達から飛び去っていく。
飛ぶのもやっとなのか、速度は遅くフラフラとしている。
「黒い霧よ、我が腕に纏い形を成せ…ダークファンタジー!」
そんな彼女の背に向かって、マコリアは攻撃を仕掛けようとしたが――
「待て、マコリア」
「……イアン先輩」
イアンに腕を掴まれ、攻撃を行うことができなかった。
「……奴には、借りがある。攻撃はしないでくれ」
「なんっスか、それ。あいつは敵じゃないんっスか? 情けをかけるっスか? あの姿が可哀想に見えるんっスか? 」
マコリアは、イアンの腕を振り払い――
「マコっちは、そうは思わないっス! あいつの目を見て分かったっス! あいつは、いつか本当にイアン先輩に立ちはだかるっスよ! そんな奴を見逃すんっスか!? 」
イアンに向けて、声を荒らげた。
「……」
そんなマコリアに、イアンは、咄嗟に言葉を返すことができなかった。
彼女が自分のことを思って言っているのだと理解しているからだ。
「分かっている……つもりだ。だが、これで終わりにしたくない……そう思ってしまったのだ」
しかし、それでもイアンはヴィオリカを見逃したいと思っていた。
「……いつか後悔するっスよ。その時になってもマコっちは知らないっス」
マコリアは、そう言うと砦の壁面の穴に向かって歩き出す。
そのまま歩き去るかに思えたが――
「やっぱ、知るっス! イアン先輩は、甘すぎるっスから、マコっちが助けてやるっス! 」
と言ってから壁面の穴の中に入っていった。
「イアンさんのことを本当に思ってるようです。どうかほどほどに……」
「……ああ」
ロシにそう返すと、イアンも壁面の穴に入っていく。
この時、ようやく砦は静かになった。




