二百四十五話 野心のマヒュート 有卦に入るイアン
魔族領にある村には、そこを管理する役目を担った魔族が最低でも一人は存在する。
村の扱いは、その魔族に任され、村の者はその魔族の意向に従わなければならない。
もし逆らったのなら、何かしらの罰が下され、その度合いが高かったり、魔族の裁量次第で、殺されてしまう場合もある。
生かしはするが、逆らうのは許さない。
魔族達が行っているのは、まさに支配であった。
魔族領最東部に位置する村、メレモレ。
この村は、一人の魔族に管理されている。
その魔族の名は、マヒュート。
中年の男性の魔族で、太った体と蓄えた口髭が特徴的である。
彼は、元々村長の家であった屋敷に住み、村の管理を行っていた。
「どうぞ…」
屋敷の一室にあるテーブルに座るマヒュート。
使用人の姿をした村人が、彼の前にスープの入った器を置いた。
この部屋には器を置いた村人以外にも、使用人の姿をした村人がいる。
彼女等は皆、若い娘であり、マヒュートの命令で使用人にされた者たちだ。
「……」
マヒュートは、何も言うことなく、器に手をかける。
「……おい」
そして、彼は器を置いた村人に声を掛けた。
「は、はい、どうし――はっ! 」
村人は、何故声を掛けられたか分からなかったが、口にした言葉の途中で気づいた。
しかし、彼女は気づくのが遅すぎた。
「俺に、下品な飯の食わせ方を強要するつもりか! この家畜がぁ! 」
マヒュートは、手にした器をその村人に投げつけた。
「ああっ! 」
投げられた器が村人の頭に当たり、中に入っていたスープは、村人の体にかかってしまう。
村人は、そのまま床に倒れてしまった。
彼女は、スプーンを用意し忘れたのである。
もちろん、マヒュートに器に口をつけて飲ませるつもりはなく、本当に付け忘れただけである。
しかし、マヒュートは、彼女がわざとやったのだと決めつけた。
「ふん! 所詮は人間。もてなしの仕方も分からん猿共め。痛い目見ないと、分からんようだな! 」
マヒュートは椅子から、立ち上がると――
「このっ! このっ! 」
倒れた村人を蹴りつけ始めた。
「うっ! ううっ…申し訳…ございません…」
村人は抵抗せず、腕で頭を庇うだけで精一杯であった。
ここで抵抗すれば、さらにきつい罰が下る。
そう思い知らされているのだ。
「……」
部屋の中にいる他の村人も、彼女を助けようとしない。
もし、助けてようとすれば、自分が標的もされてしまうからだ。
故に、蹴られる彼女から視線を逸らし、自分の視界に入れないようにしているのだ。
「ふんっ! これに懲りたら二度とするなよ! お前達もだぞ! 」
マヒュートは、倒れたままの村人と他の村人にそう言うと、部屋から出ていった。
「くそっ! なんで、俺がこんな辺境の村などの管理役をやらねばならん! 」
廊下を歩きながら、マヒュートはブツブツと呟く。
「飯は不味いし、少ないし、娘はいるがどれもいまいちだし、良い事なんか一つもない! 」
マヒュートは、乱暴に扉を開け、その部屋の中に入った。
そこは彼が、自室として使っている部屋であった。
部屋の中にはベッドがあり、そこにマヒュートは寝転がる。
「早くアロクモシアに攻めたいもんだ。あの国の中なら、こんな村よりも遥かに良い町がごまんとあるだろうよ」
マヒュートは、そう呟くと目を閉じた。
今はまだ昼であり、マヒュートは昼寝をしようとしていた。
彼は気に入らないことがあると、何もしない。
本人曰く一旦寝て、ムカムカしていた心を静めるためであるらしい。
コンコン!
「……ちっ」
部屋のドアがノックされると、マヒュートは起き上がり――
「こら! 俺は寝たいんだ! 用事は後にしろ! 」
乱暴にドアを開け、ノックをした村人を怒鳴った。
「ひっ……! で、ですが、来客の方がいるのですが…」
「ん? なに……来客だと? 」
村人の言葉を聞き、マヒュートは表情を変えた。
今の彼は怪訝な表情をしていた。
何故なら、彼は来客が来ることを聞いていないからであり、もし来客が来ると知っていたら、昼寝などはしないだろう。
「来客とは、魔族の者か? 」
「はい…村の視察に来た…ということで、その村の統率者であるマヒュート様に、挨拶に来たと…」
「視察? はて……」
マヒュートは腕を組み、顔を伏せる。
(……ん? バレッグル様からは、何の連絡も来ていない……どういうことだ? )
その間、記憶の中を探ってみたが、来客が来るということに心当たりがなかった。
(考えられるのは、本土から来た者か。しかし、こんな何も無い村に視察だと? )
思考にふけこむマヒュートは、石像のように動かなくなっていた。
(……いや、分からん。一体、なんだというのだ…)
マヒュートは、表情を曇らせる。
いくら考えても、来客が来た理由と、その者の正体を掴むことは出来なかった。
従って、マヒュートは――
「……分かった。すぐ行く」
直接会って、確かめることにした。
――昼。
太陽が真上を通り過ぎた頃。
メレモレにある屋敷の玄関前は、僅かに影が覆い始める。
その影の中、屋敷の玄関扉を出たところで、マヒュートは立ち尽くしていた。
今、彼の目の前には――
「お……おぬしが、マヒュート殿か? 」
イアンが立っていた。
マヒュートは彼を一目見て――
(な…なんと、美しい娘だ…)
イアンを美しいと思い、呆然と立ち尽くしていたのだ。
「……はっ…し、失礼しました! 私がマヒュートでございます」
程なく、我に帰ったマヒュートは、丁寧な言葉遣いで答えつつ頭を下げた。
(男装しているのだろうが、美しさは変わらず……加えて、並みの者には無い雰囲気……上位の魔族だ。高貴の家の娘に違いない)
彼は、イアンの容姿から、並みの家柄の者ではないと決めつけた。
実際は、高貴な家の出でも、魔族でもないのだが――
(きっと、親の教育方針で旅をなされているのだろう。ならば、ここで彼女に気に入られれば、彼女の親に俺の名前が伝わり、貴族と繋がりが出来て、俺は出世コースに乗ることができる! )
出世欲により、疑うということは、彼の頭に無かった。
「して、視察と聞いていますが……む! そのお姿は…」
頭を上げ、再びイアンに目を向けた時、マヒュートはようやく気づいた。
イアンの着ている魔族の服が破れてボロボロであることに。
「む、これか? この旅の途中で……戦った人間にちょっとな…」
何事かと目を見開くマヒュートに、イアンはそう答えた。
(今の言い方は、魔族らしかったな)
その時のイアンは、僅かに笑みを浮かべていた。
いい感じの理由が言えたと自負しているのだ。
「お、おおっ…そうですか。それは、とんだ苦労をしましたね…」
イアンの言葉を聞き、マヒュートは彼を心配するような目で見た。
(……そういえば、従者の者が見えないな…)
その表情の裏で、マヒュートはイアンを僅かに不審に思い始める。
高貴の家の出――貴族の者なら、従者の一人や二人はいるものだ。
彼の思い込みではあるが、イアンに従者がいないことを不思議に思っていた。
「それで、お聞きしたいのですが――」
そのことを聞こうと、彼は口を開いたが――
(いや…待てよ。この方は、召喚術を使えるのでは? だとしたら、それを察することのできなかった俺は、彼女に失礼なことを聞いたことになるぞ…)
頭に過ぎった憶測により――
「いえ、後にしましょう。とりあえず、屋敷の中へお入りください」
イアンに従者を連れていない理由を聞くのをやめ、彼を屋敷の中へ入るよう促した。
「む、お…私は、この村の宿で休むつもりだったが…」
「と、とんでもない! あなたのような方に、村のボロ宿は似合いませぬ! 」
マヒュートはそう言うと、屋敷の中に伸ばした片手を差し向ける。
「さ、遠慮なさらずにお入りください。こんな辺境ではありますが、旅の疲れが癒えるよう、おもてなしをさせていただきますよ」
「……なら、マヒュート殿の言葉に甘えることにしよう」
イアンは、マヒュートの誘いに乗ることにした。
「ありがとうござます。まず、着替えましょうか。服はこちらで用意しますので、お着替えをなさる部屋へ案内します」
「頼む…」
こうして、イアンはマヒュートに連れられて、屋敷の中に入っていった。
屋敷の廊下を歩く中、イアンは――
(こちらの都合がいいように、思ってくれてるな。だが、まだ油断はできないぞ…)
事が上手く運んでいることを感じると同時に、自分が不利にならぬよう気を引き締めていた。
使用人の服を来た村人に案内されるイアン。
今、彼は燕尾服のような服装を身につけている。
それは、さっきまで着ていた服の新品のようであった。
(女物の服を用意されると思ったが杞憂だったな)
彼が着ている服は、白い長袖のシャツと黒い長ズボンで、シャツの上に黒いジャケットを羽織っている。
一見して、男性が着るような服装だ。
この服が用意されたことから、イアンは、自分が女性扱いされていないと思い、機嫌が良かった。
「どうぞ…この部屋でマヒュート様が待っております…」
彼等が歩く廊下の両側面には、扉がズラリと並んでいる。
イアンの前を歩いていた村人は、その扉の一つの前で立ち止まり、イアンの方に体を向けた。
その扉の向こうにある部屋に、マヒュートがいるようであった。
イアンが扉を開けて、中に入ると――
「おおっ! 良くお似合いですよ! 」
マヒュートが椅子から立ち上がり、イアンの元へ来る。
彼が座っていたテーブルには、様々な料理を乗せた皿が並べられており、マヒュートの座っていた席の両隣に、村人が立っている。
「マヒュート殿、これは? 」
自分の側面に立ったマヒュートに、イアンが訊ねる。
彼は、食事を用意した意図を訊ねたのだ。
「まだ、お昼の方を取られていないと思い、食事をご用意したのですが……お気に召しませんでしたか? 」
イアンの問いかけに、マヒュートはそう答えた。
もてなしの一つとして、彼はイアンに昼の食事を用意していた。
「いや、ちょうどいい。昼飯はまだ食っていなかったのだ」
イアンはそう答えると、マヒュートが座っていた反対側の席に向かい、そこに座った。
マヒュートも先ほど座っていた席に座る。
「このような貧しい村ですが、料理の味に関しては徹底しております。どうぞ、召し上がってください」
「ああ、頂こう」
イアンは、用意された料理を口にしていく。
(美味い。奴の言っていたことは確かなようだ)
どの料理もイアンは美味であると感じていた。
しかし、黙々と料理を口に運ぶイアンの表情は、他人から見れば無表情に見え――
(わ、分からん……どういう気持ちで、飯を食べているのだ? この娘は…)
マヒュートの心は落ち着かなかった。
しばらくすると、彼等は食事を食べ終える。
「いかがでしたか、この村の料理は? 」
「美味かった。感謝する」
イアンは、軽く頭を下げた。
「お、お褒めに預かり光栄でございます! 」
「「……! 」」
イアンの感謝の言葉に、マヒュートは喜び、村人達は驚愕した。
イアンが頭を下げたのは、マヒュートではなく、村人達だったからである。
そのことに、マヒュートは気づかず、村人達は気づいたのだ。
「それで……失礼、名前のほうをお聞きしても…」
マヒュートが、ニコニコと微笑みながら、イアンに名前を訊ねる。
「名前……言ってなかったか? 」
「は、はい。確か聞いておりません…」
イアンの言葉に、マヒュートは、僅かに顔を引きつらせるだけであった。
(むぅ…もう名乗った作戦は通らなかったか…)
彼の反応に、イアンは心の中で、そう呟いた。
今、彼はマヒュートに貴族の者であると認識されている。
イアンは、魔族のことをあまり知らない。
故に、魔族の貴族がどのような名前なのかは、イアンに知る由もない。
よって、彼が名乗る名前は、適当なものになるだろう。
名乗った名前が貴族の名前でなかった時、マヒュートはイアンのことを不審に思うと容易に想像できる。
従って、イアンは名前を名乗りたくなかった。
しかし、ここで名乗らなければ、無条件で怪しまれるだろう。
「オレの名は――」
やむを得ず、イアンは覚悟を決め――
「ジョ…ジョン…ソルマース…だ」
と答えた。
「ジョン・ソルマース…ですか? 」
「う、うむ。そうだ」
怪訝な顔をするマヒュートに、イアンは頷いて答えた。
はたして、イアンが名乗った名前にマヒュートはどう思うか。
(ジョン・ソルマース……ソルマース家か……聞いたことが無いぞ…誰だ? )
マヒュートは、イアンの名乗った名前に聞き覚えがなかった。
残念ながら、ソルマースという姓は、貴族の名ではなかったようであった。
(……まずいぞ……本当に聞いたことがない…)
しかし、マヒュートは焦っていた。
ニコニコと微笑みを浮かべているが、彼の顔には冷や汗が滲み始めている。
(……ここで存じませんと言えば、どうなるか……!しかし… )
マヒュートは、そう考えるが、知らないものは知らない。
「……あ、あの…失礼ながら…大変失礼ながら、ソ、ソルマース家を知らないのですが……どういった家なのでしょうか? 」
よって、マヒュートは恐る恐る聞くことにした。
「……ソルマース家は…………」
問われたイアンは、口を開いたが、大きく間が空いてしまう。
今度は、イアンが思い悩む番であった。
(貴族……貴族とは……ユニスやアントワーヌのことだろうか? いや、アントワーヌは違うのか? いや、貴族の下につく貴族もいるか。ならば、知ってる魔族……あいつの名を使うか…)
悩むイアンは、考えがまとまり――
「ヴィオリカという者がいるだろう? 彼女の家に仕える家の者だ」
と答えた。
ここでイアンは、かなり危ない橋を渡っている。
彼は、ヴィオリカが貴族であるかは知らないのだ。
もし、彼女が貴族の者ではなかった時、マヒュートに怪しまれてしまうだろう。
「ヴィオリカ? ああ、あのヴィオリカ……様か。確か元は罪人の娘で、今は…」
マヒュートは、そう呟いた。
彼は、ヴィオリカのことを知っているようであった。
「ん? 罪人の娘だと? 」
彼の呟きに、イアンは反応する。
「おや? ご存知ないのですか。もう九年ほど前になりますか、その時のことなのですが…」
マヒュートが探るように、イアンに視線を向ける。
「……すまない。その話は記憶にない」
「やはり、そうでしたか。ならば、この私がお話しましょう」
マヒュートは、イアンの役に立てると思い、得意になって話し始める。
およそ九年前、魔族の国に一人の人間がやってきた。
その人間は、魔族の頂点に君臨する魔大公を倒しに来たと宣言し、多くの魔族を相手に戦闘を仕掛けた。
この戦いにより、多くの魔族が命を落とし、魔族の中でも実力に秀でる者達――インベリアルデーモンの称号を持つ者も、この戦いで二名の犠牲者が出ている。
襲撃してきた人間は、かなりの実力者であったのだ。
結局、魔族達は人間を止めることができず、魔大公の元まで侵入を許してしまう。
しかし、彼の快進撃は、そこで終わりを迎える。
魔大公との戦いに敗れたのだ、
その戦いの終焉の場には、多くの魔族がおり、その中にヴィオリカの父がいた。
ヴィオリカの父は戦いが終わると、何を思ったのか魔大公に切りかかろうとした。
周りにいた魔族に取り押さえられ、彼の刃が魔大公へ届くことはなく――
「――奴は、その行為がきっかけで罪人となり、投獄されることになりました。はぁ…いつ考えても、奴の思考は分かりませんな」
マヒュートは話し終えると、最後にそう締めくくった。
「……ほう。それで、罪人の娘とは? 」
「あ、ああ、まだ続きがあるのです。奴には娘がいて、これまた何を思ったのか、魔大公様は奴の娘を引き取り、ヴィオリカとして……って、えええええ!? 」
イアンへ説明する途中、マヒュートは何かに気づいて、大声を上げて驚愕した。
(ヴィオリカは、今は魔大公様の娘。ということは、この方は魔大公に仕える家……つまり、大貴族ではないか! )
ヴィオリカが魔大公の娘であることから、彼はそう推測したのだ。
「ど、どうかしたのか? 何か気に障ることでもあったか? 」
マヒュートの驚きように、自分が失敗したと思った。
「……い、いえ、何でもございません! い、いやーソルマース家といえば、魔大公様に仕える高名な家ではありませんか。その方にお会いできるとは、光栄ですよ」
マヒュートは、平静を装いつつ、イアンにそう返した。
そして、あたかもソルマース家のことを知っていた体である。
(なに? そうなのか。適当に言った名前が当たってしまったぞ。しかも、かなりの家の名のようだ)
マヒュートの口ぶりから、イアンはそう勘違いをした。
「高貴な身分であらせられるのに、一人旅とはご立派なことです。しかし、苦労をしましょう。私めに、何か出来ることはありませんか? 」
先程よりも、ニコニコと微笑みながら、マヒュートはそう訊ねた。
(やった! これはチャンスだ! ここで、恩を売っておかなくては… )
その微笑みは、出世できるこれ以上にない絶好機会が来たことから来ていた。
「……なら、まず聞きたいことがある」
「はいはい、なんでございましょう? 」
「この村の者の扱い……いや、人間についてどう思う? マヒュート殿の意見を聞きたい」
イアンは、マヒュートにそう訊ねた。
「はい。私は、人間を知能を持った畜生であると思っております。家畜にして利用するか、ペットにして飼いならす以外に価値を見いだせません」
すると、マヒュートはそう答えた。
その答えを横で聞く村人達は、暗い表情である。
「……ほう。これが魔族か」
マヒュートと村人の顔を見て、イアンはそう呟いた。




