二百四十二話 西方の闇
――午後。
まだ、日は明るい頃。
「じゃあ、あたしはこれで…」
ベルドリカはそう言うと、箒に跨り、イアン達に背を向ける。
ここは、ラクゴックの村の西側の荒野で、傍には小さな岩山がある場所だ。
昼頃にイアン達が休憩していた場所である。
ここにロシとマコリアがいると分かり、箒に乗ってここまで来たのであった。
「ああ……そうだ。もう人を攫ったり、殺したりはするなよ」
ベルドリカの背中に向けて、イアンはそう言った。
「うっ…それをやらずに魔女を名乗るのは…」
彼の言葉を耳にし、ベルドリカは顔を振り向かせた。
その表情から察するに、嫌そうな具合である。
「なんだ……嫌なのか…」
それに対し、イアンは残念そうに、そう呟いた。
「ああー、分かった! もう何もしない! だから、嫌いにならないで! ね? 」
すると、ベルドリカは、イアンの元へ駆け寄ってすがり付く。
彼女の必死な様子からイアンは――
「分かったのなら、何よりだ。じゃ、もういい。早くどっか行け」
本心で言っているのだと、判断した。
「はーい。何かあったら、呼んでもいいよ。すぐ駆けつけるから」
ベルドリカは、イアンから離れ、箒に跨って空を飛んでいく。
彼女の影はどんどん小さくなっていき、とうとう見えなくなった。
「……ふぅ、厄介な者にからまれたものだ」
ベルドリカが消えていった方向を見ながら、イアンはそう呟いた。
その後――
「まさか魔女に攫われているなんて、驚きましたよ…」
「本当、びっくりっスよね! 初めて、魔女を見たっス」
ロシとマコリアが口を開いた。
魔女と名乗るベルドリカの存在に、容易に口を開くことが出来なかったのだ。
「そういえば、マコよ。元気になったのか? 」
ベルドリカに攫われる前、イアンが見たマコリアはぐったりとしていた。
今のマコリアに、そのような元気の無い様子は見られなかった。
「はいっス。イアン先輩が消えたって聞いて、飛び起きたっス。いやぁ、あの時は焦った、焦った」
「むぅ…すまんな。心配をかけたようだ…」
笑って答えたマコリアだが、彼女の言葉にイアンは申し訳ない気持ちになり、表情を曇らせる。
「いや、イアン先輩が謝る必要は無いっス。魔女なんて、普通どうにもならないっスから。それより、なんか思ったよりも魔女の腰が低いような気がしたっスけど…」
マコリアは、先ほどから抱いていた疑問を口にした。
一般的には、魔女は恐ろしい者という認識である。
その魔女の認識とベルドリカは、異なったものに見えたのだ。
「ああ、初めはオレを殺そうとしていたぞ」
「殺す……イアンさんに何の恨みが…? 」
「美しさがどうの言っていたな。よく分からん…」
ロシの疑問にイアンはそう答えた。
「それで、どうやって魔女を倒したっスか? 」
「倒してない。オレが男だと知ると、何もしなかった。あと、それから態度が変わった」
「うーん……紛らわしいわ、死ね! って、感じで殺しそうっスけど…」
「そうはならなかったな。あ、なんか美少年がどうとかは言っていた…が……だから、なんだと思うが…」
「美少年……ああ、はいはい。腰が低いんじゃなくて、媚びてたっスか…」
イアンは首を傾げていたが、マコリアは何か納得したような様子であった。
「ははは…魔女である前に、彼女も女の子だったみたいですね。さて、大きな足止めを貰ったことですし、少し急ぎましょうか」
「ん? ああ、進もう」
三人は再び西に向かって歩き始めた。
ラツクナ――
ラクゴックの西に位置する町である。
荒野の北側にある町や村の中で、一番大きく住民も多い。
ラツクナには、町の戦士達を集めた戦士団を持っており、並みの盗賊では手出しができない戦力を持っている。
また、戦士団には荒野を見回る任務があり、近隣の村や町は、ラツクナの戦士団によって平和に暮らすことができると言われている。
ラクゴックを出てから四日経ち、イアン達は、この町に辿り着いたが、日は暮れ始めている。
言うまでもなく、予定より遅れていた。
「この町には、専属の戦士か傭兵がいるのでしょうか…」
ラクツナの宿屋の食堂にて、ロシがそう呟いた。
イアン達は町に入ると、真っ先に宿に入ったのであった。
そこで、彼等は食事を取り、今は食堂のテーブルに座って、ゆっくりとしている。
「そうっスね。戦士団がいるはずっスけど……」
「む? そんな組織がいたのか…」
ロシとマコリアの言葉を聞き、イアンはそう呟いた。
彼等の話を行くまで、イアンはこの町に戦士団がいることは知らなかった。
「いるかもしれない……ですね。ここまで来る途中に、兵舎のようなものを見かけて……マコさんは、何か知っているようですね」
「少しっスけどね。この町には、戦士団があるっス。その戦士団が、この周辺の村や町を守ってるっスよ」
「周辺を……見回りをしているということか。しかし、ここに来るまで、誰とも合わなかったな…」
イアンは、僅かに首を傾げた。
マコリアの説明通りならば、荒野を歩いている最中に、戦士団の誰かと会っていてもおかしくない。
彼は、そう思っているのだ。
「ええ。しかし、たまたま会わなかったとも言えます。それで、私がおかしいと思っているのは、この町で戦士のような人を見かけないことです」
イアンが頭を捻っていると、ロシがそう言った。
「そうっスね。今の時間になれば、帰ってくる頃だと思うっスけどねぇ…」
「……その理由を知りたいか? 」
イアン達三人が座るテーブルに、一人の男性がやって来た。
その男性の見た目から四十歳は越えていると推測でき、服の上からエプロンをつけている。
彼は、この宿屋の店主だ。
「実はな……」
店主は、イアン達の返答の有無を気にすることなく喋り始める。
西へ言った先――荒野の西側は今、魔族に進行により、彼等の支配下にある。
魔族の進行を食い止めるため、戦士団は防衛拠点を築いていた。
現在、戦士団の全員が防衛拠点に詰めているため、この町にはおらず、周辺の荒野の見回りも行っていないのだ。
「ほう。ここから先に行ったら、防衛拠点があるのか……ならば、アロクモシアに行くには、ここから南西に進めばいいのか? 」
店主の話しを聞き終えると、イアンがそう呟いた。
彼等の旅の目的は、アロクモシアに行くこと。
わざわざ危険な場所を通る必要はなく、魔族領には入らない道を選択するべきなのだ。
「いや、まだ早い。ここから西に、クッコナっていう村がある。防衛拠点があるのは、クッコナの先だ。その村から南西に進めばいいと思うぜ」
「そうか。なら、そうしよう」
「おう。だが、気をつけろ。防衛拠点の手前だが、クッコナも魔族領に近い村だ。着いたら、さっさと村を出ることを勧めるぜ」
店主はイアンにそう言うと、彼等の座るテーブルから去っていった。
「魔族ですか……」
「む…ロシよ、何かあるのか? 」
イアンがロシに訊ねる。
ロシの呟きが意味有りげな様子であったのだ。
「いえ、何かあるということではありません。ただ、魔族という存在を聞いて、不思議な気持ちになりまして…」
「不思議な気持ち? 」
「ええ。魔族という存在は、伝説上のものだと思っていたので…」
「ああ……そうか。魔族を見たことがないのか…」
イアンは、ロシの言わんとすることを理解した。
ロシは、魔族という存在がいると認識していないため、店主から聞いた話を充分に信じられない。
対して、イアンは魔族と会い、彼等の存在を認識しているため、特別どうとは思わないのだ。
「イアン先輩の口ぶりからすると、魔族と会ったことがあるみたいっスね」
イアンの口ぶりから、マコリアは彼が魔族と会ったことがあると察し――
「どんな感じなんっスか? 」
魔族について、イアンに問いかけた
「魔王を復活させようとする連中だ。その一環として、この荒野に進行したのだろう」
「魔王の復活……ですか…」
「ひぇぇ、迷惑な連中っスね…」
イアンの言葉を聞き、ロシは僅かに顔をしかめさせ、マコリアは苦いものを口にしたような顔をした。
魔族のしようとすることに共感が持てないどころか、嫌悪している様子であった
「ああ。そして、奴らは総じて戦闘能力が高い。魔族と戦いになることは、避けるべきだろう…」
事あるごとに、危険な目に遭うイアン。
彼は好きで危険に飛び込んでいるわけではない。
なるべくなら、危険を回避したいと思っている。
しかし、危険というものは必ずしも、自ら飛び込んでいくものではない。
イアンがそのことを意識しているかは定かではない。
ラツクナの宿屋で一晩休んだ後、イアン達は荒野を出て西へ進む。
たまに遭遇する魔物と戦いながら、乾いた大地を進み続けて三日後。
イアン達は、クッコナに辿り着いた。
村には井戸があり、そこから組み上げた水を使って生活しているらしく、村の所々に作物を育てる畑が見られた。
特に変わったところの無い、普通の村である。
すぐ近くに防衛拠点がある村だとは、思えないほど普通で、のどかであった。
イアン達は、そこの村にある宿屋に泊まり、次の日の朝――
「ここからは、南西方向だったか…」
村を出発するため、宿屋の外へ出た。
「マコさん。この南西方向には、村や町はあるのでしょうか? 」
ロシがマコリアに訊ねた。
「うーん……確かあったと思うっスけど、その辺はよく覚えていないっスね…」
「そうですか……これは、確認しときたかったのですが…」
「ならば、この村の者に聞けば、いいだろう。ちょうどいい者は……」
イアンは周りを見回して、話しかけれそうな村人を探す。
今は早朝。
家の外に出ている者は、見られないようだったが――
「あ、いた…」
一人の女性の村人が目に入った。
しかし、見つけたイアンは、僅かに眉を寄せる。
何故なら、その村人はおろおろと落ち着かない様子であるからだ。
「なんか困ってるみたいっスね」
イアンの隣で、マコリアが呟く。
「……あ。他の村の人もいますよ。イアンさん、どうしますか?」
周りを見回していたロシが、イアンに訊ねた。
困っている女性の他にも、村人はいるのである。
「先に目が入ったのだ。とりあえず、彼女に話を聞こう」
イアンは、女性の村人の元へ行き――
「すまない。聞きたいことがあるのだが…」
彼女に話しかけた。
「え……あ、はい。な、なんでしょう? 」
女性は、戸惑いつつイアンに答える。
気にかかっていることが頭から離れないようで、落ち着かない様子であった。
「ここから南西方向に、村や町はあるのだろうか? あれば、どのくらいで着くのかも知りたい」
「あります。リクシフという名前の村があって、ここからだと……五日ほどで着くと思います…」
「分かった。ありがとう……それで、何か困っていることでもあるのか? 」
やはり、女性が何に困っているかが気になり、イアンは訊ねてみた。
「あ……実は…」
すると、女性は手に持っていた包みを取り出す。
包みは方形状になっており、中に箱のようなものを包んでいるようであった。
「私の夫が、西の防衛拠点へ行ったのですが、仕事で使う道具を忘れてしまったようで…」
「仕事? 戦士なのか? 」
「いえ、私の夫は大工です。防衛拠点の外壁の強度を上げる仕事を任されたそうで…」
「なるほど……大工か…」
「ええ。道具が無ければ、仕事はできません。どうしましょう……」
女性は表情を暗くし、顔を俯かせた。
(どうするか……)
イアンは、女性に何と言葉を返そうか考える。
防衛拠点は村から離れた場所にあると聞いており、女性が行くには危険が伴う。
何故なら、魔物と遭遇する可能性があるからだ。
この村の様子を見る限り、ここに戦士はいないようである。
(村の者はいけない……が…)
ここで、イアンにある考えが頭を過る。
それは、彼女の夫が道具を取りに来ることだ。
仕事ができないのならば、道具を取りにくるはずである。
イアン達が道具を届けに行けば、その手間は無くなり、人助けになるだろう。
しかし、必ずやらなければならないということではないのだ。
(…………防衛拠点は、まだ魔族領では無い……ならいいか…)
イアンが出した答えは――
「その道具、夫の元へ届けてやろうか? 」
道具を女性の村人に届けることであった。
「え!? いいのですか? 」
イアンの口にした言葉に、女性の村人は驚愕する。
「ああ。外壁の強度を上げる作業をするのなら、早くやったほうがいいからな」
「そうですか……で、では、お願いします! 」
「任せろ」
イアンは、女性の村人から道具の入った包みを受け取る。
「ありがとうございます。このお礼は――」
「いい。できることをするまでだ」
イアンはそう言うと同時に踵を返し、ロシとマコリアの元へ戻る。
「すまん。少し寄り道をしていくことになった」
「いえ。彼女の様子を見る限り、人助けになることをするのでしょう。私は構いませんよ」
ロシは、微笑みを浮かべていた。
イアンが女性の村人の困り事を引き受けたことを嬉しく思っている様子であった。
「やっぱ、イアン先輩は違うっスね! どこへでも、マコっちはイアン先輩についていくっスよ! 」
マコリアは、大きな手振りをしながら、上機嫌にそう言った。
「この道具を届けるだけだ。そこまで気負う必要はない。では、防衛拠点を目指すとするか」
イアン達三人は荒野を出て、西を目指して歩き始めた。
この時、西の空は曇っており、その下の荒野は影に覆われている。
それに、イアン達三人は気づくことはなかった。




