二百四十話 荒野の旅人
ウルドバラン大陸にある、ヒリアソス山脈の西側の地域は荒野である。
草木が生い茂る場所は限られ、大半の場所は土色の地面が広がっている。
雨が少ない気候であるせいか、空気も地面も何もかもが乾いていた。
そんな荒野をイアン達三人は歩き続けている。
ヒリアソス山脈の坑道から、荒野を歩き初めて二日経つが、その間に村や町に立ち寄ることはなかった。
道中に、村や町を見かけることがなかったのである。
「米にはまだ余裕があるが、水が心配になってきた。そろそろ村や町はないのだろうか…」
先頭を歩くイアンが、そう呟いた。
「分かりませんね。地図を持っておくべきでした…」
最後尾を歩くロシがイアンの呟きに答える。
「むぅ……というか、ただ真っ直ぐ西へ進んでいるだけだが、辿り着くのだろうか。アロクモシアはどこにあるのだ…」
「……たぶん、あっちの方っス」
イアンの後ろを歩くマコリアが、指を差した。
その指が差す方角は南西で、目を向ければ、やはり土色の地面が広がっているだけであった。
「ぜんぜん違うではないか。今からでも、南西方向に行くべきだろう」
イアンが、南西の方角に体を向けようとするが――
「いや、このまま西に進んだ方がいいっス」
マコリアの止められる。
「何故だ? 」
「村や町があるのは、海に近い場所……つまり、荒野の端の方っス。内側には、何も無いっスよ」
荒野の中央に行けば行くほど、その環境は厳しくなる。
故に、人が住む村や町が存在しないのだ。
そのような南西へ真っ直ぐ進み、何もない地域を数週間も歩き続ければ、いつかは水と食料が底をつき、野垂れ死んでしまうということだ。
「まずは西に進んで、少しずつ南に進路を変更するのがいいっスね。こう……ぐるっと荒野を回っていく感じっス」
マコリアが、宙に絵を描くように腕を回しながら説明した。
「……ふむ、そういうことか。時間はかかるが、止むを得んな」
その彼女の仕草のおかげで、イアンはこれから道筋をイメージすることができた。
「急がば回れ……ということですか。しかし、マコさんは詳しいですね。この地域には、来たことがあるのですか? 」
「一時、アロクモシアにいたことがあるんっス。そこで、荒野の歩き方を教わったんっスよ。荒野なんて行かないから、知らなくてもいいっス…とか思ってたっスけど、今は教わっといて良かったって思うっス。ふぅ…」
ロシの問いかけに答えると、マコリアは額の汗を腕で拭う仕草をした。
「ああ。マコのおかげで、飢え死にすることは回避できそうだ……が、まだ油断はできない。今日明日くらいには、村か町に着きたいものだ…」
このイアンの発言に、ロシとマコリアは頷いた。
それからイアン達は西を目指して、ひらすら足を動かし続けた。
――夕暮れどき。
夕日の光に照らされ、荒野は赤く染められる。
その地を歩き続けていたイアン達だが、今は足と止めた状態である。
彼等は、それぞれの武器を手にして立っている。
魔物と遭遇したのだ。
「ムゥ…」
彼等に立ちふさがるのは、オリゲムズと呼ばれる牛型の魔物であった。
体は牛よりも小柄で、ヤギに近い体型を持ち、頭から二本の細長い角を持つ。
その角は、V字状に広がっており、僅かに前方に向かって反っている。
反っている理由は、突進をした時に敵を貫き安くするためだと言われている。
オリゲムズは、二体おり――
「ムゥゥゥゥ!! 」
うち一体が、頭を下げて角を突き出しながら、走り出した。
「来るか…」
そのオリゲムズが向かう先には、イアンがいる。
イアンに対して、突進を仕掛けたのだ。
「ヤギっぽい見た目で、予想を裏切らない攻撃っスね! 」
マコリアはそう言うと、左手に持つトライアンダッグを腰に戻し――
「黒い霧よ、我が腕に纏い形を成せ…ダークファンタジー! 」
左腕に黒い霧を纏わせた。
その黒い霧は、細長く伸び、タコやイカのようなしなる腕の形になった。
「それっス! 」
マコリアは、突進するオリゲムズの足に目掛けて、黒い霧を纏った腕――黒い腕を鞭のようにしならさながら、横に振るった。
パンッ!
「ムゥア!? 」
マコリアの黒い腕により足を払われ、オリゲムズは転倒する。
「よくやったぞ、マコ」
イアンは、転倒したオリゲムズの元へ向かい――
「ふっ! 」
無防備になった首に、戦斧を叩き込んだ。
「ムアッ!! 」
首を打ち付けられ、オリゲムズが短い悲鳴を上げた。
まだオリゲムズは死んでいない。
イアンの戦斧は、オリゲムズの骨を砕くことも、肉や皮を切り裂くこともできなかった。
「効かない…ならば」
イアンは咄嗟に、戦斧を左手に持ち替えると、オリゲムズの首に右手を当て――
「リュリュスパーク! 」
雷撃を放った。
「――!? 」
ほんの数秒の間、イアンの右手から規模の小さい雷が出ただけであるが、それで充分である。
その数秒の間で、雷はオリゲムズの体を内部から焼き尽くした。
オリゲムズに目立った外傷は見られないが、口や目から薄らを黒い煙が上がっていた。
「初めて見る雷撃魔法っス……地味だけど、威力は他の雷撃魔法に負けてないっスね」
マコリアがイアンの元へ駆け寄りながら、そう言った。
「妖精の力を使っているからな。あいつらが言うには、まだショボイらしい…」
「うへぇ、今のでショボイんっスか……妖精って、恐ろしいっスね」
「二人共、まだ戦いは終わっていませんよ」
会話をする二人に、ロシが声をかけた。
そのロシは残ったオリゲムズを目指して走っている。
向かってくるロシに対し、オリゲムズは身動き一つ取らずに、じっとしていた。
「動かない? どういうことだ…」
イアンは、オリゲムズの様子が不審に思った。
「あれは……魔法を撃ってくるっスね。ロシさん、気をつけてくださいっス! 」
マコリアがロシに注意を促した。
「……ムッアアアア!! 」
その瞬間、オリゲムズが雄叫びを上げた。
それと同時に、オリゲムズの角の間に白い光の塊が現れ、ロシに目掛けて真っ直ぐ撃ち出された。
「パワーショットっス! 」
楕円になった白い光塊を見つめながら、マコリアが声を上げた。
パワーショットとは、己の魔力を砲弾にして撃ち出す魔法である。
魔力の塊であるため、基本的には何の属性にも属さないが、火や風等の魔力を混ぜることで、その属性の魔力の砲弾を作ることが出来る。
魔法の中でも比較的簡単に取得が可能であり、極めれば上位の魔法と肩を並べるほどの威力にできる。
魔法使いのみならず、騎士や傭兵、冒険者等の魔法に特化した知識を持っていないものでも、行使できる者は多い。
魔物の中でも行使できる種族があり、オリゲムズもその中に含まれる。
撃ち出された魔力の砲弾がロシに向かって飛んでいく。
躱さなければ、体に当たってしまうのだが、ロシは避ける素振りを見せない。
「うおおっ!? 避けないで、そのまま突っ込むっスか! 」
回避行動を取らないロシに、マコリアは驚愕の声を上げる。
「……いや、躱すタイミングがまだ来ていないだけのようだ」
慌てるマコリアに対し、イアンの声は落ち着いていた。
彼は、手にしていた戦斧をホルダーに戻す。
その間に、ロシはオリゲムズに接近していくが、魔力の砲弾は彼の目の前に迫っていた。
「……」
その時、ロシの頬が僅かに吊り上がった。
ロシは、走る足を止めることなく、上体を前に傾けて身を低くする。
そうすることで、魔力の砲弾をくぐり抜け、オリゲムズの目の前に到達した。
この時のロシの体勢は、メルガフロラクタを振りかぶったまま、身を低くした状態である。
「ムアアッ!? 」
オリゲムズは、前足を振り上げて、慌ててロシから離れようとする。
ロシが魔力の砲弾を躱すとは思っていなかったのだ。
「遅い」
ロシが、メルガフロラクタを振り上げる。
「ムッ――!! 」
オリゲムズは、ロシのメルガフロラクタにより、逆向きの袈裟懸けに切りつけられる。
メルガフロラクタは、オリゲムズの頑丈な体をものともせず、肉を切り裂いていき――
ボッ…
オリゲムズの首を切断してしまった。
「ふぅ……これで終わりですね…」
ロシは、メルガフロラクタを鞘に戻しながら、そう呟いた。
「そいつの首を切断するとは……ロシよ、無茶はしていないだろうな? 」
ロシに歩み寄りながら、イアンが問いかける。
「いえ、まだ思うように力はでません」
「そうか……頼りになるが、あまり無茶はするなよ」
「はい。無茶はしませんよ」
ロシは微笑みながら、答えた。
「力を出し切ってないって言う割には、めちゃ強いっスね……っと、あれは…」
ふと、西へ顔を向けたマコリアの目に、何かが映る。
それは小さく、はっきりと見えないが――
「…村っスね。やった…村が近いっス」
それが村であることが分かった。
「イアン先輩!ロシさーん! 村が見えたっス! もうすぐ村に着くっスよー! 」
イアンとロシの元へ駆け寄りながら、マコリアがそう叫んだ。
「なに? 村が見えたか。なら、今日はそこで、休ませてもらうとしよう」
「そうですね……あと、ちょっと急ぎましょうか」
ロシが空を見上げながら、そう言った。
薄らと星空が見え始めており、夜になりつつあった。
「夜に村に入るのは、村の人達に申し訳ないな。よし、急ぐぞ」
「はーいっス! 」
三人は、西に向かって歩きだした。
明るいうちに村に入りたいため、歩くその足は、普段より速いものであった。
――夜。
イアン達は、村の中にいた。
その村の名は、ラクゴックといい、荒野に点在する村の中で、最東に位置する村である。
ラクゴックの近くには、草が生える一帯があり、そこで家畜を育てて、村の生計を立てていた。
村には商人が度々訪れることがあるため、宿屋が存在する。
イアン達は村に入り、村の者から宿屋の存在を知らされると、そこに向かった。
「おお? 見ないお客……最近珍しい……っと、いらっしゃい」
三人が宿屋に入ると、番台で何かの作業をしていた男が声をかけてきた。
その作業は片付けをしているように見え――
「すまない。もう店を閉めるところだったか」
イアンは悪いと思い、謝っておいた。
「いいや、お気になさらず。今日はもう、使わないだろうというものを片付けていただけです」
宿屋の男はそう言うと、番台に立った。
「それで、聞くまでもありませんが、お泊りで? 」
「ああ。二部屋頼めるだろうか? 」
「あれ? なんでっスか? 」
イアンの発言に、マコリアは首を傾げた。
「なんでって……女性と男性で、部屋を分けるのは、普通だと思うのですが…」
ロシが苦笑いを浮かべながら、そう呟いた。
「えー!? そんな理由で、ロシさんを仲間外れにするんっスか!? 」
「ん? ロシ……? ちょっと待て。それは、どういう――」
「そうですね。そちらの二人の女の子と、男性の方で部屋を分けた方がいいですね。空いている部屋はあるので、ご心配なく…」
イアンがマコリアに反論しようとした時――宿屋の男がそう言った。
「うーん…マコさんのせいで、おかしなことになりましたね……いや、宿屋の人の反応を見る限り、こうなることは必然ですか…」
「むぅ! ここでも女扱いか。ロシよ、ぶつぶつ言っていないで、オレが男であると説明しろ」
「そう言われましても……」
イアンに指示され、ロシは困った表情を浮かべる。
男だと分かっていても、イアンは女性に見えるのである。
仮に店の男を説得したとしても、自分が部屋で落ち着かなくなってしまうのだ。
「申し訳ありませんが、私は一人部屋を使わせて貰います! 鍵を…」
ロシは、イアンに深々と頭を下げ、店の男から鍵を受け取ると、そさくさと店の奥へ行ってしまった。
「あ……」
イアンは、咄嗟に声が出ず、去りゆくロシの背中を見つめることしか出来なかった。
「あーあ、行っちゃったっス……ま、しょうがないっスね。イアン先輩、突っ立てないでマコっち達も、部屋に行くっスよ」
マコリアは鍵を受け取ると、イアンを引っ張りながら、宿の奥に向かう。
「……お、おまえ達は良いのだろうが、オレは納得していないからな…はぁ…」
引っ張られるイアンは、そう言うだけで精一杯であった。
――深夜。
「む……」
ベッドで横になるイアンは、目を覚ました。
寝ている中、尿意を催してしまい、起きてしまったのだ。
「むぅ……用を足しに行ってくる…」
イアンは隣のベッドで寝るマコリアにそう言うと、部屋の外へ出た。
「……うーん……ラスっち…相変わらず、声ちっちゃいっスねぇ…」
マコリアの耳には入っていないようであった。
そんなことは気にせず、イアンは宿屋の中を歩き、厠を目指す。
「お…? 」
「む…? 」
細長い廊下を歩いていると、イアンは誰かと軽くぶつかってしまった。
ぶつかったことにより、イアンは完全に目を覚まし――
「すまん。少し寝ぼけていたようだ」
「すまない。考え事をしていて見ていなかった」
ぶつかった者に謝罪したが、相手も謝罪の言葉を口にした。
二人は、同時に謝罪の言葉を呟いたのである。
すると――
「おっと、気を使わせて…‥むっ!? 貴様は! 」
イアンがぶつかった相手――少女がイアンを見て、目を見開いた。
「……? 」
イアンは、その少女の反応に首を傾げる。
少女の髪は栗色で、長い長髪である。
服装は、旅人がよく身に付けているであろう長袖の服と、裾の長いズボン。
服の上から、軽るそうな鎧の胸当てをつけており、傭兵か冒険者の者であると推測できる。
一つ確かなことは――
「……どこかで、会っただろうか? 」
イアンが見たことのある人物ではないということであった。
「……! そ、そうか…そうだった。すまない、気にしないでくれ。知り合いの姿に似ていてな…」
少女は何かに気づき、そう答えた。
「そうか……では、失礼する」
イアンはそう言って、厠の方に行こうとするが――
「待て」
少女に呼び止められ、再び少女の方へ体を向ける。
「ここへは、何をしに来たのだ? 」
「……何故? そんなことを聞く? 」
少女に問いかけられたが、イアンは、その問いかけをした理由を聞き返した。
「わが……私が言うのも何だが、ここへ来る旅人は珍しい。気になるものだろ? 」
「むぅ、そう…だな。オレ達は、アロクモシアを目指している」
「アロクモシアを? 」
少女は怪訝な表情を浮かべる。
「ああ。エライエル……ヒリアソス山脈の東側から、そこを目指して旅をしているのだ」
「山脈を越えてきたのか……そうか…」
少女はそう呟くと、顎に手を当てて何事かを考える仕草をした。
少しの間、そのまま口を閉じていたが、やがて、少女の口が開かれる。
「一つ、言っておこう」
少女は手を下げ、真っ直ぐイアンに顔を向ける。
「この先……ずっと西へ進むと、魔族領になる。そこへは、足を踏み入れないことだ」
「魔族領? 」
「魔族が支配する土地だ。もし、その土地に入ったとしたら、貴様は生きてそこから出ることはないだろう」
少女がイアンを睨みつける。
「……そこを通らず、アロクモシアに行くことはできるか? 」
「ああ、辿り着けるだろう。だから、魔族領には入るなよ」
少女はそう言うと、踵を返して歩き去っていく。
その途中――
「……ああ、そうだ。一人の魔族から、貴様宛に伝言を預かっていたのだった」
少女は足を止め、イアンの方へ体を向け――
「貴様を倒すのは、我輩だ! 馬鹿なことをして、その命を散らすことは許されない。次、また会った時、貴様と戦い決着を着けるとしよう」
右腕を前に突き出しつつ、イアンに指を差しながら、そう言った。
この時も少女はイアンを睨みつけており、まるで伝言を預けた本人が言っているような、迫力であった。
「…以上だ。深く胸に刻んでおけ」
少女は再び踵を返して歩きさり、イアンの視界から姿を消した。
「……そんなことを言う魔族は、あいつしかいないな」
イアンも踵を返し、厠に向かう。
今、イアンの頭の中で思い浮かんでいる人物は、灰色の髪を持つ魔族の少女である。
「執着心の強い奴……他人を使ってまで、オレにそんなことを伝えたかったのか…」
宿屋の廊下を歩くイアンは誰に言うことなく、そう呟いた。




