二百三十九話 妖精の脅威 放たれる石弾の嵐
(そういえば、おまえはちゃんと見えているのか? )
歩くイアンは、ランガにそう訊ねた。
ケイバットの群れと戦った後、イアンとランガは、広い空間に戻り、別の通路に入っていた。
今の彼は通路を歩いている最中で、三人の人間が横に並べば、塞がってしまうほどの幅である。
しかし、高さには余裕があり、天井に頭をぶつける心配はなかった。
(……? どういうことでありますか? )
ランガが、首を傾げる。
彼女は今、イアンの右肩にしがみついた状態である。
どうやらランガは、その場所が気に入ったようだった。
上官と呼ぶ者の肩にしがみつくのは、失礼な行為になるだろう。
しかし、イアンはあまり気にしていなかった。
考えられる理由の一つとして――
「キィ!! 」
(む? またケイバットだ…)
(何度目でありますか……ストーンレインショット! )
ババババッ!!
「ギッ――!? 」
このように、ランガは魔物を手っ取り早く倒してくれるからだろう。
その見返りとして、イアンは何も言わないのだ。
(……視界のことだ。オレは今、暗闇の中でも昼間のように見ることが出来る魔法がかかっている。おまえもそういう類の何かをかけているのか? )
(そういうことでありますか。何もかけていませんよ)
(ほう、それはどういうことだろうか? )
(どういう……って、分からないであります。考えたことがないので…)
暗闇の中でも問題なく見える理由は、返ってこなかった。
(自分は妖精……という者でありますからね。人とは、違う体の構造をしているのでありましょう…)
(うーむ……見えるから、見えるのだろうということか? 本当に、不思議でいっぱいだな。おまえ達は…)
イアンは顔を横に向け、ランガの顔を見つつ、そう考えた。
(それは、お互い様でありますよ。自分も気になっていることがあります)
(ほう? それは、なんだろうか)
イアンは、歩く足を止めずに、ランガの声に集中する。
(では……何故、あそこにいたでありますか? )
(……あの広い空間のことか。実は……)
イアンは、坑道を通る理由と、広い空間にやったきた経緯をランガに説明した。
(はぁ…道が崩落したでありますか……なんか、揺れてるなと思ったら、それか…)
ランガは、坑道の道が崩落したことに気づいていなかった。
(意外だな。てっきり、崩落したのを察知して、オレの元に来たのだと思っていたぞ)
(それは、違うであります。自分は、上官の気配を近くに感じ、その気配を辿っただけであります)
(また上官か……本当に、分からん…)
ランガの言葉に、イアンは僅かに顔をしかめた。
彼女が使う言葉は、同族であろうリュリュやサラが比較にならないほど、イアンにとって意味不明であった。
(それはそうと、イアンさまは、西に向かうでありますか…)
頭の中で響いたランガの言葉は、何か含みがあるような言い方であり――
(なんだ? 何かあるのか? )
イアンは、それが何であるかを問いただすことにした。
(はっきりと言うことはできませんが、西の方……遠い場所から嫌な気配を感じるであります。恐らく…いえ、十中八九…イアンさまにとっては、良くないものでしょう…)
すると、曖昧な返答が返ってきた。
西に行けば、碌な目に遭わないだろうという推測しか立てられなかった。
従って――
(むぅ……アロクモシア。或いは、道中にその気配とやらが及んでいないと良いのだが…)
イアンは、そう願うことしかできなかった。
ランガの指示に従いながら、通路を歩くイアン。
度々現れるケイバットや――
(ランガ。あれは何だ? )
(マイティスパイダーでありますな)
マイティスパイダー等の魔物と戦いながら、上を目指して進んでいた。
マイティスパイダーとは、クモ型の魔物だ。
全長一メートルほどで、全高は三十センチほどの大きさである。
ケイバットと同様に生息地が広く、適応能力が高いのか、あらゆる環境で目撃されている。
その環境によって、僅かに生態が異なると言われており、この坑道内に生息するマイティスパイダーは巣を作り、得物を待ち構えることはない。
他の魔物と同じように、自分で得物を探し回る習性を持っていた。
それでも糸はちゃんと使っており、常に臀部から出ている。
目に見えなほど細いが頑丈で、道に迷わないための道標や命綱として使用されている。
その他、様々な魔物と戦いながら進むうちに、イアンとランガは、広い場所に辿り着いた。
そこはイアンが落ちてきた場所、つまり、本来進むべき道であった。
(ようやく辿り着いたか…)
(お疲れ様であります。後は、この道を真っ直ぐ進むだけでありますね)
(そう……だが、まだだ。ロシとマコ…剥ぐれた者達と合流しなければならない)
イアンは、幅の広い道の先に目を向ける。
一方の道の先は奥が見えず、その反対であるもう一方の道の先に目を向けると、やはり何も見えなかった。
(ランガよ、どちらが坑道の出口だろうか? )
どちらに行けばいいのか分からないイアンは、ランガに訊ねることにした。
(どちらもでありますね。えー……あっちが西の方、こっちが東の方になります)
ランガが、指を差しながら説明した。
その説明を聞き、イアンは――
(東の方に進もう。まだ、後ろの方にいるかもしれない)
東へ続く道へ進み、引き返すことにした。
(そうでありますか。なら、こちらに行くとしましょう)
(ああ)
イアンは、東の方角に体を向け、歩き始めた。
東へ続く道を選んだイアンは、順調に道を進んでいると言える。
何故なら、魔物と遭遇することなく、意外にも、この道が崩落の影響をあまり受けていないからだ。
道が塞がれていないことを見るに、イアンが落下した穴くらいしか、崩落したところは無いようであった。
(……ふむ…)
イアンが足を止め、下の方に目を向ける。
その視線の先に、自分が落下したであろう大穴があった。
穴の直径は広く、飛び越えて進むことが出来ないほどである。
(ここが崩落した所でありますか……)
(ああ、この穴から落ちたのだ。しかし、思ったよりもでかいな…)
(そうでありますな。自分、考えたでありますが、恐らくイアンさまのお仲間さん達は、迂回して進んだのでは? )
(オレもそう思う。なら……)
イアンは後方へ体を向けた。
これにより、イアンの体が向いている方角は西である。
(あの二人は、この先の道に出てくるかもしれない。今度は、こっちに向かって進むとしよう)
イアンは、西へ続く道を進み出した。
(うーん……余計な心配でありますが、こうして何度も行き来を繰り返す可能性が、あるかもですなぁ…)
イアンの右肩にしがみつくランガは、僅かに苦笑いを浮かべた。
(そうならないことを祈ろう。あいつらにも通信ができると、その苦労はないのだが…‥あ、そうだ)
その時――
ドォォン!!
進行方向の先から、轟音が鳴り響いてきた。
その轟音を耳にした瞬間、イアンは走り始める。
(うわぁ! な、何かが起こったようでありますな)
走るイアンから振り落とされないよう、必死に彼の右肩にしがみつくランガ。
(ああ。その中に、オレの仲間がいるかもしれん。急ぐぞ)
(い、急ぐのは、もちろんのことでありますが、さっきは何を思いついたので? )
(オレとおまえで手分けをすることだ。今、それをする必要はなくなったかもしれんがな)
走る速度を緩めることなく、イアンはランガの問いかけに答えた。
程なく、イアンの視界に、大型の魔物の姿が目に入る。
その魔物は、巨大なムカデの姿をしていた。
(はぁ!? あんな奴、この山…洞窟の中にはいないでありますよ!? )
イアンの頭の中に、驚愕するランガの声が響いた。
ランガは、その魔物を見たことが無いようであった。
(そうなのか……む! )
イアンは、鎌首をもたげるムカデの近くに、二人の人影を見た。
走ることで、その人影が徐々にはっきりと見えるようになり――
「ロシ! マコ! 」
その二人が、ロシとマコリアであることが分かった。
ロシはメルガフロラクタを、マコリアはトライアンダッグを手にしていた。
「イアンさん!? やはり、無事でしたか!」
「後ろにいたっスか!? 元気そうで、安心したっス! 」
イアンの声を聞き、二人が反応する。
「キッシャアアア!! 」
その間にも、魔物は二人に目かげて、首を突き出して攻撃してくる。
「むっ! 」
「このっ……感動の再会に水を差すなっス」
ロシとマコリアは、跳躍することで魔物の攻撃を躱した。
「無事…‥ではないが、これで合流できたな」
その二人の元に、イアンが辿り着く。
「それで、あの魔物はなんだ? 」
「イアンさんが落ちた穴があるのですが……」
「見てきた。あそこは、通れないな。やはり、迂回していたのか? 」
「そうっス。それで、通路? みたいな道を進んでいる途中で、あいつが現れたんっスよ」
マコリアが、エストックビーダーの先を魔物に向ける。
「……って、イアン先輩。その肩に乗っかってる…女の子は何なんっスか? 」
イアンを見るマコリアは、ランガの存在に気づいた。
「こいつは、ランガ。落下した先で会った妖精だ。無論、オレ達の味方だ」
「妖精……って…」
イアンの返答に、マコリアは表情を曇らせる。
(イアンさま、状況の確認はそれくらいに。今は、魔物を倒すことが先決であります)
(分かっている)
ランガの声に反応し、イアンは魔物の方に体を向け、ホルダーから戦斧を取り出す。
(と、言いましたが、ここは自分にお任せを…)
イアンの頭の中で、ランガの声が響くと、彼女がイアンの右肩から下りた。
そして、コロコロと転がりながら移動し、イアンの前方に立つ。
「む、何かする気だな? 二人共下がれ」
「妖精……という種族は、あまり知りませんが、見た目に反して、強い力の気配を感じますね」
イアンの声に従いロシが、イアンの後ろへ下がるが――
「……巫女の前ですら、滅多に姿を現さない妖精を……やはり、イアン先輩は、あいつと同じ…」
マコリアは、動かなかった。
考え事をしているようで、イアンの声が耳に入っていない様子である。
「キシャアア!! 」
そんな彼女に目掛けて、魔物が首を突き出し、口に並ぶ無数の牙で噛み付こうとする。
「くっ……何をしているのだ…」
イアンは、マコリア目掛けて走り出し――
「魔物の攻撃が来るぞ! 」
彼女の腕を掴んだ。
「え……イ、イアン先輩!? 」
イアンに自分の腕が掴まれるまで、イアンの接近に気づいていなかった。
「二人共、早く逃げてください! 」
イアンとマコリアに目掛けて、ロシが声を上げる。
「ちっ! 」
その声を聞き、イアンは――
「え……」
マコリアを自分の後方へ投げ飛ばした。
投げ飛ばされたマコリアは、何故、そうされたのかが分からなかった。
頭が真っ白の状態のまま、マコリアは、ふとイアンの方へ目を向けた。
「……! 」
すると、ようやく自分の状況を理解した。
今、イアンの前には、魔物の頭が迫っていた。
そして、イアンは避ける素振りを一切見せず、戦斧を構えて立っているのである。
彼は、マコリアを庇ったのだ。
しかも、魔物の首を止めるために、その場に留まり続けているのである。
その彼の後ろ姿を見て、マコリアは罪悪感でいっぱいになった。
「ゴロゴロ…」
ズドドドドッ!!
しかし、イアンに魔物の頭が衝突することはなかった。
ランガが、魔物の頭に目掛けて、無数の石弾を撃ったことにより――
「ギッイイイイ!? 」
それを受けた魔物が首を引っ込めたのである。
(ランガよ、遅いぞ)
(申し訳ありません。準備に時間がかかったであります)
ランガは、イアンに謝罪の言葉を送る。
そのランガの両手の指先の他に、多くの魔法陣が浮かび上がっていた。
(……その大量の魔法陣を作るためか? )
(はっ! その通りであります! 確実に仕留めたいので)
ランガはイアンにそう返すと、魔物に体を向け――
(全力を出させていただきます。ランドスリップサルボー! )
と、言い放った。
それと同時に、一斉に魔法陣から大量の石弾が撃ち出される。
魔法陣によって、石弾の形状や速度が異なるが、皆、魔物に目掛けて飛んでいく。
発射された石弾は、魔物の体を貫き、抉り、弾き飛ばしていく。
「――!? 」
その怒涛の攻撃に、魔物は悲鳴すら上げることはできなかった。
(……ふぅ…)
やがて、ランガが石弾を撃つことをやめた。
今の彼女の攻撃によって、魔物が倒されたかどうかは、言うまでもないだろう。
ランガが石弾を発射した方向には、魔物の肉片が転がっているだけであった。
「……ははは…これは、もう笑うしかありませんね…」
ロシが顔を引きつらせたまま、笑っていた。
強さの次元があまりも違うため、彼の言うとおり笑うしかなかった。
(やはり、やり過ぎ……と思えるほど、強いのだな。おまえ達は…)
イアンは、ランガに言葉を送りつつ、マコリアの元へ向かう。
「魔物は、ランガによって倒された。マコ、さっきは放り投げて悪かったな。怪我は無いだろうか? 」
マコリアの前で腰を下ろし、イアンはカバンの中に手を入れた。
怪我を治療する道具を探している様子である。
「…………いえ、怪我は無いっス。イアン先輩のおかげ…‥っス…」
しばらく呆けていたマコリアだが、程なくそう口にした。
「……見たところ……マコの言うとおりのようだな」
イアンは、立ち上がると、マコリアに手を差し伸べる。
「……」
マコリアが立つのを手助けするために差し出されたのであろうが、彼女はその手を掴まなかった。
ただ、差し出されたイアンの手を見ているだけであった。
「……一つ…いいっスか? 」
しばらくして、マコリアがイアンに訊ねる。
「イアン先輩は、自分を何だと思っているっスか? 」
「な、なんだ、いきなり……」
イアンは、マコリアの問いかけに戸惑いつつ考えてみる。
「……ふむ。オレは自分をイアン・ソマフだと思っている」
「……? それは、どういうことっスか? 」
マコリアは、イアン答えの意味を問いかけた。
「どういうこともない。オレは、オレだ。それ以外の何かであるつもりはない」
「…………そうっスか」
マコリアは、そう呟くと差し出されたイアンの手を取り、立ち上がった。
「……」
立ち上がってもなお、マコリアはイアンの手を離さず、その手を見続けている。
「……うまく言えないっスけど、イアン先輩に会えて……イアン・ソマフという人が、この世界にいてくれて良かった…と、思うっス」
「ん? よく分からないが、大げさだな。オレのような者など、世界にはいくらでもいるだろう」
「あはは…そう…だといいっスね」
マコリアは微笑むと、イアンの手を離し――
「さて! 早く坑道を出るっスよ! 」
西へ続く道の先を目指して歩き始めた。
「……イアンさん、なんか……マコさんの雰囲気が変わりましたね」
ロシがイアンの隣に立ち、そう呟いた。
「そうだな……少し変わったようだな。何があったかは知らんが」
「ええ。でも、いい雰囲気になったと思いますよ。流石、イアンさんですね」
「褒められる意味が分からんが、良しとしよう」
イアンはそう言うと、マコリアと同じように、西の道を目指して歩き始める。
ロシもイアンに続いて歩き出し、ランガは再びイアンの右肩にしがみついた。
この時、後ろを歩くイアン達には見えないが、マコリアは微笑んだままであった。
西へ続く道を真っ直ぐ進むイアン達の目に光が入る。
その光を目指して進み続けると、彼等は坑道の外に出ることができた。
外に出たイアンが開口一番、言った言葉はこうだった。
「……東側とは、だいぶ景色が違うのだな…」
坑道の外に出て、見えた景色は、緑が極端に少ない荒野であった。
見渡す限り荒野が広がっており、砂を巻き上げているのであろう茶色の風も見受けられた。
「アロクモシアがあるヒリアソス山脈の西側は大部分が荒野っスよ」
「そうなのか? こんな荒野の中、よく国が作れたな…」
「アロクモシアの近くには海がありますからね。他国と貿易することで栄えたのでしょう」
「ああ、そういえば港があり、そこを目指しているのだった。さて……」
イアンは空を見上げて、太陽に目を向けた。
太陽は、真上から少し進んだところにあった。
「まだ日が落ちるまで時間がある。少しだけ、先に進むとするか」
イアンがそう言うと、三人は荒野に向かって歩き出す。
(イアンさま~お達者で~)
一人、ランガが立ち止まっていた。
「ランガ……ああ、リュリュ達のように、離れられないのだな…」
イアンは顔を振り向かせ、ランガを見る。
彼女はイアン達に向かって手を振っていた。
(ランガよ、おまえがくれた力は……使う時が来たら、使うとしよう)
イアンは足を止め、手を振るランガにそう言葉を送った。
(何でありますか、その言い方は! じゃんじゃん使ってくださいよ! )
(首を痛めるから嫌なのだ。そのうち、おまえを呼び出さる日が来るだろう。その時に、存分に力を使ってくれ)
(はっ! 分かりました! その時は、なんなりとお呼び下さい! )
ランガは姿勢を正して、敬礼をした。
(うむ。では、またな)
(また会える日を楽しみにしているであります! )
ランガの声を聞くと、イアンは再び歩き出した。
「あの妖精さんに別れの挨拶を? 」
イアンの隣を並び歩きながら、ロシが訊ねてくる。
「いや、再会の約束というやつだ」
ロシの問いかけに、イアンはそう答えた。
荒野という不毛な大地を進むイアン達だが、彼等の歩く道は、太陽に照らされて明るくなっていた。




