二百三十八話 石の弾丸
東から西へ、真っ直ぐ伸びている坑道の道。
その下には、広い空間にイアンはいた。
マコリアと離れた今も、彼女の行使した魔法――ダークビューの効果は消えず、彼の視界は、闇の中であるにも関わらず、明瞭である。
今、イアンの目の前には、妖精と思わしき、一人の少女が立っていた。
(名前が無い。おまえ達は皆、名前が無いのだな…)
その少女の顔を見ながら、イアンは心の中で、そう呟いた。
(生まれてから、名前というものが必要なくて…)
少女は、申し訳なさそうに、顔を俯かせる。
(ふむ……ならば、名前を付ける必要があるか…)
イアンは、腕を組んで、思考に耽る。
しばらく、姿勢を変えることなく、動かなくなるイアン。
(おお…自分のために思い悩んで下さるとは……)
そんな彼の姿を見て、少女は感激したようで、体を震わせていた。
やがて、組んでいたイアンの腕は解かれ、彼は視線を少女の顔に向ける。
(……ランガ…というのは、どうだ? )
(ランガ……ランガ軍曹! はっ! 有り難く頂戴します! これより、自分はランガと名乗ります! )
少女――ランガは、姿勢を正し、右手を上げつつ肘を曲げ、その手の先を自分の額に向けた。
(気に入ったようで何より……それで、その手は何なのだ? )
イアンは、ランガの取る仕草が気になり、彼女に訊ねる。
(はっ! これは、敬礼というものであります! 上官にする挨拶のようなものです! )
(上官? おまえを部下にした覚えはないが……)
(……自分の中では……失礼、名前は何と? )
顔をしかめた後、ランガはイアンに名前を訊ねた。
彼は、まだ彼女に名乗っていなかったのだ。
(ああ、言ってなかったな。イアンだ)
(イアンさま……自分の中では、イアンさまは上官であります! )
(うぅむ……好きにしてくれ…)
少し思うことがあったが、言っても無駄だろうと判断し、イアンは諦めた。
(して、おまえは、オレに力を貸してくれるのか? )
(それは、もちろん。では、早速……)
ランガがイアンに歩み寄ってくる。
そして、彼女は右手を前方に突き出し、イアンの体に触れた。
(むむっ、もう二人の我が同胞……と、聖獣殿と契約していましたか! 流石であります! )
(流石……流石なのか? )
ランガに賞賛されるイアンだが、彼はよく分からなかった。
(……)
その後、ランガはじっとしたまま動かなくなった。
イアンが彼女の顔に視線を向けると、額に薄らと汗が滲んでいることに気づく。
何があったのか、イアンは一応訊ねることにした。
(……どうした? )
(……いや……なかなか……すごい感じになって……すごいであります…)
(……他の奴等みたいに、素直にしょぼいと言えば良かろう)
(ええっ!? そ、そんな失礼なことを……わ、我が同胞が失礼を…)
イアンの体に触れながら、ランガは頭を何度も上げ下げした。
(いくら、イアンさまの能力がゴミクズほどのレベルだからって、はっきり言うのは、あんまりだと思います! )
(うぅむ……おまえが一番ひどいぞ…)
イアンは、僅かに顔を歪めて、悲しい表情を浮かべた。
(それで? おまえは、オレのどこを使うのだ? )
(……左目にしましょう。少し時間が掛かるであります…)
イアンにそう伝えた後、ランガは動かなくなった。
しばらくすると、彼女は右手を下げ、イアンから離れる。
(これで、イアンさまもランガの能力…の一部を使えるであります。こちらへ…)
ランガは体を丸めると、コロコロと転がりながら、坂を登っていく。
(どこへ向かうつもりだ? もしや、出口に案内してくれるのか? )
(いえ、違うであります。出口は、また後で案内しますが、先に魔物の巣へ向かいであります)
イアンが訊ねると、ランガはそう答えた。
(魔物の巣? 何故だ? )
(ここに住み着いた魔物を倒しつつ、ランガの力の使い方をレクチャーするであります。詳しく説明する必要があるので…)
坂の上に辿り着き、直立した姿勢になると、ランガはそう答えた。
ランガの後についていくと、多数の穴の一つにイアンは足を踏み入れた。
その穴は通路のようで、先を目指して進んでいると、別の空間に出た。
そこは、イアンが落下して辿り着いた空間より、狭い場所で――
(……魔物の巣? )
魔物も物珍しい物の無い、何もない場所であった。
(ちゃんといるでありますよ)
直立で立つランガが、上の方へ指を差す。
イアンは、彼女が差した指の先に、目を向けると――
「うっ…!? 」
顔を引きつらせた。
ランガが指を差した先は、この空間の天井部分。
その天井部分には、びっしりと黒い何かが佇んでいた。
(あれは、ケイバットと呼ばれているコウモリ型の魔物の群れであります)
ランガが、指を差したまま、イアンにそう伝えた。
ケイバットとは、ランガの言うとおり、コウモリ型の魔物である。
この魔物は、この山だけではなく、世界各地の洞窟で目撃されている。
頭から足下までの高さは、一メートルほどだが、翼はそれよりも長く、翼を広げる姿はより大きく見える。
血を吸うことはなく、噛み付き、突進等しか攻撃方法は無い。
しかし、それは単体でのみ言えること。
群れに遭遇し、戦闘になった場合、何の策も無く囲まれてしまえば、集団で襲われ、手練の戦士でもひとたまりもにだろう。
(流石に数が多すぎるであります。少し、数を減らすであります)
ランガは、拳を握った状態の両手を、ケイバットの群れに向けて突き出した。
その後、両手の人差し指と中指を前に伸ばし――
(ストーンレインショット! )
と、ランガが叫ぶ声がイアンの頭に中に響いた。
すると、ランガの伸ばされた両手の指先に、光る茶色の魔法陣が浮かび上がる。
ババババッ!
その魔法陣から、石が連続して発射されていく。
発射された石の速度は凄まじく、真っ直ぐ飛んでゆき――
「ギキッ――!? 」
「キィ――!? 」
逆さまの状態で、天井に張り付いていたケイバット達の体を貫いていく。
ランガは、広範囲に石が飛ぶよう、あらゆる方向に左右の手の指先を向けていく。
「凄まじいな。一方的ではないか…」
次々と、落下するケイバットの死体を見て、イアンは思わず、そう呟いた。
(……ふぅ、だいぶ数が減った…であります)
やがて、ランガは左右の腕を下ろし、石の発射をやめた。
びっしりと天井に張り付いていたケイバットの大半は、地面に転がり、生き残ったケイバットの数は、十匹ほどまで減っていた。
その生存したケイバットは攻撃を仕掛けられたことに興奮し、あちこちを飛び回っている。
(残りをイアンさまに倒してもらいます)
(…‥だが、あの手の魔物には、オレの攻撃は当たらない)
(今までは、そうだったのでしょう……しかし、今は自分の力を使えます。ちょっと…失礼します)
ランガは、体を丸めてコロコロと地面を転がり、イアンの元へ向かう。
彼に辿り着くと、ランガは転がりながらイアンの右肩によじ登った。
(まず、左目を閉じて、照準! と言います)
「照準」
イアンは、ランガの指示に従った。
すると、イアンの左目の前に、魔法陣が浮かび上がる。
その魔法陣は、ランガの指先に現れたものと同様に、光る茶色である。
(……これでいいのか? )
イアンが、ランガに訊ねた。
魔法陣は、イアンからは見えないのだ。
(ちゃんと、出来ているであります。そのまま、左目を閉じつつ、ケイバットを見てください)
イアンは、飛び回っているケイバットの一匹に顔を向けた。
(左目が真っ直ぐケイバットに向くように……そう、その感じで、ランガ・ストーンショットと言ってください)
「ランガ・ストーンショット」
イアンが、口でそう言うと――
ババババッ!
左目の前に発生した魔法陣から、石が飛び出した。
連続して石が発射され――
「ギッ――!? 」
そのいくつかが一匹のケイバットに命中する。
石は、ケイバットの体を軽々と貫いていた。
「おお! ランガのように、石が出た」
石を発射できたことに、イアンは思わず、声を上げた。
(初めてなのに、当てるとは、流石がであります! )
ランガがイアンに賞賛の声を送る。
(弾を撃ち出す武器は使ったことがあるのだ。あと、これ…首に来るな…)
イアンが首を捻る。
ストーンショットは、左目の魔法陣から石を発射する。
その時、石を発射した衝撃が発生し、その度にイアンの首を僅かに痛めつけていた。
(おおっ! 射撃の経験がありましたか! 道理で……と、言ってる場合ではありませんね)
イアンの元に二体のケイバットが向かってくる。
心が落ち着き、攻撃してきたイアン達へ、反撃をしようというのだ。
(来たか……ならば、ストーンショットで撃ち落とすか)
イアンは、二体のケイバットに顔を向けて見据える。
(いや別の石弾を使いましょう。奴らの接近を待ってください)
(なに? ストーンショットだけではないのか? )
右肩にしがみつくランガに、驚愕した表情を向けるイアン。
(イアンさまは、現在……三種類の石弾を使えます。ケイバットが接近します。イアンさま、前を向いてください。)
ランガの声に反応し、イアンは前方に顔を向ける。
二体のケイバットは、二十メートルほど手前まで迫っていた。
(……そろそろであります。ランガ・ショットブラストと、言ってください)
「ランガ・ショットブラスト! 」
ザアッ!!
イアンが、声を上げた瞬間、左目の魔法陣から、無数の石弾が一斉に発射された。
その石弾の一つ一つは、目で捉えるのがやっとなほど小さい。
一斉に発射されたことによって、イアンの目の前から広範囲に撃ち出され、やがて霧のように消えていった。
ストーンショットと違って、攻撃範囲は広いが、その分射程が短いようである。
「……石の霧……霧のように石を吹き付けたな。あと…これも、少し首に来る…」
ショットブラストを放った後、イアンは手で首を押さえながら、そう呟いた。
そして、接近していた二体のケイバットが消えていることに気づく。
(ランガよ、ショットブラストは外してしまったのか? )
ケイバットの死体が見つからないことから、イアンは攻撃が外れたと思っていた。
しかし――
(いえ、ちゃんと当たりましたよ。ショットブラストが、跡形もなくケイバットの体を削ってしたった…のであります)
ランガは、イアンにそう返した。
ショットブラストは、無数の小さい石弾を勢いよく一斉に吹き付ける技である。
その一つ一つの石弾が、対象物、あるいは対象となる者の体を削っていくのだ。
(ケイバット程度の魔物の体なら、跡形もなく肉体を削ることができますが、ショットブラストを攻撃目的で使うことは少ないと思われます)
(どういうことだ? )
(ショットブラストは、射程範囲のものを削り取ることができる…魔法か飛び道具を防ぐのにも使えるであります)
(なるほど。防御が困難な攻撃を防ぐのに、使えるわけか)
(その通りであります! さ、この調子で他のケイバットを倒しましょう! )
その後、イアンは、ストーンショットを使って、残りのケイバットを撃ち落としていく。
次々と、ケイバットが地面に倒れていくが――
(……む? )
残り一匹というところで、ストーンショットが放たれなくなった。
(ああ、残弾が尽きたようでありますね…)
(残弾……やはり、そういうのがあったか…)
イアンは、僅かに肩を落とした。
強力な能力には、制限がつく。
そのことをイアンは、思い出したのだ。
(ストーンショットは五十発、ショットブラストが二発、三つ目の石弾が一発……になるであります)
(……ということは、ショットブラストと、その三つ目とやらが、それぞれ一発ずつしか残っていないのか…)
イアンは、最後の一匹のケイバットに目を向ける。
そのケイバットは、イアンから遠く離れた位置を飛んでおり、近づいてくる気配はなかった。
(……三つ目を使うしかないか。それで、何と言えばいい? )
(ロックピアス…‥ですが、これは装填…‥準備が必要であります。とりあえず、ロックピアス装填と言ってください)
「むぅ……ロックピアス装填」
イアンがそう言うと――
カチッ!
頭の中で、何かが開いた音が響いた。
(今の音は? )
(装填が開始された音であります。それから、だいたい五分後に装填が完了します)
(五分後だと? 時間がかかる…)
イアンは、僅かに顔をしかめた。
(あと、装填してから、ロックピアスが発射されるまで、他の石弾は使えません)
(……制限が凄まじいな。その分の見返りはあるのだろうか…)
イアンがそう思っていると――
「キキッ!! 」
ケイバットが旋回し、イアンに向かって飛んでいく。
(くっ…こんな時に……)
(せっかく装填したのだから、今は躱すしかありません。イアンさま、頑張って! )
(危険だと、判断したら斧で迎撃するからな)
イアンは、ランガへそう言葉を送ると、突進してきたケイバットを横に飛んで躱す。
その後もイアンは、突進を繰り返すケイバットを躱し続ける。
装填を始めてから、五分経った時――
ガコン!
イアンの頭の中で、何かが転がる音が響いた。
(イアンさま! 装填完了です! 発射する時は、ロックピアスと! )
(分かっている! )
イアンは、突進してきたケイバットを躱し――
「ロックピアス! 」
振り向きざまに、そう言い放った。
ズドンッ!
激しい音と共に、先端の尖った石弾が発射される。
「ぐわああっ!! 」
それと同時に、イアンの首に凄まじい衝撃が走る。
発射した主をよそに、石弾は飛び去っていくケイバット目掛けて飛んでいき――
「――!? 」
そのケイバットの頭部に命中した。
ケイバットは悲鳴を上げる間もなく絶命し、地面に倒れ伏した。
石弾は、ケイバットの頭部を貫き、その奥の壁面に深々と貫いていった。
(見ましたか? イアンさま! 凄まじい威力でしょう……って、どうしたでありますか? )
ロックピアスの威力に、歓喜の声を上げるランガだが、イアンはそれどころではなかった。
彼は、手で首を押さえながら、蹲っているのだ。
(これは……痛い…できれば、使いたくない…)
ロックピアスが発射される衝撃は、イアンの首に激痛が走るほどの負荷がかかる。
故に、イアンは、もう使いたくなかった。
(え、えぇ……慣れたら、連射できるようになるでありますよ? )
(慣れるまでに、死んでしまう…勘弁してくれ…)
イアンは、しばらく首を押さえたまま動けなかった。




