二百三十一話 森の中の尾行者
午後、まだ太陽は真上に来ていない。
それを確認できない場所の一つが、ランドウラルードの森だ。
その森は、ウルドバラン大陸の中央、エライエルの北に広がっている。
西側にあるヒリアソス山脈のふもとから、東のユーン大河まで広がっているので、エライエルから北にある村や町に行くのならば、必ず通らなければならないだろう。
森の中は、木々の密集している場所が多く、行商の旅人が通る道は狭い。
見上げれば、木々の葉で埋め尽くされているため、森の中から空を見ることはできないのだ。
「……ふぅ…なかなか、いい森だな」
森の中にて、一本の木の前に腰を下ろしたイアンが、そう呟いた。
「イアンさんには、分かるのですか? 」
彼の後ろに立つロシが、イアンに訊ねる。
エライエルを出たイアンとロシは、今、ランドウラルードの森にいた。
「ああ。生えている木も多種多様で、色々な物に使える。そして、何よりは薬草が沢山生えていることだ。ほれ」
イアンは立ち上がると、ロシに体を向けて、右手を差し出す。
彼の右手には、一本の草が握られていた。
「ほれ……と、言われましても……うーん、ただの草にしか見えません…」
「……だろう…な。だが、これは使える草だ。進む途中で、これと同じ薬草を見かけたら取っておいてくれ」
イアンはそう言うと、握っていた薬草をカバンの中に入れた。
「……すみません…お役に立てなさそうです…」
薬草を見分けられないロシは、項垂れた。
「むぅ……仕方ないか…」
イアンは残念そうな顔をすると、森の出口へ続いているであろう道を進み始める。
ロシもイアンに続いて歩き出した。
「……その薬草、私の毒を治すのに使えますか? 」
歩いている途中、ロシがイアンに訊ねた。
「いや、使えない。薬を使えば、死ぬと言っただろう…」
「いえ、それは分かっているのですが……栄養を取るために作られたものはどうかと思いまして…」
「栄養を取る…? ああ、栄養剤のことか。あれもやめておこう」
「何故ですか? 」
ロシは、イアンの発現に疑問を持った。
「栄養剤の多くは、体の疲労を取り除くため……体に無理をさせる時に使われる。それ以外にも、不足している栄養を取るための物があるが、それらに頼るのは危険だ」
「……」
ロシは、口を開くことなく考え始める。
そして、ようやく口が開き――
「毒……毒性が含まれてるかもしれない……ということでしょうか? 」
と、言った。
「そうだな。何が入っているか分からん物は口にしないほうがいい。薬草の類とかは特にな…」
「うう…何を食べれば、いいのか……」
イアンの答えを聞き、ロシは渋い顔をする。
「そう悩む必要はない。ただうまい物を食っておけばいいのだ」
「旨いもの? 」
「ああ……そうだ、森を出たら村か町を探そう。そこで鍋と米を買うのだ」
イアンは、何かを思いついたかのように声を上げた。
「……なんか、迷惑かけてますね……すみません…」
ロシは、イアンに対して申し訳のない気持ちになった。
イアン達が森の中に入ってから、二時間の時が流れる。
「キッイイイ…」
「キルッルル…」
今、イアンとロシは互いに背中を合わせた状態で、魔物に囲まれていた。
「狼型の魔物……この類の魔物は、どこにでもいるのだな…」
イアンは、右手の戦斧を構えながら、そう呟いた。
「ヴァンプルフ……血を吸う狼型の魔物です。噛まれないように気をつけてください…」
ロシは、一本のメルガフロラクタを両手で構えている。
二人は、周囲を取り囲むヴァンプウルフを睨みつけていた。
「……動かないな。こちらから仕掛けるか? 」
「…‥いえ、ここは反撃主体で戦いましょう。木々で囲まれている中、動き回るのは危険です」
ロシにそう言われ、イアンは周りを見回す。
周囲は、やはり木々に覆われている。
「……伏兵か。確かに、いたら厄介だな」
ロシが懸念したのは、死角からの攻撃である。
森の中は、木という障害物が多い場所。
それを利用して、攻撃を仕掛けられれば、苦戦を強いられることは明白なのだ。
「オレは……いや、油断できないか…」
元木こりであったイアンは、危惧しなかった点である。
しかし、絶対ということはない。
「ならば、迎え撃つか」
イアンは、戦斧を握り締め、ヴァンプルフ達を見据える。
「キィィヤアアア!! 」
すると、一体のヴァンプルフが動き出した。
そのヴァンプルフは、ジグザグに方向転換しながら走り――
「キュルルアアッ! 」
口を大きく開いて、イアンに飛びかかった。
「ふっ! 」
イアンは、飛びかかってきたヴァンプルフの顔目掛けて、戦斧を横降りに振るう。
「アブッ――!! 」
戦斧は、ヴァンプルフの顔の左頬に打ち付けられた。
ヴァンプルフは、顔を破壊され、イアンの側面方向へ飛ばされていった。
「キッ――!? 」
仲間が倒されたことに、他のヴァンプルフは、僅かにひるむ。
「やるね、イアンさん」
背中越しに、ロシがイアンを賞賛する。
「まだ一体……あと、七体ほどいるが……」
戦斧に付いた血を払い、イアンは、残りのヴァンプルフに目を向ける。
皆、仲間が倒されたことで、イアンを睨みつけていた。
そして――
「キュルアッ!! 」
「クルルルッ!! 」
ヴァンプルフ達は一斉にイアンとロシ目掛けて、飛びかかった。
一人ずつでは、勝てないと思い、全員で攻撃を仕掛けることにしたのだ。
「全員で来たか…」
イアンは、ヴァンプルフ達を返り討ちにしようと、戦斧を振りかぶる。
しかし――
「ここは、私に……イアンさんは、しゃがんでてください」
「む? 分かった」
ロシの言葉に従い、イアンはしゃがみこんだ。
「この程度、私がどんな状況であっても、遅れは取りません」
ロシは、そう呟くと同時に、メルガフロラクタを右へ振りかぶる。
そして、ヴァンプルフ達との距離が狭まった時――
「それっ! 」
メルガフロラクタを左へ振り回した。
「ギッ――!? 」
「ガッ――!! 」
ロシの前方にいた二体のヴァンプルフは、横に真っ二つにされて地面に落ちる。
彼が振るうメルガフロラクタの勢いは止まらず――
「ブッ――!? 」
「キイイイ――!! 」
「ギャア――!?」
左側面、背後と次々とヴァンプルフを切り裂いていく。
「……ふぅ…」
やがて、メルガフロラクタは、ロシの周囲を一回転し、彼の前方に戻ってくる。
「……すごい……大会で優秀な成績を取ったこと、疑う余地はないな…」
ロシは一振りで、七体のヴァンプルフを倒してしまったのだ。
しかも、ただ倒したのではない。
例外なく、切り裂いたヴァンプルフを真っ二つをしたのだ。
それは、一振りの中で、振るう力が弱まっていないことを指す。
「はぁ、こうやって楽をするのも戦いに大事なことだね…」
ロシは、額の汗を拭う仕草をすると、メルガフロラクタを背中の鞘に戻した。
「その武器……長さと重量を活かした武器のようだが、それを二本も扱えるのか? 」
「ええ……今は、そんな無理はできませんが、扱えます」
「……すごい……やはり、男と生まれからには、そういう豪快な武器を振り回すのに限るな。オレも、いつかはロシのような体型になるとしよう」
イアンは、戦斧をホルダーに戻すと、再び道を進みだした。
「うーん……私みたいなイアンさんか…」
ロシは、自分のように筋肉が付いたイアンの姿を創造する。
「……ああ……はい…」
ロシは真顔で、首を横に何回か振ると、何事もなかったかのように、イアンの後についていった。
「……」
イアン達が歩く後方、そこに生える木の影に、一人の人物がいた。
前方の二人に気づかれまいと、その人物は木の影から別の木の影に移動しながら追っていく。
その人物が見ているのは、イアン。
イアンをじっと見つめるその人物は、時折、首を傾げる仕草をしていた。
「イアンさん……気づいてますか? 」
森の中の道を歩く途中、ロシが前を歩くイアンに話しかける。
「ああ、気づいている……」
「……ずっと……ですね。間違いなく、狙いは私達……もしかしたら、イアンさんが、狙われているかも…」
「……いや、違うな」
イアンは、ロシの言葉を否定し――
「狙っているのは、オレだ! 」
前方に向かって走りだした。
「え? イ、イアンさん!? 」
突然の行動に、ロシは狼狽えながら、彼の後を追っていく。
程なく、イアンに追いつくと、彼は木の前でしゃがみこんでいた。
「どうしたのですか? イアンさん」
彼の後ろから、ロシが訊ねる。
「見ろ、ロシ」
イアンは、振り向くと一本の薬草らしき物をロシの顔に向かって突き出した。
「……それは…珍しい物なのですか? 」
「ああ。これは、ナール草だ」
イアンが、握ている薬草は、ナール草であった。
彼は、前方の木の傍に生えているナール草を見つけていたのだ。
「どの環境に生えているかが、まだ分からなく、見つけるのが困難な薬草でな。こいつは、どんな病にも効く……可能性があるらしい」
イアンは、ロシにそう説明すると、手にしたナール草をカバンの中にしまう。
「おお! 凄いものを見つけましたね! ……でも、これも薬草ですか…」
ロシは、嬉々とした声を上げたが、すぐに暗いものになった。
「……? 何を落ち込んでいる? 」
イアンは、暗い顔をするロシを見つめながら、立ち上がる。
「……それも、薬草の一つ。どんな病も治す……万能薬の材料であっても、今の私には使えないのでしょうね…」
「…………」
ロシの言葉を聞くと、イアンは顔を俯かせて、黙り込んでしまった。
その様子が、何かを考えているように見えたので――
「……どうかしましたか? 」
ロシは、何があるのか訊ねてみた。
「……今は、薬草…と言われているが、もしかしたら違うものかもしれない…」
「それは……」
ロシが再び訊ねようとした時――
「このナール草……調理をしなくても、美味いのだ……すごくな…」
イアンの口が開かれ、ゆっくりとそう呟いた。
イアン達がランドウラルードの森に入ってから、四時間の時が経つ。
彼は未だに、森の中を進んでおり、前方の視界は木々ばかりである。
「イアンさん……」
そんな中、ロシが前を歩くイアンに声をかける。
「なんだ? 」
イアンは、ロシに振り向くことなく返事をした。
「さっきも言いましたが、私達の後を追っている者がいます」
「なに、そうなのか? もっと早く言えよ」
「……言いましたよ…」
ロシが力なく、そう呟いた。
「それで、どうしましょう? 」
「……無視してもいいだろう…」
イアンは、歩く速度を緩めることなく、そう言った。
「後をつけられるのは、気味が悪いが、こちらから動いて、そいつを刺激することもないだろう」
「……それも一理ありますね……ですが、少し気になります…」
「なに? 」
イアンが、後ろへ耳を傾ける。
「先程から、私達をつけている気配……ただ者では、無いような気がするのです…」
「ただ者ではない……強いのか? 」
「……いえ……強くは……ないと思います。しかし、異質というか、何というか……何とも言えませんね」
「そうか……そういえば、気配は一人だけか? 」
「……恐らく…」
「ならば、こちらが動いてもいいか…」
イアンはそう呟くと、立ち止まり、体の向きを後方に向ける。
「どうするのですか? 」
イアンと向かい合うロシが、彼に訊ねる。
「炙り出す……もしかしたら、戦闘になるかもしれん。すまないが、準備をしてくれ」
「……分かりました…」
ロシは頷くと、背中のメルガフロラクタの一本に手をかけた。
その間に、イアンは五歩ほど歩き――
「おい! 隠れている奴、こそこそしていないで出てこい! 」
と、声を上げた。
しばらく、様子を見るが、誰かが現れる気配一向になかった。
「そうか……聞け! ここには、ユンプイヤにあるゾロヘイド…そこで開かれている大会で、優勝した経験を持つ者がいるぞ! 」
「……残念ながら、優勝はしていませんよ…」
イアンの後ろで、ロシが小声で、そう呟いた。
「お前が、どこにいるかは、把握している! 今、おとなしく出てこなければ…………ひどい目に遭うぞ! 」
「……なんか、間がありましたね……大丈夫でしょうか…」
ロシが苦笑いをしながら、そう小声で呟いた。
イアンの言葉は、これ以降口を開くことはなかった。
彼が口にしているのは、ハッタリである。
ロシが強いのは事実であるが、尾行している者の位置は分からない。
効果が無かった後の行動は、考えていなかった。
「……」
しばらく時間が経つが、誰も現れない。
そのため、イアンはもう一つのハッタリを言おうと口を開き――
「……」
すぐに、口を閉じた。
何者かが、木の影から姿を現し、イアン達の前方に現れたのだ。
「……あの……き、危害を加えるつもりはありませんでした……っス。の、ので、勘弁してくださいっス…」
現れたのは、一人の少女であった。
自分に攻撃の意思がないことを伝えるためか、彼女は両手を上げている。
彼女の体は、ブルブルと震えており、目元には涙が滲んでいた。
2016年10月21日―誤字修正
彼女の体は、ブルブルお震えており、目元には涙が滲んでいた。 → 彼女の体は、ブルブルと震えており、目元には涙が滲んでいた。
2016年10月22日―文章おかしい
「そうか……聞け! ここには、ユンプイヤにあるゾロヘイド…そこで開かれている大会で、優勝した経験がある! 」
↓
「そうか……聞け! ここには、ユンプイヤにあるゾロヘイド…そこで開かれている大会で、優勝した経験を持つ者がいるぞ! 」




