二百二十一話 時計塔の戦い再び
ケージンギアの時計屋が爆発してから、少しの時間が経過した頃。
「え……何かあったの? 」
イオは、その時計屋がある街路にいた。
今の彼女の服は、花屋の時の服ではなく、薄い桃色の服と白いスカート。
イオは、ケージンギアに遊びに来ていた。
異変を感じた彼女が目を向けているのは、同じ方向に向かって行く人々。
ただ進行方向が同じという雰囲気ではなく、同じ場所に向かっているという雰囲気をイオは感じ取ったのだ。
その人々がどこに行くかを知るため、イオは耳を澄ましてみる。
「……おい、本当かよ? 」
「本当だって! また店が爆発したらしいぜ! 」
すると、どこかの店が爆発したことが分かった。
「爆発……あの時と同じ…」
イオの脳裏に、喫茶店が爆発した時の記憶が過る。
次々と浮かび上がっていく中で、一番頭の中に残ったのは――
『…………む……? イオ、どうした? 』
駅前に戻る時に、ようやく自分の声に反応したイアンの姿であった。
「……イアンさん……」
イオは、人々が進んでいく方向に顔を向ける。
「……! 」
そして、イオはその方向に向かって走り出した。
イアンがその爆発した場所にいるのではないかと、思ったのだ。
「はぁ……はぁ……本当に爆発が……」
しばらく走り続けると、イオは爆発が起きたであろう場所に到着し、足を止める。
そこには多くの人々が集まっており、その先には瓦礫の山があった。
「押さないで! 危険ですので、離れてください! 」
人だかりの先に目を向けると、そこには複数の警士隊がおり、瓦礫の山に人が近づかないよう手を広げている。
その後、イオは周りを見回しながら、人だかりに向かっていく。
一通り周囲を見回したが、彼女の目にイアンの姿は映らなかった。
「いないのかな……良かった…」
イオは、ここにイアンがいないと判断し、ホッと息をつく。
「応急手当はされてるが、だいぶ出血しいる。急ぐぞ! 」
その時、医療院の医師達が担架を運んで走ってきた。
(怪我人が出てたんだ……)
イオは、こちらに向かってくる医師達を見て、そう思っていた。
やがて、その医師達とすれ違い――
「……えっ!? 」
イオは振り返り、すれ違った医師達の背中に顔を向ける。
その彼女の顔は真っ青で、信じられないもの目にしたかのようだった。
「……うそ……イアンさん…なんで…」
呆然と立ち尽くすイオは、遠ざかっていく担架に目を向けながらそう呟いた。
すれ違う一瞬、イオが見たのは、担架で運ばれるイアンの姿であった。
彼の体には包帯が巻かれ意識が無いのか、ぐったりとしていたのをイオは見ている。
そのイアンの姿からイオは――
「……また、戦ったんだ…」
イアンが戦って負けたのだと判断した。
「なんで、イアンさんは戦うの? 」
イオは顔を俯かせ、両手の拳を強く握り締める。
近頃、イオはイアンが戦うことをよく思っていなかった。
その理由は、イアンが傷つくこと、果ては死んでしまうのではないか等がある。
しかし、それらのことも彼女は思っているが一番強い思いがある。
それは、この国には滅多に無い戦いをイアンがすることで、彼の存在が遠くなるような気がするからだ。
イオは、イアンが自分とは違う存在に見え、それが寂しく感じるようになっていた。
「……これで終わりにしようよ……これが終わったら、戦うのはやめて、ずっと…! 」
イオはそう呟くと顔を上げ、前を向いて歩き出した。
歩く彼女の目は、今までイアンに見せていないもの。
何かを決意したかのような、強い眼差しをしていた。
――センタブリル。
タブレッサの中心にある区画であり、大統領官邸や役所を始め、この国有数の会社がこの区画に集中しているため、実質この国の中心であると言える。
そして、この区画には、国の象徴とも言える建物が存在する。
それは時計塔のことだ。
センタブリルの中心、タブレッサの中心にそびえ立つそれは、町の人々に現在の時刻を知らせるとともに、他国から来た者達に、この国の技術力の高さを示す役割を担っている。
――夜。
センタブリルの明かりの少ない街路を、一人ヴィクターは駆け抜けていく。
彼が向かう先には、時計塔。
ヴィクターは、ガルト及び――
「……早まるなよ、オジさん」
ジグスがそこにいると睨んで、時計塔を目指しているのだ。
足元のよく見えない夜道を順調に走り抜けていくヴィクター。
やがて、彼の前方に揺らりと動く一点の明かりが現れる。
「げっ! 警士隊か、こんなときに! 」
明かりが目に入った瞬間、ヴィクターは足を止めた。
学生であるヴィクターが、夜に一人で出歩くことは危険な行為である。
そんな時、警士隊に見つかれば保護され、保護者に連れて行かれるまで詰所の中に拘束される。
今のヴィクターは、警士隊に見つかるわけにはいかないのだ。
「隠れてやり過ごすか――うっ!? 」
前方の警士隊が持っているカンテラの光に照らされ、その眩さにヴィクターは目を腕で覆い隠す。
「ちくしょう! 見つかちまったか。仕方ねぇ……遠回りだが、一旦ここは引き返して――」
「ヴィクター? あなた、ヴィクターよね? 」
ヴィクターが踵を返そうとした時、前方の警士隊から名を呼ばれ――
「あん? この声……おまえはケイか? 」
ヴィクターは前方に体を向け直した。
すると、前方の明かりが近づいていき、やがて、警士隊に似た制服を着込むケイルエラの姿が現れた。
「ケイ……! おまえで良かったぜ」
ケイルエラの姿を見て、ヴィクターは安堵する。
「……ヴィクター、ひょっとして、今から……ガルトの所へ行くつもりなの? 」
ケイルエラは不安そうな表情を浮かべながら、ヴィクターに訊ねた。
「おう。ちょうど良かった。ケイ、時計塔まで一緒についてきてくれよ。おまえと一緒なら、他の警士隊に捕まるこたぁねぇぜ」
「……」
ケイルエラは、腕を組んだ。
そして、じっとヴィクターの顔を見つめた後、口を開く。
「ここで一緒についていくと、私はジグス所長の言いつけを破ることになる……でも…」
ケイルエラは、首を横に振るった後、再びヴィクターに顔を向け――
「ヴィクター、一つ約束して。必ず、ジグス所長と一緒に帰って来るって…」
右手をヴィクターに向け、小指だけを立てた。
「当たり前だ。約束しなくても、そのつもりだぜ」
ヴィクターも右手の小指を立て、その小指をケイルエラの小指に絡ませた。
この仕草は、約束をする時に行われ、絶対に約束を守るという誓いを立てるものである。
強く互いの小指を握った後、二人は同時に小指を解いた。
「よっしゃ! 早速行くぜ……っと、その前に、頼みてぇことがあんだけどよぅ」
「頼みたいこと? 」
ケイルエラが首を傾げる。
「おう。イアンがいる医療院知ってるか? 」
「うん、聴いてるけど」
「悪ぃけど、時計塔に着いたら、ケイはイアンのとこ行って、俺達が時計塔にいることを知らせてくれ」
「え? イアンさんを戦わせる気なの? 」
ケイルエラは、ヴィクターの発言に怪訝な表情を浮かべる。
「……怪我を負った状態だけどよぅ。ガルトの野郎との戦いに勝つには、イアンの力が必要になる……そう思うんだよ…」
「……分かったわ。イアンさんに、伝えてあげる。でも、行くかどうかは、イアンさん次第だからね」
「おう、頼むわ。じゃ、行くか」
ヴィクターはそう言うと、再び時計塔を目指して走り出した。
「うん」
ケイルエラは頷いた後、ヴィクターに続いて走り始めた。
センタブリルの区画にそびえ立つ時計塔。
関係者以外入ることが無い内部には、上へと続く螺旋階段がある。
螺旋階段に巻き付かれるような形で、時計塔の時計を動かす様々な歯車が、ずっしりと重い音を響かせながら回っている。
その音を聞きながら、ジグスは延々と続く螺旋階段を上り続けていた。
彼が目指すのは、時計塔の内部の最上部、かつてガルトと戦った場所であった。
最上部に近づいてきた頃、ジグスの耳に、歯車とは異なった音が聞こえてくる。
「死んでも腕は落ちてないみたいだな。やっぱり、そこにいるよね」
そう呟きながら、ジグスは螺旋階段の最後の段を踏み、時計塔内部の最上部に辿り着いた。
そこは人が三百人ほど入れるような広さである。
天井は高いが、上部には四方に伸びた太い柱のようなものがある。
それは時計塔の針を動かしている軸であり、この場所は塔の時計がある部分の内部であった。
ジグスは周りを見回した後、この空間の奥に視線を向ける。
そこには、パイプオルガンと呼ばれる楽器があり――
「来たよ」
ガルトがそのパイプオルガンを演奏していた。
「やあ、ジグス。ようやく来たか」
ガルトは演奏をやめ、椅子から立ち上がり、ジグスに体を向ける。
「君にとってはこの場所は懐かしいと感じるだろうが、私はそう思わない。何せ、今まで死んでいたのでね。まさに、あの日は私にとって昨日のことだよ」
ガルトはそう言いながら、ジグスの元へ向かっていく。
「あと、この時計塔は完成したんだろう? あの時はまだ、ここが頂上だったじゃないか。少し、目が見えないことを残念に思うよ」
ガルトは上の方に指を差し――
「そこ……時計塔の丸くなっている屋根の部分。ぐるりとガラスになっているところがあるな。しかも、ステンドグラスじゃないか? どんな風になっている? 」
と、ジグスに訊ねた。
「……赤や青、黄色といった色んな色のガラスさ。月の明かりに照らされて、綺麗なもんだよ」
「そうか……綺麗だな」
ガルトは、ステンドグラスに顔を向ける。
目の見えない彼だが、彼の頭の中では、月の光に照らされたステングラスが輝いている光景が見えていた。
「……さて…」
ガルトはそう呟き、見上げていた顔を下ろした瞬間、二人は同時に自分の獲物を取り出した。
ジグスは黒色の刀身のナイフ、ガルトは銀色の刀身にナイフである。
ガルトはさらに、左手に鍵を持っていた。
「戦う前に一つ……この鍵は時計を名のつく物なら、どんな時計だって爆弾に変える。さらに、時計のどんな場所にでも挿すことができるんだ」
「その鍵を使って時計塔を爆弾に……タブレッサを破壊するつもりかな? 」
「言うまでもなく、そうだろう。あと、君のすべきことも説明しなくてもいいだろう? もう待ちきれないよ」
ガルトは、ジグス目掛けて真っ直ぐ走り出した。
「君と刃を交えるのは、人の最期の声を聞く次に楽しいから」
「楽しい……僕はそうは思わないけどね。あと、もう一度君を殺させてもらう。タブレッサは破壊させないよ」
シグスも前に向かって走り出した。
そして、走る二人は互いに距離を縮めていき――
キンッ!
二人の銀と黒のナイフがぶつかり合う。
ギンッ! カンッ! キィン!
それは一度だけではなく、幾度なく、絶え間なく続けられる。
「ふはは、そろそろウォーミングアップは終わりかな」
ガルトは、右手に持つナイフを突き続けつつ、反対の左手にも銀色のナイフを持つ。
「……」
ジグスも左手に黒色のナイフを持った。
両手にナイフを持ったことで、二人の戦いはさらに激しくなっていく。
ナイフを振るい、突き、投げ、またナイフを取り出す行為を二人は繰り返し続ける。
「……ふふ…」
そんな中、ガルトは頬を吊り上げた。
「四千三百六十八……君はこの数字を覚えているかい? 」
「……」
ガルトの質問にジグスは答えない。
「この数字はあの日、決着がつくまでの刃を交えた回数さ。それで、一千八百四十……」
キンッ! キンッ! ドスッ! ドスッ!
その時、二本の黒色のナイフが宙を舞い、二本の銀色のナイフがそれぞれジグスの両肩に刺さった。
「ぐっ……」
シグスは後方へ跳躍し、ガルトとの距離を取る。
「九。今回、ここまでの一区切りついた回数だ……どうしたんだ? 十二年も経てば、そんなに腕が落ちるものかね」
ガルトのスピードにジグスはついていけていなかった。
それ故に、ジグスはガルトの攻撃を受け、彼と距離を取ったのである。
「あの時の君よりも反応が鈍くなっている。その目はちゃんと見えているのかな? 」
「……あの時よりは、見えていないだろうね……君との戦い以降、封印してたから」
「封印……? なるほど。十二年も経てば、出来るか……私達の病気の抑制剤が…」
ガルトは何事かを察すると、戦う姿勢を解く。
「君と……かつての私の目は、映るもの全てを認識する。一瞬で、人の特徴を全てを捉えることができる等、優れた目を持っている…」
シュ!
ガルトは脱力した姿勢から、ジグスに向かって、ナイフを飛ばした。
「……くっ! 」
キンッ!
ジグスは、肩に刺さった二本のナイフを抜き、片方のナイフで飛んできたナイフを弾き飛ばす。
「だが、それは他人が言えること……実際は、欠陥だ。目に映るものを本人の意思とは関係なく、認識しようとする。その負荷が体にかかる苦しみを知らないからそう言えるんだ」
シュ!
ガルトは四本のナイフを同時に飛ばす。
キンッ! キンッ!
「ぐっ……ううっ…」
ジグスは四本のうち二本のナイフを弾き飛ばしたが、二本は弾けず、左頬と右肩を掠めた。
その掠めた部分から、血が滴り始める。
「その苦しみから逃れるために、私は自分の目を潰したのだ。結果、あらゆる音を全て聞こうとしてしまう体になった。何も変わらなかった」
「……変わっただろう。それで、ガルト……お前は人を殺すようになったんだ」
「ん? ああ、そうだな。人が死ぬ最期の一瞬……その最期の言葉というべき悲鳴というのを聞いている時だけ、その苦しみから逃れることを見つけたんだ。私は変われていたな……目を潰して良かった思えるよ」
「……死んでも……性根は変わらないか……この殺人鬼め……」
ジグスは血を流しながら、ガルトを睨みつける。
「殺人鬼……私はまだ、その名で呼ばれるのか。あまり、好きではないのだがね、その名は」
ガルトは、睨みつけてくるジグスには動じず、残念そうに首を横に振った。
その後、ガルトはジグスに顔を向ける。
「私と君は同じであるはずだ。なのに違う。あの時も聞いたが、何故こうも違うのだろうか? 」
「……」
ジグスはガルトを睨みつけたまま、口を開かない。
「……答えもあの時と同じか。なら、別の人に聞くとしよう」
シュ!
ガルトは、服の中からナイフを取り出し、それを投げ飛ばした。
ナイフが向かうのはジグスではなく、彼の後方――
カッ!
下に続く螺旋階段の手前に突き刺さった。
「……!? まさか! 」
シグスは、何かを察し、後ろへ振り返る。
「そこの君、私と彼……何が違うのかを教えてくれないかな? 」
ガルトはジグスを気にすることなく、螺旋階段に向かってそう言った。
「ちっ! バレちまったか。なら、俺を見つけたお礼に答えてやるよ! 」
すると、螺旋階段から一人の少年が上がってきた。
「お前とオジさんの違い。それは悪党と探偵ってことだぜ! 」
その少年――ヴィクターはガルトに指を差しながらそう答えた。




