二百二十話 望まぬ帰省
ケージンギアの街道の一つ、そこの一角に人だかりができていた。
集まった人々が見ているのは、時計屋があった場所。
彼等は、爆発の音を聞き、何が起こったのかを確認しに来た者達であった。
「……」
そこから離れた場所でヴィクターは、その人だかりに目を向けていた。
彼は、イアンを抱えて、街道の脇に腰を下ろしている。
イアンはガルトとの戦いで負傷し、今は意識を失っており、ぐったりとしている。
彼の体には包帯が巻かれ、応急手当は終えいる状態であった。
イアンを抱えるヴィクターの傍には、ジグスとリトワの姿がある。
少し前にリトワとケイルエラは彼等と合流しており、今姿が無いケイルエラは、警士隊を呼びに行っている。
「店が……この状態でよく逃げれたね」
リトワが人だかりの隙間から、崩壊した時計屋を見る。
時計屋の壊れ具合は凄まじく、原型は留めていない。
ただの瓦礫の山と化していていた。
「うん。本当に危なかった……間に合って良かったよ」
ジグスは傍にいるヴィクターに視線を向けながら、そう呟いた。
「ジグス所長! みんな! 」
その時、ケイルエラが走りながら、ジグス達の元へやって来る。
「ジグス所長、警士隊と医療院の人達を呼んできました。もうすぐ来ます」
「うん、ありがとう。ケイちゃんは、このまま警士隊の手伝いを頼むよ」
「……分かりました」
「リトワちゃん」
名を呼ばれ、リトワはジグスに顔を向ける。
すると、ジグスはコートの裏から紙切れを取り出し、それをリトワに渡した。
「これは……住所? ボクに、この場所へ行けということかい? 」
紙切れに目を通した後、リトワはジグスにそう訊ねた。
「いや、違うよ。もうすぐ来る医療院の人達に、そこにいる人を呼ぶように伝えて欲しい。その人の手が必要になるかもしれないからね…」
「はあ……ジグス所長は、何を? 」
「僕は……ヴィクターくんとちょっとね…」
ジグスはそう答えると、しゃがみだした。
「ヴィクターくん、話があるんだけど」
「……」
声を掛けたが、ヴィクターは返事もしなければ、顔を向けることもなかった。
しかし、ジグスはそれに構わず話し続ける。
「今まで目を瞑って来たけど、君達のやっている活動は今日で終わりにしよう」
「「……! 」」
「……」
話を聞いていたケイルエラとリトワは驚愕の表情を浮かべたが、ヴィクターの表情は変わらない。
彼は、ジグスの言うことを察していた。
ジグスの言う活動は、タブレッサに散らばったアンティレンジの回収である。
ケイルエラ達が驚いたのは、自分達の動きがジグスに知られていたから。
先ほどから、ヴィクターが何も答えないのはアンティレンジの回収、すなわち、ガルトを追うのをやめることに不満があるのだ。
「……はぁ…」
ヴィクターの気持ちを察したシグスは、ため息をついた。
「奴は危険な男だ。この僕が今までで、一番苦戦した悪党だ。君も知っているだろう? はっきり言うけど、君じゃ手に負えない。おとなしく手を引くんだ」
ジグスはそう言いい、ヴィクターの肩に手を置き――
「後は僕がやる……僕が終わらせてくるよ」
そう言った。
「……! 」
ジグスのその言葉を聞き、ヴィクターは振り向いて、ジグスに顔を向け――
「オジさんだって! オジさんでも勝てない相手だよ! 」
と声を上げた。
ヴィクターは、顔を合わせるつもりは無かったが、ジグスの言葉を聞き、顔を向けざる得なくなったのだ。
「俺、知ってるんだぜ? オジさん、昔より弱くなってるの。あと、今のあいつはアンティレンジを持ってんだ。今、オジさんがあいつと戦えば、オジさんは――」
「ヴィクターくん」
ジグスが口を出し、ヴィクターの言葉を遮る。
彼は真剣な顔つきであったが、すぐに表情が柔らかくなった。
その瞬間――
ゴッ!
「うぐっ!? 」
ヴィクターは腹部に、強い衝撃を受けた。
視線を落として、自分の腹部に目を向けるが、何もない。
しかし、ヴィクターは何をされたかは理解した。
「オジ…さん……どうし……て…」
ヴィクターは抱えていたイアンを地面に下ろし、腹部を手で押さえながら、ジグスに顔を向ける。
先程の一瞬、ジグスがヴィクターの腹に拳を叩き込んでいたのだ。
「ごめんね……とは言えないね。僕はこれから、君にとってひどいことをする。でも、君のためだ」
「……俺は…諦めねぇぞ……オジさんが……どんなことをしたって…」
ヴィクターは苦悶の表情を浮かべながら、ジグスに言葉を返す。
しかし、彼の体は徐々に下へ低くなっていく。
「…オジさん……俺が……」
そして、ついには地面に倒れ、それから動かなくなった。
ヴィクターは気絶したのだ。
それを確認すると、ジグスはヴィクターを背中に背負う。
「……大丈夫。あいつは、僕が必ず何とかする……君の力に頼らなくても……ね…」
ジグスはそう言うと、ヴィクターを背負いながら歩きだした。
「ジグス所長、ヴィクターをどこに連れて行くつもりですか? 」
ケイルエラとリトワが歩くジグスの前に立つ。
「義兄さんの家……ヴィクターくんの実家さ」
「えっ!? 」
ジグスの答えに、ケイルエラは驚愕する。
「あと、しばらくアルバイトはお休みだから……君達は君達のすべきことをやるんだよ。いいね? 」
ジグスはそう言うと、二人の間を通り、街道を進んでいった。
「ヴィクター先輩の実家か……やっぱり、何かあるのかい? 」
ジグスに背負われるヴィクターの背中を遠くに見つめながら、リトワがケイルエラに訊ねる。
「……ええ。ヴィクターはクリフさんが……自分のお父さんが嫌いなの……自分の姓を口にしないほどにね……」
ケイルエラもヴィクターを見つめながら、リトワにそう答えた。
ヴィクターを見る彼女の瞳は僅かに揺れていた。
「家の問題に他人が口を出すのは良くないこと。でも、私はヴィクターの味方でいたいわ…」
ケイルエラは、そう言うと踵を返して歩きだした。
彼女が呼んだ警士隊は既に到着しており、彼等の手伝いをするためだ。
「……何も知らないけど、僕も同じさ……とりあえず…」
リトワはイアンの元へ向かい、彼の傍でしゃがみ込む。
「これからボクが頑張ろうとしていることは、君次第だ。まだ戦えるかい? イアンさん」
そして、彼女は仰向けのイアンに問いかけた。
今、彼は意識を失ったままで、リトワの問いに答えることはない。
しかし、リトワはいつかイアンがその問いの返事をしてくると思っている。
その返事が言葉ではなく、別の形で返ってくることも。
「ぐ……ん…」
ヴィクターが意識を取り戻し、上体を起こす。
「……あん? ここは俺の部屋?……」
目を開いた彼は、そう呟いた。
彼が目を覚ました場所は、自分の部屋の中であった。
しかし、今暮らしているアパートの方ではなく、かつて自分が暮らしていた家の部屋である。
「……変わんねぇな…」
ヴィクターは見回すと、自分が出ていった日から部屋の様子は変化していなかった。
「……って、懐かしんでる場合じゃねぇ! もう夜じゃねぇか! 」
部屋を見回していると窓が目に移り、ヴィクターは飛び起きた。
窓の外は暗く、夜になっていたのだ。
「あいつがいる場所はあそこで間違いねぇ。なら、今頃オジさんもそこに……」
「どこに行くつもりだ? 」
ヴィクターが部屋のドアを開けた時、自分の目の前に男性が現れた。
「……!? てめぇ、なんでここに…」
その男性の姿を目にすると、ヴィクターは思わず、一歩足を後ろに下げる。
「家主が家にいて、何がおかしい。それと、自分の父をてめぇと呼ぶのは、関心しないな」
その男性――ヴィクターの父親であるクリフは、ヴィクターを見下ろしながら、そう答えた。
「てめぇなんか、てめぇで充分だ! そんでタブレッサの市長サマが、家で呑気にしてていいのかよ」
ヴィクターの父であるクリフ・ヒューライトは、タブレッサの市長だ。
市長とはタブレッサを管轄する役人の最上位に位置する役職である。
この国で一番偉いと言える大統領の次に権威があるとされている。
「……そんな場合じゃない」
「なら、役所に行けよ」
「そうしたいのは山々だが、部下に仕事を任せた。今日はもう役所に行くつもりはない」
「なに!? 」
クリフの言葉に、ヴィクターは驚愕した。
クリフは仕事に熱心な人間であった。
それ故に、どんなことがあっても仕事を優先してしまうため、家にいることは少ない。
ヴィクターが誕生日の日であろうと、彼が誘拐されようとクリフは家に帰ることなく、仕事をし続けていたのである。
そんなクリフが仕事を途中で中断し、家に帰っていることが、ヴィクターにとって驚くべきことなのだ。
「今日、私はおまえを外へ出さないと決めた。そのために、ここにいるのだ」
「……そのため……自分の息子よりも仕事が大事な奴が、仕事を投げて俺の邪魔をするってのかよ! 」
ヴィクターはクリフに向かって怒鳴り声を上げた。
クリフに対する自分の怒りをぶつけずにはいられないのだ。
「……そうだ。それにジグス君の頼みでもある。絶対にここから外へは出さない。おとなしくしていろ」
「……! オジさん……そうか。こいつを使ってまで、俺をあそこに行かせないつもりかよ……でもよぉ…」
ヴィクターは、拳を振り上げ――
「それがどうした! てめぇが邪魔しようが、俺はここから出るぜ! 」
クリフに向かって突き出した。
パシッ!
しかし、ヴィクターの突き出した拳は、クリフの手によって防がれてしまった。
「ぐ……ぐうっ…」
その上、押しても引いても、彼の手をピクリとも動かすことができなかった。
「親に向かって拳を向けるとは……市長である私の息子とは思えん行為だな。ふんっ! 」
クリフは、ヴィクターを呆れた目で見つめつつ、彼の頬を殴り飛ばした。
「がっ…!? 」
殴られたヴィクターは、その衝撃に耐え切れず、床に倒れ伏してしまう。
「人というのは、着る服に合った言動をするもの。警士隊の制服を着れば、警士隊らしいしっかりとしした言動を。普段品の無い女でも豪奢なドレスを着れば、上品な言動をとるようにな」
クリフはそういいながら足を進め、倒れ伏すヴィクターの前に立つ。
「親と子も同じ。子は親に合った人物になるはずだ。おまえは、市長の息子である振る舞いをするべきだ。今のおまえは、下劣極まりない」
「……けっ! 市長が自分の息子を殴るのかよ……そんで、懐かしいな。その説教に見せかけたクソみたいな押し付け……まだ諦めてなかったのかよ…」
ヴィクターは、口元を手で拭いながら起き上がる。
「私は何度でも言う。おまえは私のようになるのだ。将来の市長にな」
「うるせぇ! 市長になんかなんねぇよ! 俺は探偵になりてぇんだ! 」
「まだそんなことを……おまえのようなやつに探偵は務まらん」
「なんだと!? 」
ヴィクターは立ち上がり、クリフの胸ぐらを掴もうと、腕を伸ばすが――
「そうやって、すぐに熱くなるところ……すぐに正すべきだ」
クリフに腕を掴まれる。
「いい機会だ、言っておく。今の学校は辞めろ」
「なっ…にぃ! 」
ヴィクターは掴まれた腕を解放させようとジタバタしている。
「その代わり、おまえにはセンタブリルにある私の母校に通ってもらう。そこでなら、私にふさわしい…市長となるべき人物になれるはずだ」
「ちっ! 息のつまりそうな学校だな。いい加減手を離しやがれ! 」
ヴィクターは腕を振り回し、クリフの腕を振り払った。
「転校する必要は無ぇ。俺はこのままブラッドウッド学院を卒業して、探偵になる。絶対に市長にはなんねぇからな」
「絶対になる……その言葉を使うには覚悟が必要だ。並大抵ではないなものではない、本物の覚悟が」
「ぐうっ…」
クリフはそう言うとヴィクターの胸ぐらを掴み、自分の顔にヴィクターの顔を寄せる。
「何にでも言えることだが、なる…だけではだめだ。なってから結果を出すまでは、本当になったとは言えない。おまえは、そこに辿り着くことができないと、さっきから言っている」
「うるせぇ! 絶対になるっつったら、絶対になるんだよ! 探偵になって、俺はオジさんのように……オジさんを超える探偵になるんだ! 」
「ジグス君を超えるときたか。さらに覚悟が必要だぞ? もう口だけでは、示すことはできない域だ」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ……さっきから、うるせぇよ! 何があっても俺は探偵になる。だから、早く手を離して、そこをどけ! 」
ヴィクターはジタバタと暴れながら、クリフに向かって声を上げた。
「……そうか、分かった」
「うおおおおお! え……? 」
その時、クリフは掴んでいたヴィクターの胸ぐらを離した。
あっさりと解放され、ヴィクターは呆然とする。
「探偵などになりたいと騒ぐようなやつを息子とは呼べん。貴様は、もう知らん」
クリフはそう言うと、横に移動し、ヴィクターに道を開けた。
「……お、おい、オジさんに俺を引き止めるよう言われてたんじゃねぇのかよ。何でどいたんだ? 」
自分から道を開けるとは思っていなかったため、ヴィクターは思わず、問いかけた。
「私が頼まれたのは、自分の息子を引き止めること。息子でも何でもない貴様など、どうでもいい。どこにでもくがいい」
すると、クリフはそう答え、ジグスの部屋を後にした。
「…………よく…分かんねぇ。けど、これでやっと外に出られるぜ! 」
ヴィクターも部屋の外へ出た。
家を出るため玄関を目指すヴィクター。
クリフが引き止めることをやめた今、彼を止める者はいない。
「げっ!? 」
しかし、廊下を走るヴィクターは足を止めてしまう。
彼の前方には、一人の女性が腕を組んで立っていた。
「そんなに急いでどこにいくんだ? ヴィクター」
「か、母ちゃん…」
その女性はヴィクターの母親であった。
ヴィクターは、彼女に拳を向けることはない。
何故なら、絶対に勝てない相手であると認識しており、彼が恐れるこの世で唯一の女性であった。
母親は、引き止めるどころか、問答無用でヴィクターを黙らせれる人物であった。
「質問に答えてよ。どこに行くかって聞いてるでしょ? 」
「い、いや…その……オジさんのところに行こうかなって…」
先程の威勢はどこかに行ってしまったのか、ヴィクターはすっかり萎縮していた。
「へぇー……まぁ、知ってたけどね! 」
母親はニッコリと微笑み、ヴィクターの元に寄ってくる。
彼女が向かってくる間、ヴィクターはブルブルと体を震わせていたが――
「はい、これ」
「……え? これは……」
母親が差し出した物を見て、その震えは止まった。
彼女が取り出したのは、黒いダーツの矢であった。
「これ、クソジグスが使ってたやつ。あいつ、一人で何かを抱えてんでしょ? それが使えるか分からないけど、何かの役に立つでしょ」
「……母ちゃんは俺を止めないのか? 」
ダーツの矢を受け取り、ヴィクターは母親にそう訊ねる。
「止めるわけないじゃん。まあ、クリフは凄い反対してたけど、説得して納得してもらったわ。条件を付けて、それをクリアしたら引き止めないって」
「条件……あの時、俺がその条件を満たしたから、あっさり引き下がったのか…」
「そういうこと。じゃ、あたしは、今頃落ち込んでるであろうクリフを慰めに行くから」
母親はそう言うと、ヴィクターの横を通り抜けていく。
「……待って、母ちゃん! あいつが落ち込んでるって、どういうことだよ! 」
ヴィクターは振り返って、母親に問いかけた。
彼の声を聞き、母親は立ち止まり、ヴィクターの方に体を向ける。
「クリフはあんたが心配なのよ。市長になれ市長になれって言ってるのも、あんたの将来を心配してるから。探偵って、生活安定しないでしょ? 」
「……否定できねぇ…」
ヴィクターは、飢えに苦しむジグスの姿を思い出し、悲しい気持ちになった。
「それでも、あんたは探偵になりたいんだろうし、好きにやりなさい。あと、少しはクリフのことを許してあげてね」
「……うん。少しは…………考えてやってもいいかな…」
「今はそれで充分ね。あたしからも、クリフに言っておくから。息子ぐらいは素で喋れってね。じゃあ、クソジグスによろしくね」
母親はそう言うと、踵を返して歩いて行った。
「……なんか複雑な気分だぜ…」
ヴィクターの今の心境は、なんとも言えないものであった。
「けど、今はそんな気分になってる場合じゃねぇ。早くオジさんの所へ……ガルトの野郎を倒しに行かねぇとな! 」
ヴィクターは手にしたダーツの矢を握り締めると、玄関に向かって走り出した。




