二百十九話 盲目の殺人鬼
――午後、昼と夕方の中間あたりの時刻。
イアンは依頼を終え、ジグス探偵事務所に向かって、ケージンギアの街道を歩いていた。
彼と共にいるのは、同じ探偵事務所で働くアルバイトの探偵である。
しかし、その中にヴィクターの姿はいない。
イアンの横をケイルエラとリトワが歩いているだけであった。
「今日も来なかった……最近、ヴィクター先輩に何かあったのかい? 」
「そうね……確か爆発事故が起きた日から、ヴィクターの様子がおかしいわね。学校で話しかけても、無視するし……」
リトワの疑問に、ケイルエラが答えた。
ここ数日、ヴィクターは探偵事務所に通うことはなくなった。
「やっぱり……ボクの話も聞いてくれないんだよね」
それに加え、二人と会話することもなくなっていた。
「……ケイよ。あれから、他の場所で爆発の事件は起きているだろうか? 」
二人の話を聞いていたイアンが口を開く。
「爆発の話は聞いていないわ……というか、イアンさん。あの時、ヴィクターに何かあったの? 」
イアンの疑問に答えた後、ケイルエラはイアンにそう訊ねた。
彼女の言うあの時とは、喫茶店が爆発した日である。
「……ヴィクターに聞いていないのか? 実は、アンティレンジの持ち主の足跡をその時に見つけたのだ」
「ええっ!? ちょっと! それって、大事な事じゃない! 何でもっと早く言わないの! 」
ケイルエラが眉を吊り上げながら、イアンに詰め寄っていく。
「むぅ…ヴィクターから聞いていると思ったのだ…」
自分にも非があると思っているのか、イアンの眉は僅かに下がっていた。
「まぁまぁ、落ち着いて」
二人の間にリトワが入り、両腕を広げて二人の体を押し退ける。
「ケイ先輩、終わったことは仕方ないよ」
「……そうね……ちょっと熱くなりすぎたかも……」
ケイルエラの視線が下に落ちる。
その様子を見た後、リトワはイアンに顔を向けた。
「まだ詳しくは聞いてないけど、どうやらヴィクター先輩は、そのアンティレンジの持ち主を一人で探してるみたいだね」
「そう……だろうな。ヴィクターはそいつとただならぬ因縁があるように見えた……すまん、このことを察しておきながら、何もしていなかった」
「だから、終わったことだって……それで、その人とは? 」
「ガルト・フォスターという名の人物らしい」
「「……!? 」」
イアンの口にした名前を耳にした瞬間、ケイルエラとリトワの表情が凍りつく。
「……二人は、知っているのか? 」
「知っている……けど…」
「うん……ちょっとね…死んだはず……の人の名前が出てきて、びっくりしたわ」
「ヴィクターも死んだ奴と言っていたな。それで、どういう奴なんだ? そのガル――」
「しっ! 」
イアンが、ガルトの名を口にしようとした瞬間、ケイルエラが手を伸ばして彼の口を塞いだ。
彼女はイアンの口を塞ぎつつ、周りを見回している。
周囲を歩く人々を気にしている様子であった。
「その名前は、あまり言わないように…」
そして、イアンに顔を向けると、塞いでいたイアンの口から手を話す。
「安易に名前を口にできないとは……フリッツ・エグバートのように、大量殺人を? 」
「ええ。そいつが殺害した人の数は、百人……は超えているらいいわ。確実にフリッツよりは多いことは分かっているね」
ケイルエラがガルト・フォスターという人物について説明する。
その人物は、十二年前までに存在していた殺人鬼である。
十年前、ガルトはピアノと呼ばれる楽器の奏者として働く人物であった。
事故で盲目になったこと以外、普通の人物であったが、奏者として働く傍ら、人目につかず殺人を行っていたとされている。
ある探偵を名乗る人物が、発見された死体から、ガルトが関与していると突き止めたことにより、彼は殺人鬼と呼ばれるようになった。
それから指名手配犯として指定され、行方をくらました後、現在の年から十二年前、死亡したことが明らかになった。
「……あと…」
「あと? 」
イアンが首を傾げる。
「十二年前、ヴィクターはそいつに誘拐されてたみたい…」
「誘拐……あいつは、誘拐された経験があったのか。しかし……そうか…」
ケイルエラの発言に、イアンは納得したかのように頷いた。
「そいつとヴィクターの因縁はそれか」
「たぶんそうだね。その男は、犯罪者の中でも規格外だったって、よく聞くよ。ヴィクター先輩のことだ……今度は、自分が倒そうと躍起になっているんだろうね」
「一人にさせておくのは危険だわ。今から、あいつを探しに行きましょう」
「ああ」
「うん」
こうして、三人はヴィクターを探すことなった。
それぞれ別々の方向に向かい、個別でヴィクターの姿を探す。
イアンは、駅に続く街路に向かい、その途中――
「む! 」
彼は、突然走り出した。
走るイアンの前方には、彼と同じように走る少年の姿がある。
「待て! ヴィクター」
イアンが、前方の少年に声を掛けた。
少年はヴィクターであった。
「……! イアン」
ヴィクターはイアンに気づき、走りながら肩ごしにイアンへ視線を向けたが、すぐに前を向いてしまった。
「止まる気は無いか。ならば、勝手について行くぞ」
イアンは、前方のヴィクターに目を離すことなく、彼の後を追い続けた。
ケージンギアにある街路の一つ。
人気が少なく、同じ時にここを通る人の数は二、三人ほどだ。
この街路には、民家の他に、様々な小さい店屋が立ち並んでいる。
その中に、時計を売る店があった。
「ヴィクターよ。ここに用があるのか? 」
イアンはヴィクターの隣に立ち、彼にそう訊ねた。
二人は、その時計屋の目の前にいるのだ。
「……ああ」
ヴィクターはそう答えると、店の入口へ向かう。
イアンはヴィクターの背中から、時計屋の窓に視線を向けた。
店内には、多種多様の時計が壁にかけられていたり、テーブルの上に並べられたりしている。
イアンが窓から見て分かったのはそれだけである。
人の姿は見えず、店のドアには[closed]の札がかけられており、店は閉まっているようであった。
「ヴィクター。この店は休日か何かなのではないのか? 」
「だろうな。けど、ここは開いてる」
ガチャ――
ヴィクターは、[closed]の札がかけられたドアを開けた。
「……! 開いた……何故だ?」
「ガルトの野郎がここにいるんだよ……ちっ! なるべくなら、一人で来たかったが仕方ねぇ。入るぞ、イアン」
「ああ…」
店内に入るヴィクターに続き、イアンも店の中に入っていった。
チッ…チッ…チッ…
店内には、たくさんの時計の針が動く音が聞こえる。
その音を聞きながら、イアンとヴィクターは店内を歩き回る。
「……」
「……」
そして、ふと二人は足を止めた。
時計の針の音が聞こえる中、別の音が聞こえてきたのだ。
二人は耳を澄まし、その音に集中する。
……ギィィ……ギィィ…‥
その音は、明らかに時計の針が動く音ではない。
「ヴィクター、この音は? 」
音の正体が掴めないイアンは、ヴィクターに訊ねた。
「時計のネジを回す音……だな。時計の針は、ネジを回すことで動いてんだ。そんで、たまに回してやる必要があんだよ」
「ほう……では、今時計のネジを回しているのは…」
「ああ。この奥で奴が回してんだろうな」
イアンとヴィクターは店の奥に視線を向けた。
その方向には、別の部屋があり、二人はそこへ向かった。
ギィィ…ギィィ…ギィィ…
部屋に入るとこちらに背を向けて、椅子にすわる人物の姿が見えた。
その人物から、時計のネジを回す音が聞こえてくる。
「……! 」
その人物を視界に入れた瞬間、ヴィクターの表情が怒りに染まった。
「私の姿を見て、驚く者と怖がる者がいることは知っている…」
その人物は椅子から立ち上がり――
「だが、怒る者は君で二人目だ……何者かね? 」
イアンとヴィクターの方へ体を向けた。
その人物は背が高く、体は痩せている。
色あせたコートを羽織り、その中には白いシャツを着て、灰色のズボンを履いていた。
顔に目を向けると、彼の目は開いておらず、閉じたままである。
彼の左腕には、箱型の時計が抱えられ、右手にはその時計のネジを回していたであろう小さな鍵があった。
「ガルト・フォスター……てめぇ、生き返ってんじゃねぇよ」
ヴィクターがその人物――ガルト・フォスターを睨みつける。
「……ふぅ、私の質問に答えてくれないか…」
ガルトはため息をつき、やれやれと首を横に振った。
「まあ、君達が何者だろうと私には興味が無いこと……」
ガンッ!
ガルトは持っていた時計を床に投げ捨て、両手を自分の後ろで組んだ。
時計が影になって分からなかったが、彼は紐の付いた砂時計を首にかけていた。
「そう、私は生き返った。一応言っておくが、好きで生き返ったわけではない。偶然この砂時計を与えられたんだよ」
ガルトは、自分の胸の前で揺れ動く砂時計を右手で触りながら、そう言った
口を閉じると、再び右手を自分の後ろへ回す。
「なら、おとなしくまた死にやがれ――」
「……! 待て、ヴィクター」
ヴィクターが一歩前に足を踏み出した瞬間、イアンが彼を突き飛ばした。
「ぐっ!?」
突き飛ばされたヴィクターは体勢を崩し、体を横へ移動させてしまう。
すると、ヴィクターの立っていた場所を白く光る何が通り過ぎ――
カッ!
後方の壁に突き刺さった。
それは一本の白い刃のナイフであった。
「ほう……躱したか。動かなければ、そちらの彼の喉に私のナイフが突き刺さっていたはず」
ガルトは、下ろしていた右腕を再び、自分の後ろに回す。
「……何かやると思ったが、ナイフを投げたか」
「僕はナイフを持ち歩いていてね。色々と便利なんだ」
「……どこに仕込んでいるのやら。油断できない奴だ」
イアンはそう呟くと同時に、後ろ腰のFAAを斧形態に変形させながら取り出した。
「ヴィクター、こいつと因縁があるようだが、はっきり言う。おまえじゃ勝てない」
「なに!? うるせぇ! こいつは俺が――」
「いいからどいてろ。おまえは邪魔だ」
「なっ!? 」
イアンはヴィクターの着る制服を掴むと、彼を部屋の外へ投げ飛ばした。
「君は相手の力量を測ることができるようだな。だが、まだ未熟」
「……仕方ないだろう。ワイヤーカフス! 」
イアンは右手を前に突き出し、ワイヤーをガルトに向かって射出した。
パシッ!
「縄? いや、ちょっと違うな……なんだ? これは」
ガルトは向かってきたワイヤーを難なく片手で掴み、手に伝わる感触に首を傾げる。
その行為にイアンは驚く素振りを見せず――
「リュリュスパーク! 」
伸びたワイヤーに雷撃を放った。
しかし――
「おっと。掴んでいたら、危なかったのかな? 」
寸でのところで、ガルトはワイヤーを手放した。
「ちっ……サラファイア! 」
イアンは伸びたワイヤーをカフスに戻すと、両足の足下から炎を噴射させて、ガルト目掛けて急速に接近し――
「死人であるならば、殺人にはなるまい」
ガルトの頭に目掛けて、斧形態のFAAを振り下ろした。
「それは、できればの話だ」
ガルトは後ろに軽く飛び退いただけで、FAAを躱してしまった。
「うっ!? ぐっ……」
FAAを振り下ろしきったと同時に、イアンが呻いた。
「君の敗因は勝負を焦ったこと……力の差を感じたのなら、すぐに逃げるべきだった」
ガルトは床に着地しつつ、正面のイアンにそう呟く。
その時の彼は、自分の後ろで手を組んだままである。
よろめくイアンとは対照的に、余裕のある佇まいであった。
ガルトは後ろに飛ぶ一瞬、イアンの腹を蹴りつけていたのだ。
「まだ……終わっていないぞ…」
イアンは体勢を立て直し、FAAを正面に構える。
「ふむ……その服、頑丈にできてるね。じゃあ、刃物は通るのかな? 」
「……!? 」
イアンは慌てて、体を横にずらす。
「うっ…! 」
イアンの表情が僅かに歪む。
彼は痛みを感じており、その痛みは左腕から来ていた。
一見、イアンの左腕に異常は無いが、そこにガルトが投げたナイフが掠ったのだ。
「……服が破れない……切れない服なのか? じゃあ、刺すのはどうだ」
ガルトは淡々とそう呟いた。
彼はイアンの前に立っているだけである。
そして――
「ぐっ!? あっ!? 」
気づいた時には、彼からナイフが放たれているのだ。
その速さはとてつもなく、手の動きは目で負えない。
見えるのは、振った後の静止した手で、何かをしたということ以外は分からなかった。
そして今、ガルトが放ったナイフは三本。
そのナイフはいずれも、イアンの体に命中しており、そえぞれ右肩、左肩、右太ももに突き刺さっていた。
「……くくっ、刺すことには抵抗が少ないみたいだ」
ナイフが体に突き刺さり、身動きが取りづらくなっているイアン。
彼の姿を頭の中で想像し、ガルトは楽しげに笑った。
体に激痛が走る中、FAAを持っているのも限界であったイアンだが――
「……う……うおおっ! 」
最後の力を振り絞るかのように、勢いよくFAAをガルト目掛けて投げつけた。
「悪あがき……まず当たらない」
ガルトは軽く頭を下げるだけで、FAAを躱した。
「さ…先ほどから、オレの攻撃を……目を開いていないのに、何故……」
「目を使わなくても、音で周囲の状況を把握することができる」
イアンの呟きを聞き、ガルトが答えた
「私は目が見えなくなった代わりに、耳が異常に発達してしまってね……厄介なものさ」
「厄介だと? 」
「ふっ……君には分からないさ。さて、そろそろ君の相手も疲れてきたな」
「……くっ」
ガルトの発言を聞き、イアンの額から一滴の汗が滴り落ちる。
今のイアンに、ガルトの攻撃を防ぐ術は無いのだ。
「イ、イアン! もうおまえじゃダメだ! 代わりに俺が――」
「邪魔だと言ったはずだ。離れていろ」
「ぐ…け、けどよぉ…」
ヴィクターがイアンに駆け寄ろうと、部屋に足を踏み入れようとしたが、イアンに強く言われ、その足を止める。
「いいから離れていろ! うおおおっ! 」
イアンは激痛をその身に感じながら、右腕を振り――
「ワイヤーカフス! 」
ワイヤーを伸ばしつつ、ガルトに目掛けて振り回した。
「まだ足掻く…無駄だと分からないか」
ガルトは呆れた表情を浮かべながら、振るわれたワイヤーを躱す。
「……! シルブロンス! 」
その時、イアンの足元が銀色に光りだす。
彼はシルブロンスを呼び出したのだ。
「な、なんだ? これもイアンの力…」
銀色の光の眩さに、ヴィクターは手で目を覆う。
「む? 」
ガルトは、イアンが何かをしたということを感じ取ったが――
「遅い」
その時、既にイアンはシルブロンスを掴み、頭上に振り上げていた。
イアンがワイヤーカフスを使ったのは、シルブロンスの対応を遅らせるためであった。
優れた耳を持っており、攻撃を躱すことができても、回避行動をしている最中では、別の攻撃に集中できない。
イアンはそう考え、実際に――
「ふぅ……縄のようなものを出したのは、それのためだったか」
ガルトの対応は遅れていた。
しかし、その遅れはほんの数秒、否、一秒の時が経つよりも短い間だけであった。
「……な……に…」
イアンは声を振り絞るようにそう言うと、膝から崩れ落ち、床に座り込んでしまう。
持っていたシルブロンスも銀色の光になって霧散し、それを持っていた右手がだらりと床に垂れ落ちる。
その右手首には、ナイフが突き刺さっており、彼の体は血まみれであった。
シルブロンスを振る寸でのところで、ガルトはイアンの右手にナイフを投げつけたのだ。
「イアン……おい、イアン! 」
ヴィクターがイアンに駆け寄ろうとした時――
「む! いい声だ。その声の悲鳴が聞きたくなった」
ガルトが笑みを浮かべながら、そう呟いた。
「……! 」
その時、ヴィクターはガルトに視線を向けていた。
ガルトの胸の辺り、そこが一瞬白く光るのをヴィクターは見ることができた。
そして、ガルトがしようとすることを理解し――
「やめろおおおおおお!! 」
叫び声を上げた。
「……いい声だ」
ガルトはそう呟くと同時に、一瞬でナイフを投擲した。
ナイフはまっすぐ、イアンの喉元を目掛けて飛んでいく。
そのナイフの動きは、イアンとヴィクターには捉えることはできない。
ガルトだけが把握しており、誰にもそのナイフを止められる者はいなかった。
キンッ!
しかし、ナイフがイアンの喉を貫くことはなかった。
パシッ!
そして、突然ガルトが右手を上げ、何かを掴むように拳を握り締める。
「……くくく…君が来たか」
ガルトは楽しげに笑みを浮かべると、掴んだ物を前方に投げ返す。
イアンの元に辿り着いたヴィクターは彼の体を支える。
「……オジさん」
イアンを支えたまま、後ろに振り向くと、部屋の入口にジグスが立っていた。
ジグスの手には、投げ返されたダーツの矢が握られていた。
「ふふ、君と決着をつける場所はここじゃない。ヒントをあげよう。この鍵は時計を爆弾に変える力を持っている」
ガルトは、右手に持つ鍵をジグスに見せつけるよう腕を上げた。
その後、落ちていた箱型の時計を拾い上げる。
「さっき、この時計を爆弾に変えた。爆弾の威力は時計が大きいほど強くなる。まず、この爆弾の威力をしるといいよ」
ガルトはそう言うと、時計を放り捨てた。
「ヴィクターくん、イアンくんをつれて、急いでここから出るよ! 」
「う……おう」
ジグスはイアンを抱えるヴィクターと共に、店の外へ向かう。
「また会おう、ジグス。あの場所で…」
部屋を出て行く際、ジグスとヴィクターはガルトの言葉を聞いた。
そして、時計が眩い光を放ち――
ドオオオン!
周囲を破壊し尽くす爆炎となった。




