二百十七話 無限の遊戯箱
「ガアアア!! 」
ライカンスロープがイアンに接近し、その巨大な右腕を振り下ろす。
イアンは後方へ飛び退いて、その右手の先にある鋭利な爪から逃れる。
「グルルァ! 」
まだ、ライカンスロープの攻撃は終わらない。
飛び退いたイアンを追い、今度は左の爪をイアン目掛けて横に振るう。
「くっ! 」
イアンは、着地をすると体を屈ませる。
振るわれた左の爪が頭上を通過した後、イアンは斧形態のFAAを下に構え――
「ふっ! 」
前に片足を一歩踏み出し、ライカンスロープの腹に目掛けて、FAAを振り上げた。
「グルッ! 」
しかし、FAAが肉を切り裂くことはなかった。
ライカンスロープが、先ほどのイアンのように、後方へ飛び退いたからだ。
「速い……あのエグバートの時よりも強いのか? 」
ライカンスロープの身のこなしの良さに、イアンは疑問を持つ。
「キイイイイ! 」
そんな彼の元に、上空から巨大なコウモリが飛来する。
「ワイヤーカフス! 」
イアンは右腕を上げ、巨大なコウモリに目掛けて、ワイヤーを射出する。
「キィ! 」
巨大なコウモリは、体を僅かに傾けるだけで、ワイヤーを躱すと――
「キイヤッ!! 」
「ぐっ……」
イアンに突撃し、彼の体を吹き飛ばす。
「くっ……む!? なんだあれは……」
ロープワゴンの上部から突き飛ばされ、宙に浮かぶイアンがふと、ロープワゴンの後方に目向けると、何も無かった。
その方向には線路や野原、夜空さえも無い。
黒い景色が広がっているのだ。
「……! まずいな…」
イアンは、その黒い景色を見て、背筋が凍りつくような感覚を覚えた。
あの空間に飲まれるとただでは済まないと、彼は感じたのだ。
イアンは、伸ばされたワイヤーをカフスに収納し、再び射出する。
ワイヤーは、ロープワゴンの上部にある突起した部分に向かって伸び、それに巻きついた。
イアンはワイヤーを右手で掴んで引っ張り、自分の体をロープワゴンの上部へ移動させる。
「ロープワゴンが動いているのは、そういうことか」
ロープワゴンの上部に着地すると、イアンはワイヤーをカフスに収納する。
「ガアアアッ!! 」
「キイイイ!! 」
二体の化物が攻撃をするべく、イアンに接近する。
「この状況……オレに活路が無い。アグレーは、完全にオレを殺す手段を使ってきたな」
二体の化物の攻撃を躱しながら、イアンはそう呟いた。
「ガアッ!! 」
ライカンスロープが跳躍し、イアン目掛けて飛びかかる。
「だが、殺られるわけにはいかん! サラファイア! 」
イアンは、両足の足下から炎を噴射させて、飛び上がり――
「喰らえ! 」
「グウッ!? 」
飛びかかってきたライカンスロープの顎を蹴り上げる。
サラファイアの勢いが乗った蹴りを受け、ライカンスロープの体は空中で静止する。
その隙に、イアンはFAAを長斧形態に変形させ――
「うおおっ!! 」
ライカンスロープの頭を目掛けて、振り下ろした。
「ガッ――!? 」
ライカンスロープは悲鳴を上げるまもなく、真っ二つに切り裂かれる。
二つになった体は、ロープワゴンの上部をゴロゴロと転がっていき、やがて黒い空間へと消えていった。
「まず、一体……やはり、ただでは済まないようだな…」
イアンは、ライカンスロープの体が消えたのを確認しつつ、FAAを斧形態に戻した。
「キイイイイイ! 」
再び、巨大なコウモリがイアン目掛けて飛来する。
「先ほど躱されたが、おまえにはワイヤーカフスが効果的だ」
イアンは空に向かって、ワイヤーを射出した。
カフスから伸ばされたワイヤーを右手で掴み、それを巨大なコウモリへ振り回した。
ビシッ!
「キッ!? 」
振り回されたワイヤーは、空を飛ぶ巨大なコウモリを鞭のように叩きつけられる。
ビシッ! ビシッ! バシッ!
イアンは、ワイヤーを何度も振り回し、巨大なコウモリの体を痛めつけていく。
「ギ……ギイイイ…」
ワイヤーを打ち付けられながらも、巨大なコウモリは、イアン目掛けて向かってくる。
「落ないか。なら、仕方あるまい」
イアンは、そう言うとワイヤーを振るい、巨大なコウモリに巻き付かせる。
「リュリュスパーク」
その状態で、彼は右手から雷撃を放った。
バリバリッ!
「ギギッ――!? 」
ワイヤーの伝っていた雷撃は、巨大なコウモリの体を貫くように駆け抜ける。
雷撃は光を放つほど力が強く、一瞬で巨大なコウモリを黒焦げにしてしまった。
「ふん……これで化物はいなくなった…」
イアンは、ワイヤーをカフスに戻し、巨大なコウモリが地面に落ちるのを見届ける。
巨大なコウモリは地面に落ちると、その場に留まり、やがて黒い空間に飲まれていった。
「あとは、この空間を出るだけ――」
「ほう、やりますね。ならば、これはどうですか? 」
「……!? 」
アグレーの声が聞こえ、イアンは周りを見回す。
ガシャン! ガシャン!
アグレーの姿は現れず、代わりに現れたのは――
「ガアアアッ! 」
「グルルゥ…! 」
二体のライカンスロープと――
バサッ! バサッ!
「キイイイイイ! 」
「ギィ! ギィ! 」
二体の巨大なコウモリであった。
「なっ!? バカな……また化物を……」
イアンは驚愕し、目を僅かに見開きながら、前方に立つ二体のライカンスロープと、空を舞う二体の巨大なコウモリを見る。
それらは紛い物ではなく、本物の化物たちであった。
「ふふふ…あなたが脱出する方法を教えて差し上げましょうか? 」
「……! 」
再び声がしたため、イアンが周りを見回すと、彼の顔は上空を向いたまま動かなくなる。
彼の視線は、空に浮かぶ満月に向けられており、その満月には男の顔が映っているのだ。
その顔はアグレーのもので、まるで、その月からイアンのいる空間を覗いているかのようだった。
「あなたがここから出る方法……それは、あなたが死ぬしかありません……ははっ…ははははは! 」
アグレーの笑い声がイアンのいる空間に響き渡る。
月に映るアグレーの顔は見えなくなり、彼の笑い声だけが残った。
化物が増えたことにより、状況は苛烈を極める。
イアンはロープワゴンの上、そこで二体のライカンスロープと巨大なコウモリ二体、計四体の化物を相手に生き残らなければいけないのだ。
そのうえ、化物を倒したとしても、この空間から出られることはない。
再び化物を送られ、次はまた数を増やされるだろう。
イアンに為す術は無かった。
「グルルァ! 」
「ガアッ! 」
イアンは、二体のライカンスロープの攻撃を躱す。
「ふっ! はっ! 」
「グギャア! 」
「ガッ……! 」
そして、斧形態のFAAを振るい、ライカンスロープ達の体を切り裂く。
当たったものの、致命傷にならず、ライカンスロープ達の機動力を落とすことさえできなかった。
今の彼の状況は、何をしても無駄だと言える。
そんな状況でも、イアンは諦めることなく、戦い続けていた。
(化物を倒した後、奴は再び新しい化物を出してくる。その時、どこかが外の世界に繋がっているかもしれない…)
彼は、不確かな可能性に活路を見出し、それを目指して戦い続けているのだ。
もし、それがダメだったとしても、彼はまた別の可能性に目を付けるだろう。
イアンは、死ぬその時まで、諦めるつもりはなかった。
(これまで、何度も死んでもおかしくない状況を乗り越えてきた。今回もなんとかなるだろう…)
その意志の強さに反して、イアンはそんな風に軽く考えていた。
「キイイッ! 」
イアンの元に、一体の巨大なコウモリが飛来する。
「また突っ込んでくるのか。ワイヤーカフス! 」
ビシィ!
「ギッ!? 」
ワイヤーを叩きつけられ、巨大なコウモリはイアンに向かうのをやめ、上空へと羽ばたいていく。
「ふん……ぐっ!? 」
その時、イアンは背中に衝撃を受けた。
「キギッ! 」
うつ伏せに倒れるイアンの上を巨大なコウモリが通過していく。
もう一体の巨大なコウモリがイアンの背後から接近し、彼の背中に突撃したのだ。
「うっ……しまった」
イアンはうつ伏せに倒れてしまい、急いで起き上がろうと顔を上げると――
「ガルァ!! 」
「ガアアアアッ! 」
自分目掛けて飛びかかるライカンスロープの姿と――
「キイイイイイイ! 」
飛来する一体の巨大なコウモリが目に入った。
「サラファイア! 」
イアンは、両足から炎を噴射させ、空に飛び上がることでそれらの攻撃から逃れた。
「上に逃げたはいいが……まずいな」
宙に浮かぶイアンは、自分の周りと眼下を見て、そう呟いた。
空には、二体の巨大なコウモリ、下のロープワゴンの上にはライカンスロープ。
イアンが空に逃げたのは一時凌ぎにしかならず、危機はまだ去っていないのだ。
「またサラファイアを使うか? しかし、ここで使うともう……」
イアンは、サラファイアを使うか否かで、頭を悩ませる。
「「キイイイイイ! 」」
そのイアン目掛けて、二体の巨大なコウモリが接近してきた。
その時――
「なっ……あなたは何者ですか? 何をするのです!? やめ――ああああああ!! 」
アグレーの悲鳴がイアンのいる空間に響き渡った。
「なんだ? 」
その悲鳴を聞き、イアンは月に視線を向ける。
月には、アグレーの顔は映っておらず、何が起きたのか分からなかった。
「……よそ見をしえいる場合じゃなかったな」
イアンは視線を下げ、向かってくる巨大なコウモリを迎撃しようと、FAAの取っ手を握り締める。
二体の巨大なコウモリがさらに接近し、イアンがFAAを振り上げたその時――
ポンッ! ポンッ!
二体の巨大なコウモリが白い煙に包まれた。
「……!? 」
突然起きた謎の現象に、イアンの体は硬直し、FAAを振り上げたままになる。
そんなイアン目掛けて――
「「じゃーん! イアーン!」」
白い煙の中から現れた金色の髪を持つ二人の少女がイアンに抱きついてきた。
「な、なに!? メロクディースだと!? 」
その二人の少女はメロクディースであった。
イアンは二人のメロクディースに抱きつかれたまま、ロープワゴンの上に落下する。
「イアーン! 」
「イアンさーん! 」
すると、もう二人のメロクディースがイアンに抱きついてくる。
ライカンスロープの姿が見えないため、巨大なコウモリと同様に、その二人のメロクディースに変化したようだった。
「な、なんだこの状況は? 何故、メロクディースがこんなに……」
イアンは抱きつくメロクディースを引き剥がしにかかる。
「イアン! イアン! 」
「うへへへへ! イアン~」
「ヘイ! イアン! ヘイ! 」
「イアンさん! イアンさん! 」
メロクディース達は、ギュウギュウとイアンを押し、抱きつくのをやめない。
「くっ…なんなのだ。あと、なんか一人違う奴がいるのだが……」
メロクディースは全員で四人。
三人は黒い衣類を着るいつものメロクディースだが、一人だけ白い服を着る者がいた。
「ええい、鬱陶しい。おまえらも敵か! 」
イアンは、抱きついてくるメロクディース達の頭に、救急箱形態に戻したFAAを叩きつけ、ロープワゴンの外へ突き飛ばした。
「「「うわああああ! 」」」
「きゃああああああ!? 」
メロクディース達は、地面へと落下していき、やがて黒い空間に飲まれた。
「うわああああ! ちょっと!! 叩き落とすなんてひどくない!? 」
メロクディースの声がイアンのいる空間に響き渡る。
イアンが顔を上げて、月に視線を向けると、目を吊り上げるメロクディースの顔がそこに映っていた。
「うるさい。いきなり、お前が出てきて驚いたぞ。お前もアグレーとか言う奴の仲間か? 」
「違うよ! そいつから、私はイアンを助けてあげたんだよ!? 私はイアンの味方だよ!」
「なら、早くここから出してくれ。できるんだろ? 」
「うん……でも、ちょっと待って…」
メロクディースがそう言った後――
「「「「イアーン! 」」」」
再び、複数のメロクディースがイアンの目の前に現れた。
「もうちょっと、遊ぼうよ。私だけで出来たハーレムを堪能してさぁ…」
「……お断りだ」
イアンは、向かってくるメロクディース達をロープワゴンから叩き落としていく。
「さっさと、ここから出せ」
一人残らず、メロクディース達を叩き落としたイアンは、月に映るメロクディースの顔を睨みつけた。
「……は、はーい…」
メロクディースは残念そうな表情を浮かべて、イアンの言うことを聞くことにした。
イアンは、ロープワゴンの車内にいた。
気づくと、車内にある椅子の上に座っていたのである。
後ろの窓に顔を向け、外の様子を見てみると、野原の上にちらほらと家が通り過ぎていくのが見えた。
まだ、イアンの乗るロープワゴンはファラワ村の駅に向かっている途中であった。
「戻った……そうだ。メロクディースは……」
「ここだよっと」
ロープワゴンの窓の一つが開かれ、車内にメロクディースが入り込んできた。
彼女は腕に箱のような物を抱えていた。
「メロクディース……上にいたのか? 」
「うん。こいつがそこにいたからね」
イアンの問いに答えると、メロクディースは抱えていた箱をイアンに差し出す。
その箱の中を覗くと、延々と線路を走るロープワゴンが様子が見えた。
「これは……さっきオレがいた空間か? 」
「うん、そうだよ。ここをよく見て」
「うん? 」
メロクディースに言われ、イアンが目を凝らしてロープワゴンの上に、アグレーの姿が見えた。
「くそぅ……よくも私を……ここから出しなさい!」
アグレーはそこから、外にいるイアン達に、そう声を上げていた。
「あいつ……この空間に奴を閉じ込めたのか。メロクディース、これはどんなアンティレンジなのだ? 」
「これは、無限の遊戯箱と言ってね。自分の考えた世界をこの箱の中に作ることができて、近くにいる人をこの中に閉じ込められるんだよ」
「ほう……近くか。奴はロープワゴンの上に身を潜ませ、オレをこの中に閉じ込めたのか」
「そうみたいだね。あと……二人の私」
メロクデイィースがそう言うと、彼女の手に二つの人形が現れる。
その人形は、メロクディースの姿を模しており、よく似ていた。
「それ! 」
メロクディースはその二つの人形を箱の中に放り込む。
すると、箱の中のロープワゴンの上に二人のメロクディースが現れた。
一人のメロクディースがアグレーの背後に回り込み、彼を羽交い締めにする。
もう一人のメロクディースは、羽交い締めにされ無防備になったアグレーの腹を殴り始めた。
「この空間で動くコマを作ることが出来るの。いいでしょ、これ」
「ふむ……コマは何でも……無限に作れるのか? 」
「うん。だって、無限の遊戯箱だもん」
「そうか……なら、オレに勝ち目は無かったということになるか」
「そうなるね! イアンは、もっと私に感謝するべきだよ」
メロクディースは、イアンの前で胸を張った。
「むぅ……お前が来なければ、オレが危なかったのは事実だな……礼を言おう」
イアンは、メロクディースに頭を下げた。
「……おお……なんかゾクゾクする……これは快感…」
メロクディースは自分の肩を抱き、恍惚とした笑みを浮かべた。
「……ところで、何故ここに? 」
イアンは頭を上げ、メロクディースにそう訊ねる。
「ん? 近くを通りかかってね。怪しい奴がロープワゴンの上にいるのが見えたから、ここに来たんだ」
「通りかかった? どこかに用があったのか? 」
「イアンに、アンティレンジの回収の進捗を聞きに来たんだよ」
「進捗? オレ達が回収したのは八個だ」
「ふーん……けっこう集まったね……もうすぐで、全部回収出来るじゃない? 」
「そうか? まあ、あと何個あるかは聞き出せばいいことか…」
イアンは、そう言うと、箱の中に視線を向ける。
「およ? ああ、そういうこと……ねぇ、おじさん。アンティレンジは、あと何個あるの? 」
イアンの視線で、メロクディースは彼の言わんとすることを察し、箱の中の空間にいるアグレーに問いかける。
「ふ、ふん! 私は商人だ。ただで貴重な情報を渡すとでも? 」
「おっと! 商人の方でしたかぁ。じゃあ、強盗に会った時の対処法も心得ていますよねぇ? 」
メロクディースがおちゃらけた声音でそう言うと、箱の中のメロクディースが、アグレーの顔を殴り始める。
「ぶっ!? ああっ! ぐべっ! 」
身動きの取れないアグレーの画面に次々と、容赦の無い彼女の拳が叩き込まれる。
「……さて、そろそろ喋りたくなったぁ? 」
「あべっ……分かっだぁ! しゃべぶっ…がら、やべでぇ…ぐで! 」
「じゃ、早く喋ってよ」
「ううっ……残りの…アンティレンジは……三つだ……」
メロクディースに羽交い締めにされ、ぐったりと項垂れるアグレーがそう答える。
「三つ……それらは、どういうものだ? 」
「……一つは……人を蘇らせる……命の代わりになる…砂……時計……もう二つは――」
アグレーの声は途中で途切れてしまった。
そこから先が彼の口から発せられる気配は、一向にしなかった。
「……メロクディース、奴はどうなった? 」
「ありゃ……気絶しちゃったよ」
「むぅ……仕方ない。あと三つということと、一つのアンティレンジの情報が聞けた。今は、これで良しとしよう」
「うん……けど、まさかこの国にアンティレンジをばら撒いた元凶が、こんなに早く見つかるとはねぇ……」
「……む? こいつに何かするつもりなのか? 」
「色々と聞きたいことがある……イアン、悪いけど無限の遊戯箱とこの男を持っていく。あと、しばらくこの国を離れるよ。悪いね…」
「謝る必要は無い。回収するアンティレンジはあと三つだ。あとは、こちらで何とかなるだろう」
「頼もしいね。じゃあ、頼んだよ」
メロクディースは、窓を通り抜けてロープワゴンの外へ飛び出し、夜の暗闇に消えていった。
2016年12月8日――誤字修正。
これで化物はいなかくなった → これで化物はいなくなった
あとあ、この空間を出るだけ → あとは、この空間を出るだけ




