二百十四話 探偵の休日
日常回 三本立て
「よく降るねぇ……」
ジグス探偵事務所の部屋の中、窓際に置かれた机に座るジグス。
彼は、窓に目を向けて、そう呟いた。
彼が見つける窓のガラスには、いくつもの白い線が消えたり現れたりしている。
その白い線は窓に当たると、雫となってガラスにひっつき滴り落ちる。
今日は、雨が降っているのだ。
「ひぇ~ここ最近で、一番降ってるよぅ。最悪だねぇ」
窓に映る白い線――雨の雫の数は多く、大雨と呼べるほど悪天候であった。
「こんな天気の時に、外を出歩かるく人はいないよねぇ~」
ジグスはそう言うと、正面に顔を向け――
「何で君たち来ちゃったかな~」
肩を落とした。
彼の正面、向かい合った二つのソファーにヴィクター、リトワ、ケイルエラ、イアンの四人が座っているのだ。
「俺とリトワは察してくれよ、オジさん。俺んちが、大雨の日に水没すんの知ってんだろ? 」
ソファーに座るヴィクターがジグスにそう訴えかける。
彼が住むアパートの土地は低いところにある。
それに加え、水捌けが異様に悪く、大雨が降ると膝の高さまで水が溜まってしまう。
それ故に、そのアパートの家賃は破格であり、住民はヴィクターとリトワしかいないのだ。
「うん、知ってる……リトワちゃん、初めて家が水没した感想は? 」
「……本当に水が溜まるとは思っていなかった……後数分でも家から出るのが遅れていたら、出られなくなってた」
ジグスの問いかけに、リトワは俯きがちに答えた。
彼女は初めて家が水没するという経験をし、ショックを受けていた。
「毎回思うけど、よくあんな所に住んでいられるわね…」
ヴィクターの向いに座るケイルエラが、呆れた表情を浮かべる。
「家賃が安いからな。あと水没すっけど、窓とか玄関のドアを全部塞いで、ここに避難すりゃいいのよ」
「一応ここ仕事場だから避難場所に指定するのはなぁ……分かってたけど、ヴィクターくんとリトワちゃんは避難ね。ケイちゃんは? 」
ケイルエラに、ジグスは顔を向ける。
「私? 私は、特警のちょっと会議があって、その帰りに雨が降ってきちゃって……」
「おおぅ……朝早くからご苦労様。帰れなくなったのなら仕方がない…………イアンくんは? 」
ジグスがケイルエラの隣に立つイアンに顔を向ける。
「……」
「……」
「……」
他の三人もイアンに顔を向け、彼を見る目は、異様な生物を見るような目をしていた。
「……何って、仕事をしに来たのだが……言うほど今日は大雨だろうか? 」
全員の視線を集めるイアンはそう答えた。
彼の全身は、雨で濡れており、水を多く含んでいるのか、紺色のナース服は黒っぽい色になっていた。
「どう見ても大雨だろうよ。ファラワ村からよく来たな」
「イアンくんは、仕事があると思って来ちゃったかー……ああ、そうだね。すっかり、イアンくんが外から来たのを忘れてたよ……」
ヴィクターが呆れた表情を浮かべ、ジグスは額に手のひらを当てる。
ジグスは、自分達とイアンでは、考え方が異なるところがあるのを思い出した。
「すまん。大雨の日は来なくていいと、知らなかったのだ」
「うん……謝ることはないかな」
「……それで、今日の依頼は? 」
「無いよ」
イアンの問いかけに、ジグスは顔に額を当てたまま答えた。
「……大雨だから中止になったか? 」
「ううん、普通に無いの……依頼…」
ジグスのその発言で、事務所の中は何とも言えない空気に包まれ――
「……何もやることがねぇ。最悪だな、今日は」
ヴィクターが吐き捨ているように、そう呟いた。
結局、彼の言う通り彼等は何もすることなく、雨が止むまで、部屋の中でじっとしていた。
――とある日の朝。
イアンはジグス探偵事務所に訪れた。
この日は、花売りの手伝いがないため、朝から探偵事務所に足を運んでいた。
「む……ジグス」
「やあ、イアンくん。今日は早いね」
彼が部屋の中に入ると、ジグスの姿が目に入った。
ジグスは、机には座っておらず、長い竿や籠等を手に持っていた。
「何をしているのだ? 」
「今から釣りに行くんだよ。イアンくんもどうだい? 」
「釣り? 」
イアンが首を傾げる。
「おや? 釣り……魚釣りのことを知らないのかい? 」
ジグスは、細長い糸が括りつけられた竿を軽く振るう。
「いや、知っている…やったことはないが」
「……? じゃあ、何かな? 」
「……依頼は……今日も依頼が入っていないのか? 」
「……イアンくん、釣りのやり方を教えてあげるから、僕の晩御飯を調達するのを手伝ってくれないかな? 」
「う、うむ、分かった」
イアンは頷いた。
その時、イアンのそんなに動かない眉が僅かに下がっていた。
突如、憔悴しきった顔になるジグスを見て、彼は悲しい気持ちになってのだ。
タブレッサの町を出て南の方角、そこにはガスセットという町がある。
タブレッサとファラワ村の中間にあり、タブレッサには及ばないが、そこそこ発展した町である。
そこにあるロープワゴンの駅には、タブレッサ~ファラワ村間の他に別の線路が存在する。
その線路は、ガスセットから西に続いており、終点はリビミスという村であった。
イアンとジグスは釣り道具を抱えて、ケージンギアの駅からロープワゴンに乗車し、その村の駅で降りた。
「ほう、いい景色だ」
駅を出たイアンが、感嘆の声を上げる。
リビミスの村は野原にあり、その緑の上に転々と家がある場所であった。
遠くに目を向けると、木々で覆われた大きな緑色の山が見え、リビミスの野原と相まって、イアンの言う綺麗な景色になっていた
「あれはゴトルギ山だねぇ。綺麗だけど、僕達が行くのは、あっちだよ」
ジグスはそう言うと、西の方角に指を差す。
イアンがその指の先に目を向ける。
すると、その方向には、大きな湖が広がっていた。
「おお……思ったよりも広いな」
「うん。あの湖……リビシシャ湖は、さっき通ったガスセットの町と同じくらい広いんだよね」
「町と同じ広さか……あそこで魚を釣るんだな? 」
「うん。じゃ、早速行こうか」
イアンとジグスは湖に向けて、歩きだした。
湖には桟橋があり、二人はその上に立つ。
周りを見回せば、他にも人がおり、やることは彼らと同様に釣りをしえいるようだった。
「よし! イアンくん、僕の動きを見ていてくれ」
シグスは、折りたたまれた椅子を開き、その上に腰掛けると、隣のイアンにそう言った。
「ああ、分かった」
イアンも折りたたまれた椅子を開き、その上に腰掛ける。
ジグスはイアンの返事を聞くと、竿に括りつけられた糸を掴む。
その糸の先には、反り返った針があり、ジグスはその針に生きた芋虫を突き刺す。
その後、竿を手にして軽く前に振り、湖に糸を垂らした。
「はい。後は、餌に魚が食いつくの待つだけ」
「ふむ、あまり難しいことはやっていないな。どれ」
イアンは、ジグスの動きを真似て、湖に糸を垂らした。
「……」
「……」
そして、二人は竿を手にしたまま動かなくなった。
「……お? 」
少し経つと、ジグスの持つ竿の先端が僅かに反り始めた。
「来たねぇ、それっ! 」
ジグスが竿を振り上げると、湖から引き上げられた糸の先端に魚が食いついていた。
「一匹目~幸先いいねぇ」
ジグスはニコニコと微笑みながら、水の入った籠に釣った魚を入れる。
「おお……流石、経験者だな…」
「へへへ、いやぁ~何とか僕が先に釣れて良かったよ……って、イアンくん、前、前」
「む? お! 」
ジグスに促され、前に顔を向けると、竿の先端が反っていた。
「この手応えか、ふっ! 」
イアンが竿を振り上げる。
すると、ジグスの時と同じように、糸の先端に魚が食いついていた。
「お、おおっ! 」
初めて魚が釣れて、感動するイアン。
「いいでしょ~その魚が釣れた時の感動」
ジグスが嬉しそうな顔する。
「その感動と魚を待っている時の静かな時間……これがヴィクターくん達には分からないんだよなぁ」
「なに? そうなのか? 」
「うん。誘ってもね、来てくれないんだよ~」
「……信じられん。こんなに面白いのに……」
イアンは険しい表情を浮かべながら、釣った魚を籠の中に入れる。
「……流石、イアンくんだ。連れてきて良かったよ。その調子で、どんどん魚を釣ってくれ」
「分かった」
イアンは再び針に餌を括りつけ、湖に糸を垂らした。
二人は夕方まで魚を釣り続け、釣った魚は二人合わせて二十匹。
イアンは清々しい顔で、ジグスは満面の笑みで帰路に着いた。
次の日、探偵事務所に依頼が入り、ヴィクター達が気合を入れている中、イアンとジグスは残念そうな顔をしていたという。
「イアンさん、新しいナースアーマーとFAAができたよ」
「ああ、助かる」
探偵事務所にて、イアンはリトワから畳まれたナースアーマーとFAAを受け取った。
この二つは、ヒカゲとの戦闘により破損してしまったため、イアンはリトワにまた作ってもらっていた。
それまで、イアンはFAAに代わる武器は持たず、普通のナース服を着て過ごしていた。
「あと、これも」
「む? これは? 」
イアンは、リトワから白い筒状の布を受け取った。
「むぅ? 何か思ったよりも重いぞ。リトワ、これはなんだ? 」
それは見た目が布にも関わらず、それに似つかわしくない重量を持っていた。
「ふふ、それはピストンカフスさ」
「ピストンカフス? 」
「とりあえず、腕……手首あたりにつけてごらん」
「ああ」
イアンは、リトワに言われた通り、右の手首にピストンカフスを付ける。
ピストンカフスにはボタンが付けられおり、それを留めて手首に固定する。
「付けたぞ」
「うん。じゃあ、手首を捻ってみて」
「捻る……こうか? 」
イアンが右手を捻ってみると――
バシュ!
激しい音と共に、ピストンカフスから勢いよく杭のようなものが飛び出した。
「うおっ!? 」
イアンが驚きの声を上げる。
その杭が出る勢いは、イアンの右腕を跳ね上げるほど強かったのだ。
「ふふふ、どうだい? 強力だろう? 」
イアンの驚く様子を見て、リトワは満足げに笑みを浮かべる。
「新しい武器を作ってみたんだ。見た目は武器に見えないようにしてね。それでいて威力があるんだ。これからのイアンさんの戦いに、きっと役に立つと思うよ……」
「……あ、ああ…」
「……あれ? 」
思っていた反応と違うため、リトワは首を傾げた。
「何か不満が? もしかして、威力が足りないとか……」
「いや、そうではない」
「違う……なら、何が? 」
リトワに訊ねられ、イアンは――
「……これ……必要ない…」
と答えた。
「……え…」
そのイアンの答えを聞き、リトワは思わず、間の抜けた声を出した。
「確かに威力は凄まじく、いい武器だと言えるだろう。だが、今のオレには必要ないのだ」
「必要……ない? どうして? 」
「オレには、FAAとリュリュスパークがある。これで事足りるのだ」
イアンはFAAを右手に持ち、強調させるよう掲げる。
「……そんな…」
リトワは信じられないというような顔をし、顔を俯かせた。
彼女は、きっと役に立つだろうと思い、ピストンカフスを作ったのである。
しかし、それを必要のないものだと言われ、ショックを受けたのだ。
「……すまんな。これは返そう」
イアンは、ピストンカフスを外し、リトワに差し出す。
リトワは黙って、それを受け取ると、ジッと自分が作ったそれに目を向けた。
「……」
そして、再び顔を俯かせると、ふるふると体を震えだす。
(しまった……言い方を誤ったか…)
その彼女の様子に、イアンは戸惑う。
「……う……うううううう…」
すると、突然リトワが唸りだした。
「……!? リ、リトワよ、そんなに気に病むことは――」
「やった! 」
「……は? 」
今度は、イアンが間の抜けた声を出した。
泣き出すかと思ったリトワは顔を上げ、両の拳を振り上げたのだ。
彼女のその顔は、泣きじゃくるような表情ではなく、笑顔であった。
「初めて、ダメ出しをされた……こういう気持ちになるんだね……」
そして、リトワは目を瞑り、振り上げた拳をふるふると震わせる。
これが彼女流の喜びの表現方法であった。
「いい気分だ。今までにないほど、体の底からやる気が沸いてくる……良い物が作れそうな予感だ」
「あ、ああ…」
イアンはまだ、リトワの様子に困惑し続ける。
何故、彼女が喜んでいるかが理解できないのだ。
リトワは、上に向けていた視線を下げ、イアンに接近し――
「イアンさん、何が足りないのかを教えてくれないか? 今度は、絶対に必要になるものを作りたい。ボクの考えだけじゃ、それは作れやしないだろうから、イアンさんの意見も欲しい」
まくし立てるように、言葉を並べた。
「う、うおお…」
イアンは、良い物を作ろうとするリトワの気迫に気圧され、部屋の隅へと追いやられていく。
「さあ、イアンさん。何が足りないか、何が必要かを教えてください」
「……オレには……離れた距離の相手に……攻撃する手段が少ない……それを補いたい……」
グイグイと壁に押さえつけられながら、イアンはそう答えた。
「離れた相手に……カフスの形はそのまま使えそうだね……分かった、ありがとう」
リトワはぶつぶつと何かを呟くと、風の如く探偵事務所を後にした。
「……な、なんだったんだ? 」
リトワが去り、イアンはへなへなと壁に寄りかかったまま、床に腰を下ろした。
――数日後。
「イアンさん、できたよ」
数日間、探偵事務所に姿を現すことのなかったリトワが、ようやく顔を出した。
彼女は以前と同じように、白いカフスをイアンに差し出す。
「……そうか」
イアンは目の前のリトワに顔を強ばらせつつ、カフスを受け取った。
カフスを右手首に付けながら、イアンはチラリとリトワに視線を向ける。
彼女はいつもの顔していたが、ジッとカフスを見つめていた。
「付けたぞ。手首を捻ればいいのか? 」
「うん。右手を壁に向けてから、捻ってみて」
「壁に? 分かった」
イアンは壁に右手を向けて、手首を捻った。
バスッ!
すると、カフスから黒い線が飛び出し――
バシッ!
壁に到達すると、鞭で叩いたような音を立てた。
「鞭か……確かにこれならば、離れた相手に届くな。あと、毎回思うのだが、どういう原理でうどいているんだ? 」
「それは、ワイヤーカフス。その黒い線はワイヤーと言って、ワイヤーを飛ばして攻撃できるんだ。戻すときは、もう一度手首を捻ればいい」
リトワはイアンの疑問を聞き流し、ワイヤーカフスの説明をする。
「ふむ、ワイヤーカフスか。攻撃以外にも、色々と使えそうだな」
イアンは、右手首を捻り、カフスに収納されていくワイヤーを見ながら、そう呟いた。
「うん、汎用性は高いよ。あと、ワイヤーは細長い鉄を編み込んで作ってあるから、リュリュスパークとの相性もいいよ」
「おおっ! それはいい、便利だ」
イアンは、満足げに呟いた。
「で……どうかな? 」
しかし、リトワは笑っていなかった。
真剣な表情で、イアンの顔を見つめているのである。
「どうって……良いじゃないか。文句なしの出来だと思うぞ」
実際、イアンはワイヤーカフスに満足しており、それを絶賛する。
「……そう……それは良かったよ…」
イアンの声を聞くと、リトワは残念そうな表情を浮かべた。
「……何故だ…」
結局、イアンはリトワの心が理解できなかった。




