二百十三話 弱者に擬態する種族
イアンは、よろめきながら立ち上がり、ヒカゲの元へ向かう。
「……はぁ……この勝負、オレの勝ちでいいよな? 」
そして、彼女の横に腰を下ろした。
「ふん! こんな無様な状態で、勝利を宣言するバカがいるのものか」
イアンの問いかけに、ヒカゲはそう答えた。
彼女は体が痺れて動けないのか、うつ伏せのままである。
「それより、ちゃんと手加減をしたんだろうな? 体がまったく動かないぞ」
「心配することはない。じきに動くようになる。ほれ」
イアンは、ヒカゲの体を抱え、仰向けに寝かせる。
「お前が消える前に、いくつか聞きたいことがある。答えてもらうぞ」
「……敗者は勝者に従う。だが、一つ聞いて良いか? 」
「……なんだ? 」
イアンは、ヒカゲの言うことに耳を傾ける。
「何故、あの時、イオではないと気づいた? 」
ヒカゲがイアンに問いかける。
彼女の言うあの時とは、昨日のこと、イオの家で夕食を取ったイアンが立ち上がった時である。
「お前よりは強いだろう…」
「……? 」
「これはヒカゲに対して言ったのだ」
「…………はっ、どうりで……腹が立ったわけだ…」
ヒカゲは、目を閉じ、気の抜けたような声を出した。
「だろうな。それを隠すためか、その後の反応が大袈裟すぎた。それで、分かった」
「そうか。ククク……オレもまだ、未熟ということか…」
ヒカゲは、自嘲気味に笑みを浮かべた。
「これで満足か? 今度は、こっちの質問に答えてもらうぞ。まず、イオは何者だ? 」
イアンは、ヒカゲの目に視線を向けながら、そう訊ねた。
「……オレではなく、イオのことを聞くか。ククク……冴えているな、イアン・ソマフ」
ヒカゲはイアンに笑みを浮かべた後、神妙な顔つきとなった。
「赤燕魔人……イオはその種族の末裔だ」
「赤燕魔人? 」
ヒカゲの言葉に、イアンは首を傾げる。
「知らないのも無理はあるまい。この種族は、とうの昔に滅びかけ、この世界の歴史から身を隠したのだ」
――赤燕魔人。
かつて、戦闘民族として名を馳せていた魔人と呼ばれる種族の一派。
赤い髪と目を持ち、目にも止まらぬ速度で動くことが、種族の名前の由来である。
高速移動と炎魔法と一族特有の力を駆使して、数多ある戦場で活躍し、魔人の中でもトップクラスの実力を持つ種族であった。
「そんなに強いのなら、何故滅びかけた? 」
「当然の疑問だ。この世界は強者が生き残る……だが、強い者ほど死ぬ可能性が高い…」
「強い者ほど……その理由は? 」
「少し考えれば分かること……強い者ほど、多くの戦場を渡り歩く。戦う回数が他種族よりも多いのだ。そして、強者であれ、戦場に向かう回数が多ければ、死ぬ危険もそれと同じく多くなる。いつかは戦場で野垂れ死んでしまうものだ」
魔人族の者は総じて、その強さから多くの戦場に足を運ぶことが多い。
そのため、戦いにより命を落とす者も多かった。
戦い続けることにより、魔人族は次第に数を減らしていき、多くの魔人族は滅びの道を辿っていったのだった。
「昔は今ほど、世界は平和ではなかったからな。多くの魔人達が、あっという間に名を馳せ、あっという間に消えていったよ」
「その中の……イオ達の一族は生き残ったのだな」
「……ああ、生き残った。赤燕魔人の一部の一族は生き残る道を選んだ」
そう言うヒカゲの顔は次第に曇っていき――
「こいつの先祖共は、戦いから逃げたのだ! 」
やがて、怒りの表情を浮かべた。
滅びゆく他の魔人族を見ながら、赤燕魔人のある一族は、生き残る術を見つけ出した。
それは、戦いから身を遠ざけることであり、彼らが具体的に取った行動は、自分達を弱く見せることであった。
弱者であれば、戦場に駆り出されることはない。
イオの先祖達は、ひたすら自分を弱く見せ続けて、ひっそりと人々から姿を消していったのだ。
「希に不可抗力で戦うことがあるが、基本は弱者を偽る。情けのない種族に成り下がった! 」
「……そういうやり方もあるのか…」
ヒカゲの話を聞き、イアンは静かにそう呟いた。
「イオも先祖達のように、戦いから縁遠い暮らしをしていたのだな……そして、お前はそれが気に入らなかった」
「そうだ! 生まれてからずっとオレは気に入らなかった! 力を持っているにも関わらず、世界に名を知らしめようとしない一族の方針が気に入らなかった! 戦わなければ、オレ達の存在意義が無いからだ! 」
「……オレに挑んだのは、存在意義を示すため……赤燕魔人の力を見せつけるためか? 」
「そうだ。戦いの中で生きるお前に、一族の力が通用するか試したのだ……結果は、この有様だがな…」
ヒカゲは、力なくそう呟いた。
状況がどうであれ、彼女にとってイアンに負けたことは、悔しいようだった。
「……理由があろうと、お前はイオの体を自分のために利用した。もう二度と同じことをするな」
「……そう思うのなら、胸の手鏡を取り上げるといい」
「手鏡? 」
「ローブの下、服のポケットにしまってある」
イアンは、ヒカゲに言われた場所を探ってみる。
すると、胸のポケットには、銀色の手鏡があった。
「これは……いつかイオが買ったと言っていた……」
「その手鏡は普通ではない。オレがイオの体を乗っ取ることができたのは、その手鏡のせいだ」
「なんだと? 」
イアンが眉をひそめる。
ヒカゲ自信の力によって、イオの体を操っていたのだと思っていたのだ。
「うまくは言えんが、それは所持者の内なる心に人格を与え、日が沈んでいる間、その人格に肉体の所有権を渡すものらしい。」
「これもアンティレンジだったのか……しかし、お前はイオの内なる心ではないだろう」
「そうだな、オレはイオの力だ。思いが強かったのか、特殊な存在なのか理由は知らんが、オレが選ばれた」
「むぅ…よく分からんな……待てよ。オレが持つと、オレも別の人格に体を乗っ取られるのか? 」
イアンは、そう言うと動きを止める。
「オレがまだイオの体を動かしている。今は心配は要らないが……そうだな。しばらくは、その力を封印しよう」
「できるのか? 」
「ああ。ずっとは無理だが可能だ。オレの胸の上に手鏡を置いてくれ」
イアンは、ヒカゲの言う通り、彼女の胸の上に手鏡を置く。
「……これでオレは消えるが、聞きたいことはまだあるか? 」
ヒカゲに訊ねられると、イアンは――
「……イオは……自分が赤燕魔人だと言うことを知っているのか? 」
とヒカゲに問いかけた。
「知っている……が、多くは知らない」
「そうか……なら、今日のこと……お前のことは言わない方がいいな」
「……そうなるな、改ざんした鈴のことも消すとしよう。知らないほうがいい。オレの気に入らない一族の方針……今まで通り平穏に暮らすというのなら……」
ヒカゲはそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。
すると、彼女の胸の上にある手鏡が赤く光り出す。
「さらばだ、イアン・ソマフ。お前との戦…楽しかったぞ」
ヒカゲがそう言った後、手鏡を包んでいた赤い光が消えた。
以降、ヒカゲは喋ることなく、すぅすぅと寝息を立て始めた。
「イオに戻ったか…」
肉体の所有者がヒカゲからイオに戻ったのである。
イアンは手鏡を自分の胸ポケットにしまい、イオの体を抱えて立ち上がる。
「……鎌も持っていくか…」
そう言うと、イアンはイオを背中に背負い、大鎌を拾い上げる。
そして、ふらふらとおぼつかない足取りで、住宅街の路地を歩いて行った。
夜が明け、日が昇り始めた頃。
イアンは、イオの家の中の一室にいた。
「……これで、よし」
ベッドの上で寝息を立てるイオに、布団をかけるイアン。
彼はイオを自分の部屋に運びに来ていた。
イオの穏やかな表情を見た後、イアンは周りを見回す。
彼女の部屋には、様々な服がしまってあるだろうタンスと、いつもそこで身だしなみを整えているであろうドレッサーがあった。
「……長居は良くないな……む! 」
部屋を出ようとしたイアンに、イオの右手首が目に入った。
「これはもう必要ないな」
イアンは、そう言うとその右手首に手を伸ばす。
彼女の右手首に付けられた山彦の鈴、それを外すためだ。
外した山彦を掴み上げ、イアンはじっと見つめる。
「まさか、こいつが役に立つとはな…」
今の彼が思い浮かべている人物は、メロクディースである。
イアンは彼女に貰ったこの鈴が、役に立つとは思っていなった。
「結果、アンティレンジの回収……奴のためなったのが、少々気に入らないが、持っていて良かった」
山彦の鈴を服の胸ポケットにしまい、イアンは踵を返した。
「む……? 」
歩き出そうとしたイアンだが、彼は足を止める。
服が何かに引っかかったのか、スカートを引っ張られたのだ。
何に引っかかったのかを確認するため、後ろを振り返ってみると、イオの右手がイアンのスカートを引っ張っていた。
「……ふぅ…そう引っ張られると、服が無くなる…」
昨晩の戦いで、イアンの着るナース服の焦げ、所々が崩れてなくなっていた。
ここに来るまで、その崩壊具合は進んでおり、そろそろ服として認識できない域に達しようとしていた。
イアンは、イオの右手にそっと振れ、スカートから手を離すように動かす。
「……行かないで…」
「……! 」
イオの声が発せられ、イアンは思わず、体を硬直させてしまう。
「……」
しばし、イアンは体を動かせずにいたが、イオの言葉は続くことはなかった。
先ほどの言葉は、彼女の寝言であった。
ようやくそうであると分かると、イアンはホッと息をつく。
「行かないで……」
その後、イアンは彼女の発した言葉を自分も呟いてみる。
「……あの時……そう言っていれば、行かなかったのだろうか……父さんは…」
イアンは、父との別れの時を思い出し――
「おまえは、言えたのか」
イオも自分と同じような経験をしたのだと思った。
「……言っても、引き止めることはできなかったようだな…」
イアンはそう呟くと、イオの右手からスカートを手放させて、部屋のドアへ向かう。
ドアを開ける前に、イオの方へ視線を向けると、彼女の右手は、ベッドの外にだらりと垂れ下がっていた。
「……」
イアンは何も口にすることなく、イオの元へ行き、垂れ下がっていた右腕を布団の中に入れてやる。
そして、再びドアの前に立ち――
「すまんな。それで勘弁してくれ…」
と言って、イオの部屋を後にした。
イアンに戻されたイオの右手は、何かを握り締められるように閉じられている。
その右手の中に、身に覚えのない鈴が握られていたことに彼女が気づくのは、もう少し時間が経った後である。
――リィーーン……
ラストンの家に向かう途中、ふとイアンは足を止め――
「鈴の音を聞きすぎたな。耳鳴りがする」
と呟き、再び歩き始めた。




