二百十二話 月下の一戦
夜、ケージンギアの古びた住宅街。
一人、イアンはそこにいた。
彼は、建物の屋根の上に立ち、眼下の広場を見下ろしている。
その視線の先に広場は、かつて大鎌を携える仮面の者と戦った場所である。
――リィーーン…
鈴の音が聞こえ、イアンは聞こえてきた方向に目を向ける。
すると、屋根の上、イアンの立つ場所から十メートルほど先に、大鎌を肩に担いだ仮面の者がいた。
「……戦う前に一つ……お前は何と呼べばいい? 」
イアンは、仮面の者に体を向け、後ろ腰のFAAに手を伸ばす。
仮面の者は、ゆっくりと大鎌を下ろし――
「今まで通り、イオと呼べば良いんじゃないかな」
被っていたフードと仮面を外され、顕になった顔はイオのものであった。
彼女の赤い目は僅かに輝いており、桜色の髪は月の光によって照らされ、朝や昼に見る彼女の髪とは違った印象を受ける。
そして、彼女は真っ赤に輝く目でイアンを見つめ、口元を吊り上げていた。
「ふざけるな、お前はイオではない。もうオレをからかうのはやめろ」
カシャ! カシャ! シャキン!
イアンはFAAを斧の形態に変形させつつ、後ろ腰から抜き払った。
「ククク、もう通用しないか。やはり、感づいているようだな。しかし、こいつのせいで、疑心暗鬼になるお前の姿は、滑稽だったぞ」
イオはそう言うと大鎌を左手に持ち、右手を掲げた。
彼女の声は、イオの声とは違ったドスの効いた声に変わっていた。
掲げられた右手首には、山彦の鈴が取り付けられている。
「この鈴が外せないことには焦ったが、何てことはなかったな」
「……そういえばここ数日、ずっとお前はイオの体を乗っ取っていたのか? 」
イアンがイオに訊ねる。
『いいでしょ? これ。鈴なんて子供っぽいと思ったけど、なかなか決まってるよね!』
彼は、一昨日のイオとの会話を思い返していた。
この時、どっちのイオと会話をしていたか気になっているのだ。
「……ずっとじゃない。日が沈む時……夕暮れから朝になるまでオレは出てこれる」
「そうか。ならば何故、本当のイオは自分で鈴を買ったと言ったのだ? 」
イアンに問いかけられると、イオは左手で自分の頭を突くような仕草をする。
「お前の言う本当のイオが戻る時に、記憶を改ざんしたのだ。オレは奴の中にいる存在だ。造作もない」
「……お前は一体何者だ? 」
「何者……ククク、そういえばオレを何と呼べば良いかと聞いていたな」
イオはそう言うと大鎌両手で持ち、その切っ先をイアンに向けた。
「オレの名はヒカゲ……術者に付き従う力の一つ、偽る影……ふふっ…それは、もう昔のことか…」
イオ――ヒカゲは、自嘲気味に笑みを浮かべた。
イアンもFAAを構え――
「ヒカゲとやら……お前は何故、オレに戦いを挑む? 」
前方の日陰に問いかけた。
「ククク、簡単なことよ。オレが…強いということを証明するためだ! 行くぞ、イアン・ソマフ! 」
イアンの問いかけに答えると、ヒカゲは真っ直ぐ前方へ飛び出した。
「証明……ならば、オレの方が強いことを納得させ、お前からイオを開放させよう! 」
イアンも前方に駆け出して、FAAを縦に振るう。
ガキィン!
それをヒカゲは大釜で受けた。
イアンとヒカゲ、両者はこの国には似つかわしくない力の持ち主である。
今夜、平穏なケージンギアの住宅街にて、その二人の戦いの火蓋が切られたのだ。
キィン! ガッ! ギンッ!
ケージンギアの古びた住宅街の上、そこから金属がぶつかり合うような音が鳴り響く。
建物の屋根の上で、イアンとヒカゲが互いの武器をぶつかり合わせていた。
ガッキィン!
FAAと大鎌がぶつかり、イアンとヒカゲの足が止まる。
相手の武器を押し返そうと、競り合いが始まったのだ
「一つ……気になっていることがある」
そんな中、イアンがヒカゲに問いかける。
「ほう? 言ってみろ」
「お前のその体はイオのものだろう? 傷つけるわけにはいかないのだが」
「はっ、知るか。ならば、傷つけないよう戦って見せろ! 」
キィン!
「ぐっ!? 」
ヒカゲにFAAを弾かれ、イアンは大きく後退していまう。
その隙に、ヒカゲは大鎌を振りかぶり、イアン目掛けて横薙ぎに振るい始めた。
それをイアンは屈むことで間一髪で躱し、反撃を行うため、ヒカゲに目掛けて走り出そうとするが――
「……!? 」
一歩足を前に踏み出したところで、後方へ飛び出した。
その時イアンは、下から赤い線が上に向かって走るのを見た。
ヒカゲは横薙ぎに振るった大鎌を途中で止め、そこから上に向かって振り上げたのだ。
もしイアンがそのまま、彼女に接近していたら、真っ二つに引き裂かれていただろう。
「勘がいい……いや、今のは見切っていたな」
後ろに飛び退ったイアンを見て、ヒカゲは楽しげに笑みを浮かべた。
「いい気なものだ。こっちは九死に一生を得て、気が気でないのに……」
建物の屋根の上に着地したイアンが、そう呟く。
「そんな顔では説得力がないぞ。今日も月が明るい。顔はよく見えいるぞ! 」
ヒカゲはそう言うと、イアン目掛けて走り出した。
彼女の言う通り、イアンは無表情であった。
「……本当に肝が冷える思いをしたのだがな…」
イアンはFAAを前方に構えて、ヒカゲの攻撃に備える。
「ククク…」
そのイアンの様子に、ヒカゲは笑みを零すと――
「……! 」
彼の視界から姿を消した。
(来たか、高速移動)
イアンは瞬時に目を閉じて、聞こえる山彦の鈴の音に集中する。
リイイイイイイイイイイイイ……
「……む? 」
鈴の音を聞き、イアンは顔を歪ませた。
自分の周り、全方向から音が聞こえるのだ。
(奴め……オレが鈴の音で位置を把握していることを知っているな)
心の中で悪態をつくイアン。
ヒカゲはイアンの周りを高速で移動していた。
それにより、イアンの耳をかく乱し、音で位置を把握させないようにしているのだ。
それでもイアンは目と閉じたまま、鈴の音を聴き続ける。
(どの方向にいようと、攻撃を仕掛ける時、その時に音が変化するはずだ)
ヒカゲが攻撃をする瞬間をイアンは見極めようとしているのだ。
しかし、方向が分ければ、防御も反撃もできない。
リイイイイイ…インッ!
その時、音に変化が現れ、イアンは――
「うおおっ! サラファイア! 」
両腕を広げて、横方向に回転した。
ただ横に回るだけではなく、片足から出したサラファイアの勢いを加えた回転である。
その勢いが乗ったFAAは、イアンの周囲を攻撃範囲とし――
キィン!
「ちぃ! そうきたか! 」
接近したヒカゲに衝突した。
ヒカゲは咄嗟に大鎌でFAAを防いだが、サラファイアの勢いが乗った一撃を受けたのである。
彼女は大きく吹き飛ばされた。
「そこか! サラファイア! 」
イアンは体を回転させる中、弾き飛ばしたヒカゲを目で捉え、両足の足下から炎を噴射させて接近する。
「くっ! 」
身動きが取れないのか、接近するイアンに対して回避行動を取らない。
代わりに、イアンを迎撃するため、大鎌を横へ振り払った。
「なんの! 」
イアンは片足から炎を勢いよく噴射させ、急上昇することにより、ヒガゲの攻撃を回避した後――
「サラファイア! 」
両足の足下から炎を噴射させて、再びヒカゲに接近する。
イアンはこれで、六回分のサラファイア使用したことにより、今日はもうサラファイアは使えない。
「ぐっ…」
炎を噴射させながら接近するイアンに、ヒカゲは呻くような声を上げる。
今の体勢では、うまく大鎌を振るうことができず、腕をを振り切ってしまったのだ。
イアンの攻撃を防ぐには、大鎌は間に合わない。
「これでどうだ」
イアンはFAAを救急箱の形態に戻し、ヒカゲの頭を目掛けて振り下ろす。
ガッ!
金属がぶつかり合う音が響き渡った後、ヒカゲとイアンは屋根の上に着地した。
「もう一つ……武器を持っていたのか…」
「ククク…蟷螂炎鬼だけで、行けると思ったが……イアン・ソマフ、お前は強いな」
互いに息がかかる距離で、イアンは目を見開き、ヒカゲは不敵な笑みを浮かべていた。
二人の間には、FAAと鉈が互いに押し合い、競り合っていた。
ヒカゲの右手には大鎌が持たれており、その反対の左手には鉈が持たれているのだ。
彼女は鉈を隠し持っており、それでイアンのFAAを防いでいた。
「この鉈の刀身も赤い……お前の武器は、刀身が赤い奴ばっかりだな」
イアンがFAAを受ける鉈を見て、そう言った。
彼女の持つ鉈の刀身が赤く、刃がイアンの方に向けられおり、両刃であることが確認できた。
「くだらん! 言っている場合か! 」
ヒカゲが、右手に持った大鎌をイアン目掛けて振るう。
「……! 」
イアンは瞬時に反応し、慌てて後方へ飛び退る。
「甘い! 火炎鬼弾! 」
ヒカゲはそう言うと、鉈を手にした左手を前方に突き出した。
すると、左手の前に真っ赤に燃える炎の玉が出現し――
ボオオオッ!
イアン目掛けて、高速で打ち出された。
「うあっ!? 」
空中で身動きの取れないイアンは、回避することができず、炎の玉をその身に受け――
「ううっ…」
仰向けの状態で、屋根の上に落下した。
「ククク…嬉しいぞ、イアン・ソマフ」
ヒカゲは、鉈を元の場所に戻す。
そして、自由になった左手を掲げて、真っ赤に燃える炎をその手に点らせた。
「先ほど言ったように、お前は強い。故に、我が一族の力を存分に使うことができる。そらっ! 」
ヒカゲは、炎が点った左手を横薙ぎに払った。
すると、左手の炎から複数の炎の玉が生まれて飛んで行き――
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
イアンの周囲の屋根を弾き飛ばしていった。
「起きろ、イアン・ソマフ。まだ戦いは始まったばかりだぞ」
ヒカゲは、あえて炎の玉を外していた。
イアンを挑発するために行った行動であった。
「くっ……魔法が使えることを失念していた…」
イアンはゆっくりと立ち上がり、FAAを斧の変形させる。
ナースアーマーに耐火性が僅かに備わっていたため、大した被害は受けていなかった。
「……」
しかし、状況は圧倒的にイアンが劣勢である。
高速移動と魔法を駆使するヒカゲに対し、自分は何ができるか。
イアンは、笑みを浮かべるヒカゲを見つめながら、考えていた。
建物の屋根の上で、イアンとヒカゲは対峙している。
しばらくこのままの状態で、二人が動く気配がなかった。
二人は、互いに相手が動くのを待っているのである。
(サラファイアの機動力がない今、奴に対抗できるのは……)
イアンは、打開策を考えつつ、ヒカゲの攻撃を回避するため――
(あの足から炎を出す力といい、油断はできん。しかし、どう来るか楽しみでもある)
ヒカゲは、イアンの行動に対し、どう攻めるかを考えていた。
二人は時間が止まったかのように動かない。
しかし、この二人の止まった時間は、やがて動き出すだろう。
その時が来るまで、イアンは――
(鍵となりそうなのは、リュリュスパークだな…)
ヒカゲを倒すための策を思案する。
彼が考え出したことは、リュリュスパークを使うことであった。
しかし、問題がある。
(だが、苦しいな。今の奴に近づける自信が無い)
それは射程だ。
リュリュスパークは、雷撃を纏った右手を相手に当てることで攻撃になる。
この技の射程はイアンから、彼の右手が届く距離。
魔法を使い、高速移動をするヒカゲに対しては、まだ有効な技だとは言えないのだ。
(リュリュのように、飛ばされば……あ、そうだ)
その時、イアンは思いついた。
(リュリュ! )
それは、自分より力に詳しい者に相談することだった。
デュン♪ デンデンデデンデン♪
(なにー? イアン)
イアンの頭の中で軽快なリズムの音楽が響いた後、リュリュの返事が来た。
(そろそろ雷撃を飛ばせるようにならないだろうか? )
イアンは心の中で、そう問いかける。
(無理)
(……)
すぐに返事が来て、イアンは何とも言えない気持ちになった。
(イアンには、まだ早い)
(……そうか。ならば、他に使い方はあるだろうか? )
(使い方? こういう使い方があるよーていうの? )
(そういうのだ)
(うーん……うーん…)
しばらくの間、イアンの頭の中でリュリュの唸り声が響く。
(……あ、思いついた! 二本指を作くる……リュリュアーク! )
(二本指? リュリュアーク? どういうのだ? )
突如、響いたリュリュの声に、イアンは説明を求める。
(二本の指に、それぞれ違う性質の電気を――)
(簡潔に頼む)
(むぅ…二本指でリュリュスパークを撃つと、すごい光と衝撃波を出せるよ)
不満の声を漏らしつつ、リュリュがそう答える。
(衝撃波……遠くの敵にも届くだろうか)
(無理。衝撃波の威力はすごいけど、遠くには届かない。しかも、遠くに届いたらイアンの右手だけじゃ済まないよー)
(……右手にダメージを負うのか…その技は……)
またも、リュリュの返事に、何とも言えない気持ちになるイアンであった。
(遠く? イアンはリュリュの雷撃を遠くに飛ばしたいの? )
イアンがげんなりしていると、リュリュのそんな声が響いた。
(相手が自分と同じ地面に立っていれば、地面を伝って雷撃を浴びせることができるよ)
(なに? 地面も雷撃が伝わるのか? )
(うん。でも、普通にやったら……雷撃が霧散しちゃって、まともに使えないだよね。ちょっと工夫する必要があるよ)
(工夫? その方法を聞かせてくれないか? )
(雷撃を当てたい相手を見続けること)
(……目で見えない相手にはできないか? )
イアンが、リュリュにそう訊ねる。
高速移動をしているヒカゲは、人の目で捉えることできない。
リュリュの返答次第では、この戦いに不要な技となるだろう。
(えー? めんどくさいなぁ……位置が分かれば、いけるけど……分かる? )
(……辛うじて…分かるかもな)
イアンが考えたのは、山彦の鈴の音で位置を把握すること。
しかし、これはヒカゲに対策方法を編み出されてしまったため、位置を把握する方法としては際どい。
(うーん…またイアンは、変な奴と戦ってるんだねー。とりあえず、位置は把握して。それで、そいつに意識を集中させながら、地面に右手を当ててリュリュ――)
イアンの頭の中で、リュリュの声が響いている中、辺りが暗闇に包まれた。
月が雲に隠れたのである。
そして、これが――
「動かないのならば、こっちから行くぞ! 」
ヒカゲとイアンの止まった時間が動くきっかけであった。
ヒカゲは前方のイアンに目掛けて、連続で炎の玉を放った。
「……分かった。リュリュ、ありがとう」
イアンは、迫り来る複数の炎の玉を前にして、そう呟いた後――
「早速、使うとしようか」
空中に身を投げ出した。
イアンは、建物の屋根の上から飛び降りたのである。
「……!? 何のつもりかは知らんが、それは愚策だ! 」
ヒカゲは、瞬きをする間に、イアンが飛び降りる前にいた場所に移動する。
その位置で、イアンに体を向けると、左腕を後ろへ引く。
その仕草はまるで、力を貯めているかのようで、実際に彼女の左手のひらにある炎の玉は次第に大きくなっていく。
「丸焦げにしてやるぞ! 赤炎 放射火流!! 」
ヒカゲが、左手を前に突き出すと、手のひらの炎の玉が収縮し爆発。
燃え盛る炎が放射状に伸び、イアン目掛けて飛んでいく。
「くっ、FAAと…ナースアーマーだったか。もってくれよ」
イアンはFAAを長斧の形態に変形させ、それを盾のように構える。
その後――
ゴオオオオッ!
イアンは真正面から灼熱の炎の波を受け、その中に消えていった。
「見たか……これが、我が一族の奥義の一つ――ぐっ!? 」
左手のひらから炎を放射させる中、ヒカゲは片膝を屋根の上に付けた。
それと同時に、放たれていた炎も消える。
「くっ……奥義一つで魔力が切れたか……やはり、イオはまだ未熟……いや、褒めるべきか…」
ヒカゲは苦悶の表情を浮かべながら、そう呟いた。
赤炎 放射火流という魔法を放ったことにより、魔力が切れたのだ。
「ぐっ……」
その時、広場にイアンが落下する。
「……未熟。仕留め損なったか…」
広場に横たわるイアンを目にして、ヒカゲはそう呟いた。
「……危なかった。もう少し焼かれていたらオレは……」
イアンはよろめきながら立ち上がる。
彼の着る服は、黒く焦げ、所々がボロボロと崩れていた。
FAAも黒く焦げ、僅かに形が歪んでおり、もう変形させることはできなくなっていた。
「運の良い奴だ……だが、これで終わりだ! 」
ヒカゲが立ちがると、その姿を消す。
イアンはそれを目にすると、目を閉じて、山彦の鈴の音だけに集中する。
リイィィン! リン! リィィ……ィィィン!
不規則に鈴の音の強弱が変化する。
「ふっ…」
ふと、イアンが笑みを零し――
「もう走り回る元気がないのだな! 」
と、走り回るヒカゲに言った。
彼女はイアンの周りを適当に走り回っているだけであった。
その彼女の走りに、かく乱するような意図が含まれていないのだ。
「詰めの甘いやつ! 喰らえ! 」
イアンは、鈴の音でヒカゲの位置を捉え――
「リュリュショック! 」
右手を地面に当て、雷撃を放った。
その瞬間、雷撃がヒカゲよりも速く地面を走り――
「ぐあっ――!? 」
ヒカゲの体を貫くように、駆け抜けた。
雷撃を浴びたヒカゲは、ごろごろと地面を転がっていく。
「ぐっ……雷撃…だと!? まだそんな力が……」
「ああ、オレにはまだ力があったのだ。勝負を焦ったな、ヒカゲとやら……くっ…」
地面に横たわるヒカゲにそう言うと、イアンは崩れ、両膝を地面につけた。
この二人の戦いは、イアンの勝利で幕を下ろしたのだった。
2016年9月26日 文字一部修正




