二百十一話 日常を偽る影
イアンが怪人 ライカンスロープことフリッツ・エグバートを倒した次の日。
タブレッサの町の雰囲気は、未だに暗い雰囲気を漂わせていた。
一連の首切り殺人事件は解決したが、町を歩く人々は、それを知らない。
まだ知らされておらず、これからも公表されることはない。
元のタブレッサに戻るには、もうしばらくの時間と、警士隊の努力が必要になるだろう。
では、直接事件の解決に関わったヴィクター達はというと――
「はぁ……なんだかなぁ…」
事件を解決したことで浮かれてはいなかった。
探偵事務所の中で、ヴィクターはソファーにだらしなく腰掛け、天井に顔を向けている。
「ふぅ、そのセリフ……今日で五回は聞いたかな」
向かいのソファーに座るリトワが、呆れた目でヴィクターを見る。
「だってよーすんげぇ事件を解決させたってのに、こう……何かさぁ……」
「……ヴィクター先輩、何か……表彰とかされたかったの? 」
「違う……いや、ちょっとあるけど……やっぱ、違う。もっと、うまくやれたんじゃねぇのかなってさ」
ヴィクターは、一昨日の夜のことを思い出していた。
自分の行動次第では、助けれた人がいるのではないかと、彼は考えていた。
「……それは仕方のないのことだと思うよ。せめて、ケイ先輩を助けられて良かったと思った方がいいかな」
「……そうだな……ふぅ…」
ヴィクターはそう言うと顔を下げ、軽く息を吐いた。
「入るぞ」
その時、事務所の中に、イアンが入ってきた。
イアンは、部屋の奥にある机に視線を向け、ジグスがいないことを確認すると、ヴィクターの元へ向かう。
「今日もジグスはいないのか? 」
「あ? ああ、いねぇな……オジさんに、用があった? 」
イアンに訊ねられ、ヴィクターは彼に顔を向ける。
「いや、用は無い。ただ、最近見ないから、気になっただけだ」
「そういえばそうだね。ヴィクター先輩は聞いてないの? 」
「聞いてねぇ。まぁ、オジさんのことだし、心配するこたねぇよ」
「……そうか。ちなみにケイは? 」
「フリッツ関係で警士隊本部に行ってる。しばらくは、こっちに顔出さねぇかもな」
「ふむ、聞くまでもなかったか……」
イアンは、そう呟くと踵を返して、部屋のドアの方へ向かう。
「お? 帰んのか? イアン」
「うむ……今日は、用事があってな。悪いが、依頼は二人でやってくれ」
「そう言われれても、今日の依頼はないけどね……」
「む……なら何故、ここにいるのだ? 」
リトエの発言に、イアンは僅かに体勢を崩した。
「家にいてもやることねぇし、とりあえず来たのよ……じゃ、俺らも帰っか」
「そうだね」
ヴィクターとリトワは立ち上がり、イアンと同様に部屋のドアに向かう。
イアンに追いつくと、ヴィクターは彼の肩を叩き――
「で? 用事ってなんだ? 」
と、イアンに問いかけた。
「首切り殺人は解決したが、まだ終わっていないことがある。それを調べに行くのだ」
イアンはヴィクターにそう答えると、探偵事務所を後にした。
――夕方。
イアンはロープワゴンに乗車し、ファラワ村の駅で降りた。
彼がこの駅で降りるときは、決まって家に帰る時である。
しかし、今日は違う。
イアンはラストンの診療所の道には進まず、別の道を歩いていた。
「……」
イアンは、下がっていた頭を上げ、視界の奥に見える一戸の家に目を向ける。
その家の庭には、色とりどりの花々が咲いており、イアンはその家を目指して歩いている。
彼は、イオの家に向かっているのだ。
今日の朝、花売りの手伝いをしている時に、イアンは彼女と夕食を取ることを約束していたのである。
イアンがイオの家に向かう目的は、夕食であった。
「……着いてしまったか…」
イオの家の前に来たイアンは、そう呟いた。
イアンにとってイオは親しい人物の一人である。
その親しい人物と夕食を共にする時に、そんな言葉を呟くだろうか。
彼がここに来た目的は、イオと夕食を取りに来たことではない。
真の目的は、彼女の家の中に入ることで、イオと仮面の者の関係性を調べに来たのだ。
カラン! カラン!
イアンが家のドアの近くにあるベルを鳴らす。
しばらくすると、目の前のドアが開き――
「いらっしゃい、イアンさん」
イオが出迎え来た。
「思ったよりも早かったね。探偵のお仕事は無かったの? 」
「今日は、無かったんだ。早すぎたか? 」
「うーん…ちょっとね。まだご飯の準備が出来てないんだよね。でも、もうすぐで出来るから、中で待っててよ」
イオはそう言うとドアを大きく開いて、イアンに家の中にはいるよう促す。
「ああ…失礼する」
イアンは彼女に従い、イオの家の中に足を踏み入れた。
「……」
彼女と会話をしている最中、イアンは終始無表情であった。
彼は表情の変化に乏しいが、まったくの無表情だった。
対して、イオは終始笑みを浮かべていた。
今のイアンにとって、彼女の笑顔は得体の知れないものに見え、表情を柔らかくすることができないないのだ。
イアンは、家の中の一室に案内された。
案内と言っても――
『そこの部屋の中で待っててね』
と言われただけで、案内というよりも指示に近いものであった。
部屋に入ったイアンは、部屋の中を見回す。
家の大きさから、一番広い部屋であると思われる、中央にテーブルと椅子があった。
テーブルを挟むように二つの椅子が置かれていた。
イアンは、それらを見た後、部屋の隅に目を向けた。
部屋の隅、角になったところには、一つの椅子が置かれていた。
その椅子は、中央に置かれた椅子と同じ形をしている。
「……」
イアンはしばしその椅子を見つめた後、中央に置かれた椅子の片方に座った。
(さて、どうなることやら)
イアンは椅子に深く腰掛ける。
彼は、家の中に入った後は、何も考えていなかった。
従って、後は成り行きに回せるのみである。
「お待たせ~」
すると、イオが部屋の中に入ってきた。
彼女の両手には、料理が盛られた皿があり、テーブルにそれらを置く。
「イアンさんはこっちね。一応男の子だから多めにしといたよ」
「ああ……ありがとう」
「じゃ、食べよっか」
イアンの礼を聞くと、イオも椅子に座った。
しばらくの間、二人は黙々と料理を口に運び続ける。
ここでイアンは、イオに話を振るべきなのだろう。
しかし、彼は一向に喋る口を開こうとしない。
本当に何も考えていないのだ。
だが、彼の目は動いている。
料理を運ぶ中、イアンの視線を向けているのは、彼女の右手首である。
そこには、イアンが付けたのであろう山彦の鈴があった。
「ねぇ、イアンさん」
「む? 」
声を掛けられ、イアンは手を止める。
「イアンさん、冒険者って仕事をしていたんでしょ? その話が聞きたいなぁ」
「冒険者の話か……いいだろう、話してやる」
イアンは、冒険者になってからの出来事をイオに話し始めた。
イオのことを調べるどころか、自分のことを話してしまう始末であった。
「――で戦い、負けた。その後、この国に流れ着いたのだ」
「へぇ……正直、信じられないことばっかり。イアンさんは、本の中から出てきた人みたいだ」
「魔物や異種族、戦闘等といったものは、この国には無いからな。そう思うのは無理もない」
イアンはそう言うと、イオに出された料理を食べ終えて、一息つく。
(少し頭が回ってきたな。今、鈴を付けている理由でも聞くか)
じっと皿を見つめていたイアンだが、顔を上げ――
「ところで、その――」
「イアンさんって、強いよね? 」
口を開き、問いかける途中で、イオに声を被された。
その時の彼女の声は、僅かに大きく――
(……わざと…か? )
故意に声を大きくしたのだと思われた。
イアンは彼女の顔を伺おうしたが、イオは俯いており、その表情を見ることはできない。
「……強い…か。どういう意味でいったかは知らんが……」
イアンは途中で言葉を止め――
(本当にどういう意味なのか分からん。なんと答えるべきか……)
次に何を言うか思案していた。
あまり長くは時間をかけれない。
数秒の間で、イアンは考え――
「お前よりは強いだろう」
と答えた。
「ぷっ! そりぁ、私よりは強いでしょ! 当たり前じゃん! 」
すると、イオは笑みを浮かべ、大きく両腕を広げながら、そう答えた。
大袈裟ではあるが、イオらしい反応である。
笑みを浮かべるイオに対し、イアンは――
「……」
きょとんとした表情を浮かべていた。
自分が予想していたものとは、違う反応であったのだ。
イアンはそのまま、イオの顔に視線を向けているだけであったが――
「……さっき言いかけたが……いや、何でもない」
ようやく口を開き、イオに鈴の事を問いかけようとしたがそれをやめ、イアンは椅子から立ち上がった。
「もう帰るの? イアンさん」
イオが立ち上がったイアンを見上げる。
「ああ。料理……美味かった」
イアンはイオに顔を向けずにそう言うと、部屋のドアを開く。
そして、家の玄関へと足を運んだ。
「待って、イアンさん」
イアンが玄関のドアに手をかけた時、イオが彼を呼び止めた。
ゆくりと、イアンが振り向くと、紙袋を持つイオの姿が見えた。
「これ……料理作りすぎちゃったんだよね。イアンさんにあげるよ。朝にでも食べてね」
「……分かった、ありがとう。では……次の花売りの手伝いの日にな…」
「うん! また明日」
イアンは紙袋を受け取ると、イオの家を後にした。
イオの家を出た後、イアンはラストンの診療所に向う。
彼が外に出た時には辺りは暗く、彼は今、ファラワ村の夜道を歩いていた。
ふと、イアンは立ち止まり、持っていた紙袋を開く。
その中に左手を入れ、探るように腕を動かした後、紙袋から手を出した。
その後、紙袋を小脇に抱え――
「リュリュスパーク」
右手から雷撃を放った。
雷撃により、右手が光に包まれ、それを維持する。
その光によって、イアンの左腕が照らされる。
彼の左手にあったのは、白い紙切れであった。
リュリュスパークの光で照らされたそれを見たイアンは――
「ふ……明日は花を売りに行かないと言っていたはずだが……そういうことか」
僅かに頬を吊り上げていた。
紙切れには――
『明日の夜、初めて会った場所に来い』
と書かれていた。
イアンは右手のリュリュスパークを止め、ラストンの診療所に向かって、再び歩きだした。
「まだ色々と分からないことがある。明日、それら全てを聞かせてもらうぞ」
イアンは誰に言うことなくそう呟いた後――
「イオを偽る者……いや、イオの体を乗っ取る者よ」
と言いつつ、後ろ腰に付けたFAAを軽く右手で撫でた。
2016年8月30日――誤字修正
イアンはそのまま、イオの顔に視線を向けているであったが → イアンはそのまま、イオの顔に視線を向けているだけであったが




