二百六話 見えざる者達の戦い
満月の光に照らされた広場。
そこで、イアンは上を見上げたまま動けないでいた。
彼が見上げる先、建物の屋根の上には仮面を付けた人物がおり、その人物が手にした大鎌に視線が向けられている。
大鎌、それが切り裂き魔であろう仮面の者の得物なのだ。
その大鎌によって、イアンの持っていたカンテラは、一瞬でバラバラに切り裂かれたのだろう。
(一瞬……奴は、カンテラを切り裂いた後、一瞬であそこに移動したのか?いや、元からあそこにいて……違う、暗くなる前には、奴はあそこにいなかった)
イアンは、仮面の者が、一瞬で行動できる力を持っていると考えていた。
そして、それがイアンが動けない一番の原因であった。
一瞬で動けるのであれば、対処のしようがないのである。
仮面の者が消えた一瞬、それで行動を誤れば、イアンは大鎌によって切り裂かれるだろう。
しかし、ここで一つの疑問が生まれる。
(……何故、奴はすぐオレを殺さず、カンテラを狙った? )
それは、最初の一瞬でイアンを狙わなかったことだ。
その気になれば、仮面の者は、イアンを切り裂けたはずなのである。
しかし。仮面の者はそれをせず、彼が持っていたカンテラに攻撃した。
(一番考えられるのは……怖がらせるため……? )
『ククッ……』
(いや……挑発…か)
考える中、イアンは仮面の者が笑ったのを思い出し、仮面の者に挑発されたのだと推測した。
「……何のつもりかは知らんが、オレなんて一瞬で殺せるということが言いたいのか? 」
イアンは思ったことを口にしてみた。
「……クククッ…アハハハハハハハ!! 」
すると、仮面の者は僅かに顔を上げ、高らかに笑い声を上げた。
「……反応に困るな。当たっているかどうか、分からない……だが……」
イアンは仮面の者を見据えたまま――
「次は、殺しに来るということだけは分かっているぞ」
戦う姿勢を取った。
武器を持っていないが、どうにかして仮面の者と戦うことにしたのである。
「クククッ……」
そのイアンの姿が面白いのか、仮面の者から微かに笑い声が聞こえてきた。
そして――
「……消えた! 」
仮面の者の姿が消えた。
イアンは周りを見回して、仮面の者の姿を探す。
満月は雲に隠れておらず、明瞭に広場を見回すことが出来る。
しかし、仮面の者の姿は見えない。
どこかに身を隠しているのか、又は、高速で移動しているかのどちらかの理由で、視界に映らないのだと考えられる。
この状況でイアンにできることは――
「……打つ手なし。なるようになれ…」
何もなかった。
しかし、イアンは諦めることなく、仮面の者が現れる一瞬を狙って、捕まえようとしていた。
そんな彼の元に――
「来るなら、早くこい…」
足音も風切り音も出さず、まさに無音で――
「切り裂き魔とや――らっ!? 」
黒い影が駆け抜けた。
言うまでもなく黒い影は、仮面の者であり、事が済んだ後には、イアンが立っていた場所を背にして立っていた。
イアンの背後から、一瞬で彼の前方へ駆け抜けたのだ。
仮面の者は、大鎌を手にした腕を振り切っており、イアンの横を通り過ぎる際に、振るったのだろう。
大鎌を手にした腕を下ろし、仮面の者が後ろへ振り返る。
そこに、イアンの死体が転がっているのだろう。
「……クククッ…ハハハハハっ! 」
仮面の者が笑い声を上げた。
その声音は、遊ぶ子供のように楽しげであった。
人を殺したことに喜びを感じている。
否、仮面の者は、人を殺していない。
何故なら、仮面の者が持つ大鎌に血は付いておらず、その見下ろす先には、イアンの死体が転がっていない。
イアンは仮面の者の攻撃を躱し、姿を消しているのだ。
ひとしきり笑った後、仮面の者は消えることなく、その場に佇んでいた。
広場に見えるのは、仮面の者の姿だけである。
「ひぃー…あいつ、動こうとしないぜ…」
しかし、姿が見えないだけで、広場にいる人物は他にもいた。
「どうするよ? イアン」
「どうする……対策を考えない限り、このままでいるしかあるまい…」
ヴィクターとイアンである。
彼等は、広場の中央に近い場所に佇んでいた。
仮面の者から見たら、左前方の方向にいる。
視界に入っているはずなのに、仮面の者が動かないのは、二人の姿が見えないのだ。
今、ヴィクターは口にパイプを加えている。
アンティレンジであるパイプによって、二人は姿を消しているのだ。
姿を消す二人にしか見えないが、彼等の周りを薄い霧が包み込んでいる。
この霧は使用者の姿を隠し、霧の外へ声や足跡を漏らさない効果があった。
そして、その効果は霧の中にいるの者に適用されるため、イアンも姿を消すことができていた。
「しかし、危なかったなぁ。俺がいなかったら、イアン……おまえ、死んでたぜ? 」
「ああ、死んでたな。おまえがいて、良かった」
先ほど、仮面の者がイアンの横を駆け抜ける瞬間、ヴィクターはイアンに飛びかかっていた。
そのおかげで、イアンは仮面の者に切り裂かれることなく、こうして生きているのである。
しかし、何故、ここにヴィクターがいるのだと疑問だろう。
実は、イアンが路地を歩いているその後ろを、姿を消したヴィクターがついて歩いていたのだ。
一人で歩くイアンの補助を行うために姿を消しており、結果、妙案であったと言えよう。
「はぁ……まさか、こんなヤバイ奴だとは思えわなかったぜ。正直、今はどっか行くまで待ってた方がいいんじゃねぇの? 」
「いや、見ろヴィクター」
イアンが仮面の者を見るように促す。
仮面の者は、ゆっくりと顔を動かしていた。
消えた二人を探るような仕草であった。
「おいおいおい……俺達が近くにいんのが分かんのか? 」
「恐らく、そうだろうな。気配とやらを感じるのではないのか? 」
パイプの能力で消せるのは、姿と音ぐらいである。
足跡を残したり、吹き抜ける風を遮ってしまったりと、存在を悟られる要素は多々あり、それらを総合し、気配として感じ取れる者には、効果は薄くなってしまうのだ。
「派手なことはできん。一つしか無い広場の出口へ行って空気の流れを不自然に変えたり、サラファイアを使えば、完全にバレるだろうな。そして、ここに留まり続けていれば、直に殺られる」
イアンが言い終わった後、仮面の者が前方へ横薙ぎに大鎌を振るい、一歩前に動いた。
「おう、平気な顔して言ってんなよ? ヤバイ状況じゃねぇかよぉ…」
「うむ、やばいな」
焦るヴィクターに対し、イアンの表情は変わっていなかった。
「そんならよ……リュリュスパークだっけ? それでさっさと倒しちまおうぜ! 」
ヴィクターが右手を突き出しながら、イアンに言った。
「……良い…かもしれんが、一撃で倒せなければ、もう後がない。奴の高速で動くのをどうにかしないと……」
「あ? あれ、姿を消してんじゃあねぇの? それか瞬間移動ってやつ」
イアンの発言を聞き、ヴィクターが怪訝な顔をした。
「瞬間移動……いや、恐らく目にも止まらない速さで動いているのだろう」
「げぇ!? それじゃあ、ルーペ使えねぇー! 消えたら、どっから攻撃が来るか分からねぇってことかよ」
「ああ。どこから攻撃されるかが分からな……あ! 」
イアンは何かを思い出したかのように、唐突に声を上げると、ナース服に付いたポケットに手を伸ばした。
そこから取り出されたのは、紐が括りつけられた緑色の鈴であった。
「鈴……? おい、イアン。まさか、猫に鈴を付けるみたいな……」
「そのまさかだ。こいつを付ければ、奴のスピードは解決できる…………ヴィクターよ、少し手伝ってくれないか? 」
「……なんかけっこう間があったな…無茶なことじゃあねぇよな? 」
「……」
イアンは何も答えなかった。
広場をゆっくりと歩き回る仮面の者。
一歩足を踏み出す度に、足を止め、前方へ横薙ぎに大鎌を振るっていた。
仮面の者は、近くに姿を消したであろうイアンの気配を感じていた。
「……」
一歩前に足を踏み出し、大鎌を振りかぶった時、仮面の者の動きが止まった。
しかし、それはほんの一瞬で、瞬きをする間に、大鎌は振るわれていた。
何故、一瞬だけ動きを止めたのか。
仮面の者は、姿を消したイアンの気配を完全に捉えていた。
その瞬間、彼に攻撃しようとしたのだが、思い止まったのである。
イアンの気配は背後にあり、後ろから攻撃を仕掛けてくるのだろうと、仮面の者は推測した。
その推測から、今は攻撃するタイミングではないと思ったからだ。
イアンが攻撃する瞬間、その時が攻撃のタイミングだと――
(クククッ…)
心の底で笑いながら、判断していたのだ。
イアンの気配は仮面の者へと、ゆっくりと近づいていく。
仮面の者は振り向きたい衝動を抑えながら、平然と今までの行動を繰り返す。
そして、すぐ後ろに気配を感じた瞬間――
「ハアアアアアア!! 」
悪戯をする子供のように奇声を上げながら、大鎌を振りかぶりながら、後ろに振り返った。
相手が思い通りに行く手前、そこで全てを台無しにする。
そのために、仮面の者は待っていた。
そして、仮面の者は、今までに感じたことのない――
「アアッ!? 」
ほど困惑した。
「……よ、よう」
後ろにいたのはヴィクターであり、イアンではなかったからだ。
ヴィクターは、顔を強ばらせながら、仮面の者に向かって片手を挙げていた。
その間、予想外の出来事に、仮面の者は体を硬直させていた。
「ウッ!? 」
その時、仮面の者は右手首に痛みを感じた。
「ガアアアッ! 」
何かをされたと思った瞬間、仮面の者は周囲を大鎌で振り回したが、誰にも当たらなかった。
「ひぃー! イアン、もういいだろぉー!? 」
ヴィクターは、大鎌に当たらないよう、体を伏せていた。
「ああ、よくやった。後は、任せろ」
仮面の者の背後から、イアンの声と共にパイプが飛来する。
「はぁ……ヒヤヒヤしたぜ。じゃあ、頼んだぜ! 」
ヴィクターがそれを受け取って咥えると、彼の姿は消えていった。
それを見届けた後、仮面の者が後ろに振り返る。
「これで、ようやくお前と戦える」
すると、そこにはイアンの姿があった。
「アアアアアアッ!! 」
奇声を上げた後、仮面の者の姿が見えなくなった。
「右後ろ! 」
ガッ!
「……!? 」
仮面の者は、驚愕して体を動きを硬直させる。
高速で動き、イアンの右後ろから大釜を振り下ろしたのだが、振り向いたイアンに腕を掴まれ。阻止されたのだ。
「……!! 」
「ぐっ…! 」
仮面の者はイアンを蹴飛ばし、腕を振り払うと、再び高速で動き出す。
「ふっ、何度やっても同じだ」
イアンは、笑みを浮かべると、耳を澄ます。
彼の耳に入ってくるのは――
リイイィィィ………ィィィ…
鈴の音であった。
その音には強弱があり――
ィィイイン!!
「左! 」
鈴の音が一番大きくなった時、イアンは音が聞こえる方へ腕を伸ばした。
「……!? 」
そこに、大鎌を振りかぶっている仮面の者が現れ、イアンのその腕を掴んでいた。
振り上げた状態の仮面の者の腕の手首には、緑色の鈴が括りつけられていた。
その鈴は山彦の鈴といい、かつて、イアンがメロクディースから貰ったものである。
使用者の願いを聞いて音を出すという鈴で、イアンは、自分にだけ聞こえることと、距離で音の強弱が出ること、自分が鳴れと念じたら鳴ることを願っていた。
「気づかないか? 手首に鈴をつけておいたのだが…」
「……!? 」
イアンに言われ、仮面の者は、ようやく自分の右手首に鈴があることに気づいた。
「それは外すことも断ち切ることもできん。気づいたところで、遅いのだ! リュリュ――」
「ちっ! 舐めてすぎた! 放散火炎! 」
イアンがリュリュスパークを放とうとした瞬間、仮面の者からドスの効いた少女の声が聞こえた。
そして、仮面の者は掴まれていない左手をイアンに向け――
ゴオッ!
その手のひらから、炎を吹き出した。
吹き出された炎は大きく広がりながら、イアンの全身を飲み込んでいく。
「くっ!? サラファイア! 」
イアンは攻撃を諦め、両足から炎を噴出させて仮面の者から離れる。
幸い仮面の者が出した炎は射程が短く、イアンは少し炎を浴びただけで、火傷を負うことはなかった。
「……逃したか…」
着地したイアンは、周りを見回して、そう呟いた。
広場に仮面の者の姿は見えなかった。
「イアン、平気か! 」
姿を現したヴィクターがイアンの元に駆けつける。
「ああ……だが、せっかく見つけた奴を逃してしまった」
「そうだな……けどよぉ、切り裂き魔が、あんな奴だっつーことが分かっただけでも儲けもんだぜ」
「そう……だな。山彦の鈴を付けれた……これで次からは奴を追いやすくなっただろう……ふぅ…」
イアンはそう言うと、その場に腰を下ろした。
「あいつの速い動きはどうにかなったっつーけど、けっこう厳しいな。見てて思ったぜ」
「そうだな。魔法も使うようだし、正直勝てるかどうか分からん」
「お、おい! おまえが勝てなきゃどうしようもないぜ? 俺やケイじゃあ、あんな化物の相手は務まんねぇよ! 」
ヴィクターが狼狽え出す。
悪人と戦うのが彼の望みだが、仮面の者との実力差は分かっていた。
「勝てるかどうか分からんと言っただけだ。せめて武器があれば、多少はマシになるのだろうが……」
「武器? ケイから警士棒借りるか? 」
「……いや、斧がいい。斧の方が勝率はグンと上がるぞ」
イアンは拳を握しめて、ヴィクターに言った。
「斧って……警士棒じゃダメなの? 」
「そうでもないが……斧がいい…」
「……おまえ、案外我が儘なところがあんのね…」
ヴィクターは、緊張が一気に抜けた気分になった。
斧を持たなくなってから数日、イアンは斧が恋しくなっていた。
彼のこの気持ちが理解できる者は、この世に存在するのだろうか。
少なくとも、この国には存在しないだろう。
2016年8月19日 誤字修正
自分が鳴れを念じたら鳴ることを願っていた。 → 自分が鳴れと念じたら鳴ることを願っていた。
2016年9月1日 誤字修正
それは外すことも着ることもできん。 → それは外すことも断ち切ることもできん。
2017年9月3日 ルビ追加
直に殺られる → 直に殺られる
2017年9月3日 誤字修正
それでさっさと倒しちまうぜ! → それでさっさと倒しちまおうぜ!
それと瞬間移動 → それか瞬間移動ってやつ




