二百二話 追手のルーペ
放課後、その日の学院の授業が全て終わった後。
ヴィクターは、すぐに教室を後にし、旧校舎にある探偵部の部室に来ていた。
「来たよ」
彼が部室に入ってから、しばらくすると、リトワも部室に入ってきた。
「よぉ……朝も言ったけど、重くねぇのかよ、それ」
「朝も言ったけど、そんなに重くないよ」
ヴィクターの言葉に、リトワが答えた。
今の彼女は、リュックサックを背負っている。
いつも背負っているのだが、今日は、それより大きなものを背負っていた。
「ヴィクター先輩が、戦いになるかもしれないって言ったから、色々持ってきたんだ」
「そうかい。おまえが戦うとは、限らねぇけどなぁ」
「あって損は無いと思う。それで、何か分かったかい? 」
「……」
この日、ヴィクターは授業の合間の休み時間に、シンシアの周りを見ていた。
彼女に近づく者の中に、怪しい人物がいないか見ていたのである。
その結果――
「分かんねぇ。ただ、セーファスつったか? あいつが本当にムカつく野郎だってことは、充分理解した」
何も掴めていなかった。
「ああ、あの人か。廊下で見かけたけど、女の子に人気だよね。今日も来たのかい? 」
「ああ。シンシアさんに、話しかけてたぜ。どういうつもりか知んねぇけど、迷惑そうだったぜ、シンシアさん」
「あはは……嫉妬もほどほどにね。ヴィクター先輩にも、良いところはあるんだから」
「うるせぇ! けっ、あんな奴のどこがいいんだよ。クラスの女共は、キャーキャー言いやがってよぉ」
ヴィクターは椅子に座り、セーファスのことがよほど気に入らないのか、ぶつぶつと彼のことを呟いていた。
「はぁ……難しいね。ところで、昨日いた人が犯人じゃないって言ってたけど、どうしてかな? 」
リトワが椅子に座るヴィクターの隣に立ち、そう訊ねる。
彼女は、フレッドのことを聞いていた。
「あ? どうしてって、あいつが女を追い掛け回すやつじゃねぇからよ」
「どうして、そう思うのかを聞いているのだけど……」
「……フレッドはなぁ、暗い奴だけどよぉ……優しいんだ」
「優しい? 」
「おう。俺が授業で使う本を忘れると、あいつが貸してくれんだよ……」
「はぁ…………え? それだけ? 」
リトワが間の抜けた声を出す。
「おうよ。自分の本を俺に渡して、あいつは、隣のやつに見せてもらうんだよ。なかなか、できねぇことだぜ。すげぇよ、あいつは」
「ボクには、特別すごいことをしているとは、思えないけど……」
「はぁ、分からないかねぇ。当たり前のことのように、人を助けれることの凄さをよぉ……ま、あいつがやってねぇのは、確かだぜ」
ヴィクターは、そう言うと、後頭部で手を組み、椅子の背もたれにもたれかかった。
「……だとしたら、彼は何故、あそこにいたのだろう…」
「それは、ケイが調べてくれる」
リトワの呟きに、ヴィクターはそう答え――
「え……? って、何をしているだい? 」
手にしたルーペのあちこちを見ていた。
それは、メロクディースから、投げよこされたルーペである。
「いや……言ってなかったけどよぉ、これもアンティレンジなんだと」
「アンティレンジ? 少し、貸してくれないか? 」
リトワは、ヴィクターからルーペを受け取る。
「……ただのルーペ…みたいだね。このレンズを覗くと、ものが大きく見えるだけだ…」
彼女の言う通り、特別変わったところは見られなかった。
一通り、ルーペを見回した後、リトワは手にしたルーペをヴィクターに渡した。
「そうだよなぁ……こいつをよぉ、渡したっつーことは、何かの役に立つんだろうが……オラッ! 」
ヴィクターは、ルーペを乱暴に振り始めた。
「なんか! 力を持ってんなら! 出してみろってんだ! 」
「乱暴な……そんなやり方じゃ、何も起こらないと思うよ」
リトワがヴィクターを呆れた目で見つめる。
「ちっ! 何なんだよ、これ」
ヴィクターは、舌打ちをすると、ルーペを振り回すのをやめた。
「……ん? なんじゃこりゃ? 」
すると、ヴィクターは、眉をひそめながらルーペのレンズを見つめ出した。
彼の目線は、レンズ越しに部室の床へ向けられている。
「どうしたの? ヴィクター先輩」
「……よく分かんねぇけど、このルーペの力ってやつが出たらしい」
「どれどれ……」
リトワは、彼の持つルーペのレンズを覗いてみる。
すると、レンズを通して見える床は、白く染まって見えた。
「よく分かんねぇだろ? 」
「うん……ん? この白いのは、もしかして、足跡なんじゃないか? 」
リトワは、そう言うと、レンズに向けて指を差した。
彼女が指を差す部分の床の白は薄く、人の靴の跡のような形がいくつも見えた。
「あん……? 本当だ。だが、これは誰の足跡なんだ? 」
ヴィクターがそう呟いた瞬間、レンズ越しに見える白い部分におびただしい数の文字が浮かび上がった。
「うおっ!? 」
「ほわっ!? 」
それに驚くヴィクターとリトワ。
よく見ると、浮かび上がった文字の正体は、人の名前で、ヴィクターやケイルエラの名前が多く浮かび上がっていた。
「もしかして、このルーペって……」
「人の足跡を……いや、誰がこの場所にいたかを見れるルーペだ」
リトワの呟きに、ヴィクターはそう言葉を続けた。
「今日のオレの足跡だけを見せろ! 」
ルーペに向かって、ヴィクターがそう言うと、床に広がっていた多くの足跡は消え、ヴィクターの名前が浮かぶ足跡しか見えなくなった。
「なんだよこれ! 滅茶苦茶使えるじゃねぇか! 」
ルーペのレンズを覗くヴィクターは、歓喜の声を上げた。
ルーペの力に気づいた後、ヴィクターとリトワはブラッドウッド学院の校門に立っていた。
そこで、ヴィクターは腰を下ろして、ルーペのレンズ越しに地面を見ていた。
「うーん……学院の学生ってやると、やっぱし、たくさん出てきちまうなぁ……」
そして、レンズに映る地面は、学生達の足跡で埋め尽くされ、一面が白に染まってた。
ルーペが映し出す足跡の範囲が広すぎるため、複数の足跡が重なり合い、見たい人の足跡が隠れてしまっていた。
「まだ、早すぎるのかもね。まず、シンシアさんの足跡を追ってから、ブラッドウッド学院の学生に範囲を広げたらどうかな? 」
「……そうすっか。今日のシンシアさん! 」
リトワの提案を受け、二人はシンシアの足跡を辿って歩きだした。
彼女の足跡を追っていれば、本当に付け回している人物の足跡も見つかるはず。
ヴィクターはそう考えたのだ。
「……あっ、ヴィクター先輩、前」
「あ? おっと……危ねぇ、危ねぇ…」
リトワの声で、彼は前に人がいたことに気づいた。
ルーペで地面を見ながら歩く彼は、前方が不注意をなっており――
「……ヴィクター先輩、周りの視線が…」
その様は異様で、周囲を歩く人々から奇異な目で見られていた。
ルーペは、優れた力を持っているが、これだけが欠点であった。
しばらく、ヴィクターとリトワは、今日できたシンシアを辿っていく。
シンシアの足跡は、以前彼女を尾行した時と同じ道に続いていた。
「もういいだろ……今日のブラッドウッド学院の学生」
ヴィクターが、ルーペに向かって、そう呟いた。
すると、レンズ越しに見える地面にシンシア以外の学生の足跡が浮かび上がった。
その足跡に、シンシアの友人、フレッド、ケイ、の名前が浮かび上がっているのをヴィクターは見た。
「ケイの奴、やっぱフレッドを追ってんな……ん? 」
ケイルエラの足跡を追い始めたヴィクターが、ピタリと足を止めた。
「どうしたんだい? 」
「……ここにあるケイの足跡が、重なりまくってる。ここで止まったみてぇ……あ? 」
レンズを見つめるヴィクターは、眉をひそめた。
その彼の様子に、リトワは首を傾げる。
「ルーペが見えないボクには、さっぱりだね…」
「そりゃあ、仕方ねぇだろうよ…」
「で、何かあったのかい? 」
「それがよぉ……あいつが、ここにいたみてぇんだよ…」
「あいつ? ああ、あの人のことか…」
ヴィクターは、ある人物の足跡を見つけていた。
「別に……この辺に家があるんじゃないかな? 他の学生の足跡も見えているんだろう? 」
「そりゃあ、そうだけどよ……」
リトワの言う通り、他の学生の足跡も彼には見えていた。
しかし、ヴィクターは、その人物の足跡がここにあることが気になっていた。
「……進めば分かる……という奴だね。行こう、ヴィクター先輩」
「…だな」
ヴィクターは、再びシンシアの足跡を辿り始めた。
――日が暮れ始める少し前。
ヴィクターとリトワは、シンシアの家に接する狭い街路に来ていた。
シンシアの足跡を辿っていたヴィクターだが、急に足を止めた。
彼の後ろにいたリトワも足を止める。
「シンシアさんの足跡は、真っ直ぐ家まで続いているみてぇだ」
「そうだろうね。それで? 」
リトワに訊ねられると、ヴィクターは自分の横に指を差した。
そこには、路地があった。
「そこの路地に、シンシアさん以外の奴等が行った」
「以外? 」
ヴィクターの呟きに、リトワが首を傾げる。
「……訂正。シンシアさんと友達ちゃんと、ケイは真っ直ぐ行った。それ以外の奴等だ……」
「……フレッドって人か……あと? 」
「あいつだ。この路地を進むぞ」
ヴィクターは路地へ進み、リトワも彼に続いた。
「……そういえば、昨日……奥の路地に行く途中、転んだよね? 」
リトワは前を歩くヴィクターに訊ねた。
彼女の言う奥の路地とは、先ほどの街路が続く先、シンシアの家の一番手前にある路地のことを差す。
「あん? 転んだけどよぉ……今、聞くことか? 」
ヴィクターがフレッド達の足跡を辿りながら、リトワに答える。
「ずっと、気になってた。アレ……普通の転び方のようには、見えなかったよ」
「……分かるか? 俺はあの時、誰かにぶつかった……そいつが真犯人だろうよ」
「なんだ。ちゃんと根拠があったんだね」
ヴィクターの発言に、リトワは微笑みを浮かべた。
昨日、彼が転倒したのは見えない何かにぶつかったからであった。
「まぁな。それと、あのタイミングで、フレッドがあそこで倒れたのもな」
ヴィクターは、振り向くことなく、自分の後方を指差した。
「あのタイミングで出て来たら、自分が犯人ですって言ってるようなもんだ」
「確かに。あれで、ボクはフレッドっていう人を疑ったよ。でも、ヴィクター先輩は違うみたいだね」
「おう。あいつも倒れてたろ? 真犯人があいつを蹴飛ばしたか何かしたんだろうぜ。そこにいたフレッドを犯人に仕立て上げるためにな」
ヴィクターは、そう言うと立ち止まり、ルーペを覗くのをやめ、自分の左側に顔を向けた。
そこには壁がなく、路地になっていた。
その路地の先には曲がり角があり、シンシアの家の手前にある路地に繋がっていると判断できる。
「……ヴィクター先輩。もしかして、この依頼……アンティレンジが関わっているのでは? 」
リトワがそう訊ねると――
「だろうな。たぶん、姿を消すやつだ」
ヴィクターは、そう答えた。
「ここにもあいつの足跡がある。俺的には、もう真犯人は確定したが、最後まで行ってみっか」
ヴィクターは、前かがみになり、ルーペで地面を見ながら歩きだした。
路地を進んでいく二人は、やがて曲がり角に辿り着き、左方向に曲がった。
すると、その方向には、ケイルエラとフレッドとイアンの姿があった。
「イアン? あいつ、ケイと一緒にいたのか……いや、そんなことより! 」
三人の姿を見たヴィクターは、彼女等の元に向かって走り出した。
フレッドが地面に倒れており、ただ事ではないと判断したのだ。
「……む! ヴィクター……それにリトワ」
イアンが、ヴィクターとリトワの存在に気づく。
「ヴィクター……いや、それより、君! 大丈夫か!? 」
ケイルエラもヴィクター達に気づいたが、フレッドの元へ駆け寄った。
イアンもヴィクターから視線を外し、腰を下ろして、フレッドの容態を見る。
「……口の中を切っているな。誰かに殴られたみたいだぞ」
「なんだと!? 」
イアンの呟きに、ケイルエラは驚きの声を出した。
「ふぅ……ちっ! やられちまったみてぇだな」
その時、ヴィクターは三人の元に辿り着いた。
そして、次に彼は――
「ところでよぉ、ここにセーファス先輩来なかった? 」
と、イアンとケイルエラに訊ねた。




