二百一話 尾行者を追う者
イアンはイオの花売りの手伝いをしていた。
この日は天気が良く、見上げれば、雲一つ無い空が見ることができる。
その快晴の空に輝く太陽は今、真上に近い位置にあった。
「……」
「どうしたの? イアンさん。ぼうっとしちゃって」
荷車の前に立つイオが、隣のイアンに訊ねた。
先程から、イアンは道行く男性に目に向けており、イオは不思議に思ったのだ。
「けっこう金が溜まっていてな。そろそろ、服を買おうかと考えているのだ」
「あーそうだね。暑くなってきたし、長袖はキツいよね」
「そうか? 別に暑いとは思わないが……一応、言っておくが、男物の服を買うつもりだぞ? 」
「……」
「何故、黙る? 何故、顔を逸らした? 」
口を閉じて、顔を逸らしたイオをイアンが問い詰める。
「あ! そういえば、最近新しく買った物があるんだよね! 」
「……ほう…」
誤魔化された気がしたが、イアンはもう流すことにした。
イオは、シャツの胸ポケットに手を入れ――
「じゃーん! 手鏡を買ったんだ! 」
取り出した物をイアンに見せた。
それは、丸い銀色の枠に囲われた鏡で、手のひらに収まるほどの大きさだった。
「前から手鏡が欲しいと思ってたんだよね。ほら、こうしていつでも身だしなみを整えられるでしょ? 」
イオは、イアンにそう言いながら、鏡を見ながら、自分の髪の乱れを直す。
「……ふむ、こう……ベッドの下などの狭い場所に敵がいないか確認するときに、役に立ちそうだな…」
イアンは、彼女の手鏡を見て、そんなことを考えていた。
「うわぁ、ナンセンスな考え方…」
「むぅ…」
イオに横目で見られ、イアンがたじろいだその時、キラリと手鏡から放たれた。
「うっ!? 」
その光が目に入り、思わすイアンは目を瞑って、後方に仰け反った。
「あ……反射させちゃった? ごめんね、イアンさん」
「あ、ああ、オレは大丈夫だ」
イアンは目を手で覆い、眩んだ目を保護する。
少しの間、そうした後、イアンは目を開いてみた。
「……」
まだ、目が眩んでいるのか、イオの顔に違和感があった。
「大丈夫? イアンさん」
「あ、ああ。ところで、イオは今、どんな顔をしている?」
「え? どんな顔って……イアンさんを心配してる顔? 」
「……そうか。なら、まだオレの目は可笑しいな…」
イアンは、そう言うと目を閉じる。
少し時間が経った後、イアンは再び目を開けた。
「……イアンさん? 本当に大丈夫? 」
「ああ、問題ない。よくなったみたいだ……ふぅ…」
ようやく、イオの顔に違和感がなくなり、イアンはホッと息をついた。
「……? 変なイアンさん」
イオはそう言うと、イアンから視線を逸らした。
花売りの手伝いが終わり、イアンはフィルドエアに来ていた。
この日も探偵の仕事が無いということなので、とりあえず、ブラッドウッド学院に行くことにしたのだ。
駅を出て、学院を目指して歩くイアン。
「む、あなたは……イアンさん? 」
すると、すれ違い様に、彼に話しかける人物がいた。
「誰だ? 」
イアンは振り返り、その人物を見る。
「いや、見たことあるな。確か、ケイルエラ……ケイで良かったか? 」
その人物は、ケイルエラであった。
しかし――
「……少し雰囲気が違うな。合っているか? 」
目の前のケイルエラから感じる雰囲気が前と違うため、イアンには自信が無かった。
「合っている。ケイで間違いない。久しぶり……ということもないな。少しぶりか」
「あ、ああ……」
イアンは戸惑っていた。
何故なら、彼は警士隊モードと呼ばれる彼女を知らないため、ケイルエラと言われても、別人と話している気分で、落ち着かないのだ。
「しかし、良いところに来てくれた。イアンさん、私について来てほしい」
ケイルエラは、そう言うと、イアンに背を向けた。
「別に構わないが、何をしているのだ? 」
「あいつだ」
イアンの問いかけに、ケイルエラは指を差して答えた。
彼女の指の先には、イアン達に背を向けて歩くブラッドウッド学院の男子学生の姿があった。
「……あいつが、どうかしたのか? 」
「あの男の正体は女をつけ回す、悪の輩……かもしれない。それを確かめに行くのだ」
ケイルエラはそう言った後、手を下ろす。
「詳しくは、歩きながら話す。さ、ついて来てくれ」
そして、彼女は男子学生の背に向かって、歩き始めた。
――昨日。
「どういうことだ、ヴィクター」
夕焼けに染まりつつあった頃。
幅の狭い街路に立つケイルエラは、地面に腰を下ろすヴィクターを見下ろしていた。
ヴィクターを見る彼女の視線は、いつもと違って、見るものを凍りつかせそうなほど、冷たいものであった。
「どういうことも何も、さっき言った通りだ。あいつは違う」
ヴィクターは顔を俯かせて、ケイルエラに答えた。
「私の質問を理解できていないようだな。何故、違うと言い切れる? 」
「とにかく、あいつは違うんだよ、ケイ。あいつは、女を追い掛け回す奴じゃねぇ」
「……そいつのことを知っているのか、ヴィクター」
「……まぁな。いてて…」
ヴィクターは、右肩を手で押さえながら、立ち上がる。
「よし、これから俺は、真犯人を探すぜ。ケイ、おまえはどうすんだ? 」
「……」
ケイルエラは目を閉じ、少し経った後――
「無論、あの男を調べる。ここにいたことと、逃げ出したこと……容疑者として、充分に怪しいからな」
と答えた。
「そうかい……リトワは? 」
「え……どうするって…」
リトワは、答えることができなかった。
ヴィクターとケイルエラのやり取りを理解できていないのだ。
「言い方を変えようか。リトワちゃん、私とヴィクターのどちらについていく? 」
「どっち……」
リトワは二人を交互に見た後、顔を俯かせる。
考えていたのか、しばらくそうした後――
「……ヴィクター先輩についていきます」
と、顔を上げて答えた。
「何故? 」
ケイルエラがリトワに訊ねる。
「ボクもあの人が怪しい……と思うけど、ボクは、ヴィクター先輩を信じたい……から」
「……そうか」
リトワの答えを聞くと、ケイルエラは二人に背を向けて、歩きだした。
「……ヴィクター先輩」
遠ざかるケイルエラの背中を見ながら、リトワがヴィクターの隣に立つ。
「これで、いいのかい? 」
「……あ? どういうこと? 」
ヴィクターは、リトワが何を聞いているのか分からないため、彼女に聞き返した。
「ヴィクター先輩は、別の人が犯人だと思っているだろう? ケイ先輩を説得しなくていいの? 」
「ああ、そういうこと。別に……あいつがやるって言ってんだから、止める必要はねぇよ」
ヴィクターは、そう言うと、踵を返して歩きだした。
「今日は、もう帰るぞ。捜査をすんのは明日からだ」
「……わかったよ」
リトワは、ケイルエラの背中から視線を外し、ヴィクターの後に続く。
こうして意見が割れた結果、ヴィクターとケイルエラ別々に捜査することになった。
リトワはこの結果に、いまいち納得していない様子であった。
フィルドエアの街路に、イアンとケイルエラはいた。
二人は、遠くに見る人物に気づかれないよう、建物の影に身を潜めている。
その人物とは、ブラッドウッド学院に通う――
「二年生…フレッド・ヒースだ」
という名の男子学生であった。
「奴が、シンシアという女学生をつけ回している疑惑がある」
男子学生の名を言った後、ケイルエラはそう続けた。
「……なるほど。確かに、怪しいな…」
フレッドを見ていたイアンは、彼が怪しい人物であると思った。
彼の姿を見ると、髪は伸ばしっぱなしで前髪が長く、顔をよく見ることができない。
背は高いが、体つきは良いとは言えず、全体的に細い。
外見は、それほど怪しいものではないが、その仕草に怪しいものはあった。
フレッドはずっと、体を震わせており、落ち着かない様子であった。
それに加え、度々、誰かを探すように周りを見回している。
そして、極めつけは、シンシアの後方をずっと歩いていることだ。
シンシアとフレッドとの距離は離れており、彼女は彼に気づいていない様子である。
ちなみに、シンシアは他の女学生と共に歩いている。
誰かと一緒に帰ることをケイルエラが彼女に提案したのだ。
「しかし、これだけ可能性が揃っているのに、ヴィクターは別の者が犯人だと? 」
物陰からフレッドを見つめながら、イアンがシンシアに訊ねる。
「ああ、あいつはそう言っている」
「そうか。ヴィクターが、そういうのなら、本当にそうかもしれない気もするな」
「…………そろそろ移動しよう。見つからないよう、気をつけろよ」
ケイルエラは、イアンの呟きに反応することはなく、今いる物陰から、別の物陰へ移動した。
――日が暮れ始める少し前。
シンシアは、自宅に辿り着いた。
彼女の家に接する街路、そこにある路地へ向かう道の角から、フレッドは彼女を見ていた。
彼のいる路地は、彼女の家から一番近い場所にある。
「……ほっ…」
彼は、安堵したのかホッと息をついた。
「何か、安心するようなことでもあったのか? 」
「……!? 」
声を掛けられ、フレッドは飛び上がってしまいそうなほど、体を震わせた後、顔を振り向せると彼の後ろに、イアンが腕を組んで立っていた。
「ひっ…! 」
フレッドは驚き、逃げるために前を向くと――
「動くな! 」
ケイルエラが立ちはだかっていた。
「う、うああっ!! 」
フレッドは、ケイルエラが目の前に現れたことに驚愕し、転倒して尻餅をつく。
そんな彼に、ケイルエラは手を差し伸べた。
「探偵部のケイルエラだ。君に聞きたいことがある」
「え……」
フレッドが間の抜けた声を出す。
彼女は、彼が何をしているか直接聞くことにしたのだ。
「とりあえず、立とうではないか。手を取るといい」
「あ……は、はい…」
フレッドは、ケイルエラの手を掴んで立ち上がる。
「……む? 」
その時、フレッドの後方にいるイアンが声を出した。
彼は、体を後ろに向かせると、じっと前を見つめ出す。
「……? 」
「どうした? イアン」
フレッドとケイルエラは、そんなイアンを不思議に思った。
「……? いや、少し風が止んだだけだ。急だったので、思わず反応してしまった」
イアンはそう言いながら、ケイルエラ達の方に体を向かせた。
「そうか。では、君へ質問するが、何故、シンシアさんの後を追っている? 」
ケイルエラは視線をフレッドに移すと、彼にそう問いかけた。
「……か、彼女は、誰かに付け回されているんだ! 」
フレッドは俯きがちの頭を上げて、そう答えた。
普段の彼の声は、小さいもので、聞き取りにくいが、この時は大きな声を出していた。
「ほう……君がそれを知った経緯は? 」
「ぼ、僕もこの辺に住んでいて、この路地を通っていたら、そこをシンシアさんが通ったんだ」
フレッドは、そう言うと、ケイルエラの後方にある路地に指を差す。
「そうしたら、僕達と同じ学院の学生が、彼女の後に通って――」
フレッドはそう言うと、路地から街路に出て――
「すぐ僕がここに来た時には、家に入るシンシアさんしかいなかったんだ」
シンシアの家がある方向に指を差した。
ケイルエラとイアンも街路に出る。
「路地は、もう無いな…」
フレッドが指を差した方向を見るケイルエラは、そう呟いた。
「……隠れられそな場所も無い。つまり、姿が見えなくなったと言いたいのか? 」
周りを見回した後、イアンがフレッドに訊ねた。
「う、うん。それから、シンシアさんの後ろを歩いてみると、彼女が不安そうな様子で、周りを見ているところを僕は見た。それで、僕は気づいたんだ! シンシアさんは、見えない誰かに付け回されている…姿を消したあいつが、彼女を怖がらせていることに! 」
「……君が、彼女の後を追っていたのは……」
「シンシアさんを助ける……姿を消したあいつを捕まえるため……です…」
ケイルエラの呟きに、フレッドはそう答えた。
「はぁ…」
それを聞くと、ケイルエラはため息をついた。
「一人で、こそこそと……傍から見れば、君が彼女を付け回しているように見えたぞ。あと、逃げるのは、自分が犯人だと言っているようなものだ」
「うっ…そ、それは、見えなくなるなんて、信じてもらえないと思ったから、僕一人でやろうと……に、逃げたのは、怖くなっちゃて、つい……」
「……色々と言いたいことがあるが、まず……このことは、一人で抱えずに相談するべきだった。シンシアさんのように、我々探偵部に相談するとかな。そうすれば、私は君の後をつける必要はなかったのに……」
「……む? ケイは、こいつが犯人だと、思っていたのではないのか? 」
イアンが、ケイルエラに訊ねる。
彼が思ったよりも早く、ケイルエラがフレッドに対する疑いを無くしたのだ。
「そういう風に見えたのかもしれんが、そんなに疑っていなかった。ただ、客観的に見て、彼が怪しいから調べる必要があったのだ」
「……ということは、ヴィクターの言うことを……」
「信じていた。あいつの勘……というやつは、よく当たるからな」
ケイルエラは、ヴィクターとは古い付き合いである。
故に、ヴィクターが持つ並外れた直感能力を垣間見る機会が多く、その力を勘と称して認識していた。
「いや、今回は勘ではないか。ヴィクターは、彼のことを知っているようだし、人の本質を見抜いて判断したんだろう」
「人の本質? 」
イアンが首を傾げる。
「ヴィクターは、バカだろう? 」
「……かもしれないな」
「あいつが、毎日勉強をしていると言ったら、どう思う? 」
「絶対に嘘だと思う」
「そういうことだ。人の性格や習慣から読み取れるもの……それが人の本質だと、私は思っている」
「ふむ……しかし、曖昧なものだ」
「そうとも。だからこそ、私は彼のことを調べに来たのだ。ヴィクターの言う真犯人がいるという勘……それを真実に近づけるためにな」
ケイルエラは、そう言うと、フレッドに顔を向け――
「さて、完全に気味の疑いが晴れたとは言い切れない。まだ、聞きたいことがある。その姿を消す学生の顔は見たか? 」
と、訊ねた。
「……いえ、一瞬だったので、はっきりとは……あれ? そういえば、誰かに似ていたような気がする……」
「今更それか……だが、でかしたぞ。それで、誰だか思い出せるか? 」
「うーん…………あっ……あの人かもしれない…」
フレッドは、思い出そうと頭を抱えていたが、思い出したのか顔を上げた。
「それは? 」
姿を消して、シンシアを付け回していると思わしき人物。
それは誰なのか――
「それは――」
フレッドの口から、その人物の名が出ることはなかった。
「え……」
「……! 」
目の前で起きた出来事に、ケイルエラは呆然と立ち尽くし、イアンは驚愕の表情を浮かべた。
二人の前にいたフレッドが突然、吹き飛んだのだ。
フレッドは、勢いよく地面に倒れ伏す。
「……あ…ああっ……」
地面に倒れた彼の口からは、少量の血が出ていた。




