二百話 尾行者
――夜。
ショウボルタの最北部の街路には、イアンとヴィクターの二人が立っているだけで、他の人物がそこを通ることはない。
二人は横に並んで、空に浮かぶ三日月を見上げていた。
否、彼等は月を見ていない。
イアンとヴィクターの目線の先にあるのは、屋根の上に立つ金色の髪の少女、メロクディースであった。
「お願いだと? 俺達に盗みの手伝いをしろっつーことかよ」
ヴィクターが、屋根の上に立つメロクディースに向かって声を上げた。
「盗むなんて、人聞きの悪い。回収だって言ってるじゃない」
メロクディースは悪びれる様子もなく、そう答えた。
「さっき、二人は体験したでしょ? この茶器の力をさ。これと同じような力を持つ物が、この町のどこかにあるんだよ? ほっといたら、どうなると思う? 」
「そりゃあ……」
ヴィクターは、メロクディースに言い返そうとしたが、言葉が見つからなかった。
「……ふむ、こういうことか、メロクディース」
イアンが一歩前に出る。
「俺達に頼む……つまり、アンティレンジとやらで起きた事件を解決し、それを回収する。これを俺達にやれと言うのだな? 」
「そうそう、そういうこと! アンティレンジのほとんどは、よく分からない能力ばっかりでさぁ。謎解きは得意じゃないんだよね。だから、イアン達にお願いするんだよ」
イアンの問いかけに、メロクディースは微笑みながら答えた。
彼女は、イアン達にアンティレンジの回収を依頼しているのだ。
「……確かに、そのティーポットみてぇなのが、そこら中にあったら危険で、回収しなきゃならねぇことは分かる」
ヴィクターは、メロクディースに指を差した。
「だがよぉ、お前はイマイチ信用ならねぇぜ! アンティレンジを俺達に集めさせて、何か企んでるんじゃあねぇのか? 」
「企んでないよ」
メロクディースは、すぐに答えた。
先程まで彼女の顔は、笑みを浮かべていたが、今の彼女の顔は、神妙な顔つきになっていた。
「確かに、私は物を盗むよ。だけど、それは趣味。私は、この国に仕事で来たんだよ。アンティレンジによる被害を食い止めるに……」
そう口にする彼女の目は、真っ直ぐイアン達に向けられている。
「……一応、聞いておく。お前は何者なんだ? 」
イアンも彼女を真っ直ぐ見つめて、問いかけた。
「美少女怪盗だよ! 」
「やはり、聞くんじゃなかったな…」
一瞬で、おちゃらけたメロクディースに、イアンは質問したことを後悔した。
「あはは……それで、引き受けてくれるの? 」
「……どうする、ヴィクター」
イアンは、隣に立つヴィクターに顔を向ける。
ヴィクターは、しばらくの間、黙ってメロクディースを見つめるばかりであったが――
「分かったぜ。引き受けてやるよ」
と、口を開いた。
「ただし、お前のためじゃねぇぞ! 俺は……俺達はこの国、この町を守るためにアンティレンジを回収する。勘違いするんじゃねぇぞ! 」
ヴィクターは再び、メロクディースに指を差した。
「……別に、君が私のために頑張ってくれなくてもいいよ。だって、イアンが私のためにやってくれるもんね! 」
「……いや、オレもお前のためにはやらない…」
「あーん! イアンのバカー! 」
メロクディースは、腕で顔を覆い出す。
一見、泣いているように見えるが、明らかに嘘泣きの仕草であった。
「あいつ、変な奴だなー……イアンの知り合いって、あんな奴ばっかりなの? 」
ヴィクターは、メロクディースに指を差しながら、イアンに顔を向けた。
「こっちを見るな。あんな奴ばかりじゃ……いや、もう一人、似たような奴がいたな……鬱陶しいのが…」
そう答えるイアンは、げっそりとしていた。
「さて、そろそろ帰ろうかな……っと、最後に、部長さーん! 受け取ってー! 」
メロクディースが、ヴィクターに向かって何かを投げた。
「あ? うおっ!? な、なんだ? って、こりゃあ……ルーペ? 」
メロクディースに投げよこされた物は、丸いレンズに柄がついた物であった。
「それも、アンティレンジ……だけど、部長さんなら、使い方を間違えないよね! じゃあ、バイバーイ! 」
メロクディースはそう言うと、風になって消えてしまった。
「お、おい! ……行っちまったか…」
ヴィクターは手を伸ばして、メロクディースを引きとめようとしたが、間に合わなかった。
「ちっ! 何の力があるか行ってから消えろよ」
「……」
「……あん? どうしたよ、イアン? 」
見上げたままのイアンを不思議に思い、ヴィクターが訊ねる。
「……いや、しばらくは平穏な暮らしが出来ると思ったのだが……今回も、そうはいかない……とな…」
「……そうかい。ま、頼りにさせてもらうぜ」
ヴィクターは、そう言うと、イアンの背中を叩いた。
「こちらこそ……今回ほど、自分だけでは、どうにもならないと思ったことはない」
「へっ! そりゃ、言い過ぎだろ」
イアンの呟きに、ヴィクターは笑みを浮かべた。
その後、イアンとヴィクターは、倒れていた骨董店の店主を近くの医療院に連れて行った後、帰路に着いた。
アンティレンジの回収をすると決めた日から、三日後。
その間、特に何事もなかった。
ヴィクターが学校に行けば、普通に授業を受け、探偵事務所に行けば、猫探しをする日々が続いたのである。
少し変わったことがあるといえば――
「ちょっと、ラストン先生の所に行ってくるよ」
ジグスが、ラストンの元へ行く機会が増えたことであった。
彼のかかりつけの医師がラストンであり、度々、ファラワ村に行くことをヴィクターは知っている。
しかし、ジグスが何のために行っているかは知らない。
そして、その機会が増えたと言って、特に気にすることでもなかった。
しかし、この日、ブラッドウッド学院 探偵部に珍しいことが起こる。
放課後、ヴィクター、ケイルエラ、リトワの三人は部室の中で、ある人物を待っていた。
三人は、部室の入口の方を向き、横に並んでいる。
彼等の目の前には、一つの椅子が置かれておいた。
「失礼します」
ドアが開かれ、一人の女学生が部室の中に入ってくる。
彼女は、栗色の長い髪で、非常に整った顔立ちをしていた。
体の線も細く――
「来たか……学院一の美少女…」
ヴィクターが、学院一と称するほどの綺麗な女学生であった。
ネクタイの色は赤で、ヴィクターとケイルエラと同じ学院である。
「はい? 今、何か……」
女学生がヴィクターの呟きに反応する。
「いでぇ!? 」
「こいつのことは気にしないで、そこに座ってね」
ケイルエラは、ヴィクターのつま先を踏んだ後、自分達の目の前にある椅子に座るよう促した。
珍しいこととは、探偵部に直接相談しにくる者が来たということだった。
「は、はぁ…」
女学生は、若干困惑しながらも椅子に座った。
「それで、シンシアさん、話というのは? 」
ケイルエラが女学生――シンシアに訊ねた。
「ええ、その……私……誰かに付け回されているみたいなの」
「付け回されている……そう感じるのは、どの時? 」
ケイルエラがさらに、シンシアに質問をする。
「ええと……学校から帰る時によく……誰かが後ろにいる気配を感じるんだけど、振り向いても誰もいなくて……でも、確かに気配を感じるんです」
「……なかなか手強いね。それが誰なのかを私達に突き止めて欲しいってことね? 」
「はい……悪戯でやっているのなら、やめさせて欲しいです……すごく怖くて…」
シンシアは俯きがちに、そう答えた。
「女の子をつけ回す輩…か……分かったわ、シンシアさん。私達が力になりましょう」
「あ、ありがとうございます、生徒会長」
「ええ。依頼は引き受けたから、今日はもう帰っていいよ」
「あ……は、はい。よろしくお願いします」
シンシアはそう言うと、ケイルエラに頭を下げ、部室を後にした。
「ボク達はいる意味あったのかな? 」
シンシアが出て行くと、リトワがそう呟いた。
「シンシアさんと話したかったぜ。ケイばっか、話してよぉ…」
ヴィクターは足を組み、顔をしかめていた。
「どうせ、あんたは下世話な話しかしないくせに……それで、ヴィクターは心当たりある? 」
「あ? 何が? 」
「シンシアさんと同じクラスでしょ? 誰か怪しい奴がいないかって、聞いてんのよ」
「ああ、そういうことか」
ヴィクターは、ケイルエラが聞きたいことを理解した。
「別に……怪しい奴なんざ……あっ! 」
「……!? 」
「うわぁ、びっくりしたなぁ」
突然、声を上げたヴィクターに、ケイルエラとリトワは驚いた。
「あの野郎、シンシアさんに馴れ馴れしくしやがって~」
ヴィクターは歯ぎしりをしながら、憎々しげに呟いた。
「……なんか、私の聞きたい話じゃない気がするけど……それは、誰なの? 」
ケイルエラは、一応聞いてみることにした。
「あん? 名前は分かんなぇけどよ、確か三年生だったぜ? ムカつく」
「ムカつく……? それって、もしかして、セーファス先輩のこと? 」
「あん? なんだ、そいつ」
「頭が良くて、運動もできて、誰に対しても優しい素敵な先輩よ。紳士っていうのは、まさしくあの人のことね。本当、誰かさんとは大違い」
ケイルエラは、そう言いつつ、横目でヴィクターを見る。
「ふーん…」
ヴィクターは、興味が無い様子であった。
「……女の子にモテる」
「ケイ、そいつだ! そいつが、最近、シンシアさんに寄ってくるんだよ! すんげぇ、ムカつく! 」
ボソリと呟いたケイルエラの発言に、ヴィクターは過剰に反応した。
彼は、女性にモテる男が大嫌いであった。
「ただの嫉妬じゃないの。はぁ、だから、あんたはモテないのよ……リトワちゃんも、そう思うよね? 」
ケイルエラは、リトワに同意を求めようとしたが――
「うん? ボクは、セーファス先輩よりも、ヴィクター先輩の方が好きだよ」
彼女の思った反応は返ってこなかった。
「えぇ!? リ、リトワちゃん、そんな…好きとか簡単に……」
リトワの発言に、ケイルエラは若干顔を赤くする。
「……? だって、ヴィクター先輩の方がカッコいいし……」
「んなっ!? 」
ケイルエラの顔は真っ赤になり、開いた口が塞がらなかった。
「……あん? ちょっと、待て。 今、どういうつもりで言った? 」
褒められたヴィクターは、意外にも冷静であった。
「それは、もちろんお世辞だよ」
「こいつ! 」
ヴィクターは、椅子から立ち上がると、リトワの頭を小突いた。
「やっぱりか! 舐めてんのか、おまえはよぉ! 」
「いてて……ヴィクター先輩は、すぐ人の頭をポカポカと…」
小突れたリトワだが、まんざらでも無い様子であった。
「うるせぇ! はぁ……で、どうするよ? 」
「……な、なんだ、お世辞かぁ…」
ヴィクターはケイルエラに訊ねたが、彼女は返事をしなかった。
「おい、聞いてんのかよ」
ヴィクターが、ケイルエラの肩を掴んで揺さぶる。
「……え! ああ、うん。シンシアさんの後を追って、誰が付きまとってるか突き止める! はい、決定! 」
ようやく、ケイルエラは返事をし、そさくさと部室の外へ出ていった。
「……? なんだ、あいつ……」
ヴィクターは、腑に落ちない様子であった。
「まぁ、ヴィクター先輩の方が好きということは、お世辞じゃないけどね…」
「……そりゃあ、知らねぇ奴より、知ってる奴の方がいいだろうよ」
「……そういうことじゃないけどね…」
「ああ? 」
「ところで、ケイ先輩は気にしてないみたいだけど、関係あると思うかい? 」
リトワが椅子から立ち上がり、ヴィクターにそう訊ねる。
ヴィクターから、リトワとケイルエラはアンティレンジのことは、既に聞かされている。
今回の依頼が、アンティレンジと関わりがあるか、リトワは気になっていた。
「……分かんねぇ……けどよぉ…」
ヴィクターは、部室のドアに向かって歩き出し――
「気配は感じるけど、誰もいねぇっていう話……もっと詳しく聞きたかったぜ……」
そう呟いた後、彼は部室を後にした。
部室を出た後、ヴィクター達は、帰路に着くシンシアの後を追っていた。
彼女の家は、駅には向かわず、ブラッドウッド学院から、南に向かって街路を歩いていた。
「……シンシアさん、フィルドエアに家があんのか……ふーん…」
「こら! 変なこと考えているな? 逮捕するぞ! 」
ヴィクターの呟きを聞き、ケイルエラが彼を咎めた。
「考えてねぇし! 決めつけてんじゃねぇよ! このブス! 」
「なにぃ…貴様ぁ、私を侮辱したな? 侮辱罪で、本当に逮捕してやってもいいんだぞ? ん? 」
「ふ、ふがっ! 」
ケイルエラは、腰に下げていた棒状の道具を取り出すと、ヴィクターの頬に押し付けた。
この道具の名前は警士棒と言い、警士隊が常備する護身用の道具である。
「二人共、ストップ」
二人の間にリトワが入り、両腕を広げて、二人を強引に引き離した。
「今はシンシア先輩の後を追っているんだろ? 目立っちゃダメじゃないか…」
三人がいる街路には、他にも多くの人がおり、言い合いをしていたヴィクターとケイルエラを不審な目で見ていた。
「……ちっ、悪かったよ」
「すまない、取り乱してしまった」
二人は、周囲を見回し、自分達が悪目立ちしていることに気づくと、反省した。
「……というか、ケイ先輩、人が変わってません? 」
リトワはそう訊ねたが――
「どこがだ? 変わってなどいないぞ」
ケイルエラは、否定した。
その二人のやり取りを見たヴィクターは、リトワの肩に腕を回し、ケイルエラに背を向く。
「リトワよぅ、今のあいつはな、警士隊モードになってんだよ…」
「警士隊モード? 」
「おうよ。依頼やってる時とか、悪もん見たときとか、奴の正義感が一定に達すると、ああなっちまうんだ」
「はぁ……二重人格? 」
「それに近いな、本人は否定するけどな。ま、普通に接してやれや」
「二人共、何をしている? シンシアさんと離れてしまうではないか」
背を向ける二人に、ケイルエラが声を掛けた。
「悪ぃ、悪ぃ。ちっと、相談してたんだわ」
「そうか。終わったのなら、さっさと行くぞ、このバカ野郎が! 」
ケイルエラはヴィクターにそう吐き捨てると、シンシアの追跡を再開した。
「……ああやって、すこーーし口が悪くなるけどぉ、ブ・チ・ギ・レちゃあダメだぜぇ? 」
「それは、ボクに言ってるのかい? それとも、自分に言い聞かせているのかい? 」
歯を食いしばり、両手の拳を強く握り締めるヴィクターに、リトワはそう聞かざるを得なかった。
シンシアの後を追い続ける三人。
彼女に近づく、怪しい人物が現れることなく、何事も起こらなかった。
「……シンシアさん、家遠いのな。けっこう歩いたぜ? 」
物陰に身を潜ませるヴィクターがそう呟いた。
「確かに……でも、もうすぐ家に着きそうな雰囲気だよ? 小さい街路に入ったし…」
彼の後ろにいるリトワが、そう答えた。
「……おまえ達、油断するなよ。人気がなくなっている」
二人とは、別の物陰に隠れるケイルエラが、二人に注意を促した。
彼等がいる街路は狭く、入り組んだ場所である。
「……こりゃ、もうシンシアさんの近くに行った方がいいんじゃね? 」
「……確かに、離れていては、彼女を守れない。それに、人気がないのであれば、隠れている方が目立つしな」
ヴィクターの提案に、ケイルエラは頷いて答えた。
「それじゃあ、行こうか」
ケイルエラが了承したことで、リトワが物陰から出ようとした時――
「……!? 待て!」
ヴィクターが、リトワを引き止めた。
彼女は足を止め、キョロキョロと周りを見回し始めたのだ。
「あれは……気配という奴を感じたのか。二人共、周りに怪しい奴がいないか見張っていろ! 私は彼女の元へ行く! 」
ケイルエラは二人にそう言うと、シンシアの元に向かって走り出した。
「ちっ! 勝手しやがって! 怪しいのは……そこだな! 」
シンシアの元へ向かう途中に、別の街路に続く路地があり、ヴィクターはそこに向かって走り出した。
「リトワは、そこにいろ! 」
ヴィクターが、リトワに指示を出した瞬間――
「がっ!? 」
突然、彼は転倒した。
「ヴィクター先輩!? 」
リトワは物陰から飛び出し、倒れ伏すヴィクターの元へ駆け寄る。
「大丈夫!? 一体何が――」
「痛って…バカッ! 俺に構ってんじゃねぇ! 」
ヴィクターは上体を起こしながら、駆け寄ったリトワを叱りつける。
バタッ!
その時、彼等の後方から物音が聞こえた。
「「……! 」」
ヴィクターとリトワが素早く後方に顔を向ける。
「うっ、うう…」
すると、二人の後方で、一人の少年が倒れていた。
「あ、あわわ……」
少年は慌てて立ち上がると、近くの路地へ入ってしまった。
その少年はブラッドウッド学院の制服を着ており――
「……あいつは……」
ヴィクターが知っている人物であった。
「ヴィクター! 」
ヴィクターが呆然と、少年が入ていった路地を見つめていると、彼の元にケイルエラがやってくる。
「ケイ先輩……シンシア先輩は? 」
「家がすぐそこだったようでな。送り届けてきた」
リトワに訊ねられ、ケイルエラはそう答えた。
「それで、犯人を見たのか? 」
「……ヴィクター先輩が…」
リトワがヴィクターに顔を向ける。
「ヴィクター、どんな奴だった? 」
ケイルエラが腰を下ろして、ヴィクターに訊ねる。
「……俺と同じクラスの奴だった…」
「そうか……でかした! これで、犯人を特定できた! 」
ケイルエラは、立ち上がり――
「散々シンシアさんを追いかけ回したその報い……受けてもらうぞ」
薄らと笑みを浮かべた。
「……いや、違う…」
「……なに? 」
しかし、彼女の笑みは、ヴィクターの言葉によって消えた。
そして、さらに彼は――
「あいつじゃない。シンシアさんを追い掛け回したのは、別の野郎だ…」
と続けた。




