百九十九話 骨董店の巨大迷路
怪盗Mを追って、骨董店の中に入ったヴィクターとイアン。
実際には、怪盗Mの正体であるメロクディースは骨董店に入ったフリをしており、ヴィクターはイアンと共に騙されて、店内に入ってしまった。
そんな二人のうち、ヴィクターは――
「……クソ……怪盗Mの野郎はどこだー!? ていうか、ここどこだー!? 」
怪盗Mが見つからず、さらに自分がどこにいるのかが、分からなくなっていた。
自分がどこにいるのかが分からない。
それはつまり、彼は今、骨董店の中を彷徨っているということ。
何故、彼は彷徨っているのか。
店の中が思ったよりも広く、入り組んだ内装になっている。
店内が暗くて何も見えない。
これらの他にも、様々な原因が考えられるだろうが、どれも違うと断言できるだろう。
何故なら、骨董店の中に入ったヴィクターは、いつのまにか、周囲を巨大な壁に囲まれた空間にいるという、非現実的な現象に巻き込まれているからだ。
「イアンもいねぇし、どうなってんだ? こりゃあよ……」
眉をひそめながら、ヴィクターが呟く。
さらに、後ろにいたはずのイアンの姿も消え、彼は今、一人であった。
「……とりあえず、先に進んでみっか…」
ヴィクターは、目の前の巨大な壁に囲まれた道を進むことにした。
先が見えず、どこまでも続いていそうな長い道であったが――
「あん? 道が別れちまった。どこに行きゃいいんだ? 」
彼の前に、真っ直ぐ続く道と左へ向かう道、右に向かう道の三方向の道、つまり十字路が現れた。
ヴィクターは、その三方向の先を見てみたが、どの方向も先が見えないほど長い道であった。
「ちっ! どれが正解か分かんねぇし、適当にこっち行くか」
ヴィクターは、右に向かう道へ進んだ。
しばらく、その道を歩き続けるヴィクター。
「……いや、なんか違う気がするなぁ」
しかし、彼は足を止めた。
「うーん…何故だか、どんどん変な方に言ってる気がするぜ……戻っか」
ヴィクターは踵を返し、先ほどの十字路に戻ることにした。
「……」
来た道を引き返すヴィクター。
「……」
彼は黙々と歩き続ける。
「……ん? ……俺…こんなに歩いてたっけ? 」
歩くヴィクターは、訝しむような表情を浮かべる。
引き返しているのだが、一向に十字路が見えてこないのだ。
「いつのまにか、通り過ぎていたとか? 」
ヴィクターは顔を後ろに振り向かせて見ると、そこは巨大な壁に阻まれた行き止まりになっていた。
「……は? 」
意味が分からず、ヴィクターは思わず、間の抜けた声を出した。
ヴィクターは、その壁が本当にあるのか、触って確かめてみる。
「……本当に壁になってら……どうなってんだ? 」
ますます分からなくなるヴィクターであった。
「ちょっと待て。一回、落ち着いて、今の状況を整理するぜ」
ヴィクターは頭を抱えて、今までに起こったことを振り返る。
骨董店に入ったつもりが、見知らぬ場所に入り込んでいた。
そこは、どうやら広大な迷路のようである。
来た道を引き返そうとしたら、元の場所には戻れず、振り返ったら壁が出来ていた。
「えーと……なんで、ここにいるかは置いといて、ここは道が変わっちまう迷路…ってことか? 」
頭を捻っていたヴィクターは、今いる場所をそう判断した。
「おいおい……道が変わっちまう迷路なんざ、どうやって出れりゃいいのよ…」
脱出が困難であると思い、ヴィクターは呆然と立ち尽くす。
「お、ヴィクター。やはり、おまえもここにいたのか」
すると、後方からイアンの声が聞こえてきた。
「……! イアン! ……って、また道が変わってら……」
ヴィクターが後ろに振り返ると、イアンの姿が見えた。
彼が振り返った道は、さっきまでは先の見えない一本道であったが、今は、突き当たりが、ヴィクターから見て右へ直角に曲がった道になっていた。
イアンは、その曲がった道から、ヴィクターの目の前に現れ――
「ナースさん、探していた知り合いを見つけたのかい」
彼の後ろからもう一人、見知らぬ男性が現れた。
その男性は、白髪の混じった栗色の短い髪をしており、顎に髭を生やしていた。
この場にいる誰よりも背が高く、痩せた体型をしている。
この国の中年の男性がよく身に付ける服装をしており、ヴィクターはそれを見て――
「あー……もしかして、あんた、この……いや、ブルベル骨董店の店の人か? 」
骨董店の店員であると判断した。
「え、ええ、私はその店の店主です。はぁ……久しぶりに、二人の人と話したよ……」
彼は、骨董店の店主であった。
店主は肩を落としており、見るからに疲れている様子であった。
「……ふむ、ヴィクターとも合流できたことだし、少し休憩するか? 」
イアンがヴィクターに、休憩することを提案する。
「そうだな。ついでに、店主さんから話を聞こうぜ。店主さんよぅ、疲れているみたいだが、頼めるか? 」
「……ああ、大丈夫だよ…」
ヴィクターに訊ねられ、店主は力なく答えた。
休憩することにした三人は、巨大な壁を背にして横並ぶ。
ヴィクターと店主は腰を下ろしているが、イアンは立ったままであった。
「そんで……どうして、こんなことになったか、心当たりあるかい? 」
ヴィクターが店主に問いかける。
「……分からない。気づいたら、ここにいて、君達に会うまで、この迷路を彷徨っていたんだ。君達は、私の店に入ったのか? 」
「ああ。店に入ったら、ここに来ていた。どうやら、骨董店には、謎の力が働いているらしい」
イアンが店主に答えた。
「謎の力ねぇ……イアンは、今と同じ状況になったことあんの? 」
「気づいたら、見知らぬ謎の空間にいた……ということは、何度でもあるが、いまいち仕組みが分からない。オレの経験は、役に立ちそうにないな」
「そっか。じゃあ、考えねぇとなぁ。早く、ここから出ねぇと、みんなが心配しちまう。店主さんも、今頃――」
「いや、私に家族はいない」
ヴィクターの言葉の途中で、店主が口を挟んだ。
「友人はいるが、滅多に会わない……から、君達が来なかったら、私は誰に知られることなく、ここで死んでいただろう」
「……はぁ、そうですかい…」
「そういえば、君達は私の店に入ったと言ったが、何をしに来たんだい? それに、確か……店は閉めたはずなんだが…」
店主がヴィクターに訊ねる。
「オレ達は、怪盗M……あ! そうだ! 怪盗Mがここのどこかにいるぜ! 店主さん、ここで怪しい奴見なかった? 」
ヴィクターは、怪盗Mの存在を思い出し、立ち上がる。
「怪しい奴……いや、君たちしか見ていない。怪盗……とか、言ったけど、君達はその人を追ってここまで来たんだね? 」
「ああ、そうさ。俺達は探偵をやっててよぅ。そいつがブルベル骨董店に入ったんで、俺達は後を追ったんだ」
「怪盗……私の店には、怪盗が盗むようなものは置いていなと思うけど……」
「分かんねぇぜ? そいつには、価値のあるもんが置いてあったとか」
「その……怪盗にしか分からない価値……あ! そういえば…」
「おっ! 何かあるのかい? 聞かせてくれよ」
ヴィクターは腰を下ろし、店主に耳を傾ける。
「ああ、最近――」
バタッ!
店主が喋りだそうとした時、イアンが後ろに倒れた。
「あん? イアンよぅ、何やって――」
ヴィクターは、後ろに振り向き、倒れたイアンを見ると――
「……あ……ああ? 」
ナース服のスカートの部分と両足の下半身しか見えず、思わず間の抜けた声を出した。
イアンの腰から上には、巨大な壁があり、彼の上半身はどこにも見えない。
「うあっ!? ナ、ナースさん、一体何が……」
店主も下半身しか見えないイアンに気づき、驚きの声を上げる。
二人が、呆然とイアンの下半身を見つめていると、突然――
「……! ……! 」
イアンの両足が、バタバタと暴れだした。
「……!? なんか、やばい! 」
ヴィクターは、イアンの足を掴んで引っ張った。
暴れる彼の足の様子が苦しげに見えたのである。
「う、うああああ!? 何が起こっているんだ!? 」
店主は、突然暴れだしたイアンの足を見て、取り乱す。
「うぐぐっ……ちくしょう! 全然出てこねぇ…」
イアンの足を引っ張っるヴィクターだが、一向に彼の上半身は出てこなかった。
「こいつの半分の体は、壁にでも埋まってんのか!? 何で、壁に埋まってんだよおおおお!! 」
叫びながら、ヴィクターはイアンの足を引っ張り続ける。
「……!? 」
その時、ヴィクターの脳裏に、何かが閃いた。
「店主さん! 後ろを向け! イアンに背を向けるんだ! 」
「えっ!? 」
突然のヴィクターの発言に、店主は困惑する。
「いいから、早く後ろを向くんだよ! 」
「う、うわあっ! 」
ヴィクターは、イアンの足を離し、店主の体を無理やり後ろに向けた。
自分も後ろに向き、体の半分が壁に埋まったイアンに背を向けた。
すると――
「ゲホッ! ゲホッ! 」
苦しげに咳き込むイアンの声が聞こえた。
「あ……ナースさ――」
「まだだ! 後ろを向くんじゃねぇ! 」
「―んっ!! 」
振り向こうとした店主だが、ヴィクターによって阻止される。
「はぁ……はぁ……もう大丈夫だ。助かったぞ、ヴィクター…」
「いいか? じゃあ、そっちを見るぞ」
イアンの声により、ヴィクターは後ろに振り返った。
すると、巨大な壁の前に立つイアンの姿がそこにあった。
上半身はちゃんと見えている。
「ふぅ……焦ったぞ」
呼吸が整ったのか、イアンはそう呟いた。
「まったくだぜ……イアンよぅ、なんで倒れたんだよ? 」
「後ろに壁があっただろ? そこにもたれようとしたら、壁が消えていた。そうしたら、何も見えなくなり、息もできなくなったんだ」
ヴィクターに訊ねられ、イアンはそう答えた。
「咄嗟の閃きでやったが……そういうことか。二人共、ずっと前を向いたままでいてくれ」
ヴィクターは、そう言うと前に向いたまま、後ろに歩きだした。
やがて、彼の姿はイアンの視界から消え、どんどん後ろに下がっていく。
「はぁ、びっくりだぜ……」
しばらく、すると、ヴィクターあ二人の元に帰ってきた。
「何か分かったか? 」
「おう。この迷路の仕組みがちょっと分かったぜ。この迷路の壁なんだがよぅ、どうやら、人の視界にできるらしい」
イアンの問いに、ヴィクターはそう答えた。
「視界にできる? 」
店主が首を傾げる。
「俺達は、歩くときは前に進む……つまり、視界の方向に進むだろ? この迷路は、俺達の目の前にできるんだよ」
「目の前にできる……できる…か。もしかして、たまに道が変わるのは……」
「新しく迷路ができたんだろう。恐らく、視界の方向が変わる度に、別の形の迷路が新しく作られるみてぇだな。それで、さっき、イアンのいるところに壁ができちまったんだろうぜ」
「……ほう、そういうことか。意地の悪い迷路だな」
「……? 何がなんだか、さっぱり分からない…」
イアンは納得した様子だが、店主は理解出来ない様子であった。
「あー……まぁ、この仕組みは分からなくてもいい……か。とりあえず、視界に映らない自分の後ろには、何もないってことさえ分かっちまえば、こっちのもんだぜ」
ヴィクターは、頬を吊り上げた。
「外に出るには、前を向いたまま後ろに下がれば、良いってことよ。そんじゃ、さっさとこっから出ちまおうぜ」
ヴィクターはそう言うと、イアンと店主を自分の横に並ばせる。
「よし。じゃあ、後ろに歩くぜ」
ヴィクターのその言葉で、三人は前を向いまま、後ろに下がり始めた。
「……ほ、本当だ! さっきまで、壁があったはずなのに、どこにもぶつからない。本当に、後ろには何もないのか」
店主が驚きの声を出す。
視界には相変わらず、巨大な壁に囲まれた迷路が見えているが、後ろに下がる彼らが、壁にぶつかることはなかった。
しばらく、そのまま後ろへ歩いていると――
「痛っ…」
三人の真ん中にいるヴィクターの腰に何かがぶつかった。
それが何か分からないが、壁でないことは確かであった。
「どうした? ヴィクター」
「なんか当たった。避けて進むわ」
ヴィクターは、手探りでぶつかったものの大きさを調べ、それを避けて後ろに下がった。
「あ? なんだこれ? 」
後ろに下がった彼等の前に現れたのは、一本の長い足で立つ丸いテーブルであった。
ヴィクターがぶつかったのは、この丸いテーブルで、そのテーブルの上には、白いティーポットが置かれていた。
「……斧を持った牛……いや、牛獣人か?」
ティーポットを見たイアンが、そう呟いた。
そのティーポットには、両刃の斧を持った牛獣人らしき絵が描かれていた。
「ああ、これです。さっき私が言いかけたのは」
店主がティーポットに指を差す。
「最近、どこかの大陸から来たと言うお客さんに譲り渡されたものです。どうも、大昔に作られた古い茶器らしいですが、何故ここに? 」
「へぇ……なんか怪しいぜ。さっきから、なんか湯気出てるし…」
ティーポットには蓋がされておらず、そこから湯気のような白い煙が出ていた。
「意味分かんねぇ。とりあえず、閉めとくか」
丸いテーブルの上には、ティーポットの蓋も置いてあり、ヴィクターはその蓋をティーポットの上に置いた。
フッ……
すると、一瞬だけ周りが白くなり――
「……あ? 」
「なに? 」
イアンとヴィクターは、暗い場所にいた。
周りをよく見ると、何に使うか分からないが、とにかく古そうなものがたくさん置かれていた。
どうやら彼等は、迷路の空間から脱出し、骨董店の中に戻っていたのだ。
「はぁ。こいつの仕業だったってことか」
ヴィクターは、目の前の丸いテーブルに置かれたティーカップを見て、そう呟いた。
今、ティーカップには蓋がされており、湯気のような白い煙は出ていなかった。
「そのようだな。ところで、店主はどこに…」
イアンが、店主の姿を探そうと周りを見回した時――
「おおっ! やっと出れた! 君達には感謝するよ。本当にありがとう」
彼等の後ろから、店主が現れた。
彼は感謝の言葉を言いながら、二人の前にやって来る。
「まさか、この茶器が迷路を作り出すような危険なものだったなんて……でも、蓋をすれば能力は発動しないみたいだ。これで安心だね」
「は、はぁ、店主さん、元気になったねぇ」
先ほどとは、打って変わって元気な店主に、ヴィクターは苦笑いを浮かべる。
「……ん? 」
イアンは、肌に風が当たるのを感じ、振り返った。
すると、そこには骨董店の出入り口であるドアがあり――
キィ……キィ……
開かれたままであった。
「……? 何故、ドアが……む? 」
顔を前に向こうとしたイアンの視界に、何かが映った。
暗がりで分かりにくかったが、それは見覚えのあるような気がしたので、彼の目に止まった。
「……なっ!? 店主だと!? 」
イアンが目を凝らして見ると、それはなんと店主であった。
「ううっ…」
彼が見つけた店主は床に倒れており、呻き声を上げていた。
「はぁ? イアンよぅ、何言ってんだよ。店主さんは、目の前に……」
「ヴィクター、そいつは店主ではない! 恐らく、怪盗Mだ!」
「にひひっ! 冴えてるねぇ、イアン」
イアンの叫びに、店主はニヤリと気味の悪い笑みを浮かべ――
ビュオッ!
「か、風!? って、いねぇ! 」
骨董店から姿を消した。
「ティーポットもなくなってやがる……あの野郎! 」
ヴィクターは、骨董店の外へ飛び出した。
イアンも骨董店の外へ出る。
すると、先に外へ出ていたヴィクターは、街路の真ん中で上を見上げていた。
「ヴィクター、奴はどこに? 」
「あそこだぜ」
イアンに訊ねられると、ヴィクターは、骨董店の向かいの建物の上を指差した。
そこには、空に浮かぶ三日月を背にして建物の屋根に立つ店主の姿があった。
その店主の手には、牛獣人が描かれたティーポットがある。
「怪盗M、まんまとオレ達をハメたな。今、そっちに行くから、覚悟しろよ」
イアンは腰を低くし、サラファイアを発動する準備に入る。
「怪盗M……そろそろ、私の名前を呼んでくれてもいいんじゃない? 」
「……? お前の名前……だと? 」
「この姿じゃ、分かんない…っか! 」
店主はそう言うと、自分の服を引き剥がすと――
「ふふっ! この姿なら、分かりますよね? 」
金色の長い髪を持つ、軽装な鎧を身につけた少女になった。
「……? 誰だ? 知らんぞ、お前なんか」
イアンは、誰か分からず、首を傾げた。
「えっ!? あ、あれ? どうし……あ! 間違えちゃった。きゃああああ!! 」
謎の少女は悲鳴を上げながら、クルクルと回転し――
「ふぅ……こっちだね。これで分かるでしょ? 」
金色の独特な髪型で、胸の部分が開かれた黒い衣類を身に付ける少女が現れた。
「あ! お前は、メロクディース! 」
イアンが、メロクディースに指を差す。
「なんだ、あのエロい服……なに? イアンの知り合い? 」
「知っているが、良い関係ではない。むしろ、オレの敵に近い存在だ」
ヴィクターに問いに、イアンはそう答えた。
「げぇ、そういうこと言っちゃうんだ。敵じゃないよ」
「どうだかな……それで、ここに何をしに来た? その茶器を盗みに来たのか? 」
「ちょっと違うね。私は、この国……いや、タブレッサに持ち込まれたアンティレンジを回収しに来たの」
「アンティレンジ? 」
初めて聞く言葉に、イアンは首を傾げた。
「そう。このティーポットのように、不思議な力を持つ古い道具……骨董品のことをアンティレンジっていうの」
メロディースは、手に持ったティーポットを見つめながら、そう言った後――
「それで、イアン達にもお願いしたいの。アンティレンジを回収するのを……ね! 」
イアンとヴィクターに視線を向け、微笑みを浮かべた。
2016年8月8日 文章修正。
イアンの独り言を消去し、店主が床に倒れている描写を追加。




