百九十八話 集結するバイト探偵 怪盗Mの挑戦状
「ついに、この瞬間が来たか…」
「うん。長いようで、短かったね…」
夕方のジグス探偵事務所にて、ヴィクターとジグスは感極まったような声を出していた。
机に座るジグスの手には、一冊の本が持たれており、本にしては薄い厚さであった。
彼の傍にヴィクターがおり――
「……何をやっているんだ、あの二人は…」
ソファーに座るイアンは、そんな二人を不思議そうに見ていた。
「……イアンさんは、写真というものを知っているか? 」
イアンの向かい側のソファーに座るリトワが訊ねてくる。
「写真? 知らないな」
「そっか。写真というのは……」
リトワが写真について、説明する。
写真というのは、カメラという装置によって、生成される一枚の紙の形をしたものである。
カメラのレンズという部分に映った景色を、黒と白の二種類の色で写真に写すことができ、腕の良い画家が描いたどんな絵よりも、精密だと言われている。
「写真の技術は、五年前くらいに作り出されたものなんだけどね…」
リトワは、そう言うとジグスが持つ本に指を差す。
「他の色が付くには、十年以上かかるって言われてたけど、ここ最近で、黒と白以外の色が付くようになったんだ。いやぁ、男性の持つ情熱? というものは、侮れないね」
「は、はぁ、すごいんだな…あれ」
イアンは、よく分からなかったが、凄いものだという認識は持った。
「オ、オジさん、早く中を開けるんだ! 初のカラーで、大型新人のシュリーだぜ? この日をどれだけ待ちわびたことか! 」
待ちきれないのか、ヴィクターが騒ぎ出す。
「まぁ、待ちなよ。こういうのは、落ち着きが大切だよ。あと、引退した伝説の女優…ヘイゼル様がカラーで復活したことを忘れるなよ? 」
ジグスも興奮しているのか、いつもより元気な様子であった。
「よし。一回、深呼吸しよう、ヴィクターくん」
「わ、分かったよ、オジさん」
「「すぅぅぅぅぅぅ……」」
二人は顔を上げて目を閉じると、大きく息を吸いだした。
ガチャ…
その時、部屋のドアが開かれ、一人の少女が入ってくる。
少女は、金色の長い髪を持ち、キリッとした青い目をしていた。
リトワと同じ制服を身につけているため、ヴィクター達の通うブラッドウッド学院の学生であると判断できる。
「「……?」」
イアンとリトワは、不思議そうに少女を見つめる。
「……! 」
その少女は、ソファーに座るイアンとリトワに気づくと、驚いたように目を開いたが――
「ん? はぁ……」
ヴィクター達の方に目を向け、ため息をつき、二人の元へ向かっていく。
「「ぅぅぅぅぅ…」」
二人は、まだ息を吸っており、少女が近づいていることに気がつかない。
少女は、ジグスの座る机の前に立つと――
「はい没収」
彼の持つ本を取り上げた。
「「ぅぅぅぅ……はあああああ!?」」
ようやく息を吐こうとした二人は、本を取り上げられたことにより、息ではなく、絶叫を口から吐き出した。
「女の子と同じ部屋にいるのに、こんな本を読むなんて……」
少女は、取り上げた本をパラパラと捲る。
裸の女性ばかりが記載されており、大半は白黒だが、一部色のついたページがあった。
その本は、最新の技術が使用された、エロ本である。
「卑猥! 」
ビリビリビリ!
少女は、本をバラバラに引き裂き始めた。
「あああああああ!! 」
無残にも引き裂かれていくエロ本に、ヴィクターは悲鳴を上げる。
「あーあ……ここで、ケイちゃん来ちゃったかー…やっぱり、今見るべきじゃなかったねぇ…」
エロ本を引き裂かれているにも関わらず、ジグスはあまり動じない様子であった。
「ふんっ! 清々したわ」
少女がエロ本を引き裂くのをやめる。
彼女の足元には、バラバラになったエロ本のページが散乱していた。
「お、おい、バカ! なんてことをしてくれんだ! 」
ヴィクターは少女を批難すると、彼女の元へ向かい――
「うっ……ひでぇ…なんて有様だよ……」
無残な姿になったエロ本を前に、崩れ落ちた。
「あはは……これは、仕方ないね。それより、久しぶりだね、ケイちゃん」
「お久しぶりです、所長。さっき言ったように、みんながいる場所で、卑猥なものを見せびらかすのは、やめてましょうね? 」
「いやぁ、あはは……見せびらかしてはないんだけどなぁ……」
少女に咎められ、ジグスは肩を落とす。
「ジグス、落ち込んでいるところで悪いが、彼女は? 」
「ボクと同じ学校の……先輩ということは分かるね」
イアンとリトワがジグスの元に向かう。
「あ、ああ、紹介するよ。この子は、ケイちゃん。君達よりも前に、ここに来たバイトの子だよ」
「ケイルエラ・ブランデンよ。気軽にケイって呼んでね」
ジグスに紹介されると、少女――ケイルエラは、イアンとリトワに体を向けて名乗った。
「オレは、イアン。ちなみに、こう見えてもオレは――」
「あっ! すごい! クロスマークだ! イアンさんは、優秀なナースなのね! 」
イアンが喋っている途中で、ケイルエラは口を挟んだ。
「う、うむ……それで、オレは――」
「ボクは、リトワ・ドミッツ。ブラッドウッド学院には、最近編入したばかりだから、学校でも仲良くして欲しい…です」
イアンを声を遮って、リトワが名乗りだした。
「あ、ああ! あなたがリトワちゃんね。編入した学生がいるって聞いてたけど、あなたのことだったのね。よろしくね。私、こう見えても、生徒会長をやってるから、何かあれば頼ってね」
「生徒会長でしたか。それは、頼もしい。よろしくお願いします、ケイ先輩」
ケイルエラとリトワは、握手を交わした。
「……むぅ、後で言えばいいか…」
イアンは、自分が男であると言うタイミングを逃し、若干落ち込んでいた。
「……ん? そのバッチは……」
その時、リトワは、ケイルエラの胸に付けられたバッチが目に入った。
そのバッチは青色で、真ん中には金色に輝く星型の紋章が描かれていた。
「ああ、これ? これは、特警……特別警士隊のバッチだよ」
ケイルエラが、そのバッチを指差しながら説明した。
「聞いたことがある。確か、罰法をすべて暗記し、人格と素行に問題が無い人物が選ばれるとか…」
「そうだねぇ。ケイちゃんは、数少ないその人物の一人さ」
リトワの呟きをジグスが肯定する。
「特別警士隊? 警士隊で充分ではないか? 」
「そりゃ、そうだけど、警士隊では目の届かない所があったり、事件に間に合わない時があるからね。それを補うために、警士隊以外の住民にも、警士隊の権利を上げちゃおうってこと。まぁ、審査が厳しくて、人数が少ないから、補いきれてないんだけどねぇ」
イアンの疑問に、ジグスが答えた。
「さて、これでようやく全員揃ったことだし、せっかくだから写真を撮ろっか」
「……あ? 写真?」
ジグスの言葉を耳にし、ヴィクターが顔を上げる。
「うん。ちょっと、待っててね」
ジグスはそう言うと、部屋の奥にあるドアを開ける。
そこには、もう一つの部屋があり、ジグスはその部屋の中から――
「じゃーん。この日のために、カメラを借りてたんだよ」
四角い箱のようなものを取り出した。
四角い箱には、丸い硝子のようなものが付いており、三本の棒状の足で立っている。
「すげぇ、本当にカメラだよ……高いんじゃねぇの、これ」
ヴィクターが、カメラを見つめながら、ジグスに訊ねる。
「奮発した! 昨日、仕事無かったら、やばかったね……うん…」
「おおぅ……ケイ、謝っとけよ…おまえが早く来ていれば、少しは安く済んだろうに……」
ヴィクターは、若干肩を落としたジグスを見た後、半目でケイルエラを見つめた。
「はぁ!? 私のせい? 仕方ないじゃん、最近は生徒会で忙しかったんだから…」
「まぁまぁ、君達が気にすることじゃないよ。それより……そうだなぁ、僕の机を背にして撮ろう。ヴィクターくん、運ぶの手伝って」
「うーす」
ヴィクターとジグスは共に、カメラを運び出す。
「……ふぅ、この辺でいいかな。じゃあ、みんな並んでー」
ジグスの言葉で、全員が机の前に立つ。
「じゃあ、撮るよー」
ジグスは、長い紐を持つ右手を上げる。
その紐は、カメラに繋がっており、これを引けば写真が撮れる。
従来のカメラの紐はこれほど長くはないが、ジグスが紐を継ぎ足して、長さを伸ばしたのだ。
「はい、せーの! 」
パシャ!
ジグスが紐を引っ張ったことにより、カメラのシャッターが切られた。
この日は、何事もなく平和な日であった。
ジグス探偵事務所で、働く者達が全員揃った日から、次の日の午後。
探偵事務所の仕事が無いということで、ヴィクターとケイルエラは、ブラッドウッド学院旧校舎にいた。
「依頼来てるかねぇ」
旧校舎二階の廊下を歩きながら、ヴィクターがそう呟く。
「はぁ……あんたが期待しているのは、揉め事系だけでしょ…」
彼の隣で、ケイルエラがため息をつく。
「はっ、そんなことねぇよ! どんな依頼でも、ウェルカムだぜ? 」
「どうだか」
「……疑り深い奴だなぁ。じゃあ、見とけよ? どんな依頼が来ても喜んでやっから」
ヴィクターは、そう言うと、部室の前に設置されている依頼受付箱の元へ向かい、その中を覗く。
「……ちっ、一件だけかよ」
中には、小さな封筒が一枚だけあった。
「あっ! 今、舌打ちした! ほぉら、ダメじゃーん! 」
「ちょっと待てや! 数の少なさにガッカリしただけで、今のはノーカウントだろうが! 」
ケイルエラに茶化され、ヴィクターは彼女に食ってかかる。
「はいはい、ちょっとからかっただけだから、早く中を見なさいな」
「ったく! 面白いと思ってんのかよ…」
ヴィクターは、ぶつぶつと文句を言いながら、封筒を開ける。
「……あー…なるほどね…」
「微妙な反応……何だったの? 」
「イアンのファンレターだ。依頼でも何でもねぇぜ……」
「ああ…そう…」
ケイルエラは、ヴィクターが微妙な反応をしたことに納得した。
「あの娘、学院でも、けっこう噂になってるよね。今日、初めて見たけど、本当に美人だったわ……それにしても、あの娘と私達で交流があるのも、みんなに知られているのかしら? 」
「知らね。とりあえず、今日はやることがねぇのが分かったぜ」
「はぁ……じゃあ、私は生徒会の仕事でもやろうかな。手伝う? 」
「やなこった。俺は、この自由な時間を謳歌するぜ。ちょっくら、部室で昼寝する」
ヴィクターは、そういうと部室のドアを開けた。
「昼寝とか、最高に時間の無駄ね。まあいいわ、私は生徒会室に行くから……じゃあね」
ケイルエラはヴィクターに背を向け、この場を立ち去っていった。
「……」
廊下を歩いていく彼女の姿が見えなくなると、ヴィクターは部室に入ることなく、ドアを閉めた。
「さて…と、イアンのファンレターで間違いないんだがよぉ……それは、最初のとこだけだな…」
ヴィクターが、封筒の中に入っていた手紙を見つめる。
そこには――
『イアン大好き! ということで、探偵部の部長さん。今日の夜、イアンを連れて、ショウボルタにあるブルベル骨董店に来てよ。もちろん二人きりでね。 怪盗Mより』
と、書かれていた。
「怪盗Mか……何者かは知らんが、ついに俺も怪盗と対決するのかぁ……よっしゃあ! 」
依頼受付箱に入っていたのは、怪盗からの挑戦状らしきものであり、ヴィクターは非常に喜んでいた。
ショウボルタ――
タブレッサの西に位置する区画の名称である。
ショウボルタは、飲食店や雑貨屋等の商業施設が多く集まる区画だ。
舞台劇場等の娯楽施設もあり、タブレッサの町の住民だけではなく、他の町や村から来る人も多い。
リサジニア共和国の中では、一番人が多く集まる場所と言われている。
「ここか……」
ヴィクターが目的の建物を前にして、足を止める。
夜になっても、人の往来があると言われているショウボルタであるが、彼がいる場所には、人の往来は全くない。
彼の目の前に建つ建物、ブルベル骨董店があるのは、ショウボルタの最北部にある。
そこはショウボルタにしては、人気の少ない地域であるのだ。
この地域には、小さな店が集まる場所で、ブルベル骨董店もその一つである。
今は夜で営業時間が過ぎているのか、ブルベル骨董店の入口のドアには、[closed]の札がかけられていた。
「しかし、ヴィクターよ。本当に、オレ達だけで良かったのか? 」
ヴィクターの隣に立つイアンが、彼にそう訊ねる。
「奴……怪盗Mは、二人で来いっつてんだぜ? そりゃあ、オレ達だけじゃなきゃ、ダメだろ」
「うぅむ…そういうものか……それで、その怪盗Mは、本当にオレのことが好きなのか? 」
「そう書いてあった。おまえの知り合いなんじゃねぇの? 」
「……そんな気持ち悪い知り合いはいないぞ…」
イアンは勘弁してくれと言わんばかりに項垂れた。
「しっかし、着いたはいいが、何をすりゃいいんだ? 骨董店の中は、特に変わったところは見られねぇし……」
ヴィクターは、店の大きな窓から店内を覗く。
彼の言う通り、様々な種類の骨董品と呼ばれる古い道具があるだけで、変わったところは見られなかった。
「怪盗と名乗るのならば、この中のどれかを盗みに来たんだろう」
ヴィクターの呟き、イアンはそう答えた。
「そんなら、どっかに隠れて、怪盗を来るのを待つか。向かいの……そこなんてどうよ? 」
ヴィクターが、骨董店の向かいに建つ建物の横にある路地に指を差す。
「……ふむ、そうするか」
「じゃ、行こうぜ」
二人は、骨董店に背を向け、建物の横にある路地に向かって歩きだした。
ガチャッ!
二人が歩いている途中、彼等の後方から物音が聞こえた。
「「……!? 」」
二人は、物音が聞こてすぐ、後ろに振り返った。
キィ…キィ…
すると、骨董店のドアが開かれていた。
それを見たヴィクターは――
「ちくしょう! 油断したぜ! 」
骨董店に向かって走り出した。
怪盗Mが、二人の隙をつき、骨董店に侵入したのだと思ったのだ。
「今の一瞬で、店に入るとは……気をつけろよ、ヴィクター」
イアンも彼に続く。
そして、二人は店内に入り――
ガチャ……
骨董店のドアは閉められた。
「にひひ! 入った、入った! まんまと中に入っちゃった! 」
二人が店内に入った後、一人の少女が骨董店の前に現れた。
「久しぶりに見たけど、ナース服って言うんだっけ? 女の子が着る服を着てるとはね……くくっ、変なのー! 」
少女は、何か面白いことを思い出したのか、含み笑いをする。
「利用させてもらうけど、悪く思わないでよね、イアン……あと、探偵部の部長さん」
少女は、骨董店の中に入った二人に向かって、そう呟いた。
その少女は、金色の髪を持ち、胸元が開かれている黒い衣類を身に付けていた。
彼女の名は、メロクディース。
かつて、イアンと戦った謎多き少女であった。