百九十四話 孤高の発明家 後編 その1
ポトエントラ――
タブレッサの東に位置する区画である。
そこには、広大な港があり、海に囲まれたリサジニア共和国の玄関と呼ばれている。
イアンとヴィクターが向かったのは、この区画である。
港といえば、船が停泊する波止場を思い浮かべるのが一般的だが、彼等の目当てはそこではない。
ポトエントラに辿り着いた二人の目の前には、見上げるほど背が高く、真っ直ぐ奥に広い巨大な建物がある。
この建物は、船に積み下ろしをする荷物を格納する倉庫だ。
ポトエントラに、倉庫はいくつも存在する。
しかし、二人の前に建つ倉庫の外観は劣化し、格納する荷物を保護するための壁はボロボロと崩れかけている。
使われなくなってから、数十年は建っているだろう古い倉庫であった。
「……ここでいいのか? 」
イアンが周りを見回しながら、隣に立つヴィクターに訊ねた。
二人が立つ周辺には、ボロボロの倉庫がいくつも見えた。
ここは、使われなくなった古い倉庫が並び立つ一帯であった。
「ああ……ここにいる気がするぜ。あのクソ野郎がなぁ」
ゴツッ!
ヴィクターは、答えた後、両手の拳を互いにぶつけた。
二人がここに来たのは、自宅にいなかったリトワ・ドミッツを探すため。
この人物がいるでろうと、ヴィクターが目星をつけたのが、この古い倉庫なのである。
二人が、この古びた倉庫に辿り着き、中に入る頃には日が暮れは始めていた。
屋根の穴の空いた部分から差し込む日の光により、倉庫の中は照らされてはいるが、若干薄暗い。
「少し暗いな。ヴィクター、これは早く決着させねばならんぞ」
「へっ、心配いらねぇよ。一発で沈めてやるぜ! 」
「……だから、説得に来たのだと…」
暴力で解決する気満々のヴィクターに、イアンは呆れた表情を浮かべる。
「そんなことより、周りを見ろよ、イアン」
そんなイアンに、ヴィクターは周りを見るよう促す。
まず、倉庫の中は外から見た通りの広さがあった。
しかし、ここの空間は異質なものである。
使われなくなった倉庫には、何もない。
そのはずなのであるが、ここには様々なものが存在している。
壁や床には、いくつもの鉄製の筒があちこちに伸び――
シュゥゥゥ……
至る所から、白い煙が漏れ出している。
「……ここは、あまり好きではない…」
周りを見たイアンは、そう呟いた。
この空間は、森林で暮らしていたイアンには、あまりにも無機質すぎるのだ。
「そうかい。まぁ、おまえの感想はともかく、ここで間違いないようだぜ。そんで、さっきから、あれが気になってんだが……」
ヴィクターはそう言うと、指を差す。
その方向には、鉄で作られているであろう黒い塊があった。
その下部には、ロープワゴンのように車輪が付いており、その下にあるレールは奥の方へ続いている。
塊の上部から伸びた筒から黒い煙が吹き出している。
「ロープワゴンみたいに車輪が付いってから、動くんだろうと思うが……」
ヴィクターがそう呟いた瞬間――
「あー、あー、よく来たね。リトワだ。ボクを探しに来た探偵さん……でいいのかな? 歓迎するよ」
どこからか、少年のような声が聞こえてきた。
「む…ヴィクター、この声は…」
「おう、リトワの野郎だな。オイ、コラァ、どこにいやがる! 出てきやがれってんだ! 学校行けや、オラァ! 」
「……はぁ、あれを見破ったのが、短気な人だったとはね……正直、驚いたよ」
リトワの声は淡々とした調子で、そう言った。
先ほどから、この声は若干篭っているような感じがあり、何かを伝って発せられるものであると思われた。
「でも、少しボクの話を聞いてもらうよ。まず、ボクはそこにはいない。別の場所にいるんだ」
「はぁ? じゃあ、どこにいるっていうんだよ? 」
「ボクは、その蒸気機関車……そこの黒いヤツ…って言えば分かるかな? それが向かう先にいるよ。ボクに言いたいことがあるのなら、それに乗って来なよ」
「蒸気機関車か……やはり、あれは動くのか」
リトワの声に、イアンは蒸気機関車を見て、そう呟いた。
「そう、あれは動くよ。ところで、ロープワゴンが、どうやって動くか知っているかい? もちろん知っているよね、この国の住民なら」
「むう……ヴィクター」
知らないイアンは、ヴィクターに顔を向ける。
「お、おう、あれだろ? なんか、ロープを引っ張って……時計塔と同じで…なんか……あれだよな! 」
「ヴィクター……おまえ…」
なかなか答えられないヴィクターに、イアンは悲しい表情を浮かべる。
「知らないのか……信じられないな。君達、あのなんちゃって毒ガスを本当に見破ったのかい? 」
リトワの呆れた声が聞こえた。
「ロープワゴンは、動き続けるロープを掴んで動く。そのロープを動かし続けているのは、水車なんだ」
「あ、ああっ! 思い出したぞ! ボトルギ川だな! そこの川の流れを動力にしてるんだ! 」
リトワの説明を聞き、ヴィクターは思い出したようだった。
ボトルギ川とは、タブレッサの西にあるゴトルギ山から、島の東に流れる川である。
この川は、タブレッサの中心であるセンタブリルを通っており、水車によって変換された力を、時計塔やロープワゴンのロープの動力に利用している。
今のこの国の動力は、水力が主流なのだ。
「なんだ、知っているじゃないか。じゃあ、説明はもういいね。ボクが作り出したのは、その水力機関に代わる蒸気機関という新しい動力さ」
「おう。それで、何が言いたい? 」
「この技術は世の中に役に立っていくだろうし、発展していく可能性はいくらでもある。ボクは、これを研究していく。学校で教えられることなんて、高が知れてるんだ。行く価値は無いと思うよ」
リトワの声は相変わらず淡々とした調子であったが、この時は冷めたような雰囲気が混じっていた。
「君達がボクに何を言おうが無駄だけどね。まぁ、それでもと言うのなら、来たらいいんじゃないかな? 」
リトワの声は、そこで途切れた。
「舐めやがって、ムカつくぜ。イアンよぅ、やっぱ、あいつは殴んねぇとダメだぜ」
「……手加減はしろよ」
どうしても殴りたいヴィクターをイアンは、もう止めようとは思わなかった。
二人は、リトワの言う通り、蒸気機関車の中に乗り込んだ。
「……で、どうやって動かすのだ? 」
「……さぁ? よく分かんねぇけど、暑いなぁここ」
乗り込んだはいいが、二人は蒸気機関車の動かし方を知らない。
従って、二人揃って首を傾げるしかできなかった。
「あ、言い忘れてた。それの動かし方は、まずレバーを引いて、ブレーキを外す。そうすれば、動くよ。速度制御は……そこら辺にあるハンドル……くるくる回るやつ…で、速くしたり遅くしたりできる。あと、速度が落ちてきたら、石炭を釜の中に入るといいよ」
その時、再びリトワの声が聞こえてきた。
「遅せぇよ、言うのが! ま、これで動かし方が分かったんだ。首を洗って待ってろよ! 」
ヴィクターはリトワに向けて、声を上げながら、レバーを引く。
「ふふふ、そんなこと初めて言われたよ。さて、君達は無事、ボクの元に辿り着けるかな? 」
「あん? どういうこった? 」
ヴィクターがリトワに訊ねたが、声が返ってくることはなかった。
ガコン!
レバーが引かれたことにより、ブレーキが外され、蒸気機関車はレールの続く先へと進み始める。
「……ヴィクター、よく分からないが、これは一苦労しそうだな…」
「ちっ! 家の偽毒ガスといい、回りくどい野郎だぜ…」
イアンとヴィクターは、待ち受ける何かに対し、げんなりとした表情を浮かべずにはいられなかった。
イアンとヴィクターを乗せる蒸気機関車は、問題なくレールの上を走り続ける。
蒸気機関車に乗り込んだ倉庫を抜け、今は暗く狭い場所を走っている。
その状態が長く先に続いていることから、別の古い倉庫に繋がっている通路であろう。
「……なぁ、イアン」
赤く燃える釜の中を眺めながら、ヴィクターがイアンに訊ねる。
「む? どうした? 」
蒸気機関車から顔を出し、先を眺めていたイアンが、彼に顔を向ける。
「もしも…の話しだけどよ、一発でリトワの野郎のいる倉庫に、行けたかもしれないなぁ」
「……そうかもしれない。しかし、あいつは倉庫にいるとは行っていないぞ? 」
イアンは、再び顔を先の方へ向ける。
「あー……そうだっけか。なら、分かんねぇか」
ヴィクターはそう言うと、腰を下ろした。
「おい、先程のリトワの言葉を忘れたか? 油断するなよ」
「油断してねぇよ。何にも起きてねぇのに、気ぃ張ってちゃあ、疲れるだけだぜ? 」
「それもそうだが……いや、立て、ヴィクター。この通路の終わりが見えてきた」
「なに!? やっとか! 」
イアンの声を聞き、ヴィクターは素早く立ち上がる。
彼と同じように蒸気機関車から顔を出すと、レールの先にぼんやりとした光が見えた。
「よっしゃ…イアン、もうすぐ通路の外だ。油断するんじゃねぇぞ! 」
「……分かっている……はぁ…」
イアンは短く答えた後、ため息をついた。
二人が身構える中、蒸気機関車は進んでいき、長かった通路を抜け出す。
「高いな…」
「げっ!? 高っ! 」
まず、イアンとヴィクターはそう呟いた。
通路の先は、先ほどのような広い倉庫の中なのだが、彼らがいるのは床の遥か上部である。
レールが高い位置にあり、宙を走るように蒸気機関車は走っているのだ。
「さっきの通路、暗くてよく分からなかったが、坂になっていたのか」
イアンが出てきた通路を見る。
しかし、見るべきは前方であった。
「おい、イアン! 前を見ろって! 」
「……! 」
ヴィクターに促され、イアンは前方に顔を向け――
「なんだあれは!? 」
驚愕の声を上げる。
真っ直ぐ続くレールの上を、吊り下げられた巨大な物体が振り子のように、大きく揺れているのだ。
巨大な物体はハンマーのような形状をしており――
「あいつ……俺達を殺す気かよ……」
蒸気機関車に当たれば、落下してしまうのは、一目瞭然だった。
高さは十メートル以上あるため、落ちれば即死だろう。
「良いタイミングで、通り抜けられればいいのだが……一筋縄ではいかないな」
前方を見るイアンの額から、一滴の汗が滴り落ちる。
巨大な物体は一つだけではなく、一定の間隔で複数並んでいた。
「……意地の悪い配置だ。一つ一つタイミングを計る暇が無い。一気に突破するしかないぞ」
巨大な物体が揺れている場所の間隔は絶妙で、途中で停止してしまえば、弾き飛ばされてしまう設計である。
「一気に行くか。イアン、その……ハンドルっつたか? そいつを操作してくれ。タイミングは俺が計る」
「分かった」
イアンはハンドルの前に立ち、ヴィクターは蒸気機関車から顔を出し、前方を見つめる。
「……ちっ、タイミングを計るっつったけど、こりゃ難しいな…」
巨大な物体は、ほぼ同じ動きをしていた。
そのため、突き抜けようとすれば、どこかでぶつかってしまうだろう。
「……あん? よく見りゃ、ちょっとズレてんな。少し待てば行けるかもなぁ。そんで、チャンスは……一回しかねぇか。一発勝負ってやつかよ……」
しかし、ほぼ同じ動きであるが、若干のズレがある。
そのズレが一番大きくなった時が狙い目であると、ヴィクターは判断した。
「ヴィクター、そろそろハンドルを回さなければ、加速が間に合わないぞ」
ハンドルの前に立つイアンが声を上げる。
「分かってるっての! タイミングが来たら、合図を出す。もうハンドルを握っとけよ」
ヴィクターは、イアンに顔を向け、ハンドルを握るよう指示する。
「分かった。頼んだぞ」
イアンは、ヴィクターの指示通りハンドルを握った。
それを確認すると、ヴィクターは前方に顔を向ける。
巨大な物体の存在を確認してから数十秒、蒸気機関車と一番手前の物体との距離は、三十メートルに入る。
「……まだだ……もっとでっかくズレろよ……」
巨大な物体を見つめるヴィクターの顔が険しくなる。
ズレは確実に大きくなっているが、まだ足りない。
足りないにも関わらず、巨大な物体との距離はどんどん近づいていく。
数秒ごとに大きくなっていく、巨大な物体に、ヴィクターは焦りを募らせていくのだ。
ブゥン! ブゥン!
一番手前の巨大な物体との距離が二十メートル。
蒸気機関車は、巨大な物体が揺れる音ははっきり聞こえる距離に入ったのだ
(まだか……ヴィクター。もう加速は間に合わなくなるぞ……)
イアンの表情にも焦りの色が見え始める。
「ちくしょう! まだ、ズレが小せぇ! 早くでかくなれって――」
巨大な物体との距離は、十五メートル。
堪らず、ヴィクターが声を出した時――
「はっ!? 今だ、イアン! 全開だ! 」
彼は合図を出した。
唐突であった。
まるで、何かに気づいたかのように、彼は合図を出していた。
何故、今なのかは、彼に説明することはできない。
ただ、速度を上げるタイミングが今であることだけが、ヴィクターに分かったのだ。
「む!? 今か! 」
ヴィクターの合図を受け、イアンはハンドルをいっぱいに回す。
すると、蒸気機関車の速度は徐々に増していく。
しかし、最速ではない。
蒸気機関車は、速度が上がる途中の段階で、巨大な物体の通過する場所に差し掛かった。
「くっ……よし! まず、一つ目! 」
ヴィクターの声が上がる。
蒸気機関車は、無事一つ目の巨大な物体に当たることなく、突破することができた。
しかし、蒸気機関車が通り抜けてすぐ、一つ目の巨大な物体はレールの上を通過する。
速度を上げるタイミングが少しでも違っていたら、激突していただろう。
まさに絶妙のタイミングであった。
「次ぃ! 二つ目! ……三つ目! 」
蒸気機関車は次々と、巨大な物体を通り抜けていく。
巨大な物体が揺れるズレと、蒸気機関車の加速がうまく噛み合っていた。
しかし――
ガァン!
「四つ――うおっ!? 」
四つ目を通過しようとした時、巨大な物体が蒸気機関車の後方に接触する。
三つ目までは、うまくいっていたが、四つ目は間に合わなかったのだ。
幸い掠った程度に接触しただけで、落下するほどの衝撃は受けていないが――
「……これは、ちとまずいかもな。イアン、速度はまだ上げられそうか? 」
「ハンドルは、もう回らない。すぐに速度は上がらないだろう。まだ、抜けないのか? 」
「次がラストだ。だがよ、正直キツいぜ。このままだと、ぶつかっちまう…」
四つ目にしてギリギリ、最後の五つ目は激突されると予想できた。
「……今すぐ、上げた方が良いか? 」
イアンがヴィクターに訊ねる。
「良いけどよぉ……もう遅せぇよ…」
ヴィクターがため息混じりに、そう答えた。
蒸気機関車は、既に五つ目の巨大な物体が通過する場所に来ているのだ。
「いや、まだ間に合う」
イアンはそう言うと、蒸気機関車内部の壁の前に立つ。
そして、前方に押すように、イアンは壁に手を付いた。
「……何だそれ? 押して速度を上げるつもりか? 」
イアンを見るヴィクターは、首を傾げる。
「ああ。そのつもりだ」
首を傾げるヴィクターに、そう答えた後、イアンは跳躍し、両足を後方に向け――
「サラファイア! 」
足下から炎を噴射させた。
炎を噴射するイアンに押され、蒸気機関車の速度は急激に上がる。
「はぁ!? あ、足から炎が! 」
足下から炎が出たことに驚くヴィクター。
「ヴィクター、驚いていないで、外を見ろ」
「お……お、おう」
イアンに促され、ヴィクターは前方に目を向ける。
「……すげぇ速い、もうとっくに通りすぎてらぁ……」
すると、既に最後の巨大な物体を通り過ぎていた。
これで、イアンとヴィクターは、無事に突破することができたのだ。
「なら、もう止めてもいいか…」
イアンは炎を止め、上げていた足を下ろす。
「それにしても、すげぇよ。おまえ、そんなこともできんだな! 」
ヴィクターが、イアンに顔を向け、彼を賞賛する。
「特技みたいなものだ。ところで、前方は大丈夫だろうか」
「前? 大丈夫っしょ。もう危ない所は通り過ぎたし……」
そう言いながら、ヴィクターは前方に顔を向けるが、途中で言葉が途切れる。
「やばい! 速度下げろ! 」
そして、彼は焦りながら、声を上げた。
彼の見た前方には、急なカーブがあり、今の速度では脱線してしまうだろう。
素人が見ても、それは理解できた。
「イアン、さっきのやつ! さっきのやつを逆でやれ! 早く! 」
「う、うむ」
ヴィクターに急かされ、イアンは先ほどと逆方向に、サラファイアを噴射する。
一難去って、また一難。
リトワに会いにいく苦労は、彼等の想像以上のものであった。