百九十三話 孤高の発明家 中編
ノーラスラッド――
タブレッサの北に位置する区画である。
都市の一部として、地面が石畳に覆われ、背の高い建物が幾つも建っている町並みを想像しがちだが、ここに限ってはそうではない。
都心――センタブリルに近い区画の南側は、少し町が発展しているが、大半はファラワ村のような緑が広がった区画だ。
周りを見渡せば、手の付けられていない草むらや様々な作物を育てる畑、点々と建つ小さな平屋が目に付き、とても都市の一部とは思えないだろう。
ノーラスラッドの大半が発展していないにのには、もちろん理由が存在する。
それは、この大半の部分が元は村で、最近タブレッサに吸収されたばかりであるからだ。
人口減少に伴い、その村はタブレッサに吸収されることを選んだのだ。
というように、都市の区画としてはまだ未熟であるが、数年後どうなっているか誰にも分からない。
そんなノーラスラッドの中央に、ファインディション学院の入学試験に合格した子供が住んでいるとされている。
ファインディション学院は、このリサジニア共和国有数の名門校であることと、多くの優秀な人物を輩出することで名を知らしめている。
誰もが、この学院に入るために努力を積み重ねる中、その子供は合格したにも関わらず、入学式以来登校したことがないという。
イアンとヴィクターは、その子供を学校に登校させるべく、その子供の家にやって来た。
「はぁ……相変わらず、すんげぇド田舎……」
ヴィクターがうんざりしたかのように、ため息をつく。
ノーラスラッドの中央にある駅から、この家は一キロとその半分の距離があった。
彼が、こうしてため息をついたのは、軽く十回以上は超えている。
「最初の調子はどうした? もう家に着いたぞ」
そんな彼の隣にいるイアンが、ジグスから渡された書類に目を向けらながら、そう呟いた。
彼は冒険者であり、長く歩くことに苦はないため、平気な顔をしている。
「分かってるって! ちょっと気合入れ直すからよ…………」
ヴィクターは目の前の家を見上げる。
その不登校の子供の家は背が高く、上の方に窓があるため、二階建てであることが分かる。
変わった所は特に無く、普通の一軒家と言えるだろう。
パンッ!
家を見上げていたヴィクターは自分の頬を叩き――
「よっしゃ! 行くか! 」
と声を上げ、家のドアの前に立った。
「すんませーん! 誰かいませんかー? 」
そして、ドアを叩き、中の誰かに呼びかける。
「はい……どなたですか? 」
すると、一人の男性が、開かれたドアから顔を覗かせた。
恐らく、父親であろう。
「この家の……えー……何だっけ? 」
ヴィクターが振り向き、後方のイアンに助けを求める。
「……リトワ・ドミッツだ…」
「そうだ! リトワ・ドミッツ……君? を登校させるよう、学校側から依頼された探偵です」
書類を見るイアンに助けられ、ヴィクターは男性の問いかけに答えた。
ちなみに、書類には、住所と地図と不登校の生徒の名前という最低限の情報しか記載されていない。
「ああ、探偵の方ですか。どうぞ、中にお入りください」
ヴィクターとイアンが探偵であることを認識すると、男性が二人を家の中に招き入れる。
「よし! 早速、リトワ……だっけか? そいつに会いにいぐうぇ!? 」
「待て。まず、話を聞こう。少し、話を聞いてもよろしいか? 」
イアンは、意気込んで先に進むヴィクターの襟を掴み、男性にそう訊ねた。
「ええ……いいですよ。こちらに来てください」
男性はそう答えると、二人を家の中の一室に案内した。
その部屋には、中央に背の低いテーブルがあり、それを挟むように二つのソファーが置かれている。
この国によく見られる一室である。
「さあ、そこにかけて。私は、リトワの父のバリー・ドミッツです。話というのは、リトワがどういう子なのか……ですね? 」
「ああ、ぜひ聞かせて欲しい」
バリーがソファーに座ると、イアンヴィクターはその対面のソファーに座る。
「あの子は、とても頭のいい子です……」
「ふむ…………ん? 」
「…………え? それだけ? 」
一向に話しの続きを離さないバリーに、二人は疑問の声を出した。
「ええ……あの子は凄すぎて、そうとしか言いようがありません。少し、お待ちを……」
バリーは、そう言うと立ち上がり、別の部屋に向かう。
そして、戻ってくると、彼の手には一枚の何かの書類が持たれていた。
「これを見てください」
バリーがその書類をイアンとヴィクターに見せる。
「これは……何だ? ヴィクター」
「うーん……ん? これロープワゴンを運営している企業の……何だ? 」
二人はそれが何の書類なのか分からなかった。
ただ、ヴィクターが読み取れたのは、企業からの書類であることである。
「これは、技術提携依頼書です。本来は企業間で行うものなのですが……」
「……ヴィクター、どういうことだ? 」
「……すまねぇ、サッパリだ」
バリーの説明に、二人はピンと来ない様子であった。
「まぁ、普通の人には馴染みが無いものですから……私も説明されて、初めて知ったことです。これは、つまり……お金を払うから、技術を使わせてくれ……ということものです」
「はぁ…技術ねぇ……って、金!? ちょっと、待て! さっき、やたら数字の多いところがあったぞ! 」
ヴィクターは、再び書類に目を向け、横に並んだ数字を数え始める。
「いち…じゅう…ひゃく…………げぇ!? ご、五百万ディル!? 」
数字の数を数え終えたヴィクターは、驚愕し過ぎたのか、だらりとソファーにもたれかかってしまう。
「すまない、五百万ディルとはどのくらいだろうか? 」
この国のお金の基準がいまいち分からないイアンが、バリーに訊ねる。
「……だいたい……普通に働いている人の一年間で稼ぐお金……より、少し多いくらいですかね…」
「……凄まじいな…」
バリーの説明を受け、イアンはヴィクターの驚きぶりに納得する。
「何の技術を生み出したのか、私には分からないが、あの子がすごいというのは、これでお分かりになったでしょうか? 」
「……よく…分からないが…」
「とてつもなく、頭がいい……ってのは分かった…」
バリーの言葉に、イアンとヴィクターは頷いた。
その後――
「「それで? 」」
二人は同時に、そう言った。
「は……それで…とは? 」
バリーは、何を聞かれているか分からず、二人に問いかけを返す。
「先ほどから、リトワ……と言ったか? そいつの頭がいいだの、何をしたかだのしか言っていないぞ」
「え……し、しか? あなた方が聞きたいことは、一体……」
「最初に言った通りだぜ? 俺達が聞きたいのは、リトワって奴がどういう人間なのかってことですよ」
「どういう……だ、だから、あの子は頭が良くて……」
「だから、そういうんじゃねぇんですよ。えー……なんだ? 」
「……性格? 」
イアンがヴィクターの言いたいであろう言葉を口にする。
「そう、それだ! 性格がどういうのなのか聞きたいんですよ」
「せ、性格!? あ、あの子は…………」
必死に何かを言おうとするバリー。
しかし、彼の脳裏に浮かぶのは、先ほど二人に口にしたことばかりで――
「……そうですか。何も言えないんですね……自分のガキのことなのに……」
ヴィクターの言うとおり、彼は何も言えなかった。
それどころか――
「……ぐっ…」
俯くばかりで、ヴィクターに言い返すこともしなかった。
「ちっ! 結局、直接行かなきゃ分かんねぇのかよ。おい、行くぞ! イアン」
「待て、ヴィクター」
「あん? 」
立ち上がり、部屋を出ていこうとしたヴィクターだが、イアンに呼び止められて振り返る。
「気になることがある。この時間帯は、まだ人が働いている時間だよな? 」
「そう…だぜ。普通の人は、まだ働いているな」
「そうだよな。なら何故、今この男は家にいる? 」
「「……!? 」」
イアンの発言に、ヴィクターとバリーは驚愕する。
「確かにそうだ。おい、あんた…今日の仕事はどうした? 」
「きょ、今日は休みの日なんだ。ちょ、ちょっとした休暇だね…」
ヴィクターに睨まれ、バリーはしどろもどろに答える。
「休み……か。あと、あんたの奥さんはどうした? 」
「し、死んだ……あの子が生まれて三年経ったくらいに……」
「……そうかい。それは気の毒な……あ? 」
その時、ふとヴィクターは、バリーから顔を逸らした。
顔を逸らした彼の目が向けられているのは、別の部屋に繋がるドアである。
「な、何を……ま、まさか! 」
ヴィクターの視線の先にあるものを確認すると、バリーは慌てて、そのドアに向かおうとする。
しかし――
「おっと、あそこに何かあんのか? 」
「ぐっ!? 」
ヴィクターに羽交い締めにされ、バリーがそこに辿り着くことはなかった。
「は、離せっ…! 」
バリーは、開放されようともがくが、ヴィクターの力は強く、ビクともしなかった。
「すんげぇ必死でやんの。イアン、その部屋に何があるか見てくれ」
「分かった」
イアンが、その部屋のドアを開け、中に入っていく。
「こ、これは、プライバシーの侵害だ! 君達は罰法に……」
バリーがごちゃごちゃと言い続ける中、ヴィクターは黙ってイアンを待つ。
すると、イアンが部屋の中から出てきた。
「どうだった、イアン? 」
「こんな紙切れがたくさんあった」
イアンは一枚の紙を机の上に投げる。
その紙には、王冠を被った男性が描かれ、隅には記号があった。
「こいつは……玩具のカード…まさか! 」
カードを見にしたヴィクターはハッと、バリーを見た。
「あと、先ほどおまえが驚いた書類と似たようなやつが何枚かあった。これも技術提携依頼書とやらなのか? 」
「……!! てめええええ!! 」
「あがっ―!? 」
イアンの手にした書類を見た瞬間、ヴィクターは羽交い締めしたバリーを突き飛ばし、振り返った彼の顔を思いっきり殴り飛ばした。
「ぐっ…ううっ…」
バリーは、部屋の壁に激突し、ぐったりと項垂れる。
「どうした? ヴィクター」
「どうしたもこうしたもねぇよ! そいつは借金だ! こいつは、クズなんだよ! 」
イアンの問いかけに、ヴィクターは声を荒らげながら答えた。
イアンが手にする書類は、借金の契約書であった。
「休みっつーのも嘘だろう。こいつは働きもせず、ギャンブルで遊ぶクズ……ガキの金に頼って遊んで暮らそうとする史上最低のクズ親だ! 」
「待て、熱くなるな。そうと決まったわけじゃないだろう。あとオレ達は、こういうことをしに来たわけじゃない」
怒りを顕にするヴィクターを宥めるイアン。
「いや……ちっ! 分かったよ。さっさと、依頼を済ませに行くぞ」
イアンの言葉を受け、ヴィクターの頭に上った血は下がった。
そして、バリーの代わりに彼が見つめるのは、部屋の開かれたドアから見える階段である。
その階段は上の階に続いており、ヴィクターはそこに目的の人物――リトワがいると睨んでいた。
イアンとヴィクターが、階段を登ると目を引くものがあった。
「あれは……飯の食器か? 」
二階の廊下に一枚の皿が置かれていた。
「なら、そこがリトワという奴の部屋で間違いないだろうな」
ヴィクターの呟きにイアンが答えた。
二階は真っ直ぐ伸びる廊下と両側に幾つものドアがある。
その一つのドアの前に皿は置かれているのだ。
「ふむ、相当部屋から出たくないようだな」
「……? 何でだ? 」
「よく見ろ。ドアの下に隙間がある。そこから、飯を受け取っているようだ」
イアンが指を差しながら説明する。
彼の言う通り、そのドアの下部は床に接することはなく、指四本入りそうな隙間が出来ていた。
「ありゃ、筋金入りだぜ……話しが通じる奴かなぁ…」
ヴィクターはそう呟くと、その部屋の前に向かう。
イアンも彼に続く。
「さて、まずは優しく行ってみっか……こんにちわ、リトワくーん! 」
ヴィクターは、警戒されないよう高い声を出した。
「……ちっ、返事がねぇな……」
「ああ。寝ているのか? 」
返事が返って来ないと二人が思った瞬間――
「学校には行かない。説得しようが無駄。ボクはここから出ない」
部屋の中から、少年のような声が聞こえた。
「お? 起きてんじゃねぇか。そう言わないでさ……とりあえず、中に入れてよ」
「許可しない。むしろ、部屋の中に入るのはやめておいた方がいい」
リトワは、部屋に入ることも許容できない様子であった。
「どうよ? イアン。話し続けて、上手くいくと思う? 」
ヴィクターは振り返り、後方にいるイアンに訊ねる。
「……無駄だろうな。任せる」
「流石イアン! 話しが早くて助かるぜ! じゃ、強行突破させてもらうぜ! 」
イアンの同意を得ると、ヴィクターは顔を前に向け、ドアの取っ手に手を伸ばした。
ガチャ!
取っ手を回したヴィクターだが、ドアが開くことはなかった。
「開かねぇ。こいつ、やっぱり鍵を…」
ヴィクターがそう呟いた瞬間――
「警告を無視したな? 死にたくなかったら、早くここから立ち去るんだね」
少年が不吉な言葉を口にした。
シュゥゥゥ!
それと同時に、ドアの隙間から紫色の煙が吹き出し始める。
「なんだ? こりゃ……」
「それは毒ガス……長く吸ってしまうと死んでしまうよ? 」
「な、なにぃ!? 」
ヴィクターは、鼻と口を腕で覆い、ドアの前から離れようと飛び退る。
「む、これが!? 」
「おい! 何やってんだ!! 毒ガスを吸っちまうぞ!! 」
ヴィクターが、ドアの前から退かないイアンに声を上げる。
「もう吸っている……し、これは毒ガスではない」
イアンはそう言うと、ドアを開けようと取っ手を掴む。
「おい……どういうことだよ…」
「これは、見掛け倒しのただの煙だ。恐らく、今までの探偵達はこれを見抜くことは出来なかったのだろう」
「見掛け倒しだぁ? その毒々しい色は何なんだよ」
ただの煙と言われようが、ヴィクターはまだ近づくことが出来なかった。
「これはカームフレグランス……鎮静効果のある香料だ」
「香料? 」
「ああ。サキシベンダーと呼ばれる紫色の花から取れる香料で、人の心を落ち着かせる効果がある。ナースの研修の時に習ったことだ。アロマセラピーという療法に、こいつはよく使われているらしい」
「匂いで分かったのか……するってーと、本当に……」
「体に害は無いが…げほっ! 色を出すためか濃度が高い。けっこうキツイ匂いだ」
「そういうことかよ……イアン! 今、行くぜ! 」
ヴィクターは、そう声を上げるとイアンの元へ走り出す。
「げっほ! ごっほ! 思ったよりキツイ! 」
ヴィクターはむせながら、イアンの元に辿り着いた。
「鍵が掛かっているんじゃ埓があかねぇ。体当たりでドアをぶち壊すぞ」
「分かった」
イアンとヴィクターは、背中合わせに構える。
「せーので行くぞ? 」
「ああ」
「「せーの! 」」
バキッ!
二人の息が完璧だったのか、ドアは一発で壊れ、イアンとヴィクターは部屋の中に倒れ込んだ。
「よっしゃあ! さて、あいつはどこだ? 」
ヴィクターは素早く立ち上がると、リトワの姿を探し出す。
「これが煙を発生させてたやつか……」
イアンは、煙を発生させていた装置に近づく。
それは熱を持っているのか近づくと熱さを感じるものだった。
その装置から筒状の鉄が伸び、その先が部屋のドアの隙間があったところに向けられ、今も煙を出し続けていた。
「とりあえず、止めておくか」
イアンは、筒状の部分を思いっきり叩いて凹ませた。
すると、筒の先から煙が出てこなくなる。
「……それにしても静かだな。ヴィクターよ、リトワに説教をしなくてもいいのか? 」
怒鳴り声が聞こえないことに疑問を持ち、イアンがヴィクターのいる方へ顔を向ける。
すると、ヴィクターの後ろ姿だけが見え、他の人物の姿はそこになかった。
「ヴィクター? リトワはどこだ? 」
「……イアンよぅ、こいつを見てくれ…」
イアンに訊ねられ、ヴィクターはそう呟いた後、横へ体を移動させる。
「……赤い鳥? こいつがどうした? 」
ヴィクターの体の先には、赤い鳥がいた。
その鳥は、止まり木の上に立っている。
「前…話したろ? インクッチっつー鳥のことを…」
「ああ。確か、人の声を……ま、待て! まさか! 」
イアンはヴィクターの言わんとしていることを察し、驚愕の表情を浮かべる。
「ああ、そうさ。まず、インクッチには体毛が赤い奴もいる。そして、一番俺が言いたいのはよぉ……」
ヴィクターは震える声音でそう言うと、顔を振り向かせ――
「あのクソ野郎がここにはいねぇってことだ! 」
先ほどの怒りが再熱したかのように、憤慨した表情をイアンに向けた。
「なっ……馬鹿な! リトワがいない」
その時、部屋の中に入ってくる。
ぐったりした状態から回復したようだ。
「おい! こいつはどういうことだ! 」
ヴィクターがバリーの胸ぐらを掴む。
「し、知らない! むしろ、こっちが聞きたいくらいだ! これから、俺はどう生きて聞けばいいっ! 」
「知るかよ、クズが! 」
ヴィクターは胸ぐらを掴んだまま、バリーを部屋の壁に叩きつけた。
「ぐぅ!! 」
バリーは、再びぐったりと横たわる。
「しかし、これでもう分からなくなって……」
イアンがそう呟いた瞬間――
「クククッ! アハハハハハ!! 」
赤いインクッチが笑い声を上げた。
その声はリトワらしき声ではなかった。
「ココニハイッテコレタンダ、ドウイウヒトカキニナルネ」
しかし、言葉はリトワのものであるようだ。
「"ポトエントラ"ニキナヨ。ボクハソコニイルヨ! 」
赤いインクッチはそう言うと、ニヤリとクチバシを吊り上げる。
「野郎……上等じゃねぇか! イアン、奴をぶん殴りに、ポトエントラに行くぞ!! 」
「……説得だろ? 」
拳を握り固めるヴィクターに、イアンはそう言った。
ポトエントラが " に囲まれているのは、分かりやすくするためで、特に意味はありません。
2016年7月25日――タイトル修正




