百九十二話 孤高の発明家 前編
イアンがジグスの探偵事務所で働き始めてから数日。
相変わらず、ナース服のままの彼であるが、探偵の生活にも慣れてきた頃である。
そして、やる仕事と言えば、猫探しばかりであった。
時々行うヴィクターの探偵部の手伝いも、主に落し物拾いだ。
もちろん、イオの花売りの手伝いもしっかりやっている。
つまり、代わり映えのない日々が続いていた。
そんな代わり映えのない日々が日常というものなのだろう。
しかし、それはヴィクターやジグス、イオにとっての日常であると言える。
では、イアンにとっての日常とはなんなのか。
今、それは定かではないが、彼の職業である冒険者としての日常は、その名の通り冒険だ。
冒険には危険が付き物で、厳しい環境や屈強な魔物等と戦うことがある。
収入を得るための依頼にも、それらが立ちはだかるため、冒険者の日常とは戦うことと言えよう。
思えば、イアンが冒険者になってからの日々は、戦いばかりであった。
ならば、今回の彼の日々は、戦いが付きまとうのだろう。
それを予感させる出来事が、この日、ジグスの探偵事務所に依頼という形でやってくる。
「不登校……ですか? 」
ケージンギアにある探偵事務所の部屋。
そこで依頼人と、足の短いテーブルを挟んで対面するジグスが聞き返す。
彼の後ろに、イアンとヴィクターが立っている。
昼を過ぎた午後、まだ夕方には早すぎる時間に、依頼人はやってきた。
「ええ、そうです。我が校に、とても優秀な生徒がいまして、入学式以来一度も学校に来ていないのです。親御さんにも、投稿するようお願いしているのですが、自分の部屋から一歩も出ないそうで……その生徒をどうにか登校させて欲しい」
その依頼人は、ジグスよりも年上の中年くらいの男性であった。
ジグスとは異なり、髪型や服装がピシッと整っており、気品を感じさせる雰囲気を出していた。
彼の顔は無表情で、喋り方も淡々としたもので、全体的に事務的であった。
「はぁ、入学以来……ですか。失礼ですが、あなたは学校の先生ですよね? どちらの学校かお聞きしても? 」
「失礼、名乗り遅れました。私は、ファインディション学院 高等部のジョン・セレハイヤーと言う者です」
ジグスが何者かと訊ねると、その男性は名乗ると同時に、一枚の紙切れジグスに渡した。
そこには、男性が名乗ったのと同じ内容が書かれている。
その紙切れは、名刺と呼ばれるものであった。
「ファインディション……名門の学校の方でしたか……」
名刺を受け取ったジグスの顔が若干引きつる。
「もう一つ、お聞きしたいのですが……名門の学校ならば、もっと良い探偵に依頼できたのでは? 」
ジグスが顔を引きつらせたのは、これが理由であった。
彼の探偵事務所は規模が小さく、ケージンギアの住民くらいしか、その存在を知らないほど名声はない。
ファインデション学院があるセンタブリルには、ジグスよりも優れた探偵事務所が数多く存在し、普通ならばそこを頼るはずなのだ。
「その良い探偵に頼んでもダメだった……と言えば、お分かりでしょう…」
ジグスの問いかけに、依頼人のジョンはそう答えた。
「……なるほど……相当手強いみたいですね、その子は…」
彼の言葉で、ジグスは察した。
既に、他の探偵に依頼し、全て失敗に終わったことを。
「ええ。もうダメか……と思っていたところ、風の噂で、このケージンギアにも探偵事務所があると聞いて……一応やってきたのです」
「風の噂かぁ……もっと広まらないかなぁ……っと、失礼しました…」
依頼人のジョンの言葉に、思わず本音を呟いてしまったジグスであった。
「その子は、どういう子なのか……聞いてもよろしいですか? 」
ジグスが、依頼人のジョンに訊ねる。
「ええ……ですが、先ほど伝えた通り、入学式以来学校に来ていません。私が知っていることは、ごく僅かです」
「それでも構いません。聞かせてください」
「分かりました。その生徒は、近年希に見る天才です。入学試験時に提出されたレポート……その内容は、次世代のエネルギー機関というもので……」
依頼人のジョンは、不登校の生徒について話し始めた。
彼の話の内容は、レポートが中心で、その生徒の研究が人並み外れたものであることが分かった。
「……なるほど、そうですか。その子が頭のいい子……であることは分かりました……」
依頼人のジョンの話しを聞き、ジグスは顎に手を当て、うんうんと頷く。
「それで、どうでしょう? 私の依頼を受けてくださいますか? 」
依頼人のジョンが、ジグスに訊ねる。
その彼の言い草は、頼むというより、やってみるかと問いかけているように聞こえた。
「……もし……ここでダメだったら、どうするつもりですか? 」
彼の言い草にジグスは違和感を感じ、問いかけてみることにした。
「仕方ありません。学校に登校してくれるのを諦めます」
「……それは、どういうことですか? 」
依頼人のジョンの口から、淡々と出てきた言葉に、ジグスは疑問を持った。
「定期的に、その生徒の家に課題を送るのです。そうすれば、我々の学校の授業を受けたと言えます。登校せずとも問題はありません」
「はぁ…………つまり、その子の……学歴を守りたいということでしょうか? 」
「そうです。優秀な人物には高等な学歴が相応しい……つまり、我々、ファインディション学院に属すること。最終的には、我々の学院の卒業資格を得ることが、優秀な人物が目指すべき目標なのです。しかし、学院の授業を受けなければ、その資格を得ることはできない。それが叶わないという言うのであれば、その生徒に合った授業システムを作ればいい。我々、ファインディション学院は最終的に、そう決めました。なるべくなら、登校してもらう方が良いのですがね……」
「…………分かりました。その依頼、受けましょう」
長々と依頼人のジョンが話した後、ジグスは依頼を受ける旨を伝えた。
「受けてくださいますか。では、お願いします。報酬は……」
「報酬は、その子が登校したらで結構。ただし、僕のやり方に文句は言わせません」
依頼人のジョンが話している途中で、ジグスが口を挟んだ。
「……そのやり方とやらをお聞きしても? 」
「この依頼に、僕は一切手を出さないことです」
「どういうことですか? 」
今度は、依頼人のジョンがジグスの発言に疑問を持った。
では、誰がやるのかと。
「言葉の通り、僕はその子に説得もしないし、家にも伺いません。この依頼は、後ろの二人に任せます」
ジグスが自分の後方に指を差す。
そこには、先程からイアンとヴィクターが立っていた。
「学生と…ナース……まだ、子供のようですが、本気……なのですか? 」
依頼人のジョンは、イアンとヴィクターを見て、大した人物ではないのだろうと評価した。
しかし――
(あれは、クロスマーク……あの若さでか…)
イアンの左腕に付けられた腕章を見て、イアンの評価は少し変わった。
「はい、本気です。でなければ、口にしませんよ」
「分かりかねますね……何故、あなたがやらないのですか? 」
「今まで、この依頼を担当してきたのは、凄腕の探偵……ですかね? 」
依頼人のジョンの問いかけに対し、ジグスも問いかけで返した。
「……ええ、名の知れた方ばかりでしたよ」
「なら、僕でもダメでしょう。僕は凄腕の探偵ではありませんが、彼らと同じ大人ですので……」
ジグスは自分の胸に手を当て、依頼人のジョンに笑いかけた。
「……やはり、理解できませんね。優秀な大人に出来ないことが……そこの二人にできると……我々には到底考えられません」
依頼人のジョンは、そう言うと机の上に一枚の紙を置いた。
「そこの書類に、生徒の住所が記載してあります。とりあえず、依頼は頼みましたよ。精々、自分がやっとけば良かったと……後悔なさらないよう…」
依頼人のジョンは、ソファーから立ち上がり、部屋のドアの前でジグスにそう言うと、部屋から出ていった。
「……ふぅ、久々に大きい仕事が来たねぇ…」
依頼人のジョンが部屋から出てしばらくした後、ジグスはだらしなくソファーにもたれかかった。
「なんだ、あのオッサン! まるで、オレ達には、できないようなことを言いやがって! 」
ヴィクターは、依頼人のジョンが気に入れないのか憤慨し始める。
「ような…ではない。完全にできないと言っていただろう。それで、ジグスよ。本当にオレ達だけに任せていいのか? 」
イアンは、ヴィクターをたしなめた後、ジグスに訊ねた。
「いいよ。さっきも言ったように、この依頼は君達の方がうまく行くと思うんだ」
「任せとけよ、オジさん! 天才かなんか知らんねぇけど、そいつを引きずり出して、あのオッサンを見返してやるぜ! 」
ヴィクターは、依頼人のジョンの言葉に火が付いたのか、やる気満々の様子であった。
「もちろん、オレも精一杯やるつもりだ。しかし、あいつの言うことにも一理あると思う。何故、オレ達なんだ? 」
イアンが、再びジグスに訊ねる。
彼もジグスの選択をいまいち理解していなかった。
「そうだねぇ、ジョンさんの言うことも分かるねぇ。でも、子供の気持ちは子供が一番理解出来ると思うんだ」
ジグスは、そう言うと、揺らりと立ち上がり、イアンとヴィクターに体を向けた。
「大人になると頭が固くなっちゃってね、どうしても他人を理解することが難しくなるんだ。他の探偵達が、その子を登校させられなかったのは、たぶん、その子の気持ちを理解できなかったんだろうね…」
そう言うジグスの顔は若干曇っていた。
しかし――
「君達、子供にしかできないことがある。だから、僕は二人に賭けるのさ。頑張って! 僕ができるのはここまでだよ」
その後に、彼はそう言うと微笑んだ。
「……分かった。その……優秀な生徒とやらの気持ちを理解しに行くとしよう」
ジグスの言葉はイアンに響いたようで、返事をしたイアンの表情は少しだけ柔らかかった。
「よく分かんねぇけど、そいつと真正面からぶつかってくるぜ! 」
ヴィクターには、なんとなく響いたようであった。
「うん。その子の家は、タブレッサの北の区画……ノーラスラッドにあるらしい。頼んだよ、二人共」
ジグスは机に置かれた書類を拾い上げ、それを目を通した後、目の前の二人にそう言った。
「ああ」
「おうよ! 」
イアンとヴィクターは返事をすると、探偵事務所を飛び出し、駅に向かって走り出した。
二人が目指すは、不登校の生徒が住んでいるとされる区画、ノーラスラッドである。
7000文字に収まりきらないと判断したので、分割します。




