百九十一話 イアンとヴィクター
ヴィクターに連れられ、イアンはブラッドウッド学院の中を歩き回った。
イアンは、学校に通った事がない。
故に、見るもの全てが初めて目にするものばかりであった。
「ふむ……男と女で、来ている服が違うのだな」
校舎の廊下にて、ヴィクターの後ろを歩くイアンが、そう呟いた。
彼が特に気になったところは、男女の制服の違いである。
イアンは、教室のドアの隙間から、授業を受ける学生を見て、その違いに気づいたのであった。
「あん? 違うのは当たり前のことだろうよ……って、そうか。イアンは、学校に行ったことが無いんだったか」
「ああ。ずっと、森で木こりをやっていて、後は冒険者……旅をしていたからな」
「少し、羨ましいぜ。嫌な勉強やテストが無くてよ…」
「……いや、そうでもない。冒険者にも勉強やテストはある……」
「え? そうなん? そっちも大変だなぁ……っと、着いたぜ。ここで最後だ」
歩きながら話していると、二人は校舎の二階の一室に辿り着いた。
「ここは……」
「今はいねぇはずだが……ほい、開いてた」
イアンが、この部屋がなんの部屋なのかを聞く前に、ヴィクターは中に入ってしまう。
「ヴィクター、ここはなんの部屋だ? 」
「校長室だ」
部屋の中に入り、イアンが訊ねると、ヴィクターがそう答えた。
「校長室……待てよ。校長とは、学校で一番偉い人物なのでは? 」
「あん? だから、どうした? 」
イアンに返事をするヴィクターに悪びれた様子はない。
仮に、彼がここで悪びれた様子を見せたとしても、授業をサボった身であるので、今更である。
「どうしたって……勝手に入ったら、まずいだろう」
「構うことねぇよ。バレたとしても校長は怒んねぇからな。それより、ここにはおもしれぇもんがあんのよ」
「……本当にいいのだろうか…」
イアンがそう呟いた瞬間――
「ウオッホン! 」
誰かの咳払いの声が聞こえた。
その声は低く、男性のものであると判断できる。
「……!? 誰かいるではないか、ヴィクター」
声を聞いたイアンは、周りを見回して声の主を探す。
しかし、この部屋にいる人間は、イアンとヴィクターのみであった。
他にあるものと言えば、校長の机と本棚くらいである。
「誰もいない? どういうことだ? 」
「あー…また君かね、ヴィクター君! 」
イアンが首を傾げていると、再び男性の声が聞こえた。
「また! なんなのだ、一体……」
「あっははははは! 視野が狭いぜ、イアン。声の正体はこいつだぜ」
人を探そうと周りを見回すイアンをヴィクターは笑い、校長の机の方に向かう。
校長の机の椅子は後ろに向けられており、ヴィクターがそれを前に向けると――
「……鳥? 」
椅子の上に乗った鳥篭が、イアンの目に映った。
その鳥篭の中には、緑色の鳥がいる。
「こいつは、校長が飼っているインクッチっていう鳥だ」
ヴィクターがイアンに、インクッチという鳥の説明をする。
インクッチは、鶏のような姿で、体毛は鮮やかな緑の鳥だ。
体は鶏よりも小さく、空を飛ぶことができる。
そのため、姿が鶏に似ているというだけで、別の鳥の仲間に分類されている。
この鳥の一番の特徴は、他の動物の鳴き声を真似することができる。
もちろん人間の声も真似することができ、本人だと思ってしまうほど正確である。
ペットとして飼う者がいるが、この国には生息していない鳥で、別の大陸から輸入された動物である。
「ほう、声を真似するのか。面白いな」
ヴィクターの説明を聞いた後、イアンはインチックをそう評価した。
「だろう? 校長のやつ、いつもいなくなるときは、こうしてインチックを椅子に置くんだ」
ヴィクターは、椅子を後ろに向ける。
「何か用かね? 何か用かね? 」
インチックの姿は見えず、校長らしき声だけが聞こえる。
「これは……校長とやらが、ここの部屋にいるみたいだな」
まるで、そこに本人がいるかのようだった。
「今は不在だ。用があれば、書置きをして、書置きをして、書置きをして」
インチックが、校長の言葉を叫び、強調するかのように、同じ言葉を繰り替えす。
「こうやって、書置きをしろって言うようにしつけされてんだ。便利なもんだぜ」
「ほう……本当だ。もういくつか書置きが残されているな」
イアンが校長の机の前に立つと、その机の上にたくさんの紙切れが残されていた。
「……ん? ヴィクター、おまえ宛ての書置きがあるぞ」
「は? なんでだ」
ヴィクターはイアンの元へ行き、自分宛てに残された書置きの内容を確認する。
「なになに……ヴィクター君、サボってないで授業に出なさい……ちぇ! 校長のやつ、オレが授業をサボって、ここに来ることを予想してたのかよ…」
書置きを見たヴィクターは、バツの悪そうな顔をした。
「おまえの学校の校長は面白いな。では、校長の言葉に従って、授業に戻ったらどうだ、ヴィクターよ」
「いや……」
ヴィクターが口を開いたとき――
キン! コーン!
鐘の音が学校の敷地内に響き渡った。
「授業……終わっちまったよ…」
「……そうか」
鐘の音は授業の終わりを告げるものであった。
今日一日、ヴィクターは授業の大半を欠席していた。
ブラッドウッド学院には、三棟の校舎がある。
そのうちの二棟は、新しく建てられた校舎だ。
先程、ヴィクターは、この二棟の校舎をイアンに案内していた。
そして、もう一棟は旧校舎だ。
新しく二棟の校舎が建てられたことで、授業には使われていない校舎である。
今、その旧校舎は何のために使われているかというと、学生達のクラブ活動をする場所として存在している。
クラブ活動とは学生達が集まって、スポーツと呼ばれる運動をしたり、趣味を共有したりする活動のこと。
旧校舎は、スポーツの服に着替えたり、趣味を共有する活動の場として、利用されているのだ。
ブラッドウッド学院に通うヴィクターもクラブ活動をしており、その活動の名は探偵部という。
学校案内が終わり、イアンヴィクターは、その部室へ向かっていた。
「今日、仕事が無いんじゃあな。仕方ねぇよな」
旧校舎を目指し、校舎の外を歩くヴィクターがそう呟く。
「今日は、活動日じゃないけど、依頼があったらやろうかね」
「……? 活動日ではないのなら、依頼人は来ないのでは? 」
「依頼受付箱が、部室の前に置いてあってな。そこに依頼が入ってる……かもしれない…」
イアンに訊ねられ、ヴィクターは答えたが、最後の方は歯切れが悪い。
探偵部は、学生の困り事を解決するクラブ活動である。
部員は二人で、一応、ヴィクターが部長であるらしい。
大活躍しているかというと、そうでもない。
滅多に依頼されることはなく、生徒会と呼ばれる学生が組織する委員会の雑用に使われるのが、部活動の大半なのだ。
つまり、依頼が無いかもしれないということ。
旧校舎の二階に、探偵部の部室がある。
一階は、スポーツをするクラブ活動の更衣室で、二階は趣味を共有するクラブ活動の部屋というように分けられている。
探偵部は、趣味を共有するクラブ活動に分類されていた。
「……」
ヴィクターとイアンは、探偵部の部室の前にいた。
そこには、箱が設置されており、ヴィクターはその箱の中を覗いている。
「依頼はあったか? 」
ヴィクターの横にいるイアンが訊ねる。
「うーん……あ! あった……」
ヴィクターは、箱の中に何かを見つけ、それを取り出す。
取り出されたのは、手のひらに収まるくらいの小さな紙切れであった。
「…………はぁ…つまんねぇ…」
紙切れには、文字が書いてあり、それを読んだヴィクターは、そう呟いた。
「なんと書いてあった? 」
「シュシュを落としたようなので、探してください……だってよ」
ヴィクターは、げんなりした様子で答えた。
「虐める奴をなんとかしてください…とか、理不尽な教師をぶっ飛ばしてください……とかを期待してたのによ…」
「おまえ……そういうのを期待しているのなら、もっと荒れた学校に行くべきだろう……」
イアンが呆れた目で、ヴィクターを見る。
「ちぇ、まぁいいや。サクッと終わらせちまおう」
ヴィクターは、そう言うと部室の中に入った。
イアンも彼に続く。
探偵部の部室の中央には机を椅子があり、部屋の両隅に背の高い本棚がある。
ヴィクターは、片側の本棚の前に立ち、何かを探していた。
「ヴィクターよ。シュシュとは、なんだろうか? 」
そんな彼の横に立ち、イアンが質問をする。
「……シュシュっつーのは、髪留めの一つよ。女の子が運動する時、髪を縛るのに使われているのをよく見る」
ヴィクターは、本棚に目を向けながら答えた。
「……あった」
目当ての本を見つけたのか、ヴィクターは本棚から一冊の本を取り出すと、それを手に取り、腰を下ろしてページを捲りだした
「それは何の本だ? 」
「これは、学生名簿だ」
「学生名簿? 何故、今それを見る? 」
イアンは、ヴィクターの行動を理解できなかった。
「こいつを見てみな」
ヴィクターがイアンに、依頼受付箱から取り出した紙切れを渡す。
イアンがそれを見てみると、先程ヴィクターが口にした言葉と女性らしき名前が書かれていた。
「名前……この女の名前を探しているのか? 」
「その通り。その娘がどんな人なのかを今から調べるんだ」
ヴィクターは、パラパラと学生名簿を捲り――
「……見つけたぜ。この人は、俺の先輩のようだな」
目当てのページで、手を止めた。
ヴィクターは、そのページを読み始める。
「……この人は、陸上部の先輩か……確か、昨日が陸上部の活動だったはず……するって言うと……」
名簿には、学生の名前はもちろん、授業の成績や所属しているクラブ活動のことも記載されていた。
「……ヴィクター、これは学生であるおまえが持っていても良いものなのか? 」
イアンは、なんとなく学生名簿は持つべきものではないと思った。
「校長がくれたから問題ねぇよ……他の教師に見られたらまずいが……よし! 行くぞ、イアン」
ヴィクターは、イアンにそう答えると立ち上がった。
「行くぞ……って、どこへ? 」
「シュシュが落ちてる場所だぜ」
校庭で、学生達が様々なスポーツをしている。
校庭はグラウンドとも呼ばれ、運動がしやすいように、草一つ生えていない地面が広がっている。
その隅で――
「やったぜ、イアン! こいつがシュシュだ」
腰を下ろしていたヴィクターが立ち上がり、布のような物を掲げる。
「……ほう、確かに髪を留めれるな。それで間違いないようだな」
イアンがそれをよく見ると、髪留めのような形をしていだ。
ヴィクターとイアンは、シュシュを見つけ出していた。
「しかし、よくここにあると分かったな」
イアンが感心したかのように呟く。
今、二人がいるのは、校庭の隅、旧校舎の近くにある水場であった。
そこはポンプと呼ばれる装置があり、ポンプに付けられたレバーを下げると、水が出てくる。
顔や手を洗ったり、スポーツをするクラブ活動を行う学生達が利用する場所だった。
「陸上部はよくここを使うからな。ここら辺に落ちてると思ったのよ。でも……」
ヴィクターは再び腰を下ろす。
彼が腰を下ろしているのは、荷物等を置くためのラックの目の前だ。
そして、腰を下ろしたヴィクターの視線は、そのラックの下の隙間に向けられていた。
「まさか、ここの下に落ちているとは思わなかったぜ。ありがとうな、イアン」
シュシュが落ちていたのは、ラックの下であった。
それを初めに見つけたのはヴィクターではなく、イアンであった。
二人が水場へ来たとき、なかなかシュシュを見つけられなかった。
しばらく探した後、イアンは気づいたのである。
ラックの下に何かがあることに。
「いや、たまたま気になっただけで、ヴィクターがここに目星をつけなければ、見つからなかった」
「そんなこともねぇよ……っつーことで、二人の手柄にしようぜ! 」
「大半は、おまえの手柄だがな」
「おまえ……どっちが多く活躍したとかは、いいじゃねぇか。俺達でやったんだよ! 」
ヴィクターは、そう言った後、イアンに体を向け、片手をあげた。
「俺たちゃ、いいコンビだと思わねぇか? っつーことで、ほれ」
「……? 」
イアンは、ヴィクターが何を求めているか理解できず、首を傾げる。
「ハイタッチだよ、ハイタッチ! とりあえず、俺みたいに手を挙げろ」
「こうか? 」
「おう……いや、逆だな。逆にしてくれ」
「そうか」
イアンは、左手を下ろし、右手を上げた。
ヴィクターも右手を上げている。
「よし! じゃあ、この前のフリョウん時も出来なかった分、気合いれろよ? 」
「……力を込めるのは分かったが、何をするのだ? 」
「俺がおまえの手を叩く。おまえも俺の手を叩く。同時にやるんだ。初めてだから、せーので行くぞ? 」
「分かった。いつでも来い」
イアンは、力が入りやすいよう体を構える。
「お、いいねぇ、そういう感じだ! よっしゃ、じゃあ行くぞ! 」
「「せーの! 」」
バチンッ!
ブラッドウッド学院の校庭に、イアンとヴィクター、二人の手が弾き合った音が響き渡った。
この日、解決した依頼は小さいものであったが、この二人にとっては大きいものであると言える。
なぜなら、自分には足りないものを補い合える存在であると、互いに思えたからであろう。