百八十六話 探偵の視線で見えたのは
イアンは目の前の男性を見る。
その男性はジグス・フォースと名乗った。
彼の頭髪は濃い茶色で、隣にいるヴィクターと同じで長さは短い。
ヨレヨレの白いシャツを着ており、この国の男性の大半が身につけているネクタイはつけていなかった。
「とりあえず、そこにかけてよ。色々と話しがしたいからさ」
ジグスは、広げた手を前に伸ばす。
その手が伸ばされた方には、足の短いテーブルとそれを挟むように置かれた長椅子があった。
ジグスの指示に従い、イアンは片方の長椅子の腰掛ける。
中に羽毛があるのか、長椅子は柔らかく――
「おおっ! 」
イアンは、思わず感嘆の声を漏らした。
「おや? ソファーに座るのは、初めてかな? 」
ニコニコと微笑みながら、ジグスはイアンの向かいの長椅子に腰を下ろした。
「これは、ソファーというのか? 」
「うん、そうだよ。ちなみに、それは安物だからねぇ。ソファーの中では、硬い方だよ」
イアンの問いに、ジグスがそう答える。
「イアンちゃんは、あまり物を知らないみたいだね。もしかして、箱入り娘だったのかなっと! 」
ヴィクターが、ジグスの隣に飛び込んだ。
「ちょ……ヴィクターくん、暑いよ。あと、君は、イアンちゃんにお茶を出してやってくれよ」
ジグスが煩わしそうに、苦い表情を浮かべる。
「おっと、忘れてたぜ。イアンちゃん、ちょっと待ってな」
ヴィクターは、そう言うと立ち上がり、部屋の奥へ向かった。
「さて、やっとゆっくり君と喋ることができる。君、先生……ラストン先生のお世話になってるでしょ? 」
「……! 何故、分かった…」
ジグスに訊ねられ、イアンは驚愕する。
まだ一言も、イアンはラストンに助けられたことを言っていなかった。
「何故って、君の着ているナース服……どこかで見たと思ったら、先生の診療所で見たことを思い出してね。それだけさ」
「あ、ああ、そういうことか……」
分かった理由は大したことではなかった。
「そんな服を着て、外を出ているんだ。先生には、けっこうお世話になっているはず……何があったのか、教えてくれないかな? 話せる範囲でいいから」
「ああ、分かった」
イアンは、ジグスにこの国に来た経緯を話した。
内容は、まず自分が冒険者という職に就いていたことと、一年前にゾンケット王国で騎士をしていたことである。
そして、最後に戦いに敗れて海に落ちたことを話した。
「……いやあ……なんというか、ハードな人生を送っているねぇ……」
話を聞き終えると、ジグスが顔を引きつらせてた。
「信じられないか? 」
イアンは、ジグスが自分の話を信じていないと思った。
しかし、彼が顔を引きつらせたのは、別の理由である。
「いや、疑っていないよ。ただ、そういう世界もあるんだなって思ってね」
「そうか。ならいい」
イアンはソファーの背もたれに、もたれ掛かる。
ジグスの口から、自分の話しを疑っていないことを聞き、イアンは安堵したのだ。
「先生から色々聞いているだろうから、この国の諸々の説明はしなくていいね? 」
「ああ、問題ない」
「分かった。まあ、何か疑問に思うことがあれば、遠慮なく聞けばいいよ。仕事の事とかもね。じゃあ、よろしくねぇ」
ジグスはそう言うと、イアンに手を差し伸べた。
「……? 」
イアンは、ジグスの行動の意図が分からず、首を傾げる。
「ありゃ? 握手……知らないのかい? 」
一向に、握り返してこないイアンに、ジグスは困った表情を浮かべた。
「いや……握手は知っている。だが、何の握手なのか……」
「え? 君を採用するということだよ」
「ああ、そういうことか……」
イアンは、ようやくジグスの差し出した手の意図を理解し、その手を握り返した。
(意外とあっさり雇ってくれるのだな……)
ジグスの手を握りながら、イアンは拍子抜けしていた。
もっと色々なことを聞かれるのだと思っていたのだ。
「よろしくね、イアンちゃん」
ジグスはニコニコと、イアンに笑顔を向ける。
「こちらこそ、よろしく頼む」
対して、イアンは無表情、否、口元が僅かに緩んでいた。
「……あと、最後に一つ言っておくことがある」
「……? 」
イアンの言葉を聞き、何かな?と言わんばかりに、ジグスは笑顔のまま片眉を吊り上げた。
「茶を持ってきたぜー二人共ー」
その時、部屋の奥から、ヴィクターがトレーの上に二つのカップを乗せて運んでくる。
イアンは、ヴィクターに構わず、話しを続けた。
「オレは、男だ。女ではない」
「え? ええっ!? うおおおおっ!!? 」
イアンの言葉を耳にし、ヴィクターは仰向けに転んだ。
その時、運んでいた茶はヴィクターの顔にかかってしまう。
「……!? 」
ジグスはというと、驚いたのか勢いよく、ソファーから立ち上がった。
「うっ……!?」
互いに手を握ったままなので、イアンはジグスに引っ張られ、彼と同じように立ち上がる。
「……まさか……君は本当に男の子なのかい? 」
ジグスがイアンに訊ねる。
「……そうだ……男であることに問題があるのか? 」
「いや、問題は……ないよ。ただ、信じられないと思ってねぇ……僕は目に自信があって、人をよく見るのは得意だったんだ。いやあ、参ったよ…」
ジグスはそう言うと、再び微笑みを浮かべた。
「……」
ジグスに対し、イアンは無表情であるが、僅かに目が見開いていた。
自分が男であると言った一瞬、ジグスが見せた鬼気迫るような表情が忘れられないのだ。
その後、早速、何か仕事が無いかと聞いたイアンだが――
『仕事? 無いよ。待っていても、誰も来ないと思うから、今日は帰っていいよ』
と、ジグスに言われ、ファラワ村に帰っていた。
イアンは、寄り道をすることなくロープワゴンに乗ったので、時間はそれほど経っておらず、空の色はまだ青い。
その青空の下、イアンは、ファラワ村の外れにあるイオの家に向かっていた。
探偵のバイトを始めたことを報告するためである。
イアンがぼうっと空を眺めながら歩いていると、イオの家が見えてきた。
イオの家は庭のある一戸建てだ。
村でよく見かける木材で建てられた家で、庭には多種多様の花が咲いている。
彼女の売る花はここで育てられていた。
「お、やはりここにいたか」
イアンは、庭にイオの姿を見つけた。
「イオ、帰ってきたぞ」
庭を囲う柵の外から、イアンがイオに声を掛ける。
「あ! イアンさん、おかえり! どうだった? 」
庭で土をいじっていたイオがイアンに気づく。
彼女は持っていたスコップを地面に置き、イアンに顔を向けながら立ち上がった。
「無事、盗まれたものを取り返し、持ち主に返すことができたぞ」
「やったね! ちょっと心配だったけど、何とかなって良かったよ」
イアンの報告を受け、イオは喜んだ後、ホッと息をついた。
「すまんな、心配をかけた」
「ううん、謝らなくていいよ。こうして、ちゃんと言いに来てくれたし」
「うむ。で、あともう一つ、言わねばならないことがある」
「……? 中に入る? 」
「いや、ここでいい。話は短い」
家に体を向けようとするイオをイアンが声で止める。
「実は、探偵……という仕事をやることになった」
「へぇ! イアンさん、探偵やるんだ」
イオの表情は更に明るくなった。
イアンが他の仕事をすることを悪く思っていない様子である。
「うむ。それで、探偵の仕事は花売りの仕事が終わってからやるつもりだ」
「そうなの? 私の手伝いをやめて、探偵の仕事に専念しても良いと思うけど……」
「いや、花売りの手伝いは継続させて欲しい。イオには、助けられた恩がある」
「そんな……別に気にしなくていいのに…」
イオは、困惑した表情をイアンに見せる。
「何かしないと、オレの気が済まないのだ。手伝わせて欲しい」
「…………なら、これからもイアンさんに手伝ってもらおうかな。正直、助かってるし」
少しの間、イオは思案した後、イアンにそう言った。
イオの表情は、困惑したものから穏やかな表情に変わっている。
「でも、探偵かぁ……なんか、イアンさんに合っているかも」
「……? どうしてだ? 」
イオの呟きを耳にし、イアンはどういうことか訊ねる。
「イアンさん、冒険者は困っている人を助けるんだよね? 」
「そう……だな。困った人が依頼をするのだからな」
「探偵も同じだよ。だから、イアンさんにはピッタリな仕事だと思うんだ」
「……そうだな。オレもそう思う」
実際、イアンは、探偵は自分でも出来る仕事だと思ったので、探偵をやると決意していた。
しかし、冒険者と似ているとは考えていなかった。
(思えば、イオのやっている花売りも、森で木を切り、村に薪を売る木こりに似ているかもしれない。どこに行っても、オレのやることは、あまり変わらないな……)
イアンは、ニコニコと微笑むイオの顔を見つめながら、そう考えていた。
花売りと木こり、冒険者と探偵。
やることは変わらないと考えるイアンだが、二つの仕事を両立するのは、初めてのことであった。
――次の日。
イオの手伝いが終わり、イアンは探偵事務所に来ていた。
「お、早いね、イアンくん」
イアンが部屋に入ると、奥の机に座るジグスが声を掛けてきた。
男であることを知らされたため、イアンに対するジグスの扱いは、男性のものとなっている。
「花売りの手伝いが早く終わってな」
「そうかい。今日は、ヴィクターくんと一緒に仕事をしてもらうから、ちょっと待っててね」
「分かった」
イアンは、ジグスに返事をすると、片方のソファーに腰掛けた。
「……」
「……なんだ? 」
イアンは、ジグスの視線が自分に向いていることに気づいた。
「いやぁ、不思議に思ってね」
「不思議? 」
ジグスの言葉に、イアンは首を傾ける。
「君が男と分かったんだけどね……女の子にしか見えないんだ」
「……この格好のせいだろうか…」
イアンは自分の服を見下ろす。
彼は、未だにナース服のままであった。
「……どうだろうねぇ、分からないなぁ」
ジグスは、苦笑いを浮かべながら答えた。
「そうか……女にしか見えないと言ったが、どの辺りが女に見えるのだ? 」
イアンは、ジグスに問いかけた。
彼の女に見えるという言葉が気になり、詳しく話しを聞きたいと思ったのだ。
「……全部かな」
イアンの体を見回すと、ジグスはそう答えた。
「なに? 」
ジグスの答えに、イアンは片眉を吊り上げる。
「顔とか体格とか……全てが女に見えるのか? 」
「……そう……だね」
再びイアンの体を見た後、ジグスは困った表情をする。
どう見ても、女にしか見えないようだった。
「だから、不思議なのさ。君には、男の子であると認識させる要素が一つもない……どころか、とても綺麗な女の子に見えるんだ」
「……それは、オレの顔、体型、声の全てが女のものであると言うことか? 」
「うん。それらともう一つ……雰囲気かな? うん、雰囲気が女の子なんだ」
「雰囲気だと? 」
「例えば、男装をしている女の子がいたとしよう。その子が女の子だと、気づく時はいつになるかな? 」
「いつ……いつ? 」
ジグスの問いかけに、イアンは首を傾げる。
そして、イアンは顔を俯かせ、黙り込んでしまう。
「……言い方を変えようか。どうしたら、その子が女の子であると思うかな? 」
考え込むイアンに、ジグスは言葉を変えて、再び問いかけた。
「……そいつが、服を脱いだとき? 」
顔を上げたイアンは、ジグスに訊ねるように言った。
「あー……それは、女の子だと分かっちゃう時……答えだねぇ……うん…」
イアンの答えに、ジグスは苦笑いを浮かべた。
男装をしているので、服を脱げば分かるのは当然である。
「これは僕の見解だけどね……喋り方や仕草で、女の子かなって疑うね。男の子の声を出そうとして、不自然な声になってたり、男の子に成りきっているつもりでも、ついつい普段の女の子の仕草がでっちゃったりね」
「ほう、そうやって見極めるのか……それで、雰囲気とは? 」
ジグスの話を聞いたイアンは、感心したように呟いた後、理解出来ていない疑問の言葉を口にする。
「これだよ。僕の言う雰囲気は、喋り方や仕草みたいな、その人の特徴が現れる部分をまとめたもの…かな…」
「……? 」
イアンは、まだ理解できなかった。
「えーと……ひょっとして、この子、女の子なんじゃない? って、なんとなく感じるもの……かな? 」
ジグスは、イアンが理解しやすいようにと、言葉を変えてみたが、自身はなかった。
「ああ、そういうことか」
「あ…今のでいいんだ……」
しかし、イアンはジグスの説明を理解した。
「オレの雰囲気が女のものであると……ならば、先ほど言った答えとやらを見せれば、オレを男と認識できるのではないか」
イアンは、そう言うと立ち上がり、自分の服に手をかけた。
彼は、自分の服を脱ごうとしていた。
「ストップ! ……まだ、話しは終わっていないよ」
ジグスは、手のひらを前に突き出し、服を脱ごうとしていたイアンの手を止める。
「ふぅ……さっき、服を脱げば、男装した女の子を見破ることができると言ったね。その通りさ、例えその子が男の雰囲気を作っていようと、裸の姿を見れば女の子だと認識する。雰囲気で感じたものより、実際に目で見たもの……真実の方が強いんだ」
「……そうだな」
「でもね……君は違う。男だと知らされても……男であると分っていても、女の子にしか見えない……」
ジグスは、ゆっくりとした口調で話し出した。
彼の雰囲気は、頼りの無い大人のものである。
「不思議なことにね……真実より不確かな雰囲気の方が強いんだよ…」
しかし、この時は違った。
今の彼の雰囲気は、幾度となく修羅場をくぐりり抜けてきた男のものであった。
イアンは、その雰囲気を口に表わすことはできない。
ただ、目の前の人物が自分よりも上の存在であることを雰囲気から感じ取った。
「ん……あれ? オジさん、起きてたの? 珍しい……」
その時、事務所の部屋の入り口の扉が開かれ、ヴィクターが顔を出した。
ヴィクターは、部屋の中に入り、ジグスの元に向かう。
彼の服装は、イアンと初めて出会った時と同じである。
「ん? イアンじゃねぇか、来てたのか…って…なに? なんかやってた? 」
ヴィクターは、イアンの存在に気付いた。
そして、ただならぬ空気を感じ取り、イアンとジグスを交互に見る。
「……いや、何でないよ。さ、ヴィクターくんも来たし、仕事に行ってもらおうかな」
ジグスはそう言うと、立ち上がるためか手を膝に置き、上体を前に倒す。
「……ごめんね、君の雰囲気の正体は分からない。でも、何かあれば相談に乗る……イアンくんの力になるよ…」
その時、イアンにだけ聞こえるような大きさの声で、そう呟いた。
「今日は、猫探しだー。張り切って行ってらっしゃい! 」
ジグスは立ち上がると、自分の机に向かう。
「えー、またかよ! 最近、猫探しばっかじゃん! あと、たまにはオジサンも一緒に行こうぜ」
ヴィクターは、猫探しの依頼に不満があるのか、机に座ったジグスに文句を言った。
「猫探しも立派な仕事だよー。あと、僕は別件の仕事があるからねぇ、一緒には行けないんだ」
「ホントかよ…」
ヴィクターが、ジグスに疑いの眼差しを向ける。
「ホントだよ。まぁ、この国に来たばかりのイアンくんに、この町を紹介するにはちょうどいいでしょ」
「……ちぇー、なら仕方ないか」
「よろしくねぇ」
渋々納得したヴィクターに、ジグスは微笑みを向ける。
「……」
二人が話している間、イアンは考えていた。
その内容は、何故自分が強力な女の雰囲気を持っているかである。
それは、いくら考えても答えの出ない問題で、イアンの頭を悩ませていた。
「イアンくん」
頭を悩ませている中、ジグスに呼ばれ、イアンは顔を上げる。
「きっと、いつかは分る日が来るさ。だから、すぐに答えを出そうと思い悩むのは良くないよ……」
「……」
「それに、さっきも言ったように、僕は君の力になる。頼っていいんだ、気楽にいこう」
「ん? なんだ? イアン、悩み事でもあんのか? 」
ジグスの言葉を聞き、ヴィクターはイアンに顔を向けた。
「……まあ…な…」
ヴィクターに返事をするイアン。
「そっかぁ……俺、そういうの苦手で、どうしたらいいか分んねぇけど……」
ヴィクターは、イアンの顔の前に自分の右手の拳を突き出し――
「ぶっ飛ばしたい奴がいたら、遠慮なく言えよ? 俺がぶん殴ってやるから」
と、言った。
しばらく、突き出された拳を見つめた後、イアンはフッと笑った。
「それには及ばんな。オレは、おまえより強い」
その後、イアンは、ジグスの拳を右手で殴った。
「痛って!? やるな、イアン。ま、まあ、俺と同じくらいの強さはあるかな」
ヴィクターは、殴られた右手をさすりながら、そう言った。
「ほう、加減を入れすぎたか。どれ、次はもう少し強めにするか」
「……!? お、おう、受けて立つぜ! でも、今は猫探し行かないとな。また今度ということで……早く行こう! 」
ヴィクターは早足で、部屋の外へ出て行った。
イアンも彼の後に続き、部屋の外へ出ようとするが、ドアの前で立ち止まる。
「ジグス……言われた通り、気楽に行くとしよう。ありがとう……」
ジグスに顔を向けてそう言うと、イアンは部屋の外へ出て行った。
「ふぅ、僕の目を以ってしても、本当の君を見ることはできなかった……でもね…」
ジグスは立ち上がり、机の後方にある窓の外を眺めた。
「真実……には、一歩も二歩も足りないけど、それに近づくことができる直観を持つ人がこの世にいるんだ。その子なら、雰囲気に惑わされないかもしれないね」
窓の外を眺めるジグスの視線は、二人の少年の後ろ姿に向けられていた。




