百七十八話 駆けつけた風前の灯
暗闇の中をふらふらとおぼつかない足取りでアントワーヌは歩いていた。
彼女はラファント領から出ておらず、ラファント西部の草原をあてもなく歩いているだけであった。
騎士全員が敵であると知り、どこに行っても無駄であると考えたのだ。
「俺は……死ねない。オルヤール家を復活させるまで……生き延びなければ…」
彷徨うアントワーヌであるが、生きることは諦めていなかった。
しかし、度重なる騎士の襲撃により、アントワーヌの体と精神は限界を迎えようとしていた。
「アントワーヌ・ルーリスティだな…」
彼女の前方に何人目かの騎士が現れる。
「……」
アントワーヌはその騎士に何も答えない。
ただ、光の消えかかった目で見つめるだけであった。
「ここで死ね」
騎士は剣を構え、アントワーヌ目掛けて走り始めた。
キンッ!
ドスッ!
アントワーヌは振り下ろされた剣を弾き、騎士の体を長槍で貫いた。
「ぐふっ……ははっ…」
騎士は体を貫かれたにも関わらず、笑っていた。
「もらった! 」
その時、アントワーヌは自分の後方から男の声を耳にした。
声の主は、彼女の後方で矢を番えた弓の弦を引き絞る騎士。
彼らは、アントワーヌの前方と後方から挟撃を仕掛けていたのだ。
ヒュッ! ヒュッ! ヒュッ!
数本の矢が放たれ、アントワーヌの背中に目掛けて飛んでいく。
「……!? 」
アントワーヌは反応が遅れ、振り返ることしかできなかった。
キンッ! キンッ! ドスッ!
しかし、アントワーヌに矢が当たることはなかった。
一瞬、彼女の前で何かが立ちはだかったが、アントワーヌはそれに構わず、矢を放った騎士に向かい――
ズンッ!
騎士を長槍で貫いた。
「はぁ…はぁ…」
アントワーヌは騎士の体から長槍を抜くと、踵を返して再び歩き始める。
「うっ!? 」
程なく、アントワーヌは何かに躓き、地面に倒れ込んでしまった。
「くそっ! なんだ? さっきは何もなかったはずだぞ…」
アントワーヌは上体を起こし、何に躓いたのかを確認するため、振り向いた。
「……」
アントワーヌの表情が徐々に凍りついていく。
まず、彼女が振り向いて見えたのは、黒い塊であった。
次に、目を凝らして確認できたのは、それが人であることだった。
最後に、顔を近づけて見えたのは、その人物が水色の髪で、伸ばされた右手に戦斧を持っていることだった。
「イ、イアン……何故、こんなところに…」
彼女が躓いたのはイアンであった。
アントワーヌは不器用に立ち上がると、イアンの側に腰を下ろす。
近づくと、アントワーヌはイアンの左手に何かが持たれていることに気がついた。
「これは……俺の盾じゃないか。おまえ、俺を探しに来てくれたのか……」
アントワーヌは、イアンの左手から盾を取り、自分の左腕に装着する。
彼女は服の中に鍵を入れたままであったため、これでアントワーヌは盾の武器を使える状態であった。
「は…ははは! おまえは俺の味方だもんな! よくやった…よく来てくれた、イアン」
イアンが来てくれたことに、アントワーヌは歓喜の声を上げた。
「おまえがいれば、何とかなる。おい、起きろ。とりあえず、どこか安全な所へ行くぞ」
アントワーヌはイアンの体を揺さぶり、起こそうとする。
しかし、イアンは起きるどころかピクリとも動かなかった。
「おい、どうし…た……」
アントワーヌの表情が再び凍りつく。
イアンの腹には矢が刺さっており、彼の周りは血の海になっていた。
そこでアントワーヌは気づいた。
騎士の放たれた矢から自分を守ったのが、イアンであることを。
彼はあの後、ラファント領へ走り、アントワーヌを探していた。
そして、ようやく見つけた時、アントワーヌに矢が放たれようとしていたため、咄嗟に彼女の前に飛び込んだのだった。
三本放たれた矢のうち二本は弾くことができたが、一本を腹に受けてしまったのである。
「おい! おまえが死ねば、俺は一人ぼっちになってしまうではないか! 」
アントワーヌはイアンにすがりついた。
「頼む! 死ぬな、イアン! 俺を一人にしないでくれえええええ!! 」
「……ぐ…」
「……! 」
その時、彼女はイアンにまだ息があることに気づいた。
「まだ、息がある……そうか…待ってろ、お前を助けて…」
アントワーヌは途中で言葉を詰まらせた。
負傷した者を救う術を彼女は知らないからだ。
「あ……そうだ…村だ! 確かこの辺に、小さな村があったはずだ。そこに行こうイアン! 」
アントワーヌは、イアンを担ぎ、朝に見た景色を頼りに歩き始めた。
「着いた……これで助かるぞ、イアン…」
アントワーヌの言う村は、運良く近い距離にあった。
イアンを担いだアントワーヌは村に入り、そこにある一軒の家に向かった。
「すまない! 開けてくれ! 大変なんだ! 」
アントワーヌはその家のドアを叩きながら、そう叫んだ。
「……こんな夜更けになんだ? 」
しばらくすると、ドアが開かれ、顎に髭を蓄えた中年男性が顔を出した。
「すまない。貴公は医療の心得があるだろうか? 」
アントワーヌが、中年男性にそう訊ねる。
「おれはこの村で医者をやっている。そいつ、怪我をしているのか? 」
「……! やった! そうだ。こいつは腹に矢を受けて、死にそうなんだ。助けてくれ! 」
「……おたく、騎士…だよな? 」
中年男性がアントワーヌに訊ねる。
「あ、ああ、そうだが…」
アントワーヌは戸惑いながら頷いた。
「なら、金……いっぱいあんだろ? 出しな。金を出したら、そいつを助けてやる」
「金……金は今持っていない…」
アントワーヌはお金を持っていなかった。
使者であるため、衣食住は何とかなると思って持ってこなかったのだ。
「無いのか? 話にならねぇよ。帰んな」
中年男性はそう言うと、ドアを閉め始める。
「ま、待ってくれ! おまえは、目の前で死にそうな者を見殺しにするつもりか! 」
イアンを優しく地面に下ろすと、アントワーヌはドアが閉まるのを手で妨げる。
「そいつが死ぬのは、おれのせいじゃない。お前のせいだ。お前が金を持っていなかったから、そいつは助からないんだ」
「俺のせい……だと」
「そうだ。可哀想に……お前が金を持っていないから、そいつは死んでしまう。本当に可哀想なやつだよ! 」
中年男性は突然ドアを開き、アントワーヌを蹴り飛ばした。
「ううっ…」
蹴り飛ばされたアントワーヌは、地面に倒れ込んでしまう。
「ふん! 」
中年男性は開いたドアを閉め始める。
「待ってくれ! 今は、金を払えないが、助けてくれたら、必ず払いに来る! 」
アントワーヌのその言葉を聞き、中年男性の手が止まる。
「……嬢ちゃん、覚えておきな。見知らぬ人との金のやりとりは、世間一般じゃあ馬鹿がすることだぜ」
「そ、そうか、信用できないのか…ならば、誓約書を書く。約束を破った場合、どんな罰でも受けることを約束しよう! 」
「はぁ……」
中年男性は呆れたように、ため息をついた。
「嬢ちゃんは無駄に賢いな」
「……? 」
アントワーヌは中年男性の言ってることが分からなかった。
「普通、こういう時は、何も考えず、金に代わる自分の大切な物を差し出すもんだぜ? 」
「自分の大切な物……」
アントワーヌはその言葉を聞き、差し出せる物をもっていないか考える。
金に代わるとしたら、左腕についた盾と鍵しかなかった。
(我が家に伝わる俺が持つ大切なもの……一時的に手放すだけだ。あとで取り返せばいい…)
アントワーヌは心の中でそう考え――
「鍵を挿すと武器が出てくる珍しい盾です。これを差し上げます」
盾と四本の鍵を差し出した。
「ふぅん……珍しい盾…ね」
中年男性がアントワーヌから、盾と鍵を手に取った。
「…………何も起きねぇじゃねぇか。ただのボロい盾だろ? これ」
鍵穴に緑色の鍵を挿し込んだが、何も起こらなかった。
入れる鍵穴は間違えておらず、本来ならば、緑色の柄の剣が盾から出てくるはずであった。
「え……な、なんで……そんなはずは…」
何故、盾が反応しなかったのかが分からず、アントワーヌはただ、呆然と盾を見つめることしかできなかった。
「お前、人を騙すのか……もういいわ、どっか行けよ」
中年男性は盾と鍵を投げ捨てると、今度こそドアを閉めにかかった。
「待ってください!! 」
アントワーヌは叫び、その場に跪いた。
中年男性の手は止まったが、アントワーヌを見向きもしない。
「どうした? 何かあるんだろ、早く言えよ」
「……」
呼び止めたもののアントワーヌは考えていなかった。
考えても何を差し出せばいいか分からなかったのだ。
「……いい加減にしろよ…」
「……! 」
中年男性の言葉に、アントワーヌは――
[アウト・ザ・ソード! ]
カシャ! シュコン!
盾と緑色の鍵を拾い、それらを使って緑色の柄の剣を縦から出した。
そして、自分の二つに結った髪のひと房を切り裂いた。
左側のひと束を切り裂いたため、今のアントワーヌの髪型は、右片側だけを結っている状態となっていた。
「盾から剣が……嘘じゃなかったのか…」
「俺の髪は珍しい黒い色……」
驚愕する中年男性に構わず、アントワーヌは切り裂いた髪束を両手で差し出した。
「この髪は俺の自慢であり、誇りです! 俺の誇りを差し上げますので、助けてください! お願いします! 」
アントワーヌは、地面に額がついてしまうほど頭を下げた。
「……はっ、賢い奴だと思っていたが、おまえは馬鹿だったようだな。髪なんかが金になるわけないだろ…」
そのアントワーヌの姿を見た中年男性は、そう言うと、外に出てイアンを抱え出す。
「だいぶ時間が経っちまっているが、こいつはまだ助かる。入りな、お嬢ちゃん。おれは騎士は大嫌いだが、馬鹿は嫌いじゃないぜ。あと、意地悪言って悪かったな…」
中年男性はそう言うと、イアンを抱えて家の中に入っていった。
「……ぐっ…ううっ……ありがとう……ございます! 」
アントワーヌは額を地面につけながら、涙を流した。
彼女が他人のことで涙を流したのは、これが初めてのことであった。




