百六十九話 夜襲
アントワーヌ達がゾーオント砦に辿り着いてから、次の日の夜。
「くそっ……」
暗闇の中、プレトは茂みの中に身を潜ませていた。
プレトの隣には、ラノアニクスもおり、彼女と同様に茂みの中に隠れている。
「グゥ……おまえ、ずっとそんな」
ラノアニクスは、苛立っているプレトを煩わしく思っていた。
「……半分獣の貴様には分かるまい。拙者の……騎士の精神は…」
「……? 分からん…」
ラノアニクスは首を傾げた。
「だろうな。お前達には理解できない。あの女も同じだ」
「あの女……ああ、アントワーヌのことか。ラノもあいつは大嫌いだぞ」
「なに? そうなのか」
アントワーヌが嫌われていると聞き、少し嬉しそうに顔を緩ませるプレト。
「それは、どういうところだ? 」
嫌っている理由が気になり、プレトがラノアニクスに訊ねる。
「あいつ、いつも何かを企んでる。ラノ、そこが気に入らない…」
「なるほど」
「でも、任されたことはやらなきゃダメ。だから、おまえもしっかりやる」
「ぐぬっ……分かっている! くそっ、拙者がこんなことをする羽目になるとは……」
プレトはしかめっ面になり、襲撃の合図を待つ。
ここは、ノブサル領の重騎士部隊の駐屯している場所、その北側に位置する弓兵部隊が駐屯している近くであった。
――数時間前。
朝早くにイアンとラノアニクスは、ノブサル領の弓兵部隊周辺の状況を知るために偵察へ出かけた。
その間、アントワーヌは夜襲を仕掛ける部隊の編成を考えていた。
「うぅむ…なかなか集まらないものだな……」
貸し与えられた砦の一室で、アントワーヌは首をひねる。
彼女はカレッドの騎士を勧誘していたが、一向に部隊の人数が増えることはなかった。
「当たり前だ! ここに夜襲などという姑息な手を使おうと思う者がいるわけがない! だから、拙者は反対したんだ! 」
プレトがアントワーヌに向かって、声を荒げる。
彼女は、夜襲という手段を姑息なものだと判断し、この作戦を反対している。
カレッドの騎士達は皆、プレトと同じ考えを持っていた。
従って、誰もアントワーヌの手を取らず、プレトのように夜襲と聞いて激昂する者が多い。
「騎士道を重んずる貴公等の姿勢は素晴らしいと思うのだが、こういった策も利用しないと、この戦いには勝てないぞ? 」
「うるさい。そんなことをしなくとも、我々はノブサルに勝てる」
「ほう? では、どのようにして、勝つことが出来るのか……聞かせてもらいたいですなぁ」
「それは…我々が磨き上げてきた技を以て戦えば勝てるのだ」
「そうだな。カレッドは騎士一人一人のレベルは高い。オリアイマッドの騎士達よりも強いかもしれんな」
「ふん! 分かっているではないか」
アントワーヌがカレッドの騎士を褒めると、プレトは胸を張ってふんぞり返る。
「で? 今回の戦いはどう切り抜ける? 」
そんなプレトに、アントワーヌは問いかけた。
「え? どう……? それは……矢が放たれる前に奴らを一掃して……」
「カレッドの騎士が強いといえど、ノブサルの重騎士達を容易に倒すことは出来ない。重騎士に苦戦している間に、また矢で射抜かれるぞ? 他に無いのか? 」
「他……えと……うーん…」
「はぁ……話にならんな…」
考え込むプレトを見て、アントワーヌはため息をついた。
「なんだと! 」
「いちいち、でかい声を出すなよ。お前は声を出すか、何も考えずに突撃することしかできんのか」
「ぐぬっ……くそう! 正々堂々と戦えば、我々が負けることは……」
プレトはアントワーヌに言い返すことが出来ず、顔を俯かせてしまう。
(ふん、ガキが…こいつに指揮を執られて騎士達も大変だな……いや、その騎士達もこいつと同じか。さて、どうするか…)
目の前で立っているプレトをよそに、アントワーヌがそう考えてると――
「失礼します。どうでしょうか? 部隊の数は増えましたか? 」
ルロルが部屋に入ってきた。
「おはようございます、ルロル様。数は、なかなか集まりませんね…」
アントワーヌがルロルに挨拶をすると同時に、部隊編成の進捗状況を伝えた。
「そう……なのですか。私が賛成の策であると、みんなには言ってあるのに……」
アントワーヌの答えに、肩を落とすルロル。
二人のやり取りを見ていたプレトが口を開く。
「姉上、皆このような姑息なやり方が気に入らないのです。どうか姉上もお考え直しを……」
「え……考え直すといったって……他に方法が無いよ…」
ルロルは視線を落とした。
その後、彼女はアントワーヌに視線を向けた。
「あの……そういえば、部隊はどれくらいの人数が必要ですか? 」
「敵の弓兵部隊の規模によりますが、最悪我々だけでもなんとかなるでしょう」
ルロルの問いに、アントワーヌは左腕に付けた盾を撫でながら答えた。
「……」
「……姉上? どうされましたか? 」
黙り込んでしまったルロルに、プレトが怪訝な顔で訊ねる。
すると、今まで伏せていたルロルが顔が持ち上がり――
「あの……私をその夜襲をする部隊に入れさせてくれませんか? 」
と、彼女は言った。
――現在。
「まさか、姉上が夜襲部隊に自ら志願するとは……」
茂みに身を潜めるプレトがそう呟く。
ルロルが夜襲部隊に入りたいと言った後、勿論プレトは反対した。
しかし、ルロルが意見を変えることが無かったため――
『あ、姉上には夜襲などやらせられませぬ』
『えぇ……じゃあ、プレトがやってくれる? 』
『……え? 』
というやり取りの結果、ルロルの代わりにプレトが夜襲部隊に入ったのだった。
結局、夜襲部隊はアントワーヌ、イアン、ラノアニクス、プレトの四人の構成になり、ルロルはプレトの代わりに本隊の指揮を執ることになった。
「……しかし、遅いな…」
茂みの中で、プレトがそう呟く。
彼女は今、アントワーヌからの合図が出るのを待っていた。
今、プレトとラノアニクスの前方には、ノブサルの弓兵部隊が駐留しているテント群があり、その向こうにはアントワーヌとイアンが身を潜めている。
アントワーヌの考えた策は、二手に分かれて、ノブサルの弓兵部隊を挟撃すること。
合図が出されれば、前方のテント群に攻撃を仕掛ける手筈であった。
「そもそも合図を出すと言っていたが、どういうものなんだ? 」
プレトは、合図がどのようにして出されるか知らなかった。
「おい、お前は何か聞いているのか? 」
プレトは、ラノアニクスに訊ねる。
「ギャウ? ラノ、知らない」
「知らないだと? ならば、どう判断――」
プレトがそう言いかけた時――
「……! 」
ラノアニクスの表情が険しくなった。
「ど、どうした? 」
獣人特有の動物的な獰猛さを発するラノアニクスに若干怯えつつ、プレトが訊ねた。
「戦いが始まった」
「なに? 馬鹿な…まだ、合図が出ていないぞ……む? 」
プレトがそう言った時、前方の景色に変化が現れる。
テント群から点々と明かりが灯りだしたのだ。
いくつかの明かりは動いており、人が松明を持ったまま移動していることが分かる。
「……まさか、あの明かりを目印に戦えと……」
プレトがそう呟くと、動いていた一つの松明の明かりが消える。
どうやらアントワーヌ達は、暗がりの中、明かりを頼りにしてノブサルの弓兵の位置を判断しているようであった。
「くそっ! 敵の明かりが灯るのが攻撃の合図ということか! 」
プレトは背中に背負っていた槍を手に持ち、茂みの中から飛び出した。
彼女に続いて、ラノアニクスも走り出す。
「ガオッ! おまえ、明るいところを狙え! 」
走りながら、ラノアニクスがプレトに言う。
「なんだ? どういうことだ!? 」
振り返らずに、プレトが訊ねる。
「ラノ、鼻が利く。暗いところにいるやつ、任せろ! 」
「匂いか……好きにしろ」
プレトがそう言った後、ラノアニクスは彼女とは別の方向に向かった。
「……この戦争の初陣が奇襲とは……」
プレトはそう呟きながら、松明の明かりを目指す。
近づいていくにつれ、松明を持つ人物の姿が顕になってきた。
プレトが接近した人物の装備は軽装で、重騎士のような頑強な鎧を身につけていなかった。
間違いなく、ノブサル領の弓兵であるが、暗がりで狙いを定められないと判断したのか、松明を持つもう一方の手には、刃渡りが短めの剣を持っていた。
今、その弓兵はプレトが接近していることに気づいておらず、確実に仕留められる絶好の機会であった。
しかし、プレトは弓兵の二十歩程前で足を止めた。
「よし……おい、そこのお前! 」
「……!? お、おまえは、ルロル・オルヤール!? 」
プレトの呼びかけに、振り返った弓兵が驚きの表情をする。
ルロルと外見が瓜二つであるため、プレトのことをルロルであると思っていた。
「違う! それは、拙者の姉の名だ。拙者の名はプレト・オルヤール。奇襲しといてなんだが、お前に真剣勝負を申し込む」
プレトはそう言った後、手に持った槍を構え、戦闘態勢に入った。
彼女が構える槍は、長い柄の先に刃が付いている従来の槍そのものである。
夜襲という敵の隙を突いた策の中にいながらも、プレトは自分の信念を貫こうと、弓兵に自分の存在を明かしたのだ。
「ほざけ! 夜襲など、卑怯な手を使いおって! 」
激昂した弓兵は、プレトに一太刀入れるべく、剣を振り上げる。
「シッ! 」
その一瞬の間に、プレトは片足を前に踏み出し、槍を弓兵に向かって突き出した。
「がっ―!? 」
弓兵の動きが、剣を振りかぶった状態のまま動かなくなる。
プレトの突き出した槍は、弓兵の喉を貫いていた。
「この程度……弓兵の剣術など高が知れている…」
プレトが槍を引き抜くと、弓兵は前のめりに倒れだした。
弓兵が絶命したことを確認すると――
「カレッド領 領主の妹 プレト・オルヤールは、ここにいるぞ! 」
プレトは大きな声を上げた。
プレトとは別の所で松明の炎が消える。
そこでは、イアンが戦斧を振るい、ノブサル領の弓兵を倒したところであった。
「……」
彼の耳にもプレトの声は聞こえており、イアンはその方向に目を向ける。
すると、離れた所に松明の炎が集まっていく光景が目に入った。
集まった松明の炎の明かりで、そこにプレトがいることが分かる。
「誘導……いや、単にプレトとかいうやつの性格か。一人で大丈夫だろうか…」
イアンはそう呟いたが、集まった松明の炎は次々と消えていく。
「……問題ないか。アントワーヌはともかく、ラノアニクス心配だな…」
イアンは、ラノアニクスについて懸念していることがあった。
それは、ネアッタン島の遺跡内で現れたラノアニクスの凶暴性である。
あの時は、ラノアニクスが一人で戦っている状況であり、今と似たような状況であった。
「また、ああなってしまえば、アントワーヌ達に襲いかかるだろうな……あいつと合流した方が良さそうだが……」
イアンはラノアニクスの姿を探すため、辺りを見回すが視界が暗いのか、彼女の姿を見つけることは出来ない。
「あいつは鼻が良いから、松明を持たない者……明かりの無い所に行ったか。南にはアントワーヌがいるから……」
イアンが北の方に顔を向ける。
そこの辺りに、松明の明かりは全く無く、暗い場所になっていた。
「こっちにいそうだな」
そう呟くと、イアンは北の暗がりを目指した。
足元に注意を払いながら、小走りで北に進む中、微かに人の姿がイアンの視界に映った。
目を凝らせば、その人物はノブサル領の弓兵であることが分かった。
「北は確か…ノブサル領側だったか。ここで逃すと、まずいことになるか」
イアンは弓兵を倒すべく、徐々に近づいていくが――
「ぎゃああああ! 」
悲鳴と共に、崩れ落ちる弓兵の姿を目撃した。
暗がりで分かりにくいが、剣や槍等の武器を用いた倒し方でないと判断することが出来る。
つまり――
「ラノアニクスの仕業……むっ! 」
弓兵を倒したのはラノアニクスで、次に彼女はイアンに襲いかかった。
ラノアニクスに組み敷かれ、イアンは地面に仰向けの状態で押さえつけられる。
「ガアア……」
「くっ……オレの匂いも分からないのか……」
イアンを見る彼女の目は獰猛なもので、以前と同じように聞く耳持たない様子であった。
「もうリュリュスパークは使いたくない。どうしたものか……ん? 」
ふと、イアンが横に目を向けると、そこには弓兵が倒れていた。
「こいつは……さっきの奴じゃあないな。こいつも……周りの奴ら全員お前が殺ったのか? ラノアニクス」
イアンが目の前のラノアニクスに問いかけるが、彼女は答えない。
そこの一帯に弓兵の死体が散らばっているのをイアンは気づいたのだ。
遠くの死体の状況は分からないが、左右の死体で体の損傷具合が著しく違うのが分かる。
「そうか。おまえは殺しすぎると、凶暴になってしまうのか…」
イアンは、ラノアニクスが凶暴になってしまう引き金がそうであると判断した。
(獣人特有の何かか。厄介だ…戦っているうちに、こいつは暴走するということ。だが、草原での魔物退治で、多くの魔物を倒した時は普通だった。たまにということなのか? )
体を押さえつけるラノアニクスに抵抗しつつ、イアンが考えていると、気づいたことがあった。
(そういえば、さっきの奴はすぐに殺されたが、オレは組み敷かれたな )
イアンは、自分がすぐに殺されなかったことに気づいた。
疑問に思いながら、イアンはラノアニクスの顔をよく見てみた。
すると、獰猛な表情から苦悶の表情に変わっている時が時折見受けられた。
(自分の暴走に抵抗しているのか。ならば、ラノアニクスが打ち勝つまで待つしかないな…)
イアンはそう思い、ラノアニクスが正気に戻るのを待つことにしたが――
「う、うわっ!? こんなところに……敵か!? お前達は!? 」
二人の元に、ノブサル領を目指していた弓兵が現れた。
「こんなときに…」
イアンが苦い表情を浮かべ、弓兵に顔を向ける。
「くそっ! カレッドのガキ共、よくもやってくれたな! 」
弓兵はそう言いながら、腰の鞘から剣を抜き、ラノアニクスごとイアンを突き刺しにかかる。
「くっ…」
イアンは咄嗟に、ラノアニクスを巻き込みながら、横に体を回転させる。
ラノアニクスは凶暴性に抵抗しているため、容易に転がることができ、弓兵の剣を躱すことができた。
「よし。悪いな、そう簡単には殺られないぞ」
転がったことで、イアンはラノアニクスの上になり、立ち上がることができた。
「グッ……ウウッ! 」
ラノアニクスは、顔を引きつらせたまま動かない。
しばらく、彼女は動けないと判断したイアンは、持っていた戦斧を弓兵に振り下ろす。
ガッ!
弓兵は剣でイアンの戦斧を受けた。
「……!? やるな」
「こっちも、簡単に殺られるわけにはいかないんだよ! 」
「ぐっ…く…」
イアンの戦斧が弓兵の剣に押される。
キィン!
弓兵の剣に戦斧を弾かれ、イアンは大きく仰け反ってしまう。
「なっ!? 」
「しめた! 」
その一瞬の隙を突いて、弓兵がイアンに斬りかかる。
イアンは命の危機を感じ、残されるラノアニクスを案じて、後ろに振り向いたが、そこにラノアニクスの姿は見えなかった。
「ギャアアア!! 」
彼女がいたのは、剣を振りかぶる弓兵の側面の空中であり――
「ぐっ…ぅえ!? 」
その状態から、体を回転させながらの蹴りが放たれた。
跳躍からの蹴りであったようで、弓兵は勢いよく飛ばされる。
「フゥ……フゥ…」
着地したラノアニクスは、息を荒げながらその場に立つ。
「ラノアニクス……助かった。充分だ、おまえは休め」
イアンは彼女に近づき、地面に座るように促す。
ラノアニクスはイアンに返事をしなかったが、彼の言うことを聞き、地面に腰を下ろした。
「ふぅ…なんとかなったようだな。後は、ラノアニクスの代わりにここに来た弓兵を倒すとするか」
イアンはラノアニクスの前に立ち、向かってくる弓兵に備えて、戦斧を握り締めた。