百六十八話 騎士の精神と領主の思い
カレッド領 首都マージエルドの北には、ゾーンオントという砦がある。
そこは、カレッド領の北部にある砦の中で一番大きく、そこにカレッド領の本隊が駐留していた。
空が赤く染まる頃、そのゾーオント砦を目指して、馬を走らせる者がいる。
「暗くなっちゃう……急がないと…」
ゆっくり沈む夕日を見つめ、馬に乗る者が弱々しく呟いた。
馬に乗っている人物は、カレッド領の領主であるルロル・オルヤールであった。
本隊の指揮を妹であるプレトに任せていたが、心配になって駆けつけている最中である。
まだ伝令兵びよる状況報告を聞いていないが、ルロルには悪い予感がしていた。
「あ……もうすぐ着く…」
馬に乗るルロルの目に、ゾーオント砦を囲う塀の門が見える。
そして、彼女がその門の近づくと――
「ん? ルロル様!? 」
門の前にいた番兵がルロルの存在に気づいた。
「あ、あの…門の中に入れさせてください…」
ルロルが番兵に近づき、そう言った。
彼女は馬上であるにも関わらず、若干顔を伏せているせいか、上目遣いをしているように見える。
「…………あっ! はい、分かりました。開門! 」
番兵の声で、砦の門が開き出す。
「しかし、何故あなたがここに? 」
番兵がルロルに訊ねる。
「え? えーと……い、嫌な予感がしたから……」
ルロルはそう答えたが、彼女の声は消え入りそうな声であったため――
「…………すみません…もう一度、お願いします」
番兵の耳に届かなかった。
「……!? ううっ……」
ルロルは、また小さい声を出してしまったと自分を責めてしまい、涙目になる。
声が届かないのはこれが初めてのことではなく、一回で彼女の声が他人に伝わることは滅多にない。
彼女自身そのことを気にしているのだ。
「あっ…ああっ! そういうことですか! 分かりました。どうぞ、中へ入ってください! 」
ルロルの涙目を見た番兵は、慌てて中へ入るよう彼女に促した。
結局、彼はルロルの言ったことが分からず、分かったふりをしていた。
門の中に入ったルロルは馬小屋に馬を入れた後、砦の中に入った。
ゾーオント砦はその昔、城として作られていたため、役割は砦であるが、城に近い外観を持っている。
内装も城として作られていたため、様々な役割を持った部屋が多く存在したが、今は部屋の大半が騎士の兵舎として使われている。
その数々の部屋の一つである一室を目指して、ルロルは砦の廊下を進んでいた。
「プー……プレト、入るよ」
ルロルは、目的の部屋の前に辿り着き、ドアを開けて部屋の中に入る。
「姉上……来たのですか…」
部屋の中にいたプレトがそう呟いた。
ルロルはプレトの部屋に入ったのだ。
彼女が来ることを知らされていなかったプレトは、少し目を見開いている。
「ごめんね。心配で…来ちゃった…」
「……別に…姉上は領主なのですから、気にしなくても…」
申し訳なさそうにするルロルの元へ歩み寄りながら、プレトはそう言った。
「うん……そ、それで、やっぱり何かあった? 」
「……」
ルロルの問いに、プレトは思わず口を閉ざしてしまう。
実際プレトは今、問題を抱えていた。
その問題は自分で解決しようと思っていたため、ルロルには言うつもりはなかった。
しかし、彼女はプレトの姉である。
会っただけで、妹であるプレトのただならぬ雰囲気を察したのだ。
プレトは自分が問題を抱えていることをルロルに感づかれてしまい、バツの悪い気分であった。
「……」
ルロルも口を閉ざし、プレトをじっと見つめ始める。
「……はぁ…」
そのルロルの様子に、プレトはため息をついた。
(いつも……誰に対しても、このような態度を取れれば……)
ため息をつきつつ、プレトは心の中でそう思っていた。
こうなったルロルは喋るまで動かないのをプレトだけが知っているのだ。
「前線の指揮は任せろと言った手前……情けないことに拙者の指揮する本隊は劣勢です」
プレトはそう言いながら、部屋のドアに手をかけた。
「ついて来てください。あまり見せたくはないのですが、目で見たほうがわかりやすいので…」
プレトはドアを開き、部屋の外に出た。
ルロルも彼女に続いて部屋の外に出た後、廊下を歩くプレトの後についていった。
しばらく、砦の廊下を歩いた後、プレトは部屋のドアの前で立ち止まった。
そのドアは両開きになっている。
「ここです。中に入りますよ」
ルロルにそう言うと、プレトはドアを開いた。
「……! これは……」
部屋の中を見たルロルが驚きの声を出す。
この部屋は大広間であり、部屋の中には沢山の包帯で巻かれた人々が横たわっていた。
床に敷かれた布の上でぐったりとしており、一目で百人は超えていることが分かる。
「え? みんな、強い人ばかり!? ノブサルの騎士達にやられちゃったの? 」
ルロルは、部屋の中で横たわる数人の人物を見て驚愕する。
その者等は、カレッド領の中でも上位の実力を持つ騎士達であった。
「……はい。ですが、彼らは戦っておりません」
「……? どういうこと? 」
プレトの発言にルロルは首を傾げた。
「奴ら……ノブサルは重騎士の部隊で壁を作り、その後ろに弓兵の部隊を配置していたようで、重騎士の部隊へ向かっていた彼ら……本隊の突撃部隊は、重騎士の部隊後方から放たれた矢の雨を受け……半数が死亡…生き残った者は、皆この部屋にいます……」
悔しげにプレトは答えた。
部屋の中に横たわる彼らが属していた本隊の突撃部隊は、ノブサル領の騎士達に一撃も与えることなく、矢の雨に射抜かれたのだ。
プレトは、重騎士の部隊の後方に弓兵の部隊がいることを見抜けなかったことを悔やんでいた。
「重騎士の鉄壁と弓兵の後方射撃……い、嫌な予感が当たってしまった……」
プレトの話しを聞き、ルロルは頭を抱えた。
「姉上……」
「プレト……あなたは、これからどうするつもりなの? 」
「……矢の雨を躱せる者で部隊を編成し、突撃させます」
「む、無茶だよ。矢の雨を避けながら戦うのは…」
「では、敵の矢が尽きるのを待ち、尽きたところで突撃を……」
「良い……と思ったけど、待っている間に重騎士の部隊に追い詰められちゃうよ」
「むむむ……近づけさえしたら、こちらのものなのに…」
案が尽きたのかプレトは腕を組み、顔を伏せてしまう。
「プレト……このままでは、私達は負けてしまいます…」
「なっ……!? そんなことはありえませぬ! 我々は強いのです! ノブサルになんかに負けません! 」
プレトはルロルに詰め寄りながら、まくし立てる。
「ううっ……強いのは分かってる。でも、それだけじゃ勝てないの…」
詰め寄るプレトから逃げつつ、ルロルはそう言った。
「強いだけでは勝てない? 」
「うん…プレトも分かっているはず……相手は陣形や作戦を使ってくる。私達も同じ……いえ、ノブサル領以上の効果的な陣形や作戦を考えないと……」
「う……」
プレトは言葉を詰まらせた。
ルロルの言う通り、プレトは頭のどこかで今のままでは勝てないことを考えていた。
しかし――
「い、いえ、勝てます! 我々はそんな姑息な手段を取らずとも、ノブサルに勝つことができます! 」
それを認める訳にはいかなかった。
認めてしまえば、カレッドの強さを否定してしまうと、プレトは思っているのだ。
「ぐっ……ルロル様…プレト様の言う通りです…」
「我々は…誇り高きカレッドの騎士……」
「……代々受け継がれてきた技を以て、必ずやカレッドに勝利を…」
横たわった騎士達がルロルにそう言った。
彼らもプレトと同じ思いであり、矢の雨を受け負傷していても、その思いが変わることはなかった。
「うっ…みんな……でも……」
ルロルがプレト達の気持ちに圧されつつ会った時――
「ルロル様ーっ! 」
一人の騎士が廊下を走ってきた。
「何事だ! 領主である姉上の前で騒々しい! 」
「も…申し訳ございません! 」
プレトに叱責され、騎士がルロルに頭を下げる。
「え…い、いえ、お構いなく……それで、何があったのですか? 」
「はっ! オリアイマッドからの援軍を名乗る者が、砦の南門に来ております」
「……!? 」
「援軍だと? ようやく来たのか……って、姉上!? どうしたのですか、姉上ーっ!」
騎士の報告を聞いた瞬間、走り出したルロル。
プレトは慌てて、彼女を追いかけ始めた。
(やっと……やっと、来てくれましたぁ。今、私が頼れるのはあなた方なのです! )
待ちわびていた時がようやく訪れ、ルロルは一目散に南の門へ向かう。
「門を開けてくださーい! 」
ルロルは走りながら、門の前に立つ騎士に呼びかける。
「え!? よろしいのですか? 」
「はい! 早く、早く! 」
ルロルは門の目に辿り着き、待ちきれないのか激しく足踏みをする。
「は…はぁ…か、開門! 」
この時のルロルの様子に動揺しつつ、騎士が声を上げる。
騎士の声で、門がゆっくりと開いていく。
「はぁ……はぁ……姉上…オリアイマッドの騎士に……そんな期待を……」
ようやく門に辿り着いたプレトが、息を荒げながらルロルの隣で膝につく。
そして、門が開き、彼女達の前に現れたのは――
「さて、ようやく中に入れてもらえたな」
「ふむ、塀の中もやはり広い…」
「ギャウ! 」
アントワーヌとイアンとラノアニクスの三人であった。
「…………三人? 少なすぎる…これでは援軍とは呼べないぞ。おい! アントワーヌとやら、どういうことだ! 」
プレトが肩を怒らせながら、アントワーヌに近づく。
「ん? プレトか…ルロルはどこにいる? 」
「拙者の質問に答え――ろえっ!? 」
アントワーヌに詰め寄っていたプレトだが、後ろから来たルロルに押しのけられる。
「よくぞ……よくぞ、来てくれました…」
プレトを押しのけたルロルは、アントワーヌの片手を手に取り、両手で優しく包み込む。
そして、ルロルは潤んだ瞳でアントワーヌの顔を見つめた。
「あ……姉上……」
押しのけられたプレトは、見たことのない姉の姿に放心していた。
「あ……ああ…貴方がカレッド領の領主のルロル様…ですね。こんな少人数で申し訳ない…ですが、オリアイマッド領より援軍として参りました。私はこの部隊の隊長であるアントワーヌ・ルーリスティです…」
アントワーヌは、予想打にしなかったルロルの反応に戸惑いつつ、ルロルに挨拶をする。
今の彼女は不敵な笑みを浮かべておらず、本当に戸惑っているのが見て取れる。
「す、少ないなんてとんでもない! こうして、来てくださっただけでも心強いです。ささ、アントワーヌ殿、こちらへ」
ルロルはアントワーヌの服の袖をグイグイと引っ張っていく。
(これは、どういうことだ? こいつは、気弱な性格ではなかったのか!? )
困惑するアントワーヌはされるがまま、ルロルに引っ張られていく。
彼女にしては珍しく、他人のペースに流されていた。
「……あっ! 姉上ーっ! 待ってくださーい!」
放心していたプレトがようやく我に返り、ルロルとアントワーヌの後を追っていく。
「何が…」
「なんだか……グゥ…」
取り残されたイアンとラノアニクスはしばらくの間、そこに立っていた。
「「えっ!? 」」
砦にある一室に二人の驚きの声が響く。
砦に辿り着いたアントワーヌ達は、プレトの部屋に案内された。
そこで、アントワーヌはここに来るまでのことを話していた。
驚きの声を上げたのは、ルロルとプレトであり、カレッド領最北西の砦での戦いの話しを聞き、二人は驚いたのだった。
「そうですか……なら、早速増援部隊を編成し、北西部の守りの強化をしとかないと…」
アントワーヌの話しを聞き終わった後、ルロルはそう言った。
「そうですね……って、姉上! こいつが砦を焼いたことには何もないのですか? 」
プレトがアントワーヌを差しながら、ルロルに訴えかける。
「人に指を差すとは、失礼なやつだ」
不敵な笑みを浮かべながら、アントワーヌが口を出す。
「うるさい! あの砦は古くからカレッドの地に建つ砦であって、我々が代々――」
「プレト、少し静かにしてね」
「ぐぬっ……!? 」
ルロルに黙るよう促され、プレトは顔を歪ませつつ姉の指示に従う。
「その戦いで負傷者は? 」
「いません。奴らノブサル領の連中が油断していたおかげでしょう」
ルロルに訊ねられ、アントワーヌはそう答えた。
「そ、そうですか。砦が犠牲になったのは残念ですが、負傷者を出さないとは、流石です」
負傷者が出なかったことを聞き、アントワーヌを賞賛するルロル。
「ありがとうございます。それで、本隊に合流したことですし、これから我々は、あなた方の指示に従います」
アントワーヌがルロルの顔を見つめながら言った。
「あ……えと…そうなります…ね…」
ルロルの答えは歯切れの悪いものであった。
指示を聞くと言ったアントワーヌに対し、どう指示をすればいいの分からないのだ。
しかし――
「今、ここに駐留している本隊……いえ、カレッド領は危機に陥っています。どうか、この危機から我々をお救いください」
アントワーヌ達に願いたいことはあり、ルロルは頭を下げた。
「……!? 姉上!? 」
頭を下げたルロルに、驚くプレト。
「頭を下げる必要はありません、ルロル様。援軍に来た以上、それは当然のことでございます。とりあえず、今の状況を聞かせてください」
頭を下げるルロルに対し、アントワーヌはそう答えた。
その後、ルロルはプレトにノブサル領の部隊と戦ったことを話させた。
「ふむ……やはり、ここも同じか…」
話しを聞き終えたアントワーヌがそう呟いた。
「重騎士も厄介ですが、まず後ろの弓兵の部隊をどうにかしないといけません」
「や、やっぱり、そうお考えになりますよね。でも、どうすれば良いのでしょう? 」
ルロルがアントワーヌに問いかける。
「……一応、策を思いつきましたが、まだ動くには早いです。まず、敵の部隊の状況を把握するために偵察しましょう」
「偵察? そんなことをしてどうする? 」
アントワーヌの答えに疑問を持ったプレトが彼女に問いかける。
「弓兵部隊を叩くのに、色々と情報がいるのだ。イアン、行ってくれるか? 」
プレトの問いに答えた後、アントワーヌはイアンにそう訊ねた。
「構わない。ラノアニクスも連れて行くぞ」
「ああ。そうだな……明日の早朝に出発してくれ」
「分かった」
アントワーヌの言葉に、イアンは頷いた。
「色々と情報がいるのは分かる。それで、何をするというのだ? 」
再び、プレトがアントワーヌに問いかけた。
「ふふっ、弓兵の部隊に奇襲……いや、夜襲を仕掛けるのだ」
アントワーヌは頬を吊り上げながら、そう答えた。
2016年5月23日――誤字修正
といあえず、今の状況を聞かせてください → とりあえず、今の状況を聞かせてください