百六十七話 草原を走る炎
重騎馬部隊を灼き、隊長騎士が砦から去った頃。
アントワーヌ達と数名のカレッドの騎士達は、砦から北の辺りの平原にいた。
草原には遮蔽物が少ないため、地面に穴を掘り、彼らはそこに身を潜めていた。
「重騎馬は潰したな。恐らく、次は重騎士達がやってくるぞ」
穴から頭を出し、南の方角を見たアントワーヌが呟いた。
彼女の視界の奥に、小さく輝く赤い光が見えたのだ。
「砦を燃やしてしまって良かったのか? 」
穴の中で腰を下ろしているイアンがアントワーヌに訊ねた。
そこには、ラノアニクスもおり、穴の中にはアントワーヌ、イアン、ラノアニクスの三名が身を潜めている。
彼女達と同様に、カレッドの騎士達も数名に分かれており、転々とした位置で身を潜めていた。
「ああ。砦を使用されるのが問題なのだ。無くしてしまえば問題は無くなる」
イアンの問いに、アントワーヌはそう答えた。
「次、攻められたらどうする? 」
「ここで大部隊を叩くのだ。警戒して、攻めに来ることはないだろう。一応、増援を手配するつもりだがな」
「……そうか」
イアンはそう返事をすると視線を下げ、何も無い地面に目を移す。
「……? どうした、イアン? 」
そんなイアンの様子を見たアントワーヌは、何事かと彼に訊ねた。
「なぁ…殺す必要は無いのではないか? 」
「……何を言い出すかと思えば、そんなことか…」
イアンの言葉を聞き、アントワーヌは間の抜けた表情をした。
「奴らも同じ国の者だろう? 何も殺す必要は無いのではないか… 」
「イアン、おまえは魔物と戦った時、奴らを生かしているのか? 」
アントワーヌがイアンに問いかけた。
「……生かすことはない」
「それは何故だ? 」
「殺らなければ、こちらが殺られる…からだ」
「そうだろう。この戦いも同じことだ。殺さなければ、殺されるのだ。同じ国の者……人間だろうと、情けはいらん」
アントワーヌはそう言った後、穴の中から頭を出し、草原の見回し――
「……来たな。あいつらを殺すぞ、イアン」
と、振り返ることなくイアンに言った。
「……行くぞ、ラノアニクス」
「……わかった」
アントワーヌに返事をする代わりに、イアンはラノアニクスと共に穴を抜け出した。
穴から抜け出した二人が見たのは、草原を進む重騎士の大部隊であった。
重騎士一人一人が、鈍重な鎧を身につけており、片手に大盾を持ち、もう一方の手は円錐状に伸びた槍を持っている。
重騎士大部隊は南を目指しており、イアンとラノアニクスがいる方へ向かっていた。
イアンとラノアニクスは、重騎士の大部隊に目掛けて走り出した。
「 敵襲! 敵襲ーっ! 」
重騎士の一人が二人の存在に気づき、部隊に号令を出す。
その号令を聞き、重騎士達は一斉に二人へ槍先を向けるが――
「なっ…敵襲! 敵襲ーっ! 」
「こちらも! 」
「後方からもです! 」
部隊のあちこちから、敵襲を知らせる声が上がった。
重騎士の大部隊に迫っているのは、イアンとラノアニクスだけではない。
カレッドの騎士達も数名が穴から飛び出し、左右後方から重騎士の大部隊に迫っていた。
「守りを固めろーっ! 」
一人の重騎士の号令で、周りの重騎士達が一斉に動き出す。
重騎士達は、より一層隊列を密集させ、外側に体を向けた。
隙間なく重騎士達の大盾に守られ、大部隊は鉄壁の要塞と化した。
これが、ノブサル領の重騎士が得意とする密集陣形である。
敵の攻撃を一切受け付けず、近づいた者を一斉に槍で突き刺すのだ。
四方から迫る敵に備え、密集陣形になったノブサルの重騎士達だが――
「……なに? 」
彼らの大盾が攻撃を弾き、槍が敵の体を貫くことは無かった。
迫っていたイアン達は、重騎士達に攻撃を加えることなく、彼らの槍が届かない所で停止したのだ。
ヒュ! ヒュ!
どいうことかと訝しんでいる彼らは、何かの風切り音を耳にした。
「……!? 上だ! 矢が降ってくるぞ! 」
重騎士の一人が、上空から飛来する矢に気がついた。
彼の声に反応し、重騎士達は大盾を上に掲げる。
その矢の数々は微々たるもので、すぐに矢の雨は止んだ。
「なっ……これは!? 」
大盾を下ろし、視線を下げた重騎士達の目に映ったのは、自分達の周りを囲む炎であった。
先程まで、重騎士達に迫っていたイアン達の姿も消えていた。
事は矢の雨は降っている間に動いていた。
まず、矢の雨を降らせたのは、他の穴に隠れていたカレッドの騎士達だった。
この矢の雨は攻撃が目的ではなく、重騎士達の目を逸らさせるのが目的であった。
その間に、重騎士達へ迫っていたイアン達は退避し、重騎士達の周りの草に火をつけたのである。
「さあ、最後の仕上げだ。炎を仰げ! 」
穴から出たアントワーヌが号令を出した。
その号令により、大きな扇を持ったカレッドの騎士達が潜んでいた穴から現れ、炎を取り囲むように並び立つ。
そして、四方八方から扇を仰ぎだした。
扇によって生まれた風により、炎は勢いを増しながら重騎士達に迫っていく。
「しまった! 奴らの目的は、我々を炎で焼き尽くすことであったか! 」
重騎士の一人が声を上げた。
彼の言った通り、アントワーヌは重騎士の大部隊を炎で焼き尽くす策を考えていた。
イアン達を接近させたのも、矢の雨を降らせたのも、全ての行動がこのためだけにあった。
「このままでは、焼かれる! 」
「早く外へ! 」
重騎士の数名が外を出ようとするが――
「ぐっ!? お、押すな! 」
密集しているせいか、うまく動くことが出来なかった。
「熱っ! ぐおおおお…」
しかし、隊列から抜け出し、炎の中へ進むことができた者がいた。
「はぁ…はぁ……助かった…」
その者は炎の熱に耐え、炎の中から逃れることが出来たが、彼の元にカレッドの騎士が剣を構えて接近する。
「うあっ!? ああっ!! 」
炎の熱により満身創痍の状態であったため、まともに動くことができず、兜の隙間から剣を突き刺される。
炎の中から生還することができても、そこにいるのはカレッドの騎士。
隊列を組んだ団体戦ではノブサル領に劣るが、一体一で対応する各個撃破においては秀でていた。
重騎士達の生き残る術は無く、炎に灼かれるか、カレッドの騎士の手に掛かるかのどちらかの死に方を選ぶしかなかった。
――数十分後。
草原に大量の鎧が転がっていた。
鎧の多くは炎の熱で大きく歪んでおり、中にいる者の生死は確かめるまでもない。
そんな焼死体を眺めていたアントワーヌは、頬を吊り上げ――
「ふふっ、わざわざ言うまでもないが、この戦い…我々の勝利だ。勝どきを上げよ! 」
と、周りのカレッドの騎士に向かって声を上げた。
しかし、アントワーヌと共に声を上げる者はいなかった。
皆、腑に落ちないといったような表情で、ただ重騎士達の焼死体を見つめている。
「……なんだ? 勝ったのだぞ? もっと喜ばないのか? 」
「……勝つことはできたが、騎士としての戦いでは無かった…」
一人の騎士がアントワーヌに答えた。
他のカレッドの騎士達も同じ気持ちのようで、一人の騎士の言葉に頷いている。
「騎士として……まだ言うか。これは、お前達の得意な試合では無い。戦争だぞ? 勝った者が正義だと言ったはずだ。そんなものを大事にしていては、ノブサルに勝つことはできない」
「……貴公には、騎士としての精神はないのか? 」
カレッドの騎士がアントワーヌに訊ねる。
「ある……が、お前達とは少し違う。まずは勝つことが最優先。やることをやってから、そういうのを語るのだ」
アントワーヌはそう答えた。
続けて、彼女の口が開かれる。
「負けてしまっては、騎士の精神だのと語ることはできんぞ? こうして、死傷者は出ず、カレッド領を守ることができたのだ。この勝利を共に喜び合おうではないか」
アントワーヌはそう言うと、鞘から剣を抜き――
「勝どきを上げよ! 」
と、再び声を上げた。
先程は誰も声を上げる者はいなかったが、今回は次第に声を上げる者が増えていき――
「「「おおーっ! 」」」
全員がアントワーヌと共に声を上げるようになった。
「……」
イアンは、彼らの様子を離れた所から見ていた。
「イアン、どうした? 」
彼の隣に立つラノアニクスがイアンに訊ねる。
ただならぬイアンの様子に気がついたのだ。
「……オレが言うのも何だが、これでいいのだろうか…」
イアンは神妙な顔つきで、そう呟いた。
「ラノ、わからない。アントワーヌ、間違っているのか? 」
「さあな。間違っていると言ったわけではない。ただ、これでいいのかと思うだけ……と、これを問いかけるのは、アントワーヌだけではないかもしれん…」
イアンはそう言った後、空を見上げた。
ラノアニクスも彼と同じように空を見上げたが、やはりそこには何も無かった。
――昼頃。
アントワーヌ達は、カレッドの騎士達と共に隊長騎士達と合流していた。
そこは、焼き払った砦から南の位置で、テントを張り、簡易的な駐屯地になっていた。
「本隊が駐留しているのは、ここから北東に位置する砦だ。他のものより大きな砦ゆえ、すぐに見つけることができるだろう」
駐屯地の端で、隊長騎士が目の前のアントワーヌに言う。
彼女の後ろにはイアンとラノアニクスがいた。
「ああ。一応、ここ一帯の守りを強化するように言っておく。時期に増援がやって来るだろう」
アントワーヌが隊長騎士にそう言った。
「助かる……が、砦を焼いたことに関してはどうするつもりだ? 」
「どうするつもりもない。なに、分かってくれるさ」
アントワーヌは不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「そうか……では、そろそろ行くがいい。なかなか距離があるぞ」
「ああ。また戻ってきたら、よろしくな」
「結果的に貴公には助けられたが、貴公の元で戦うのは、もう懲り懲りだな」
隊長騎士が疲れたような表情をした。
「ははは! 言ってくれる。ではな」
アントワーヌは隊長騎士に笑いかけると、踵を返して歩きだした。
イアンとラノアニクスも彼女に続いて歩き出す。
アントワーヌ達は、本隊が駐留しているとされる砦を目指した。
「アントワーヌ」
その道中、イアンがアントワーヌに声を掛けた。
「なんだ? 」
アントワーヌは肩ごしに振り向いた。
「おまえには、カレッド領のため…オリアイマッド領のため…といったような雰囲気を感じない。なんのためにここに来た? 」
「ははっ! なんのためか…イアン、そこまで気づいたのなら、もう分かっているだろう? 」
イアンの問いに、アントワーヌは笑いながら体をイアン達の方に向ける。
「……自分のためか…」
「ああ、その通りだ。俺は自分の名を上げるためにここに来た」
「名を上げてどうする? 」
「前に俺の旧姓について言ったろう? 俺はオルヤール家を復興させるのが野望だ。この戦争は、その野望を叶えるために利用させてもらう」
アントワーヌはそう言った後――
「協力してくれよ? イアン」
イアンに向けて、不敵な笑みを浮かべた。




