百六十五話 微々たる援軍
マージエルド――
カレッド領の中心部に位置する領地の首都である。
マージエルドはカレッド領の町の中でも、一際多くの古い建物が残されており、建国時から町並みが変わっていないとされている。
昔から首都であったため、古い建物といえど立派な造りのものばかりであった。
故に、現在でもマージエルドに務める役人や騎士の住まいや仕事場に利用されている。
マージエルドの中心には、古いながらも立派な砦が存在する。
そこは、代々領主の住まいとして利用され――
「……ようやく着いた…」
今、一人の少女が砦に足を踏み入れようとしていた。
少女は門の前で砦を見上げている。
「あ、お帰りになられましたか」
門の番をしていた騎士がその少女に気づき、声を掛けた。
「ああ。姉上は出かけていないか? 」
「はい。本日、領主様がお出かけになる予定はございません」
「分かった。通してくれ」
「はっ! 開門! 」
騎士の声で、門がゆっくりと開き出す。
門が完全に開くと、少女は砦の中を目指して歩きだした。
使者として、オリアイマッドの領主であるユニスの返事を聞いたプレト・オルヤール。
彼女は、その日の夕方にオリアイマッド領からカレッド領へと帰ってきていた。
「入ります、姉上」
砦の最上階に辿り着いたプレトは、そこの階の一室のドアを開いた、
その部屋は彼女の姉で――
「あ…プーちゃん」
領主 ルロル・オルヤールの部屋である。
彼女は椅子に座って書類に目を通していたが、部屋に入ってきたプレトに気がつき、顔を上げた。
「げっ!? ま、まずい! 」
プレトは部屋のドアから顔を出し、廊下に誰もいないことを確認すると――
バタンッ!
勢いよくドアを閉めた。
「はぁ……姉上、誰もいなかったから良かったものを…」
プレトはずるずるとドアにもたれかかる。
「……? どうしたの、プーちゃん? 」
ルロルはプレトを不思議そうに見つめる。
「……二人きりの時は……まぁ、いいでしょう。ですが、皆の前で拙者をそう呼ぶのはやめてください」
「可愛いと思――」
「やめてください! 」
「ひっ!? ごめんなさい! 」
プレトの声に慄き、ルロルは机の下に隠れてしまう。
「ああ…そこまで怯えなくても……はぁ…」
プレトは、少し声を荒らげただけで怯えてしまった姉に対し、ため息をついた。
ルロルは、プレトと全く同じ容姿をしているが、性格だけは対称的と言えるほど異なっていた。
彼女は自分の妹にさえ怯えしまうほど気の小さい性格であった。
「気をつけてくれれば、いい話です。もう大きい声を出さないので、出てきてください」
プレトは、目の前の机の下で震えているであろうルロルに声を掛ける。
「…………ううっ…」
しばらくした後、体を震わせながらルロルが這い出てきた。
「……」
妹の目から見ても無様であった。
「コホンッ……姉上、オリアイマッドの返事を聞いてまいりました」
「返事……どう…だった? 」
椅子に座り直したルロルが訊ねる。
まだ彼女は、体を震わせている。
「……オリアイマッドは静観する――」
「ああっ! そんな!! 」
ルロルは頭を抱えて蹲りだした。
「――ふりをしつつ、応援を出してくれるそうです!! 」
「うああ……えっ!? なに? どういうこと? 」
ルロルは伏せていた顔を勢いよく上げる。
「どういう……まず、ノブサルに脅されたことで、オリアイマッドは我々に協力することを断念しました」
「そんな……できれば、オリアイマッドの方々と私達で、挟み撃ちにしたかったのに…」
ルロルは、オリアイマッドと協力することで、北と南からノブサル領を挟み撃ちになることを望んでいた。
しかし、オリアイマッドの協力が得られなかったことで、彼女の望みは泡の如く弾けて消えた。
「しかし……なんというか、ノブサルにバレないよう、小隊を送ってくれるみたいです…」
ルロルに説明したプレトは苦い表情をしていた。
「え…………あ、ああ! そういうこと…」
ルロルはプレトの説明を理解したのか、微笑みを浮かべて頷いた。
「ノブサルの言うことを聞きつつ、私達に協力してくれる。結局、オリアイマッドは協力してくれるのね? 」
「その…ようですね」
ルロルの問いにプレトが頷いた。
「はぁ……良かったー」
ルロルは安堵したのか、だらしなく椅子にもたれ掛かる。
「ですが、姉上。やはり、我々カレッドの力だけでも、ノブサルを打ち破ることはできます」
「う……まだ言うの? 」
プレトの発言に、ルロルは渋い顔をした。
「ええ。カレッドにいる騎士達は一人一人が精鋭です。雑兵ばかりの他の領に、遅れを取るはずはありませぬ」
「分かってる。だけど、私達だけでは勝てない……かもしれない。だから――」
「ならば、カレッドの力だけでも勝てるということを証明してみせます。前線の本隊の指揮は拙者に任せてください」
「え? それは――」
「使者としての報告は終わりました。失礼します」
プレトは踵を返すと、ルロルの部屋から出た。
「……何故、姉上は我々の力を信用しない……カレッドはゾンケット王国最強なのに……」
ルロルの部屋の前で、プレトはそう呟いた後――
「だが、この戦争に勝てば、姉上も……」
拳を強く握り締め、廊下を進んでいった。
一人部屋に残ったルロルは立ち上がると、窓の前に立ち――
「プーちゃんの言う通り、みんなは強い……けど」
ノブサル領の方角を見に移しながら呟いた。
「嫌な予感がする……怖いの…」
ルロルは不安げな表情をした後、縋るような目つきをする。
彼女の目は、ノブサル領よりも北に向けられていた。
この二日後、ノブサル領とカレッド領の戦争が始まった。
ノブサル領とカレッド領の開戦から、三日後の早朝。
カレッド領の北西部の海岸に一隻の小舟が漂着した。
その船には二人の少女と一人の少年が乗っており、その中の一人――
「ようやく着いたな」
アントワーヌが船から海岸に降り立った。
「小舟はよく揺れたな」
アントワーヌに続いて、イアンも海岸に足を下ろした。
彼達は、小隊の編成が決まった後、エンリヒリスの港から小舟に乗り、半日かけてここまできたのである。
アントワーヌ率いるカレッド応援小隊は、イアンしか隊員がいなかったが――
「グゥ……気持ち悪かった…」
後にラノアニクスが加わった。
彼女は青ざめた表情をしながら、小舟から降りる。
イアンについていくという名目だけで、彼女は小隊に入ったのである。
「ふん、この程度で情けない」
「ムッ……今、ラノを馬鹿にしたな? 」
ラノアニクスは、呆れたような声を出したアントワーヌを睨みつける。
未だにアントワーヌとラノアニクスの仲は悪いままであった。
「……ここもオリアイマッドのように平原が広がっているのだな 」
睨み合う二人を気に留めず、イアンは周りを見渡していた。
海岸の奥には、短い草花に覆われた平原が広がっていた。
「少し違う…らしいな」
ラノアニクスとの睨み合いをやめ、アントワーヌも平原に目を向けた。
「違う? 何か変わったところがあるのか? 」
「ああ、よく見てみろ。ちらほらと変な形の岩があるだろ? あそれは恐らく、遺跡の跡だ」
アントワーヌの言われた通り、イアンは近くにある岩を注意深く見てみた。
すると、その岩に何かの文字のようなものが刻まれていることに気づいた。
「なるほど……確かに、自然のものではないようだ。ここには、遺跡が沢山あるのか? 」
「あるのだろうな。それが、ここの領地の特徴でもある」
イアンの問いに答えると、アントワーヌは平原を目指して歩き始めた。
「む…どこへ向かうのだ? 」
アントワーヌの背中を追いながら、イアンが訊ねる。
「ここから近い砦に着くかカレッドの部隊に合流したい。とりあえず、平原を進むぞ」
イアンの問いに答えながらも、アントワーヌの足は進む。
「そうか…………む? どうした、ラノアニクス? 」
ラノアニクスがついてきていないことに気づき、イアンは振り返る。
そこには、平原を進むアントワーヌの背中を睨み続けたまま動かないラノアニクスの姿があった。
「……」
「……ラノアニクス、あいつが気に入らないか? 」
愚問であると思いつつ、イアンはラノアニクスに問いかけた。
「あいつ、嫌い」
ラノアニクスはそう答えた。
彼女はアントワーヌのことを相当嫌っており、指示に従いたくない様子であった。
「……今はこの三人しかいないのだ。アントワーヌのことが気に入らないかもしれんが、協力してくれ」
イアンはラノアニクスの目を真っ直ぐ見据えながら、そう言った。
ラノアニクスはイアンの目から、視線を逸らすことができず――
「……わかった」
と、頷いて答えた。
平原に足を踏み入れてから数十分。
草むらと遺跡の破片しか映ることはなかったイアン達の視界に、ようやく別のものが目に入る。
それは人の行列であり、イアン達から遠く離れた所に並んでいた。
「……あれは、騎士か…」
イアンが行列を見つめながら呟いた。
行列の中に、武器のようなものを手にしている人物がいたため、騎士の行列であると判断したのである。
「ほう……あれはカレッドの騎士達のようだな」
「そうなのか? 」
イアンがアントワーヌに訊ねる。
「カレッドの騎士の服は特徴的でな。遠目から見ても分かりやすい。しかし……」
先程まで済ましたような表情をしていたアントワーヌだが、彼女の眉間に皺が寄る。
「どうした? 」
「……負け戦…のようだな」
イアンの問いに、アントワーヌはそう答えた。
「なに……そうなのか? 」
「恐らく…だがな。なんにせよ、彼らの元に行くとしよう」
「ああ」
イアン達は騎士の行列を目指して歩き始めた。
「……血の匂いがする…」
騎士の行列との距離が近づくと、ラノアニクスがそう呟いた。
「ふん、だろうな」
騎士の行列を見たアントワーヌも呟いた。
ラノアニクスの言葉を裏付けるように、騎士達の多くは体のどこかを布で巻いており、怪我をしているようだった。
どの騎士も巻かれた布は真っ赤な血の色で染まっている。
彼らの足取りは重く、目は虚ろであった。
「……む? な、何奴!! 」
一人の騎士がイアン達の存在に気づいた。
すると、他の騎士達も気づき、イアン達の周りを取り囲み、手にした武器を構える
その動きは、傷ついた体を無理やり動かしているようで、ふらふらとおぼつかない足取りであった。
「……ラノアニクス、威嚇はするなよ」
イアンがラノアニクスに威嚇しないよう促す。
「……わかった」
彼の言葉に従い、ラノアニクスはむき出しになりかけていた歯を口の中へしまう。
「待て。我々は敵じゃない。オリアイマッドから来た援軍だ」
アントワーヌはマントを広げ、自分の騎士服をカレッドの騎士達に見せる。
「その騎士服……確かにオリアイマッドの者の服だな……」
騎士の一人はそう呟いたが、武器を下ろすことはなかった。
「何故、武器を下ろさない? 」
「……援軍だと言ったな。我々はそのような話を聞いていない」
アントワーヌの問いに、騎士はそう答えた。
(ちっ、俺達のことを知らされていないのか。面倒だぞ…)
アントワーヌは心の中で悪態をついた。
「俺達は貴公達の味方だ」
「……黙れ」
アントワーヌの言葉に、騎士は手にした武器をさらに前へ突き出した。
「……ん? 蜥蜴…獣人だと? 待て、皆。こいつらはノブサルの騎士じゃあないみたいだぞ」
他の騎士がラノアニクスの姿を認識した後、他の騎士へ武器を下ろすように促した。
「獣人を騎士に雇うのはオリアイマッドだけ……確かに、そのようだな…」
アントワーヌ達がノブサル領の騎士でないと分かった瞬間、騎士達は脱力し、その場に座り込んだ。
オリアイマッド以外の領地は、人間以外の種族或いは国外の者を騎士に任命することはない。
従って、ラノアニクスと共におり、なおかつアントワーヌと同じマントを身につけていたことから、彼女も騎士であるとみなされ、オリアイマッド領の者であると信用されたのであった。
「ふぅ、信じてもらえて何より……あと、おまえを連れてきて、良かったと少しだけ思ったぞ」
「……? ラノ、何かしたか? 」
ラノアニクスは、何故アントワーヌに褒められたのかを理解していなかった。
「このまま、貴公達と同行しても構わないか? 」
アントワーヌが騎士の一人に声を掛ける。
「……構わないが、一つ聞いていいか? 」
「何か? 」
「私の目には君達の三人しか見えないのだが、他にも部隊はいるのか? 」
「……オリアイマッドの援軍は我々だけだ」
「……そうか…」
騎士はため息混じりに、そう答えた。
援軍の騎士の少なさに、落胆しているのが一目超然であった。