百六十四話 選ばれたのは
オリアイマッド王都堺の砦の一室は、時が止まったかのような静けさが漂っていた。
そこには、三人の少女がおり、その中の二人は驚愕した表情のまま固まっている。
唯一、一人だけは済ましたような表情を浮かべていた。
その少女――プレトは濃い紫色の髪を持ち、アントワーヌのように二つに結っているが、彼女よりも束ねた髪の長さは短い。
カレッド領特有の古風な騎士服を身につけており、一般のカレッド領の騎士服と違った部分がある。
「早く返事を聞きたいのですが……できれば、この場で」
済ました表情のまま、プレトはユニスに訊ねた。
表情が固まったままのユニスであったが、やがて目を瞑り、短く息を吐いた後――
「悪いが、その要求には答えられない」
と、プレトの目を見つめながら答えた。
ユニスは、他の領地に協力をしないと決めており、使者を送ってまで強力を求められようが、揺らぐことはなかった。
「左様ですか。では、協力は得られなかったと姉上に伝えます。では…」
要求を断られたにも関わらず、プレトは依然として済ました表情であった。
彼女はそのまま、部屋のドアの方へ歩いていく。
「待て」
そんなプレトを呼び止める者がいた。
「こんな話し合いがあってたまるか。詳しく……まず、ノブサル領に宣戦布告をされた経緯から話せ」
アントワーヌである。
彼女は今のやり取りに納得しておらず、プレトを呼び止めたのである。
「……協力はしないと、ここの領主は仰いましたよ? 今更、そんなことを話しても無駄だと思いますが…」
プレトは振り向きもせずに答えた。
「そんなことはない。詳しい話をすれば、こいつの意見も変わるかもしれんぞ? 」
「おい、勝手なことを言うな。なんであろうと、小生は意見を変えるつもりはない」
ユニスがアントワーヌに詰め寄る。
「まぁ、待て。おまえは頭が堅すぎる。奴の話を充分聞き、色んな視点から考えた方がいい」
「……むぅ、しかしなぁ…」
「じゃあ、奴の話を聞いた後、俺の意見を言わせてもらう。とにかく、詳しい話を聞くぞ」
「…分かった」
ユニスは渋々ながら頷いた。
「ということで、話しもらおうか」
アントワーヌはそう言うと、部屋の中央に置かれている椅子の一つに座った。
ユニスもアントワーヌの隣の椅子に座る。
椅子に座る二人の姿を見たプレトは――
「はぁ…」
とため息を着き、二人の向かいの椅子に座った。
「そんなに聞きたければ言ってあげます。唐突に宣戦布告をされました。理由なんて知りません」
「理由が無い……ならば、カレッド側に何か思い当たる節は無いか? 」
ユニスがプレトに訊ねる。
「無いです。ノブサル領が不利益になることを我々カレッド領はしていません」
ユニスの問いに、プレトは淡々と答えた。
「……他の領とは違うものを感じる…が、それだけだ。アン、今の話を聞いてどう思う? 」
「まだ分からない……だが、今の話を聞くに、カレッド領に協力した方がいいかもしれん」
「なんだと? 」
アントワーヌの答えに、ユニスは顔をしかめた。
「攻め込む理由が分からないのだ。ここで、カレッドと共闘し、早めに潰しといたほうが得策だろう」
「早めに……まさか、カレッドの次はこのオリアイマッドに攻め入るつもりなのか!? 」
「むっ…」
ユニスの発言に、プレトは眉をひそめた。
「そうするかは分からんが、可能性はあるだろう。だから、カレッド領があるうちにノブサルを潰した方がいいのだ」
「むぅ…そうか…」
ユニスはそう呟きながら、腕を組む。
「聞き捨てはらないことがあります」
ユニスが考え事をしている中、プレトが声を出した。
彼女の顔はしかめっ面で、いかにも不機嫌な様子であった。
「先程から、カレッド領が負ける前提で話していませんか? 」
「……まぁ、想定はしているな」
プレトの問いに、アントワーヌが答えた。
「想定……仮の話であっても、カレッド領が負けるなどと考えるのはやめていただきたい」
「…ふむ、カレッド領は負けないと言いたいのですかな? 」
アントワーヌが不敵な笑みを浮かべながら、プレトに訊ねた。
バンッ!
「無論だ! お前達、獣臭いオリアイマッドの力を借りずとも、カレッドは負けない! 」
プレトは目の前の机を叩き、アントワーヌに向かって怒鳴りつけるように声を上げた。
「おおっ!? 」
ユニスが驚き、目を見開きながらプレトを見る。
「ならば何故、ここに来た? 」
驚くユニスに反して、アントワーヌは涼しい表情をしていた。
「……カレッドは負けない……なのに、姉上がオリアイマッドに協力を求めろと…拙者達はそんなことする必要ないのに……」
俯きがちに、プレトはそう呟いた。
(なるほど、こいつがあまり乗り気でなかった理由は、他領と共闘することに否定的だったからか)
アントワーヌは合点がいき、短いため息をついた。
「否定的なお前が使者になったのは? 」
「他の者では協力を得るために、お前達に媚びるだろう。そんなの、カレッドのやる事ではない。お前達に舐められないよう、拙者が使者に名乗りを上げたのだ」
「ふぅん……で、ユニスはどうするか決まったか? 」
「……カレッド領に――」
コン! コン! コン!
ユニスが口を開いた時、部屋のドアを叩く者が現れた。
「なんだ? 今は取り込んでいる。後にしてくれ」
「しかし……ノブサル領から書状を受け取ったのですが…」
「なに!? 」
ドアを叩いた者は伝令兵だった。
ユニスはドアを開け、伝令兵から書状を受け取る。
「……確かに、ノブサル領のものだ」
ユニスは書状を手にしたまま、椅子に座る。
「ちっ、ノブサルも動いたか。ユニス、なんと書いてある? 」
「待て…………アン、それにプレト。すまん、オリアイマッドはカレッドに協力できない」
書状に目を通した後、ユニスは二人の顔を見回しながら、そう答えた。
「なに? それに何が書いてあった? 」
アントワーヌがユニスの持つ書状を覗き見る。
そこには――
オリアイマッド領 領主ユニス・キリオスへ
ノブサル領はカレッド領に宣戦布告をした
貴公に願うことは、ただ静観することである
カレッド領に協力することも我らの助太刀もしないでもらいたい
もし、この願いを聞き入れられないのであれば、オリアイマッド領も戦禍の炎に焼かれることになるだろう
ノブサル領 領主サミール・ダラーより
と書かれていた。
「要するに何もするなということか」
「ああ。でないと、このオリアイマッドも標的にされる」
「遅かれ早かれだと思うが? 」
「だとしてもだ。やはり領主として、自分の領地を戦争に巻き込ませたくない」
ユニスはそう言うと、腕を組み顔を伏せた。
もう意見を変えることは無い。
今のユニスの姿勢はそういう意が込められていた。
「オリアイマッドはカレッドに協力できない。これを返事として受け取ってもよろしいですか? 」
「ああ――」
「待て」
ここで、再びアントワーヌが待ったをかける。
「ユニス、ここでノブサルは潰しておいた方がいい」
「おまえの意見も分かる……だが、小生はもう意見を変えるつもしはない」
「ああ、分かっている。だから、両方やろう」
「……ん? 」
「は? 」
アントワーヌの言葉に、ユニスは首を傾げ、プレトは間の抜けた声を出した。
「オリアイマッドは静観しつつ、カレッドに協力するということだ」
「何を言っている……協力するのならば、静観ではないぞ」
「だから、頭が堅いと言っている。バレなければいいだけの話だ」
「……!? 」
ユニスの顔が引きつる。
「正気か!? ……いや、アンにこれを訊ねても無駄か。どう協力するのだ? 」
「少数精鋭を送り込み、カレッドの騎士達と共に戦う。指揮は俺が執ろう」
「少数精鋭か…むむむ……」
ユニスは腕を組み、唸りだした後――
「分かった。だが、小生…オリアイマッドは何もしない。おまえが小隊を編成した後は、何も手出ししないからな」
と観念したかのように、言い放った。
「充分だ。聞いたな? オリアイマッドは静観するが、カレッドに協力すると」
「め、滅茶苦茶だ! 拙者は何と姉上に伝えればいい! 」
プレトは頭を抱えて叫びだした。
「分からないか? ならば、おまえの姉にこう伝えておけ。アントワーヌが協力するとな」
アントワーヌは不敵な笑みを浮かべながら、言い放った。
そんな彼女にユニスは呆れ、プレトは唖然としていた。
その後、善は急げとアントワーヌは自分の小隊に入る者を探し出した。
オリアイマッドを馬で駆け回り、手当たり次第騎士に声を掛けたが、誰も彼女の手を取る者は現れなかった。
アントワーヌの小隊にはオリアイマッドの後ろ盾が無い。
それを気にしてか、誰も彼女の元で戦おうとは思わないのだ。
「ふむ、集まらないものだな。まぁ、いなくてもいいのだがな」
アントワーヌはそう言うと、ピオリットに向けて馬を走らせた。
「ここに来たと言うことは、小隊ができたのだな」
ピオリットに辿り着いたアントワーヌは、ユニスの家に来ていた。
彼女が執務室に入ると、ユニスがそう言って出迎える。
「まぁ、増えなかったというか、決まっていたというか…とりあえず、出発したいと思う」
「……? よく分からんな。今出発するのか? 」
ユニスはそう呟きながら、窓の外を見た。
日が沈み始め、外は赤く照らされていた。
「ああ。日が沈む前にエンリヒリスへ行き、船でカレッドに向かうつもりだ」
「なに? カレッドに向かう間に夜になってしまうぞ」
「だからこそだ。ノブサルにバレんようにしなければならんだろう」
「そうか……で、おまえの小隊は何人集まったのだ」
「一人だ」
「なんだと!? 」
ユニスは驚愕し、目を見開いた。
「一人……おまえと合わせて、二人ではないか! 」
「ああ、そうだ。そいつと俺で充分だ」
「……その一人とは誰だ? 」
「イアンだ」
ユニスの問いに、アントワーヌはそう答えた。
その時、アントワーヌは不敵な笑みを浮かべていた。
「イアン…だと? 」
彼女に反して、ユニスは険しい表情を浮かべる。
「イアンはダメだ。悪いが、また小隊を集め直してくれ」
「……なに? 」
不敵な笑みを浮かべていたアントワーヌだが、ユニス同様険しい表情を浮かべた。
「イアンは小生の部下……いや、ただの部下ではない。小生が初めて登用した小生だけの部下だ。おまえと共には行かせられない」
「……ほう。では、イアンはどうだろうな」
「なに? 」
ユニスが眉をひそめる。
「イアンはどちらにつくかということだ」
「……イアンに決めさせるということか? 」
「そうだ。本人の意見を尊重しなければな。俺達だけで取り合いをしていても仕方あるまい」
「……いいだろう。ならば、明日イアンをここへ呼び、どちらにつくか答えてもらうとしよう」
「決まったな…」
アントワーヌはそう言うと、執務室を後にした。
彼女の頬はしばらくの間、吊り上がったままであった。
次の日の夕方、イアンはユニスに呼ばれ、執務室に向かっていた。
ラノアニクスもイアンと共に歩いている。
彼が執務室に入ると、いつものようにユニスが椅子に座っており、アントワーヌが本棚にもたれかかっていた。
「久々に呼ばれてきてみれば……何かあったのか? 」
「……ああ。実はカレッド領…ここから南にある領なのだが、そこがノブサル領に宣戦布告をされてしまってな」
イアンの問いにユニスはそう答えた。
(……オレが聞きたいのは、そういうことではなかったのだがな…)
イアンは、ユニスとアントワーヌの間の距離を見つめていた。
「それは、他の騎士達から聞いている。オレが呼ばれたのは、それに関係することか? 」
「そうだ。オリアイマッドとしては静観する方針であるが、秘密裏にカレッドへ応援を出すことに決めたのだ」
「秘密裏? どういうことだ? 」
「ノブサル領にバレないよう、少隊を応援として派遣するのだ」
イアンの疑問にアントワーヌが答えた。
「そこで、イアン。おまえはどうしたい? 」
「どうしたい……待ってくれ。もう少し詳しく教えてくれないか? 」
ユニスの問いかけに戸惑うイアン。
「なに、簡単な話だ。ユニスと共にオリアイマッドに残るか、俺と共にカレッドへ行くか。このどちらかを選べばいい」
「アントワーヌ……おまえが小隊の指揮者か…」
イアンは状況を飲み込み、ゆっくりとそう呟いた。
(しかし、オレに選択を委ねるか。恐らく、二人で意見が分かれたのだろうな)
二人の雰囲気から、イアンは今の状況を察した。
イアンは正面のユニスの顔を見る。
ユニスはじっとイアンの顔を見つめていた。
彼女の目は真っ直ぐとイアンの目に向けられている。
イアンはユニスから視線を逸らし、アントワーヌの方に目を向けた。
彼女は済ましたような表情をしている。
「……? 」
イアンの目がアントワーヌの手に注目する。
彼女は服の中に手を入れているのだ。
そして――
「…………!? 」
イアンの目がゆっくりと見開かれた。
アントワーヌは服の中から、三色の鍵の一つである赤い鍵を取り出したのだ。
「ふっ…」
イアンが気づいたことを確認すると、アントワーヌは頬を吊り上げ、鍵を服の中へ戻す。
鍵と彼女の微笑みを見たことで――
「……オレはアントワーヌと共に行く」
イアンの選択は決定した。
彼女の行動の意味をイアンは察したのである。
それはイアンにしか伝わらないものであり――
「……? 」
ラノアニクスもその行動を目撃していたが、理解できなかった。
「……なっ!? 」
「そうか……」
イアンの選択した答えに、二人は対称的な反応をした。
ユニスは驚き、落胆したかのように顔を青ざめさせ、アントワーヌは済ました顔をしているが、若干頬が緩んでいるように見える。
イアンは、密かに彼女の願いを叶えたことによって、カレッドへ向かうこととなった。




