百六十三話 戦禍
「アントワーヌの勝ち…だよな。やはり、お前もあいつが勝つことを望んでいたのか? 」
イアンがそう言いながら振り返ったが、そこには誰もいなかった。
先程、エッジマスクに刺された仮面の男さえも跡形もなく消えている。
「もういないのか…とりあえず、アントワーヌの所へ行くとしよう」
イアンは観覧席を離れ、訓練場にいるアントワーヌの元へ向かった。
「平気か、アントワーヌ」
アントワーヌの元に辿り着いたイアンが彼女に声を掛ける。
「少々、軽い怪我を負ったが問題ない。久々に良い運動になった」
イアンにそう返すと、アントワーヌは立ち上がった。
「しかし、イアンよ。助かった、おまえが武器を寄越していなければ、俺は負けていただろう」
「それなのだが、エッジマスクが提案したのだ」
「エッジマスク? ああ、あの騎士はエッジマスクだったのか…」
アントワーヌは遠目から観覧席を見ていたが、エッジマスクがいることを認識していなかった。
「ああ。よく分からないが、助けてくれた……ようだ。あと、エッジマスクの偽物がいた」
「偽物? 」
「エッジマスクのように仮面を付けた騎士がいてな。パイク…と言ったか、あの男側の人間らしく、そいつのせいでオレは身動きが取れなかった」
「ほう…第三者の目を用意していたということか。で、そいつはどうなった? 」
「本物のエッジマスクに殺された。死体はもう無い」
「そうか……はぁ…」
イアンの話を聞いたアントワーヌはため息をついた。
「どうした? 」
「……どうもこの国は一枚岩では無いようだ。領主が一斉に殺されてから一月も経っていないというのに…」
イアンが訊ねると、アントワーヌはそう呟いた。
「イアン…今回は助けられたが、エッジマスクには近づかん方がいい」
「何故だ? 敵ではない気がするのだが…」
「味方ではないかもしれんだろう? 奴はまだ信用はできん。今回、力を貸したのも何か裏があるのかもしれない。何より、どこぞの貴族派閥争いか何かに巻き込まれるかもしれん」
「……それは厄介だな」
「厄介どころではないと思うがな。とりあえず、暗くなってきたな。兵舎に帰るとしよう」
「……ああ」
アントワーヌとイアンは訓練場の外を目指した。
空を見れば日が沈みかけ、辺は暗くなり始めていた。
「ちょっとーっ! この杭外してよ! こんな所にいたら風邪ひいちゃうよ! 」
二人が訓練場を出ようとした時、鎖のついた分銅に拘束されているタブエールがアントワーヌの背中に訴えかけてきた。
「知るか。今日はそこで寝ろ」
アントワーヌは振り向きもせず、足を止めることもなかった。
「……ひょっとしてなのだが、散らかった武器をあいつらに押し付けたな? 」
早足で歩くアントワーヌを追いながら、イアンが訊ねた。
彼女が扱った数々の武器は、そのまま訓練場に散らばったままである。
「うん? 当たり前だろう。あいつらは敗者だ。決闘の後始末をするのは、勝者の俺ではない」
アントワーヌは、さも当たり前のことを口にするかのように言った。
――数日後。
イアンは、ユニスの家の中にいた。
ここ数日、イアンは兵舎とロランドの指導で町の外、訓練場くらいしか出歩く所はなかった。
つまり、何も事件が起きていないのである。
従って、ユニスに会う機会も無かった。
今日、彼がここにいるのは、久しぶりにユニスに会うためである。
「そろそろ……だろうか…」
執務室に向かうイアンが呟いた。
「…? 何がだ? 」
イアンの隣を歩いていたラノアニクスが首を傾げる。
「ん……ここしばらく何も無いだろう? もうそろそろ、ここを離れカジアルに戻ろうかと考えていてな」
「おお…帰るのか」
「うむ……すぐには帰らんが、近いうちに出ていくことを今日言おうと思ってな」
「そうか…」
ラノアニクスはそう答えると、窓の外に目を向ける。
魔物討伐等、自分の力が必要な場がここにはない。
そうイアンは考え、冒険者としての仕事があるカジアルに戻ろうとしていた。
(……あとランクアップ試験も近くなってきた頃だしな…)
今回、彼は冒険者ランクの昇格試験を忘れてはいなかった。
(…………あ…金の斧について聞いてなかったな。それも今日、聞いておくか)
しかし、金の斧については忘れかけていた。
「失礼。ユニス、会いに来たぞ」
執務室の前に辿り着き、イアンはドアを開けて中に入った。
「ん…イアンか」
「む? イアン」
執務室の中に入ったイアンが目にしたのは、椅子に座るユニスと、脇に置かれた本棚にもたれかかるアントワーヌの姿であった。
ユニスは机に置かれた書類を睨みつけるように見ていたが、イアンが来たことで顔を上げる。
「久しぶりだな。すまん、小生の部下であるのに碌な指示が無くて」
ユニスが申し訳なさそうな顔をする。
「気にするな。領主とやらの仕事が忙しいのだろう? 」
「ああ。だが、ここ数日で暇が出てきた。おまえに出す指示も考える余裕ができるだろう」
「ユニス…イアンに指示を出そうとしているが、ここ最近は特に何も無いだろう? 」
アントワーヌがユニスに言った。
「何もなくても考えるのだ。それが部下を養う者の役目よ」
ユニスはそう言うと――
「うーん…」
頭を抱えて考え出した。
「ふぅ、無茶しているな……で、イアンは俺達に会いに来ただけか? 」
「ああ、実はそろそろ――」
「失礼」
何者かの入室がイアンの言葉を中断させる。
執務室に入ってきたのは高官の男であった。
ユニスの前に立っていたイアンとラノアニクスは邪魔いならないよう、アントワーヌの隣に移動する。
「各領主に伝令があり、それを伝えに来た」
「……何だ? 」
ユニスが若干煩わしそうに答える。
「……ラファント領がレアザ領へ宣戦布告をした」
「なんだとっ!? 」
思わず、ユニスは立ち上がってしまった。
「……!? 」
アントワーヌも驚愕し、目を見開く。
「レアザ領に来ていた騎士マグタスを領主ファランスが不審人物として逮捕。領主ギウディンは不当であると訴え、騎士マグタスの身柄を引き渡すことを要求。領主ファランスがこれを拒否したため、宣戦布告をしたそうだ」
高官が淡々と宣戦布告に至った経緯を話した。
「マグタス殿……ラファントの先々代の領主時代からいる古株の騎士じゃあないか。ギウディンが怒るのは分かるが、宣戦布告するほどとは…」
「……待てよ。マグタスとやら以外にも、ファランスの奴はラファント領の騎士を捕らえたんじゃあ…」
「然り。騎士マグタスと同じ階位の騎士をあと数人捕えている」
アントワーヌの呟きに高官が答えた。
「マ…マグタス殿レベルの騎士達を不審人物として逮捕…か。ギウディンのやつ、古くから国に仕える彼らを侮辱されたと思ったんだろうな…」
「ふむう…不審人物として逮捕とあるが、細かいことについてはどうなのだ? 」
アントワーヌが高官に訊ねた。
「不審人物として逮捕…それ以外は聞かされていない。領主ファランスが詳細な理由を報告しないのだ」
「そうか……」
アントワーヌが顎に手を当て、顔を俯かせる。
「……もう一つ、伝えることがある」
「……何だ? 」
「ロニー領もエンリヒリス領に宣戦布告をしている」
「「……!? 」」
ユニスとアントワーヌの顔が驚愕に染まる。
「エンリヒリス領に貸出していた馬と騎士が帰ってこない…ということで、宣戦布告をしたそうだ」
「…馬好きのジェファーのことだ。騎士はともかく、馬が帰ってこないことに腹を立てたのだろうな。で、オリアイマッドも帰ってこない騎士がいるのだが、どうなっている? トイットマンから聞いていないか? 」
「聞いていないのか? 」
訊ねてきたユニスに、意外そうな顔をする高官。
「各領地へ戻っていない騎士達は今、投獄されている」
「投獄だと? 」
「騎士にあるまじき行いをしたため……という理由だそうだ」
「……ワオエアーの仕業だな。もしかしたら、トイットマンも知らないんじゃないか? 」
アントワーヌがそう呟いた。
「そんな……いや、有り得る。トイットマンはこういうところをワオエアーに任せきりだからな…」
ユニスが頷く。
「しかし、他領の騎士を何の連絡も無く投獄するとは…横暴すぎる。何か、別に理由がありそうだ…」
「……以上が今回の伝令事項だ。私はこれで失礼させてもらう」
高官はそう言うと踵を返し、ドアに向かって歩き出す。
「待て 」
ユニスが立ち去ろうとする高官を呼び止めた。
「国王様……ミリーはどうするつもりなのだ? 」
「……戦争をさせぬよう、各領主達に説得を試みるそうだ」
高官はそう言うと、執務室から出ていった。
「説得……か。はたして、うまくいくのだろうか…」
ポツリとアントワーヌが呟いた。
「領主が殺された後は、内乱か……立て続けに何か起こるな……」
ユニスはそう言いながら椅子に深く腰掛けた。
その後、しばらく執務室に沈黙が訪れる。
「……む…そういえば、先程何かを言いかけていたが、何だった? 」
ふと、ユニスがイアンに訊ねた。
「……いや、何でもない。訓練場に行ってくる」
「ラノも」
「そうか…何かあれば、遠慮なく言ってくれよ」
「ああ」
イアンはユニスにそう返すと、執務室を出た。
「イアン、言わなくても良かったのか? 」
ついてきたラノアニクスがイアンに訊ねた。
「……言ったほうが良かったかもな…」
イアンはそう言い、廊下を歩き始めた。
――三日後。
国王代理であるミリーの説得虚しく、ラファント領とレアザ領、ロニー領とエンリヒリス領は戦争状態になった。
領地間での戦争は、この国始まり前代未聞の出来事であり、領主殺害に続いて、ゾンケット王国の国民達を大きく震撼させた。
戦争状態に陥った四つの領地に対し、オリアイマッド領の領主であるユニスは静観することに決めた。
「静観するとは言ったものの……見ているだけではいけない気もなぁ…」
朝、執務室でユニスは椅子に深く腰掛け、天井に顔を向けている。
戦争を早く終わらせるために何ができるか、それを彼女は考えていた。
「あの四つの領地……どこにも肩入れしたくはないな……救援物資とかはやめておこう。はぁ……」
しかし、いい考えが浮かぶことはなかった。
「……とりあえず、手紙を送っておくか。気休めくらいにはなるかな…」
ユニスは机の引き出しから、紙とペンを取り出した。
彼女は戦争を辞めるよう、説得の言葉を記した手紙を送ろうと考えた。
コン! コン! コン!
ユニスがペンを握ったところで、執務室のドアを叩く者が現れた。
手にしたペンを机に置き――
「……入れ」
と、ユニスはドアの向こうにいる者に声を掛けた。
「失礼します」
ドアが開き、中に入ってきたのは、オリアイマッド領に所属する伝令兵の騎士であった。
「伝令兵…何かあったのか? 」
騎士の姿を見て、ユニスはそう訊ねた。
「はっ! カレッド領より、使者が参られました」
「使者……おまえはどこから来た? 」
「王都堺の砦です」
「王都堺…王都を通って来たか……カレッド領から来たのなら、そうなるか…」
伝令兵の言葉に、ユニスはそう呟いた。
オリアイマッド領とカレッド領の間にはノブサル領があるため、王都を通る方が手っ取り早い。
「どうされます? ユニス様に会いに来たと仰っていましたが…」
「小生に? ただの挨拶等ではないようだな。分かった、今から王都堺の砦に向かう」
「ユニス様が直々に? よろしいのですか? 」
伝令兵が若干目を見開いた。
「ああ、今やることは特にないからな。それに、小生が行った方が早く済む」
「左様ですか…分かりました。では、私はユニス様が向かうことを伝えるため、一足先に砦に戻らせていただきます」
「ああ、すぐに行くと伝えてくれ」
「はっ! 失礼しました」
伝令兵はユニスに一礼すると、執務室から出ていった。
「さて、小生も出かける準備をするか」
ユニスは椅子から立ち上がり、執務室のドアを開けると――
「やあ、ユニス」
そこにアントワーヌが立っていた。
「来たのか、アン」
「ああ、来たぞ。それで、どこに行くつもりだ? 」
アントワーヌが不敵な笑みを浮かべながらユニスに訊ねる。
「カレッド領の使者が王都堺の砦に来ていてな。今から会いにいくところだ。ちょうどいい、アンも来るか? 」
「ほう、さっきすれ違った伝令兵は、使者が来たことをユニスに伝えるためだったか……分かった、同行しよう」
「助かる」
こうして、ユニスとアントワーヌは王都堺の砦に向かった。
馬で掛けること数時間。
ユニスとアントワーヌは、オリアイマッドの王都近辺に建つ砦に辿り着いた。
王都からの使者が出入りする砦であるため、他と違って外観は綺麗にされている。
内装も従来の砦のような無骨なものではなく、屋敷のように豪奢である。
二人は、そこの騎士に案内され、砦の中を歩き――
「こちらです」
廊下に並ぶ一室のドアに辿り着いた。
「ありがとう。あとは自分達だけでいい」
ユニスは案内した騎士にそう言うと、ドアを開けて部屋の中に入った。
「ルロル……カレッドの領主だと? 」
まず、中に入ったアントワーヌが目にしたのは、カレッド領の領主であるルロル・オルヤールの姿であった。
「……! 」
ルロルの姿の少女は、アントワーヌを睨みつける。
「アン、違うぞ。こいつはプレトだ」
ユニスはそう言いながら、前に進み出る。
アントワーヌを睨みつける強気な姿勢から、ユニスはこの少女がプレト・オルヤールであると判断した。
「小生がこのオリアイマッドの領主、ユニス・キリオスだ」
ユニスがプレトに向けて、右手を差し出した。
「……拙者はまだ、この手を握り返すことはできませぬ」
プレトは差し出されたユニスの手を見つめた後、首を横に振った。
「……? どういうことだ? 」
「オリアイマッドに要求があり、使者として参りました。その手を握るかどうかは、貴公の返事次第……ということでございます」
ユニスの問いに、プレトは姿勢を正して答えた。
正しい姿勢とは裏腹に、彼女の言動と表情は挑発的である。
(ふん…要求をしに来たというのに、随分と上からだな。要求を飲ませる気があるのか? こいつは嫌々使者を……いや、要求の内容が気に入らないのか。だとしたら、見た目通り年相応のガキだな…)
プレトの言動や表情から、アントワーヌは彼女の心情を察した。
「要求……なんだ? その要求というは? 」
ユニスが訊ねると、プレトは――
「先日、カレッド領はノブサル領に宣戦布告を受けました。オリアイマッド領には、我らカレッド領と共にノブサル領と戦って欲しい……のです」
と答えた。
彼女が言い終わったと同時に、部屋に沈黙が訪れる。
四つの領地が戦争状態になったかと思いきや、ノブサル領とカレッド領の二つの領地まで戦争状態になろうというのだ。
これでゾンケット王国の半数を超える領地が戦争状態になってしまう。
そして今、オリアイマッド領もその中に入るか入らないかの選択を迫られていた。
ついに内乱編に突入
5月5日 鍵かっこの抜けの修正
5月5日 誤字修正
トイットマンはこいうこところをワオエアーに任せきりだからな…」
↓
トイットマンはこういうところをワオエアーに任せきりだからな…」