百六十二話 ヴァリアスコンビネーション
アントワーヌは、タブエールの攻撃に備え、二本の短槍を構える。
今のタブエールは屈んだ状態であり、窮鼠狩りをいつでも繰り出せる状態であった。
窮鼠狩りとは、前方に跳躍して目標を斬り裂く技である。
その跳躍は一瞬で行われるので、窮鼠狩りが来ると分かったとしても対処は難しい。
「……」
アントワーヌの視界からタブエールの姿が消えた。
タブエールが窮鼠狩りの跳躍を行ったのだ、
「来たか」
タブエールが消えたことに気づいたアントワーヌは、後ろへ跳躍する。
「やった! アントワーヌの奴、躱しやがった! 」
観覧席のパイクが歓喜の声を上げる。
「逃がさいないよ! 」
アントワーヌが跳躍する前の位置にタブエールが現れ、再び姿が消えた。
窮鼠狩りの対処方法として、回避行動は得策ではない。
猫瞬剣には、窮鼠狩りから派生した追窮鼠という技がある。
追窮鼠は窮鼠狩りを躱した者に追撃をするため、再び窮鼠狩りを行うというもの。
逃走する相手を追窮鼠で追い詰めていくのだ。
「そうくるよな」
アントワーヌは地面に足が付くと、前方に足を踏み込み、片手に持った短槍を横薙ぎに振るった。
ガッ!
振るわれた短槍が何かに激突する。
「くぅ、反撃してくるとは…」
アントワーヌの前方にタブエールが現れた。
彼女は剣で短槍を防いでいる。
「追窮鼠を破られたのは、初めてか? 」
アントワーヌは不敵な笑みを浮かべながら、持て余していた片方の短槍をタブエールに突き出す。
「初めてじゃあないけど……おまえ、油断できないな」
タブエールは受け止めていた短槍を弾くと、素早くアントワーヌから離れる。
「今度はこちらが追い詰める番だ! 」
アントワーヌは、タブエールを逃がさないとばかりに駆け出し、二本の短槍を連続で突き出す。
二本の短槍は左右交互に突き出され――
「くっ……」
タブエールに攻撃をする暇を与えず、彼女を防戦一方の状況へと陥れた。
「馬鹿! 早くアントワーヌから離れろ! 」
「……!? 」
パイクが観覧席の落下防止柵から、身を乗り出しながら叫んだ。
その時、アントワーヌの両腕が一瞬だけ見えなくなった。
「……ちっ、連槍を放つ一瞬の隙をついて躱したか」
アントワーヌが振り向きながら呟いた。
振り向いた彼女の前に、息を荒げながら剣を構えるタブエールの姿があった。
「今…アントワーヌは槍を連続で突いたのか…」
「そうだ……今のは、あいつの奥義、二槍四連…八連突きだ」
イアンの呟きに、パイクが答えた。
アントワーヌの腕が見えなくなったす瞬間、彼女は二本の短槍を連続で突き出していた。
片方の短槍で四回、二本合わせて合計八回の連続突きを放ったのだ。
連続突きは瞬きをするよりも速く、複数の突きを放つ槍術だ。
一般の騎士の連続突きは、できて三回である。
それをアントワーヌは両腕で行った上で、それぞれ四回、計八回の突きを放つことが出来る。
「はぁ…危なかった……パイク様が教えてくれなかったら、あたしは負けていた…」
タブエールは息をつくと、アントワーヌを見据える。
アントワーヌが一歩近づくと、彼女は一歩後ろに下がり、一定の距離を保ち始めた。
(連槍を警戒しているか……さて、どうするかな…)
次、どう攻めるかを考えながら、アントワーヌはゆっくりとタブエールの元へ向かっていく。
二人の距離は一向に縮まることはなく――
(ちっ、奴が動く前にさっさと決めてしまうか)
痺れを切らしたアントワーヌが、足を踏み込んだ。
バサッ!
その瞬間、アントワーヌは布がはためくようなの音を耳にし、片足を踏み込んだ状態で体を停止させ、音の聞こえた方向へ顔を向けた。
「……!? 」
アントワーヌの顔が驚愕に染まる。
彼女が顔を向けた方には、タブエールの姿があった。
そのタブエールは既にアントワーヌの目の前まで迫っており――
「シャアア! 」
アントワーヌの顔に目掛けて、剣を突き出した。
「ぐっ…」
頭を傾け、突き出された剣を間一髪で躱すアントワーヌ。
反撃に短槍を横薙ぎに振るうが、剣を突き出してきたタブエールは後方へ飛び退いてしまう。
「…!? 馬鹿な…二人だと? 」
二人のタブエールの姿を目にしたアントワーヌが驚きの声を出す。
「フフフ…」
「ハハハ…」
二人のタブエールは横に並ぶと、アントワーヌを見ながら含み笑いをする。
「二人? 」
「違うね」
バサッ!
二人のタブエールが順番に口を開いた後、今度はアントワーヌの後方から布がはためくような音が聞こえた。
「…!? 後ろか!」
先程、同じように奇襲を受けたため、アントワーヌは咄嗟に二本の短槍を逆手に持ち替え、後ろに目掛けて突き出した。
しかし、彼女の突き出した短槍は誰にも当たることはなかった。
後方から新たに現れた者を迎撃するために突き出したのだが、躱されてしまったのである。
彼女の短槍を躱した者は――
「バーカ! 」
アントワーヌの頭上にいた。
その者を短槍を跳躍で躱していたのだ。
「くそっ! 」
アントワーヌは慌てて頭上に顔を向け、二本の短槍を交差させた。
頭上にいた者の踏みつけを交差した短槍を受け止めたが――
「そぉれ! 」
そのまま、アントワーヌは蹴り飛ばされ、訓練場の壁に激突する。
「ぐ…う…」
壁に激突した衝撃で、意識が朦朧とするアントワーヌ。
ぼやける視界に映るのは、タブエールらしき三人の獣人の姿であった。
「おい、これは決闘ではなかったのか? 」
観覧席で彼女達の戦いを見ていたイアンが、パイクに詰め寄る。
「は? 決闘なんて一言も言っていない。ただ、訓練場に戦う者以外いることは許されないと言っただけだ」
ニヤニヤと笑いながら、パイクがイアンに答えた。
「戦う者以外……お前、最初からこうするためにオレをここに連れてきたな」
先程、パイクが訓練場に現れた時、既に二人のタブエールは潜んでいた。
パイクがイアンに訓練場を離れることを強要したのは、三対一という状況を作り出し、完全にアントワーヌを倒すためであった。
彼がここまで徹底するのは、兄であるが故に彼女の強さを充分知っているからだ
「そうさ! あのアントワーヌだ。一人でも仲間が入れば悪知恵を使って、あいつらを倒しかねないからな」
「ならば、今、オレが加勢をするまで」
イアンはパイクから離れ、観覧席から離れようとしたが――
「おっと! 今、行けば反則としてアントワーヌの負けになるけど、いいのか? 」
パイクのその言葉で、足を止める。
「何? 」
「あの二人は戦闘が始まる前から訓練場にいた。つまり、正当な参加者さ。だが、戦闘が始まった後、あそこに行けば乱入者だ。お前は神聖な戦いを邪魔する不届き者になるんだよ! 」
「何が神聖な戦いだ。お前のルールになど付き合ってられん」
パイクにそう吐き捨て、顔を前に向けた時――
「……!? なっ…おまえは……」
そこには、仮面を付けた騎士がいた。
「言ってなかったな。この戦いはエッジマスク殿も見ているんだ。分かるな? おまえがアントワーヌの手助けをした時点で、他の騎士に伝わるぜ? あいつが負けたってことがな」
「ぐ……おい、見ていただろう。この戦いは正当なものではないことを」
イアンが目の前のエッジマスクに訴えかける。
「……」
しかし、エッジマスクは何も答えることはなかった。
「無駄だ。この戦いはアントワーヌとタブエールの戦いであると伝えてある」
「アントワーヌとタブエール……やはり、決闘ではないか」
「いや、正確にはアントワーヌとタブエール達の戦いだ。あいつら皆、タブエールなんだよ」
「何を…言っている? 」
イアンはパイクの言っていることが分からない。
そんなイアンに向かって、パイクはニヤニヤと笑いながら――
「あいつらはな、三つ子……三人共、タブエールの姓を持っているんだよ! 」
と言い放った。
全く瓜二つの三人の獣人を前に、アントワーヌは短槍を構えるだけしかできない。
三人の獣人――タブエール達の姿は、消えたり現れたりを繰り返し、その度に彼女達の剣がアントワーヌに襲いかかる。
アントワーヌは彼女達の猛攻に防戦一方になっていた。
二本の短槍と左腕の盾で、三人の剣を防ぎ続けているが――
ズバッ!
時折、防御が間に合わず、体に剣を受けることがあった。
「なかなかしぶといなぁ」
タブエールの一人が俊敏な動きをしながら呟いた。
「確かに」
「武器の中で、この短い槍が得意なんだって」
「みたいだね。さっき、危うくやられそうになったよ」
「ああ~、あの時は危なかったね」
タブエール達はアントワーヌに剣を振るいながら、会話をし始めた。
「おのれ……一人では勝てないくせに…」
「袋の鼠が何か言っているね」
悪態をつくアントワーヌ。
彼女の背後にタブエールの一人が迫り、振りかぶっていた剣を横薙ぎにする。
ギンッ!
アントワーヌは振り向きながら短槍を構え、タブエールの剣を防いだ。
剣が防がれるとタブエールは素早く後ろへ下がり――
「あたし達は三人で一人のタブエール…」
別のタブエールが跳躍し、アントワーヌの頭に目掛けて剣を振り下ろす。
ガッ!
アントワーヌは、振り下ろされた剣を額のバイザーと短槍で防ぐ。
そのまま競り合いとなり、剣を押し返そうとするアントワーヌの側面に――
「お前に勝ち目は無いんだよ! 」
また別のタブエールが接近し、剣を突き出してきた。
「ぐっ…」
アントワーヌは、持て余していた短槍で突き出された剣を受け止める。
二人のタブエールに迫られ、押し負ける前にアントワーヌは彼女達の剣を弾く。
そして、彼女達から距離を離れようと振り返れば、訓練場の壁がそこにあった。
「フフフ…もう逃げ場は無いよ」
前方に顔を戻せば、アントワーヌの逃げ場を塞ぐように、三人のタブエールが等間隔で立っていた。
「……おのれ…」
アントワーヌは鍵を取り出そうと、服の中に手を伸ばす。
しかし、その手は服の中に入らず、下へ降ろされた。
盾の武器は強力すぎて、タブエール達を殺しかねないからだ。
勝ち誇ったかのように含み笑いをする三人のタブエールを見回し、アントワーヌは両手の短槍を強く握り締めた。
「もう打つ手が無いのか…このままでは……」
イアンは、追い詰められているアントワーヌの姿を観覧席から見ていた。
否、見ているだけしかできなかった。
パイクの策略によって、何も手出しができない状況に陥っているのだ。
「やった! やった! これで、俺は出世できる! 」
イアンの横にいるパイクは、もう勝ったのが決まったかのように小躍りをしていた。
(妹を相手にこいつは……)
イアンはパイクを横目で睨みつけた後、後方の観覧席に立つエッジマスクを肩ごしに見つめる。
エッジマスクは身じろぎもせず、黙って訓練場に目を向けていた。
(戦いを見届けるこいつも、この男の仲間……む? )
エッジマスクを見据えていたイアンは、その人物に違和感を感じ、思わず――
「誰だ…お前……」
と口ずさんでしまった。
「……! 」
声が聞こえたのか、エッジマスクがイアンに顔を向ける。
イアンが違和感を感じたのは、エッジマスクの身長は高く、がっしりとした男の体型をしていたからだ。
初めてイアンがエッジマスクを見た時は、至近距離にいたにも関わらず、身体的特徴が全く分からなかった。
しかし、このエッジマスクの身体的特徴は、はっきりと認識することが出来るのだ。
「……」
仮面を付けた男はゆっくりと、腰の剣に手を伸ばす。
感づいたイアンを殺そうというのだが――
ズンッ!
「ごふっ!? 」
その仮面の男は、突然現れた騎士に腹を刺された。
現れた騎士は、仮面の男から剣を引き抜くと、イアンの方へ体を向ける。
「……!? また仮面の……いや、こっちがエッジマスクか」
その騎士は、顔に仮面を付け、どういった人物なのか身体的特徴が全く分からなかった。
イアンはこの騎士が本物のエッジマスクであると感じた。
「ん? え……エッジマスク殿? これは……う、うわあああああ!! 」
ようやく周りの異変に気づいたパイクが、血溜まりに倒れ伏す仮面の男を見て悲鳴を上げた。
「……お、おのれ……反逆者の――」
ズバッ!
仮面の男はまだ息があったが、エッジマスクに首を切断され、もう何も言わなくなった。
「……この男に代わり、彼女達の戦いの行方は、このエッジマスクが見届ける」
訓練場のアントワーヌ達に顔を向けながら、エッジマスクがそう呟いた。
その声は複数の声が混ざったような声で、男性か女性か、大人か子供であるかが判断できない。
「イアン・ソマフ」
「な…なんだ? 」
名を呼ばれ、イアンは若干戸惑う。
「アントワーヌを救いたくば、そこの物を使え…」
エッジマスクはそう言うと、近くの座椅子の裏に指を差した。
イアンがそこを見てみると、沢山の種類の武器が入った木箱があった。
鎖のついた分銅や短剣等、小型の武器ばかりである。
「武器? これをどうしろと…」
「…全て、彼女の扱える武器だ…あとは自分で考えろ……」
エッジマスクはそう言った後、腕を組み、顔を訓練場へ向ける。
「武器……これで何とかなるのか? 」
イアンはとりあえず、木箱を持ち上げてみた。
「あ…あああああ!! お前、それをどうするつもりだ!? まさか、アントワーヌに渡すとか言うんじゃないよな!? 」
イアンの持つ木箱の中身を見たパイクが慌てふためく。
「……何とかなりそうだな」
イアンは木箱を持ったまま、走り出し――
「使え、アントワーヌ! 」
落下防止柵の前で、木箱の中身を訓練場にばら撒いた。
イアンの声を耳にし、アントワーヌが見上げると、様々な武器が空から降ってきていた。
「うわっ!? 」
「なに? なんなの?」
「外野からの攻撃? パイク様は何を…」
三人のタブエールは、空から武器が降ってくる光景を目にし、浮き足立っていた。
「フッ…でかしたぞ、イアン」
ただ一人、アントワーヌだけが、その光景に笑みを浮かべていた。
アントワーヌは二本の短槍を放り投げ、降りしきる武器の中から、鎖のついた分銅と鞭を手にとった。
「ふっ! 」
アントワーヌを鎖のついた分銅をタブエールの一人に投げつけ――
「は! 」
もう一人のタブエールの足に目掛けて、鞭を振るった。
「ぐっ!? 」
「ぎゃ!? 」
一人のタブエールに鎖のついた分銅が巻き付き、もう一人は足を払われて転倒する。
アントワーヌは、鞭を放り投げ、落ちていたメイスを拾い、転倒したタブエールの横っ腹に打ち付ける。
「うっ!? 」
「まず一人」
腹にメイスを受けて蹲るタブエールの姿を見て、アントワーヌが呟いた。
「この! 」
まだ動けるタブエールがアントワーヌに窮鼠狩りをしようとするが――
「おっと、まだ動くなよ」
「ぐっ! くそっ! 」
アントワーヌの蹴り飛ばした短剣により阻止されてしまう。
その隙にアントワーヌはメイスを放り投げ、落ちていた二つの杭を両手に持ち、分銅の鎖に打ち付けた。
「うぐぅ…動けない…」
杭で鎖を固定され、拘束されたタブエールは身動きが取れずに呻いた。
「あと一人」
アントワーヌはそう言いながら、落ちていた一本の短剣を蹴り上げ、片手に持つ。
「嘘……さっきまで、あたし達が勝っていたのに……」
あっという間に、二人のタブエールを行動不能に陥れたアントワーヌを見て、最後に残ったタブエールが放心気味に呟いた。
「勝っていた? ほう、負けを認めるのか…やはり、一人では俺に勝てないようだな」
アントワーヌが挑発するような仕草をする。
「くっ、このガキ! 舐めるな!! 」
彼女の言葉が癇に障ったのか、最後に残ったタブエールは激昂し――
「はああ!! 」
地面を思い切り蹴りつけた。
その行動により、一瞬でタブエールの姿が見えなくなる。
バッ! バッ! バッ!
アントワーヌの周りに幾つもの砂塵が舞う。
「ほう、連続の高速跳躍…猫瞬剣の奥義か? 」
短剣を構えたアントワーヌが、周りを見回しながら呟く。
タブエールは窮鼠狩りの跳躍を連続で繰り返し、驚異的な速度で姿を晦ましていた。
アントワーヌを翻弄した後、隙を突いて剣を振るおうというのだ。
死力を尽くす勢いのタブエールだが――
「馬鹿! 他のタブエールを助けろ! ヴァリアスコンビネーションが!! 」
観覧席にいるパイクは彼女を止めようとしていた。
しかし、彼の声はタブエールに届くことはなかった。
「死ねぇ!! 」
アントワーヌの背後に回ったタブエールが彼女目掛けて、剣を突き出した。
キンッ!
「あ……」
タブエールの突き出した剣は、振り向きざまに振るわれたアントワーヌの短剣に弾かれた。
その時、タブエールはアントワーヌの目が一瞬だけ輝いたかのような気がした。
剣を弾かれ、身動きの取れないタブエールに対しアントワーヌは、メイスを叩きつけ、鞭で払い、短槍で殴りつけ、その場に落ちている武器を次々と持ち替えながら、彼女に攻撃を加えていく。
武器を持ち替える度に、その武器に合った使い方をする。
アントワーヌは今、一人で複数の戦士の技を繰り出しているのだ。
これが、多くの武器に精通する彼女が編み出した大技、ヴァリアスコンビネーションである。
「かはっ……! 」
連続で武器を叩き込まれ、タブエールは仰向けに倒れた。
「ふぅ……」
三人のタブエールを行動不能にしたことを確認した後、アントワーヌは観覧席にいるパイクに目を向けた。
「ひっ……く、くそっ……お、お前が領主の補佐だろが、俺がルーリスティの当主だからな!! 」
パイクはそう吐き捨てると、走って観覧席から姿を消した。
「パイクさまぁ、助けてくださいよーっ! 」
高速されたタブエールが、逃げたパイクの方に向かって叫び出す。
三人のタブエールとの戦いは、アントワーヌの勝利で幕を下ろした。