百六十一話 弟と兄
――昼。
太陽が真上を通過して数時間の時が過ぎた頃、イアンはピオリットの町外れにいた。
そこでは、一人の少年が戦斧を振るっており、イアンは彼の側に立っている。
(ロランド・キリオス……確か、キリオスとはユニスの姓だったな)
先日、自分のことをロランド・キリオスと名乗った少年を見つめながら、イアンはそんなことを考えていた。
「なぁ、ロランド。おまえの姉はユニスだろう? 」
「……はい! そうです! 」
ロランドは戦斧を振るいながら、イアンの問いに答えた。
彼の振るっている戦斧はイアンのものである。
イアンは戦斧を片手で振るうことができるが、ロランドは両手で戦斧を持っていた。
「ユニスは小さい頃から、剣の修練をしていたと聞いたが、おまえはしていないのか? 」
「……僕は、ユニス姉さんのように剣の才能が無かったので、学問ばかりやらされていました」
ロランドの表情が一瞬だけ固まった。
イアンは彼の表情の変化に気づき――
「……そうか」
深くは聞かないことにした。
しかし――
(才能が無い…か。剣は知らんが、斧については良くできているのだが…)
イアンは、ロランドの言った才能が無いという部分だけが気になっていた。
彼は、今日の朝から戦斧を振り始めたのだが、既に戦えるまで戦斧を振れるようになっているのだ。
なんの心得も無い人間が、ここまで上達するのは滅多なことではないのである。
「さて、そろそろ終わりにしよう。最後に一発オレに打ってこい」
イアンは、ホルダーから戦斧を取り出し、ロランドに向けて構えた。
「は、はい! 」
ロランドもイアンに向けて戦斧を構える。
彼は、戦斧を腰よりも低い位置で持っていた。
その状態から戦斧を振りかぶり、イアン目掛けて走り出す。
「はあああ!! 」
そして、イアンの一歩手前で、戦斧を横向きに振り回した。
この振り方は、木に斧を打ち付ける動作を攻撃に応用したものである。
彼の振る戦斧は、イアンの太ももの辺りに向かっていく。
ガッ!
イアンは、ロランドの戦斧を自分の持つ戦斧で受け止めた。
「うっ……」
ロランドの持っていた戦斧が地面へ落下する。
戦斧同士が激突した衝撃に耐え切れなかったのだ。
「今日初めて斧を振り始めたやつにしては上出来だ。あとは武器を落とさないよう体を鍛えておけ」
イアンは、ロランドの落とした戦斧を拾い上げ、ホルダーに戻した。
「はい……ありがとうございます…」
ロランドはそう言うと、地面に腰を下ろした。
「斧を振りすぎたか……当分は体を動かさないようにしたほうがいいな」
「……はい」
ロランドは絞り出すように声を出した。
相当疲労が溜まっているようだった。
「……まだ、オレはこの地に留まるつもりだ。また斧を振りたければ、今日のようにあの通りにいるといい」
「えっ!? イアンさんはどこかに行ってしまうのですか? 」
イアンの言葉に、ロランドが目を見開く。
「ああ、探し物があってな。ずっと、ここに留まっている訳にはいかん」
「そう…ですか……」
ロランドが顔を俯かせた。
残念そうにするロランドの姿を見たイアンは彼の元に行き――
「まだ、しばらくはここにいるつもりだ。すぐに消えたりなどしない」
彼の頭を撫でた。
「……分かりました。また、イアンさんがこの国に来た時に、強くなった自分を見せられるよう頑張ります! 」
イアンに頭を撫でられながら、ロランドはそう言った。
「……まだ、出て行かないと言ったのだがな…」
イアンはロランドに呆れながらも、微笑みを浮かべていた。
日が沈み始めようとした頃。
ロランドと別たイアンは、訓練所に来ていた。
イアンは、ここで他の騎士達と訓練を行っているラノアニクスの様子を見に来たのだ。
訓練所の中は、戦士同士の戦いを見物する闘技場のようになっている。
外側には観覧席があり、内側は砂だけの平らな場所があるのだ。
内側で騎士達は訓練を行い、そこを訓練場と呼んでいた。
しかし、今は訓練が終わったのか、騎士達は荒れた訓練場を平になるように整備している。
イアンは、その中にラノアニクスの姿を探すが見つからなかった。
「すまない、ラノアニクスはどこへ? 」
イアンが、木材で出来た道具で地面をならしている騎士に訊ねる。
「ラノアニクスちゃん? ラノアニクスちゃんなら、先に帰らしたよ。彼女は大量の武器を一気に片付けてくれたからね」
「そうか。分かった、ありがとう」
ラノアニクスは既に、兵舎に帰ったようだった。
イアンも兵舎に戻ろうと踵を返した時――
「…アントワーヌ」
観覧席の下、訓練場の入口にアントワーヌがいることに気がついた。
彼女もイアンに気がついたようで、イアンの元へ近づいていく。
「やあ、イアン。ずっと、ここに残っていたのか? 」
イアンの目の前に辿り着いたアントワーヌが訊ねてくる。
「いや、ここに来たばかりだ。他の用事があったのでな」
「他の……おまえのだけにか? 」
アントワーヌの表情が、いつもの不敵なものから神妙なものへ変化する。
「ああ、ユニスの弟に斧を教えて欲しいと言われてな。今日の朝から夕方くらいまで教えていたのだ」
「ユニスの弟……あいつが? 」
アントワーヌが驚愕し、目を見張る。
「見知らぬおまえに話しかけるとは……本当に、二年で大きく変わったものだ…」
「む…あいつは人見知りだったのか? 」
感慨深げに呟くアントワーヌに、イアンが訊ねた。
「そうだ、あいつは昔…ほどでもないが、極度の人見知りでな。家に篭ってばかりのやつだった」
「ほう…」
「それが今では、知り合いでもなかったイアンに斧の教えを請うまで、人と話せるようになったみたいだな」
「ふむ…二年だったか、その間に何かあったのだろうな。ところで、おまえはここに何をしに来たのだ? 」
イアンが話の話題を変える。
今日もアントワーヌは、ユニスの補佐として彼女の家で執務を行っているはずであった。
「俺に任された執務が落ち着いてきてな。時間が出来たので、少し運動をしようと思ってな…」
アントワーヌはそう言うと、腰から二本の短槍を取り出す。
「げっ! アントワーヌ殿、今からここで訓練をするのか? 」
訓練場を整備する騎士が苦い表情をしながら、アントワーヌに声を掛けた。
「ああ。なに、軽くイアンと戦うだけだ。ここが荒れることはない」
「はぁ…終わったら、ちゃんと整備してくれよ…」
騎士はそういうと、地ならしの道具を担いで、訓練場を後にした。
「……オレと戦う? 今からか? 」
イアンが空を見上げながら、アントワーヌに問いかける。
空の色は赤から黒に変わり始めようとしていた。
「ああ、そうとも。だから、早く斧を抜け。日が暮れてしまうぞ」
「はぁ……嫌だと言っても、おまえは聞かないだろうな…」
イアンは観念下かのように息を吐き、ホルダーから戦斧を手に取る。
「ふふっ、今日は気分がいい。イアン、おまえに俺の奥義を見せてやろう」
「奥義? それは――」
イアンがアントワーヌに訊ねようとした時――
「いた! 見つけたぞ、アントワーヌ! 」
訓練場に男の声が響いた。
「……ちっ、嫌な奴が来たな…」
先程まで、不敵な笑みを浮かべていたアントワーヌが不機嫌な表情を浮かべる。
イアンが声の聞こえた方へ目を向けると、訓練場の入口に男と女の騎士が立っていた。
男の髪は茶色で、騎士の格好をしているが小太りな体型のせいか、あまり騎士としての風格を感じない。
男の後ろに立つ女は獣人であった。
側頭部から小さい耳が生えており、腰の辺りから伸びる細長い尻尾がゆらゆらと揺れている。
この場にいる者の中で一番せが高く、整った体型をしていた。
「なんですか? 兄上」
アントワーヌが振り返り、小太りな騎士を兄と呼ぶ。
彼は、アントワーヌの兄、パイクであった。
「なんですか…だと!? 」
パイクは肩を怒らせながら、アントワーヌの元へ歩いてくる。
「お前みたいな騎士になりたてのやつが、領主の補佐に任命されるとかおかしい! どうせ、親友の立場を使ってなったんだろう! そうだな!」
パイクがアントワーヌに捲し立てる。
彼は、ユニスの補佐をするアントワーヌの立場が気に入らないようだった。
「はぁ……そんなことを言うためにここに来たのですか…」
「そんなこと…だと!? いい気になりやがって……タブエール! 」
「はーい」
パイクに名を呼ばれ、彼の背後に立っていた獣人の女が前に出る。
「猫獣人……獲物は剣か…」
タブエールと呼ばれた獣人に目を向け、アントワーヌは誰にも聞かれない声で呟いた。
「兄上、どういうことですかな? 」
「おまえを倒して、俺が領主の補佐になる」
アントワーヌの問いに、パイクは頬を吊り上げながら答えた。
「こんなことをしてもユニスはあなたを認めないと思うのですが」
「ユニスに認めてもらおうなんて思っていない。周りに認めてもらえばいいんだよ! 」
「周りに…………なるほど、そういうことですか…」
アントワーヌはパイクの思惑を察する。
(領主のユニスといえど、多数派の意見を無視することはできない。こいつは、上流騎士に自分の方が領主の補佐に相応しいことを主張し、ユニスと同等…いや、それ以上の権限を得ようとしているのか)
パイクの考えは概ねこうであると、心の中でアントワーヌは推測した。
しかし――
(パイクにしては、よく考えたものだ……いや、違うな。こいつに、ここまでのことを考えられる頭はない……誰かの入れ知恵だろうな…)
この考えはパイクが考え出したものではないと判断した。
(何を思って、こいつを出世させたいのか知らんが、こいつに知恵を与えた者が誰なのかが気になる。終わった後に問いただすか…)
アントワーヌは、考えをまとめ――
「いいでしょう。この猫獣人と戦えばいいのですね? 」
と、パイクに言った。
「そうだ、おまえはこいつと戦うのだ。そこのおまえ! 」
パイクが唐突にイアンに指を差す。
「アントワーヌの仲間だな、訓練場から出て行ってもらおうか」
「……オレは手を出すなと? そんなことぐらい分かっている」
「いや、ダメだ。この訓練場に戦う者以外がいることは許されない。訓練所から出て行くか、俺と共に観覧席へ上がるんだな」
「……」
イアンがアントワーヌの方へ顔を向ける。
「イアン、観覧席に行け。なに、俺は負けんさ」
「……分かった」
「ふふ、お前達、まだ戦うなよ。上に行って、俺が合図をするまで動くんじゃあないぞ」
イアンはパイクと共に、訓練場を出ていった。
「おい」
イアンの背中を見送った後、アントワーヌはタブエールに話しかけた。
「なに? 」
「兄上がそれなりに出世していることは知っていたが、決闘の代理を任せられるほどの部下を持つほど高い地位では無いと思うのだが? 」
「うーん? 何を言っているのかな? 」
タブエールは小首を傾げる。
「私兵を持つほどの騎士ではないということだ。お前は雇われたのか? 」
「ああ、そういうこと……いや、あたしはパイク様の部下よ。雇われ騎士ではないわ」
「……そうか」
「準備はいいか? お前達! 」
パイクの声が聞こえ、アントワーヌが顔を上げると、観覧席にパイクとイアンがいた。
アントワーヌは短槍を持ったまま片手を上げ、準備ができていることを示す。
タブエールも同様に片手を上げた。
「ようし! じゃあ、戦闘開始だ! やっちまえ、タブエール! 」
「はーい! それじゃあ、やりますか」
タブエールは手を振ってパイクに答えると、腰に下げた剣を鞘から引き抜く。
そして、剣を持ったまましゃがみこんだ。
「やはり、猫瞬剣の使い手か…」
二本の短槍を構えながら、アントワーヌが呟いた。
猫瞬剣とは、猫獣人が得意とする剣術である。
猫獣人特有の身体能力を活かすために編み出された剣術で奇襲に長けている。
今のタブエールの体勢は、猫瞬剣の代表的な技である窮鼠狩りの構えであった。
「ああ…やっぱり、構えただけで分かっちゃうかー」
タブエールは残念そうに顔を俯かせた。
緊張感の無い態度を取るタブエールだが、アントワーヌは短槍を構えたまま、表情一つ動かさない。
猫瞬剣は奇襲を得意とし、一対一の戦いにおいても優れた剣術であるからだ。