百六十話 馬は平野を駆ける
ユニスが領主として、オリアイマッド領を治め始めてから数日後。
前領主ロイクの引き継ぎを早々に済ませ、ユニス達はようやく落ち着きを取り戻した。
領主となったユニスは、防衛隊長の頃よりも机で作業することが多く、執務室から出ることはあまりない。
彼女の補佐をするアントワーヌもいくつかの業務を抱えており、町役人の時よりも走り回ることが多くなった。
ここ数日で、二人の環境は大きく変わっていた。
そんな中、イアンとラノアニクスは暇を持て余していた。
騎士としての教育を受けた二人とは違って、イアンとラノアニクスには学はない。
故に、魔物退治等の戦闘業務ぐらいしかやることがないのだが、領内やその近辺に強力な魔物が現れることはなかった。
このような何もない時に、二人が訪れるのは、ピオリットの騎士訓練所である。
今日も二人は、やることがないので騎士訓練所に向かっていた。
「お? イアンにラノアニクスちゃんじゃないか。今日もやることがないのか? 」
イアンとラノアニクスが騎士訓練所に辿り着くと、犬獣人の男性に声を掛けられた。
彼はロイクに登用された騎士で、獣人の騎士は、このオリアイマッド領においては珍しくない。
その理由としては、ロイクが他国、人種等問わず優秀な者を登用していたからだ。
「まあな 」
イアンが男性に答えた。
「今日の訓練は何をするんだ? 」
「隊列を組みながらの戦闘訓練さ。イアン達も一緒にやるかい? 」
「ああ」
「ギャウ! 」
犬獣人の騎士の問いに、イアンとラノアニクスが返事をした。
「分かった。じゃあ、一緒に――」
犬獣人の騎士が歩き出そうとした時――
「イアン! 」
ユニスがイアンの元に駆け寄ってきた。
彼女がイアンの目の前に来ると同時に、犬獣人が視線を正しくする。
領主となったユニスだが、軽装の鎧を身に付け、金の刺繍の入ったマントを羽織っていた。
「ユニス、何か用か? 」
「ああ。これから、ノブサル領の領堺にあるデーエン砦に向かうところだ。それで、イアンに同行してもらおうと思ってな」
「オレに? 構わないが、オレは必要なのか? 」
「……まあな…」
ユニスが視線を逸らしながら答えた。
「…? 」
そんなユニスの様子に、イアンが首を傾げる。
「とりあえず、同行してもらうぞ」
「ああ。ラノアニクスも同行するが――」
「すまん。馬で来ていてな、二人は乗せられないのだ」
イアンが言い終わる前に、ユニスが答える。
「なに……どうするか…」
「イアン、ラノ一人でも大丈夫」
イアンが考えようとした時、ラノアニクスが声を出した。
「ラノアニクス……そうか、分かった。他の騎士に迷惑をかけるなよ」
得意げに胸を張るラノアニクスに、イアンはそう返した。
「ギャウ、問題ない」
「大丈夫さ、イアン」
ラノアニクスと共に、犬獣人の騎士も頷く。
「よし、準備はいいか? イアン」
「ああ、行くとしよう」
イアンは訓練所に背を向け、ユニスと共に歩きだした。
オリアイマッド領の最南端、その辺りの地域はデガ平野と呼ばれている。
真っ平らな野原は領堺を越え、ノブサル領最北端まで広がっていた。
デガ平野のオリアイマッド側にデーエン砦がある。
最南端にある砦ということで、天気のいい日には、デーエン砦からノブサル領最北端にある砦が見える時があった。
そのデーエン砦の役割は、ノブサル領へ出入りする者を検問し、不審人物の侵入及び逃走を防ぐものである。
今回、ユニスがここへ訪れる目的は、デーエン砦の検問方法を直に確認して不備を指摘することで、より確実に不審人物を発見させるよう改善させるためであった。
そして、今、砦の門の前で一人の騎士が検問の流れをユニスに見せていた。
「……異常なし。通ってよい! ……以上です…」
一通り検問の流れを実施した騎士が額に汗を滲ませながら、ユニスへ体を向ける。
「……うむ。確認を行う順番は良し。だが、体を調べる時は目視だけではなく、手で武器を隠しもっていないかを確認してくれ。触らないと分からない所へ隠している者もいる……かもしれない」
ユニスはとある人物を思い浮かべながら、騎士へ言った。
「なるほど、分かりました! 」
騎士は納得したようで、大きな声で返事をした。
「検問についてはそのくらいだ……で、最近変わったことはないか? 」
「変わったことは……ありません。ただ、エンリヒリスの領地拡大部隊に応援に行った隊長達は、まだ帰ってこないのですか? 」
「……そうだったな。もうじき帰ってくる頃だろうか…」
エンリヒリス領は、領地拡大部隊を編成するために、他領の騎士を借りていた。
蛮族を殲滅したことで、領地拡大を中断しているため、他領の騎士は帰ってくるはずであった。
「分かった。エンリヒリスの領主に確認してみる。他にはないか? 」
「いえ、ございません」
「うむ。では、小生はピオリットに帰るとしよう……あと、不審人物を捕らえたら、速やかに報告するように」
「はっ! 」
騎士が返事をしたことを確認した後、ユニスは門を離れ、デガ平野に出た。
「終わったか…」
門から少し離れた所で、馬と共にイアンが待っていた。
「ああ。すまないな、こんな所で待たせてしまって」
「いい。それで、もう帰るのか? 」
「いや、平野を少し回っておこう。馬に乗ってくれ」
「……ああ」
イアンとユニスも馬に跨った。
ユニスが手綱を操り、馬を走らせる。
「……む? 」
イアンは首を傾げた。
馬は平野を駆け回っているのだが、本当にそれだけのように思えた。
「なぁ、ユニス。一体、何をしているのだ? 」
馬を走らせる彼女の意図が分からないイアンは、疑問を口にした。
「……イアン、気持ちいいか? 」
イアンに顔を向けず、ユニスが答えた。
「気持ち…いい? 」
「風を切って進むのは気持ちがいいだろう? 」
「ああ、そういうことか。確かに、馬に乗って駆け回るのは気持ちがいい」
「そうか……良かった」
イアンの前で、手綱を引くユニスは頷いた。
「それで、何をしているのだ? 」
しかし、イアンは納得していなかった。
「何を……ただ平野を走り回っているだけだ」
本当に走り回っているだけであった。
「……ほう、理由はあるのか? 」
「い、言わなきゃ、ダメか? 」
ユニスは言いたくなさそうであったが――
「言ってくれると助かる」
「……はぁ…」
イアンの言葉を受け、観念したかのように口を開いた。
「その…なんだ……おまえとの仲を深めたいと思ってな。こうしておまえを砦の視察に連れ出し、共に平野を駆け回っているのだ」
ユニスは頬を掻く等の仕草をしながら、イアンに言った。
「仲を……共に馬に乗ったら仲良くなるものなのか? 」
「うっ……これぐらいしか思いつかなかったのだ。仕方あるまい」
ユニスの体は大きく横へ傾いたが、落馬することはなかった。
「ふむ……心配しなくても、オレはユニスのことを嫌ってはいないぞ」
「……ありがとう。だが、そうではない。違うんだ、イアン…」
「……? 」
ユニスの言葉にイアンは眉をひそめた。
平野を走っていた馬は速度を緩め、やがて足を止めた。
静止した馬上から、ユニスは空を見上げ――
「ふと、こうしないといけない……そう思ったのだ…」
と呟いた。
イアンには、ユニスの顔を見ることができなかったが、その時の彼女は不安そうな表情をしていると感じた。
ユニスとイアンがピオリットに戻ってきた頃、空は赤く染まり出していた。
ユニスの家に辿り着くと、イアンはユニスと別れ、自分の宿泊する兵舎へと足を向けた。
ピオリットの町を歩くイアン。
夕暮れということもあって、人の往来が少なくなっていた。
「あっ! 」
「む? 」
しかし、イアンは人とぶつかった。
イアンが腹の辺りに痛みを感じ、下方へ目を向けてみると、町の石畳の上で少年が尻餅をついていた。
少年は金色の髪を持ち、どことなく気品を感じさせる雰囲気を持っていた。
「ああ……すまん。大丈夫か? 」
イアンは少年に手を差し出す。
「あ……すみません。お怪我はありませんか? 」
「むぅ…それはこちらのセリフだ」
イアンは少年の言葉に、苦い表情で答えた。
そして、イアンは手を取り、少年を引き上げる。
「オレも言えたことではないが、前を向いて歩かなければ危ないぞ」
「すみません…………あ…」
「では、早く家に帰るといい」
イアンが少年の横を通り過ぎようとした時――
「待ってください…」
少年に呼び止められた。
「なんだ? 」
イアンは振り返り。少年を見る。
「その黒いマント……あなたは騎士の方…ですよね? 」
「ああ、そうだが…」
「……あ、あの……僕に、剣を教えてください! 」
少年はイアンに頭を下げた。
「……」
頭を下げる少年には見えていないが、イアンは今、困ったような表情をしていた。
「……まず、いきなりだな。剣の使い方を教えて欲しければ、訓練所にでも行けばいいだろう…」
「訓練所はダメです……子供の僕は追い払われてしまします」
(確かに、ユニスやアンに比べたら、こいつは小さいな…)
イアンは心の中でそう思った。
「ふむ……では、何故剣を知りたい? 」
「それは、国を守るためです」
少年は迷うことなく答えた。
「国か……大きく出たな。なんにせよ、オレにはおまえの望みを叶えることはできん。他を当たるんだな」
イアンはそう言うと、踵を返す。
「何故――」
「オレが使うのは斧だけだからだ。剣など知らん」
食い下がる少年に、イアンはマントを広げた。
彼の腰が顕となり、そこにある戦斧が少年の目に入った。
「じゃあ、斧でいいです! 」
「……!? な、なんだって? 」
イアンは少年の言葉を耳にし、躓きかけた。
てっきり、諦めるものだと思っていたが、少年はまだ食い下がるのだ。
「強くなれるのなら、なんでもいい……僕は力が欲しい…」
少年は顔を上げ、イアンの目を見つめていた。
彼の目は力強く、言っていることは本心のようであるとイアンは感じた。
「…………分かった。そこまで言うのなら教えてやろう」
考えた後、イアンはそう答えた。
「本当ですか! ありがとうございます! 」
少年は再び頭を下げる。
「明日の……朝、ここに来るといい……名前はなんと言う? オレはイアン・ソマフ…」
「…イアン・ソマフ……さん」
少年はイアンの名を噛み締めるように呟いた。
「……イアンでいい。それで、おまえの名は? 」
「はい、僕の名は…ロランド。ロランド・キリオスです! 」
少年は、元気よく自分の名を口にした。
2016年6月11日――誤字修正
エンリセン領なんて無い