百五十九話 平原の美味
ほのぼの回
イアン達が王都から戻ってきた日から次の日。
ユニスの家にある執務室に、イアン達はいた。
「……むぅ…」
「ふむ……」
そこで、ユニスとアントワーヌは大量に積まれた書類に目を通していた。
「……先程から、二人は何をしている? 」
「領主となった今、領地の状況を把握しとくべきだと思ってな。ここ最近の記録を見ているのだ」
イアンの問いに、ユニスが答えた。
「領地を運営するには大事なことで、本来なら領主となる前に把握しとかなければならない。今日中にこの作業を終えるつもりだ」
「ほう……アントワーヌも同じことを? 」
「ああ……同じものを見ているわけではないがな」
アントワーヌは書類に目を向けたまま答えた。
「失礼します。エンリヒリス領堺の砦より、書類をお持ちしました」
「失礼します。エンリセンの港より、書類をお持ちしました」
大量の紙の束を抱えた役人が執務室の中に入ってくる。
「ご苦労。エンリヒリスはそこ、エンリセンはそっちに置いてくれ」
「「はい」」
ユニスの指示を受け、役人達は書類を置くと――
「「失礼しました」」
執務室を出ていった。
「……一日で終わるのか? 」
「グゥ…」
次々と積まれていく書類の山に、イアンとラノアニクスは唖然とするばかりであった。
「ユニス、オレ達は何をすればいい? 」
「…………今は特に――」
「失礼します! 」
突如、執務室の扉が勢いよく開かれ、部屋の中に役人が飛び込んできた。
「……ノックはしなくていいと言ってあるがな……強く扉を開けるのはやめてくれ…」
扉を開けた勢いで書類が吹き飛び、ユニスが紙の山に埋もれていた。
「も、申し訳ございません! 」
彼女の姿を見て、役人は青ざめた顔のまま、頭を下げた。
「ふぅ、どうせ後で滅茶苦茶になるんだ。気にすることはないがな。で、何があった? 」
「あ……大変です。エンビシャザードが北の平原に現れました! 」
「なんだと!? 」
「……!? 」
役人の言葉にユニスは驚愕し、思わず立ち上がってしまった。
アントワーヌも驚いたのか、目を見開いて役人の顔を見ている。
「エン……なんだって? 」
「ギャウ? 」
エンビシャザードを知らないイアンとラノアニクスだけがキョトンとしていた。
「ああ…イアンとラノアニクスは知らないか。エンビシャザードは、北の平原に周期的に現れる魔物だ」
ユニスがイアンとラノアニクスに向けて、エンビシャザードの説明を始める。
「甲殻を纏った虫のような外見を持つ蜥蜴型の魔物で、前足の鋏は強力で重戦士の鎧をも砕いてしまうほどだ」
「ほう、鋏を持っているのか……懐かしいな。それで、何をそんなに驚いている? 」
「さっき周期的に現れると言ったろう? 奴が現れるには一ヶ月も早いのだ」
「さらに、今は見て分かる通りバタバタとしている。オレ達だけではなく、他のところもそうだ。つまり、エンビシャザードを討伐する騎士がいない」
ユニスに続いて、アントワーヌがイアンに説明した。
「それならば、ちょうどいい。オレ達が倒しにいこう」
「そう……だな。行ってもらえると助かる。だが、気をつけろよ。エンビシャザードは平原のどの魔物よりも強い」
「ユニスの言った通り、本当に強いからな。気をつけろよ、イアン」
「ああ、行くぞ」
「ギャウ! 」
イアンとラノアニクスは、エンリシャザードを討伐するため、ユニスの家を後にした。
イアンとラノアニクスは、役人が呼んだ馬車に乗り、オリアイマッド領と平原の境目のあたりで降ろされた。
「私が案内できるのはここまで……討伐が終わったら、近くの村に行き、そこの村長へ報告をお願いします。馬車の手配もしてくれるはずです」
「分かった」
「では、私はこれで…」
御者はそう言うと、馬車を走らせ、領地の方へ帰っていった。
「ここから探すのか」
イアンは御者から平原の方に目を向け、そう呟いた。
「行こう、イアン。平原だから、すぐ見つかる」
ラノアニクスはそう言うと、平原を進んでいく。
「そうだな、行くとしよう」
イアンもラノアニクスに続いて、歩き始めた。
平原には数日前のように魔物が多く存在することはなかった。
その代わり――
「あいつか…」
一際大きい魔物が平原にいた。
その魔物は、ユニスの言った通り虫のような外見をしており、堂々と平原を歩いている。
話に聞いたエンビシャザードで間違いなかった。
「む? 」
イアンは、エンビシャザードに近づいていくサイベアーが目に入った。
サイベアーは威嚇しながら近づいていき、やがてエンビシャザードに襲いかかった。
「……!? 」
イアンは目に入った光景に驚愕した。
エンビシャザードに襲いかかったサイベアーが胴体を真っ二つにされたのだ。
一瞬の出来事で、イアンが我に返った時には、エンビシャザードはサイベアーの肉片を踏み越え、何事もなかったかのように歩いている。
「これは……予想以上だぞ…」
イアンの額から、一滴の汗が滴り落ちた。
平原を歩くエンビシャザードの後ろをイアンとラノアニクスは追っていた。
気づかれないように、二人はある程度距離を離していた。
「ムッ! イアン、近づきすぎ、気づかれるぞ」
「ああ、すまん」
エンビシャザードとの間合いはラノアニクスが本能的に測ったものであった。
「さて…ラノアニクス、もうそろそろ攻撃を仕掛けてもいいだろうか? 」
「グゥ…………ムッ! イアン、準備だ! 」
「分かった」
ラノアニクスの言葉を受け、イアンは鎖斧を後方へ投げ飛ばす。
ジャラジャラジャラ…
鎖斧から真っ直ぐに鎖が伸びていき――
「今だ、イアン! 」
「うおおっ! 」
ラノアニクスの合図で、イアンは鎖を両手で持ち、体を大きく動かしながら振り回した。
イアンが鎖を振り回したことで、鎖斧は円を描くような軌道で、エンビシャザードの頭目掛けて振り下ろされる。
彼の大技である張縄伸斧撃がエンビシャザードに炸裂する。
ガンッ!
「なんだとっ!? 」
鎖斧はエンビシャザードの頭に弾かれた。
イアンは張縄伸斧撃が効かなかったことに驚きつつも、鎖斧の鎖をボックスへ収納していく。
その間に、イアン達の存在に気づいたエンビシャザードが方向を変え、彼らのいる方向へ頭を向ける。
「…!? イアン! 」
「…ぐっ!? 」
エンビシャザードと顔を合わせた瞬間、ラノアニクスがイアンの片腕を掴んで跳躍した。
彼女の力のおかげで二人は軽くなり、高く跳躍することができた。
空中に飛び上がった二人の下をとてつもない速度で、エンビシャザードが通過していく。
「一瞬で、あの速度!? 巨体のくせに、なんて瞬発力だ! 」
「硬いのに速い……イアン、今度はラノがやる! 」
空中から着地した後、ラノアニクスがエンビシャザード目掛けて駆け出した。
エンビシャザードは跳躍の反動なのか、彼女に背を向けて動かない。
「ギャオ! 加重竜脚! 」
ラノアニクスは跳躍し、エンビシャザードの背中に向けて急降下する。
しかし――
ズドンッ!
ラノアニクスは平原に落下した。
エンビシャザードは、ラノアニクスの加重竜脚を横に転がって躱したのである。
そして、エンビシャザードは長い体を方向転換すると同時に、ラノアニクスに向けて鋏を振り回した。
「まずい! 躱せ、ラノアニクス! 」
先程の無残に切り裂かれたサイベアーの姿を思い出し、イアンがラノアニクスに向けて声を上げた。
「ギャウ! 」
ラノアニクスは跳躍し、エンビシャザードの鋏に切り裂かれることはなかったが――
バチッ!
「うっ! 」
鋏の後に振り回された尻尾がラノアニクスに激突した。
「ラノアニクス! ぐっ…う…」
イアンはエンビシャザードの尻尾に弾かれたラノアニクスを受け止める。
「……! サラファイア! 」
そして、ラノアニクスに声を掛けるまもなく、イアンは両の足下から炎を噴射させて、空に飛び上がった。
方向転換により、イアンの方に頭を向けたエンビシャザードが突進してきたのだ。
「大丈夫か? ラノアニクス」
「グゥゥ…大丈夫…」
イアンに抱えられながら、ラノアニクスは頭を横に振った。
「そうか。ラノアニクス、もう一度行けそうか? 」
「グゥ…難しい。あいつ速いから、ラノの攻撃は当たらない」
「そこだな。攻撃を与えるには、奴の動きを止めなければ……その上で、奴に通用する攻撃をしなければならないが」
イアンは自分の右手のひらを見つめた。
「硬い奴にはリュリュスパーク……こいつならばいけそうだ」
「ギャオ! イアンにはビリビリがあったか! なら、動きを止めるのは任せろ」
「ほう! その方法は? 」
「ラノがあいつを受け止める」
「そのまんまか……流石に丸腰のままでは心配だ。とりあえず、着地は任せた」
「わかった」
ラノアニクスの力により、二人は空中から平原に着地した。
その時、イアンがショートホークを二丁取り出し、ラノアニクスに渡す。
「鋏が来たら、そいつで防げ」
「おお……おおっ! 」
ラノアニクスは初めて手にする武器に感動したのか、両手に持ったショートホークを見上げ、目をキラキラと輝かせていた。
「聞いているか? ラノアニクス」
「ギャウ! 問題ない。イアンは後ろにいろ」
「……頼むぞ」
イアンは心配しつつ、ラノアニクスの後ろに下がった。
その時、エンリシャザードは方向転換を済ませ、二人に頭を向けていた。
そして、突進を行うために尻尾を丸め始める。
「あいつ…丸めた尻尾を地面に叩きつけていたのか。それだけで、あの瞬発力を生み出すのか…」
イアンは、エンビシャザードの瞬発力の秘密を知り、目を丸くさせた。
「グゥゥゥゥゥゥ…」
ラノアニクスは二丁のショートホークを構え、唸り声を上げる。
彼女は力を自分の体を重くするために使っているのか、足の周りが陥没していく。
そして、突進の準備が整ったエンビシャザードが尻尾を地面に叩きつけた。
それにより、とてつもない瞬発力が生まれ、真っ直ぐラノアニクスへエンビシャザードが飛んでいく。
「グッ…!」
ラノアニクスがエンビシャザードの突進を受ける。
エンビシャザードは、突進の勢いを乗せた鋏をラノアニクスへ向けていたが、ラノアニクスを切断することはできなかった。
ラノアニクスがショートホークで、鋏を受けたのである。
「ギャオオオオ! 今だ、イアン! 」
「ああ、よくやった! 」
ラノアニクスの声を受け、イアンはサラファイアで飛び上がり――
「ふっ! 」
エンビシャザードの突き出た黒い目に、戦斧を叩きつけた。
「リュリュスパーク! 」
そして、間髪入れず戦斧の刃の部分に右手を添え、雷撃を放った。
雷撃は、戦斧の刃からエンビシャザードの目の中に伝わる。
リュリュスパークも強化されており、一瞬であった雷撃が今は十秒程流し続けることが出来ていた。
イアンの右手から放たれた雷撃は、エンビシャザードの体を駆け巡り、バチバチと尻尾から地面へと突き抜けていた。
香ばしい匂いを放ちながら、エンビシャザードはその場に倒れた。
「ふぅ……うまくいったな。ラノアニクス、よく……」
エンビシャザードの体から、平原に降りたイアンがラノアニクスに声を掛けようとしたとき、彼女はヨダレを垂らしながら、エンビシザードを見つめていた。
「む…むぅ? 」
心なしか、ラノアニクスの目がハートの形をしているように見えたイアン。
「……どうした? 」
一応、イアンはラノアニクスに訊ねた。
「……イアン、こいつは食えば絶対美味いぞ……ラノには分かる…」
「はぁ、やはりそんなことを考えていたか…だが、こいつはまも――」
「ギャウ! もう我慢できない! 」
ラノアニクスはエンビシャザードに飛びかかった。
硬い甲殻は目当てのものではないらしく、バリバリと剥がしていく。
「わあ……」
すると、剥がした甲殻の下から白い身が現れ、ラノアニクスが感嘆の声を上げる。
「……確かに、美味そうだ…」
「いただきまーす! 」
ラノアニクスは白い身にかぶりついた。
「んん~! 」
白い身を頬張るラノアニクスは、幸せそうな顔をする。
「……ラノアニクス、少しオレにも分けてくれないか? 」
あまりにもラノアニクスが美味しそうにするので、イアンも興味が沸いてきた。
「ギャウ! イアンも食え! 」
「…………うまい…」
エンビシャザードに肉はイアンの口にも合っていた。
特にプリっとした食感がたまらなかった。
エンビシャザードを食べ尽くした後、イアントラノアニクスは近隣の村の村長に会い、エンビシャザードを討伐したことを報告した。
その後、村長が手配した馬車に乗り、ピオリットにあるユニスの家に向かった。
二人がユニスの家に辿り着いたときには、日が暮れ始めていた。
「帰ったぞ……大丈夫か? 」
イアンが執務室に入ると、綺麗に並べられた書類の山と、ぐったりしているユニスとアントワーヌの姿が目に入った。
「う……イアンか……無事で何より…」
机に突っ伏していたユニスが顔を上げる。
「そちらは大変だったようだな。本当に一日で終わったのか? 」
「ああ…なんとかな」
「オレ達も大変だったが、そっちも同じだろう……エンビシャザードはどうだった? 」
「「美味かった」」
アントワーヌの問いに、イアンとラノアニクスは声を揃えて答えた。
「え? 」
「は? 」
ユニスとアントワーヌは間の抜けた声を出した。
「また出てきたら、オレ達に任せろ」
「任せろ」
呆けたように口が開きっぱなしの二人に対し、イアンとラノアニクスはそう言った。
その時のイアンとラノアニクスは、とても頼もしい顔をしていた。