百五十四話 激突する二人
ユニス達の主な任務が見回りとなって数日の夜。
第二拠点の執務室にユニスは、アントワーヌ、イアン、ラノアニクスの三名を呼んでいた。
「明日は小生も見回りに参加する」
椅子に座るユニスが声を出した。
「小生が見回りを行うのは……午後からにする。アン達は午前な」
「分かった。イアン、明日は早いから、もう寝るとしよう」
「いや……イアンは小生と見回りを行う。アンと見回りをするのはラノアニクスだ」
「なに? 」
執務室から出ようと踵を返したアントワーヌが振り返る。
「そろそろ、おまえ達も仲がよくなってきただろう? 」
「俺は構わないが……」
ユニスに訊ねられ、アントワーヌは横目でラノアニクスを見る。
「グゥゥゥゥゥ…」
ラノアニクスはアントワーヌを睨みつけながら、低く唸っていた。
そんな彼女を見たアントワーヌは、一瞬だけ頬を吊り上げた。
「まだ、ラノアニクスは俺のことが嫌いな様子……ここは――」
「いや、いつまでも離れて行動しては、ずっとこのままだろう。いい機会だ、明日のうちに仲をよくする努力をするといい」
「ぐっ……」
ユニスに意見しようとしたアントワーヌであったが、イアンに口を挟まれ、開いていた口を閉ざす。
「グゥゥゥ…」
「ラノアニクスもな」
「ギャウ!? 」
唸り続けるラノアニクスの額をイアンは軽く弾いた。
「グゥゥ…イアンが言うなら」
「……まあ、そう…だな……分かった」
アントワーヌは大人しくなったラノアニクスを見た後、執務室を出て行った。
「ラノ、もう寝る…はぁ…」
ラノアニクスも重い足取りのまま、執務室を後にした。
「……うまくいくだろうか」
イアンも執務室から出ようと、ドアに手をかけた時――
「待て、イアン」
ユニスに呼び止められた。
「なんだ? 」
イアンは振り返り、ユニスに視線を移す。
「……アンについて…だが、あいつに鍵を渡したのはおまえだな? 」
「そうだ……で、それがどうかしたのか? 」
「いや、どうもしない。ただ、イアンが絡んでいそうだなと思っただけだ」
「……そうか」
イアンはそう返し、ドアの方へ体を向ける。
「あ! 待て待て、まだ話しは終わっていないぞ」
「……? 」
ユニスは立ち上がり、イアンの元へ歩み寄る。
「明日の午前は、模擬戦をやろうではないか」
「模擬戦……か。最近、集団行動の訓練ばかりだったからな……いいだろう」
「よし、この剣の腕を鈍らせるわけにはいかん。全力でかかってくるがいい」
「……その後に見回りがあるのを忘れるなよ…」
イアンとユニスはそう言葉を交わした後、執務室を出た。
――朝。
太陽が昇り始めた頃、アントワーヌは馬を引き、第二拠点の門の前を歩いていた。
彼女の後ろには、ラノアニクスがおり、仏頂面で歩いている。
「ふぅ…」
そんな彼女の顔を肩ごしに見つめ、アントワーヌは息を吐いた。
(ここまで引きずるか。面倒な奴…)
顔を正面に戻し、アントワーヌはそんなことを思っていた。
「そろそろ馬に乗れ、ラノアニクス」
アントワーヌが足を止め、ラノアニクスに馬に乗るように促す。
「……うん」
ラノアニクスは、アントワーヌの指示に従い、馬の上に乗った。
(おお、言うことはちゃんと聞いてくれるのだな。イアンに言われてやるのが、少々癪だが…)
アントワーヌはそう思いながら、馬の上に乗り、手綱を引いて馬を走らせた。
その後、二人は自分達が担当する範囲の見回りを行う。
この間、二人は一切の会話がなかった。
(……つまらん! なんだこれは!? あまりにつまらなすぎて、俺が真面目に見回りをやるほどだぞ! )
アントワーヌは心の中で、この状況に嘆いていた。
「……ああ! くそっ、もう我慢の限界だ! お前、そんなに俺のことが嫌いか! 」
堪らず、アントワーヌは後ろにいるラノアニクスに怒鳴りだした。
いきなり怒鳴りだしたアントワーヌに、一瞬ラノアニクスは驚いた。
その後、すぐに表情を変え、口を開く。
「ギャオ! 嫌いだ! お前、何を考えているか分からない! 」
「なに? 俺の考え…だと? 」
「お前、いつも何か企んでる! ラノ、それが気に入らない! 」
「うっ……!? 」
アントワーヌは、ラノアニクスの言葉に驚愕する。
(こいつ…頭の悪い奴だと思っていたが、なかなか鋭い……)
アントワーヌはラノアニクスを力が強いだけの奴と軽視したが、この時から彼女の考えは改まる。
「くっ……だから何だと言うのだ! 俺が何を考えようと俺の勝手だ! 」
しかし、この時のアントワーヌは珍しく激昂しており、冷静な判断ができなかった。
バシッ!
「グゥ!? 」
アントワーヌは振り向いたまま、ラノアニクスの頭を叩いた。
彼女は手を出してしまったのである。
これには、抑え気味であったラノアニクスも頭に血が上り――
「ギャウア! 」
アントワーヌに飛びかかった。
「ヒヒーン! 」
「くっ…! 」
「グゥゥゥゥゥ! 」
馬が驚いて悲鳴を上げる中、二人はもつれながら馬上から落下する。
「痛っ! やってくれたな、蜥蜴獣人め! 」
「ギャオ! うるさい! 」
二人は互いに掴み合いながら、ゴロゴロと平野を転がっていく。
「グゥア! 」
ラノアニクスはアントワーヌの髪を引っ張った。
「ぐ!? この! 」
「ギ!? 」
髪を引っ張られ、アントワーヌは更に怒り、ラノアニクスの頬を強く引っ張る。
二人を止める者はその場に現れず、二人はいつまでも喧嘩を続けた。
――夕方。
イアンとユニスは模擬戦を終え、見回りの準備を行っていた。
馬を引き、拠点の門に来たが、彼らはまだ見回りを行わない。
イアン達と交代するはずのアントワーヌとラノアニクスが帰ってきていなのだ。
「遅いな……今日は早めに引き上げると思ったのだが…」
「……」
二人は平野を見回し、彼女達の影が見えないか探す。
「……ん? 影が見える…」
イアンは視界の奥で揺れ動く影が見えた。
「どうする? ユニス」
「二人が帰ってきたのかもしれない。行ってみよう」
イアンとユニスは馬に乗り、影を目指した。
二人が近づくにつれ、影の人物が鮮明になっていく。
「……やはり、アントワーヌとラノアニクスか……はぁ…」
ユニスの背から頭を出し、影の正体を確認した後、ため息をついた。
アントワーヌは馬の手綱を引きながら歩き、その少し離れたところでラノアニクスが歩いていた。
「二人共、何かあっ――何があった!? 」
アントワーヌの元に辿り着き、声を掛けたユニスが驚愕する。
「……ユニスか…」
アントワーヌが顔を上げ、ぼそりと呟いた。
ユニスを見上げる彼女の姿はボロボロで、自慢の髪もボサボサになっていた。
「……ラノアニクスも…」
ユニスが離れた所にいるラノアニクスに視線を移す。
彼女もアントワーヌと同様にボロボロな姿をしていた。
「おまえ達、二人がこんなボロボロに……強い魔物にでも遭遇したのか!? 」
「……」
「……」
ユニスの問いに二人は視線を逸らすだけで、何も答えなかった。
「何故、何も答えない……まさか、おまえ達は――」
「ユニス、さっさと見回りに行くぞ」
ユニスが二人がしでかしたことを察した時、イアンが言葉を遮った。
「あ、ああ、だが――」
「いい。それは二人の問題だ。オレ達には関係ない。あと、おまえはこうなることを想定していなかったのか? 」
「……!? 」
イアンのその言葉にユニスは、胸を突かれる痛みを感じた。
ユニスはこれまで共に戦ったことで、アントワーヌとラノアニクスの仲が少しだけ良くなったと思っていた。
それで、今回共に見回りを行うことで、更に二人の仲が深まると考えた。
しかし、それらは彼女の思い込みであった。
そのことに今、ユニスは気づかされたのである。
「なら、何故あの時……」
イアンは、二人の仲が良くないことに気づいていた。
気づいていたにも関わらず、自分を止めなかったイアンを責めようとした。
しかし、彼女は言葉を飲み込んだ。
気づいたのである、それがただの八つ当たりであると。
「……」
ユニスは唇を噛み締めながら、俯く。
この結果を招いたのは、自分が彼女達をしっかり見ていなかったからだと思ったのだ。
頭を下げ、震えるユニスの背を見たイアンは――
「行こう、ユニス。日が経てば、良くなるだろう」
と声を掛けた。
「……ああ」
イアンの言葉を受け、ユニスが馬を走らようと手綱を引いた時――
「ユニス隊長? ちょうどいいところに! 」
馬に乗った騎士が現れ、ユニスの元へ走ってきた。
「む? 伝令兵か。今、見回りの最中だ。騎士長殿の指示なら、拠点にいるヘーク歩兵長に伝えておいてくれ」
「お待ちください! 此度はあなたにお伝えすることがあり、馬を走らせました! 」
ユニスはそう言い、伝令兵の横を通り過ぎるが、伝令兵が必死に呼び止めた。
「小生に? どういった要件だ? 」
馬の足を止め、伝令兵を見つめるユニス。
「お伝えすることは……」
伝令兵は言葉を詰まらせる。
その後覚悟を決めたかのように息を吐き――
「あなたの父、ロイク・キリオス様が何者かの手によって……殺害されました…」
と、かすれた声を精一杯搾り出すように言った。
彼の言葉に、ユニス達は動きを止め、伝令兵を見つめるだけしかできなかった。
ただ一人、アントワーヌが動き、伝令兵の元へ向かう。
「お、おい。何の冗談だ? 領主が殺されるなぞ……周りに護衛はいなかったのか…」
伝令兵の前で、アントワーヌが震える声を出す。
ユニスの父、ロイクが殺される。
それはアントワーヌにとって、他人事ではない。
なぜなら、彼女の父はロイクの部下であり、彼と共にいた可能性が非常に高いからだ。
「ロイク・キリオス様を護衛していた騎士達も殺害されました」
「その騎士達の中に、フィリク……フィリク・ルーリスティという名はあるか? 」
「……あります」
アントワーヌの問いに、伝令兵は声を搾り出すように答えた。
この言葉の後、その場にいる者は誰一人として、動くことができなかった。
夕日が地平線の向こうへ沈んでいくだけであった。