百四十九話 燃える集落
ユニスが牽制の任を受けた次の日。
彼女達は、ツチ族の集落があるという北の小山を目指して出発した。
ツチ族が使う武器はその名の通り、槌である。
槌の一撃は重く、並みの騎士では剣を弾かれ、衝撃により腕を骨折させてしまうことがある。
ツチ族に囲まれ、退路を失った状況に陥れば絶望的である。
「見ろ」
手綱を引くアントワーヌが顔を横に向ける。
彼女の乗る馬には、イアンが相乗りし、ユニスの乗る馬にはラノアニクスが相乗りしていた。
アントワーヌの視線の先には、第二拠点と同じような建物が建っていた。
「第三拠点…だな。その先には第四拠点がある」
ユニスがアントワーヌと同じ方向を見ながら言った。
「先…第三拠点の西にあるのか…」
「ああ、第三と第四は地図で見れば横に並んでいる。ちょうどこの辺りでソルフーンス山脈を抜けるから、平野が広くなるんだ」
イアンの呟きに、ユニスが答えた。
「この広い平野で思いっきり馬を走らせたら、さぞ気持ちいいのだろうな」
アントワーヌが広大な平野を眺めながら呟いた。
「それをするには、まだ時間がかかりそうだがな。さて、小山はここから北東の位置にあるらしい。ここいらで、昼食を取るとしよう」
「ギャーイ! ご飯だー! 」
昼食を取ると聞いて、ラノアニクスが真っ先に馬から降りた。
「はははは! ラノアニクスには緊張感というものがないらしい」
「……なんか、すまんな」
笑うユニスに対して、イアンが頭を下げる。
「謝る必要はないさ。むしろ、明るくていいじゃないか」
「グゥ……早く、ご飯食べよう」
待ちきれないのかラノアニクスが、ユニスの腕を引っ張る。
「おいおい、慌てるな。今準備する」
ユニスはそう言うと、馬から降りた。
こうして、イアン達は平野のど真ん中で昼食を取ることにした。
昼食を取った後、イアン達は北西に向かって馬を走らせた。
数時間後、彼らの視界に小さな山が見え、一旦馬の足を止める。
「あれは……谷か」
遠目で小山を見つめるアントワーヌがそう呟いた。
小山に対して溝になった道が、山の奥に続いていた。
「あの谷を進むと、ツチ族の集落があるらしい。小山の岩壁に囲まれた天然の要塞で、攻めるのが困難…ということだ」
ユニスが集落についての情報を口にする。
小山には草木は生えておらず、山というより巨大な岩の塊に見える。
彼女の言う通り、天然の要塞という言葉が相応しい相貌であった。
「そこで、俺達が奴らをおびき出し、手薄になった集落を第三、四拠点の連中が攻め落とすと……で、いつ仕掛ける? 」
アントワーヌがユニスに訊ねる。
「着き次第行動せよ…と書いてあったな」
「ふむ…第三、四拠点の部隊は既にどこかで待機しているのだろうか……とりあえず、命令通り谷の中に入るか? 」
「やむおえんな。いつ蛮族が顔を出すか分からん。慎重に進むぞ」
ユニス達は谷を目指して、馬を走らせた。
谷に入ると遠目で見た通り、両側を岩壁に挟まれた一本道が山の奥に続いていた。
「本当に一本道だな。堂々と、この道を進んでいるが大丈夫なのか? 」
アントワーヌの後ろで、イアンがユニスに訊ねる。
「小生達はあくまでも牽制が目的だ。蛮族に見つかった場合、すぐに引き返せばいい」
「……そうか」
「それより見ろ。奴らの集落が見えてきたぞ」
アントワーヌが前方に指を差した。
その方向には、集落の入口を示すアーチ状の建造物があり、その奥には住居にしているであろう幾つものテントが見えた。
「よし、今からあの集落に突撃する。蛮族共が顔を出したら一気に谷を駆け抜けるぞ」
「いや、全速力で走ったら、奴らは追ってこないだろう。程よい速度で蛮族共を引き付けるぞ」
ユニスの発言に対し、アントワーヌがそう言った。
「む…言われてみれば……とにかく、突撃を開始する。イアン、ラノアニクス、しっかり掴まってろよ! 」
ユニスのその言葉を合図に、手綱を引く二人は馬を走らせた。
ユイス達は集落の中心で馬を止め、蛮族達が出てくるのを待つ。
「……出てこないな…」
ユニスが周りを見回しながら、呟いた。
しばらく経つが、蛮族は一人も現れなかった。
「様子がおかしい。人の気配が全くしないぞ」
「確かに。というか、一人もいないことはあり得るのか? 」
イアンとアントワーヌが人の気配がしないことに気づく。
「グゥ……」
「む? どうした、ラノアニクス」
ユニスが自分の後ろにいるラノアニクスの異変に気づいた。
「ここ、なんか臭い匂いがする」
「匂いだと……むっ!? 皆、馬から飛び降りろ! 」
「「「……!? 」」」
突然、ユニスが何かに気づいて声を上げた。
その言葉に反応し、イアン達は馬から飛び降りる。
「ヒ、ヒヒーン! 」
「ヒッ―!? 」
全員が飛び降りた瞬間、二頭の馬に大量の矢が降り注いだ。
馬は矢の雨を浴びたことで、その場に横たわる。
「矢だと!? 全員身を隠せ! 」
ユニス達は矢の雨から逃れるため、テントの影に身を隠す。
「どうなっている? ここはツチ族の集落じゃあないのか…」
アントワーヌが額に汗を滲ませながら呟いた。
「ツチ族も矢を使うのではないか? 」
「馬鹿な、そんな情報は聞いていない。それに今は、この状況から抜け出すことが先決だ」
イアンの問いにユニスが答えた。
「矢の降ってきた方向からすると、山の上に奴らがいるな……ほら、早速一人を見つけた」
アントワーヌはテントから顔を出し、一人の蛮族らしき人影が集落を囲む山の頂上にいるのを見た。
「アン、ここから狙撃できるか? 」
「無理だ。咄嗟に弓と矢筒を馬から引っ張り出してきたが…奴の位置が高すぎて矢が届かない。それに、奴一人ではないだろう」
「ちっ、囲まれているか。早く、ここから脱出せねば…」
「む! 待て、ユニス! 奴らが矢を放つ! 」
「……! 」
テントの影から出ようとしたユニスが慌てて引っ込む。
ザスッ! ザスッ!
放たれた矢がテントに突き刺さっていく。
デタラメに放ったのか、矢はテントだけではなく、あちこちに突き刺さった。
「どこを狙って……いや、ただの矢ではない! 蛮族共、火矢を放ちおったぞ!」
放たれた矢に火がついており、それに気づいたアントワーヌが驚愕する。
「なに? ……まずい! テントから離れろ! 」
ユニスが叫び、イアン達が慌ててテントから離れた瞬間――
ボオオオオッ!
テントについていた火が勢いを増し、轟々と燃え盛る炎と化した。
「くっ……ラノラニクスの言った匂いは油のことだったか」
ユニスが苦い表情のまま呟いた。
炎はテントだけではなく、集落の地面にも燃え移っていた。
「謀られたな。蛮族が策を講じるほど、頭が良かったとは…」
「アン、今は言っている場合ではない。早く脱出しないと、丸焦げにされてしまうぞ」
「しかし、見ろ。周りは既に火の海だ。ここから出る方法をおまえは思いついたのか? 」
「い、いや……だが、このままでは…」
「脱出の方法はあるな」
アントワーヌとユニスが言い合う中、イアンが口を出した。
「なに? どんな方法だ? 」
ユニスがイアンに訊ねる。
「炎を飛び越える。とりあえず、谷に出る場所に向かおう」
「……他の策が思いつかない。ここはイアンに従うことにしよう」
「異論はない」
「ギャオ! アレだな、イアン! 」
イアン達は、集落の入口に向かった。
そこも炎に包まれており、とても通り抜けれる状態ではなかった。
「で、どうするのだ? 」
ユニスがイアンに訊ねる。
「とりあえず……すまないが、オレに抱きついてくれ」
「「分かった」」
「ギャウ! 」
ユニス達は、迷うことなくイアンに抱きついた。
「ここは少し躊躇するところでは……まぁいいか、しっかり掴まっていろよ…サラファイア!! 」
ボオオオッ!!
足下から炎が噴射され、イアンはユニス達を抱えたまま飛び上がった。
高く飛んだイアンは炎を軽々越えていく。
「おおっ!? 本当に飛んだだと!? 」
「はは…イアン、おまえには驚かされる」
飛んだことに驚愕するユニスとアントワーヌ。
「おお! リュリュの言う通り、炎はまだ出ているな」
イアンは、まだ足下から炎が噴射していることに気がついた。
「これはまだ、一回の範囲に入るのだろうか……とりあえず、着地だ」
イアンは足下の炎を噴射させ続け、ゆっくり降下し――
「よし、もう離れていいぞ」
イアンは着地に成功した。
「いやあ、助かったぞ」
「ギャウ! 楽しかった」
ユニスとラノアニクスがイアンの体から離れる。
「流石はイアンだ。俺はイアンならば何とかしてくれると信じていたぞ」
「ああ、そうか……分かったから、早く離れてくれ…暑い」
アントワーヌはまだイアンに抱きついたままであった。
「暑いのは、後ろの炎のせいだ」
「いや、おまえのせいだ! 」
「ギャオ! 離れろ! 」
ユニスとラノアニクスがアントワーヌを引き剥がす。
「ちっ、邪魔をしおって……ま、後でもできるから良しとしよう」
「……できれば、よしてほしい…」
笑顔のアントワーヌに対し、イアンの顔は浮かないものであった。
「ったく……それより、まだ安全とは言い切れない。早くここから……」
ユニスがそう言った瞬間、谷の先から多くの人の掛け声が聞こえた。
「「「ウオオオオオオ!! 」」」
視線の先から槌を持った蛮族達がイアン達の方に向かって来るのが見えた。
「ツチ族があんなに……第三、四拠点の部隊は何をしているんだ!? 」
ユニスが声を上げながらも、腰の鞘から剣を抜く。
「大方、俺達が出るまで動くなとか騎士長殿に命令されているのだろう? ここは俺達の力で乗り切るしかない」
アントワーヌも剣と短槍をそれぞれ左右の手に持つ。
「流石にあの軍勢は飛び越えられんな。やむおえん」
「グゥゥゥゥ…」
イアンも戦斧を取り出し、ラノアニクスは両腕を広げる。
「よし、蛮族共の群れを突破する。行くぞ! 」
ユニスの掛け声と共に、イアン達は一斉に駆け出した。
蛮族の群れに三人の少女と一人の少年が向かていく。
三人の少女の一人、アントワーヌが右手に持った剣を横に振るう。
「グッ―!? 」
彼女の正面にいた蛮族の腹を切り裂いた。
切り裂かれた腹から大量の血が吹き出し、蛮族は地面に横たわった。
「ウオオッ! 」
「アアアッ! 」
アントワーヌの左右から蛮族が迫る。
「ふん」
アントワーヌは右手の剣を鞘に戻し、新たにもう一本の短槍を右手に持った。
そして、二人の蛮族が槌を振り下ろす前に――
「はあっ! 」
左右の短槍を突き出し、二人の蛮族を同時に突き刺した。
「ウグッ―!? 」
「グガッ―!? 」
胸に短槍が突き刺さり、二人の蛮族はその場に崩れ落ちる。
「ふむ、剣で斬るより、短槍で突いたほうが早いか。よし、このままでいこう」
アントワーヌは、左右の短槍で蛮族の体を突きながら進む。
彼女は、短槍で蛮族の槌を受け流し、もう一方の短槍で蛮族の体を貫く。
二本の短槍を巧みに扱う彼女に、蛮族は攻撃を与えることができず、近づけば短槍で突かれるばかりであった。
「……むぅ…」
しかし、アントワーヌの表情が曇りだす。
自分に向かってくる蛮族の数が増えだしたのである。
「はぁ…くっ…」
増えた分、突き出す短槍の回数が多くなり、彼女の表情に疲労の色が見え始める。
「囲まれたか……イアン達とは分断されたようだが……」
短槍を突き出しながら、アントワーヌが周りを見回したが、見えるのは蛮族ばかりで、イアン達の姿は見えなかった。
「あいつらは無事なのだろうか……とにかく、このむさ苦しい所から早く抜け出さねば」
アントワーヌは、いち早く蛮族の群れから抜け出すため、短槍を突き出し続けた。
その甲斐あってか、アントワーヌは蛮族の群れから脱出することができた。
「む? アン、おまえも抜け出せたか! 」
「ユニスか! 」
アントワーヌとほぼ同時にユニスも蛮族の群れの中から飛び出した。
「まだ、イアンとラノアニクスが抜けていないな。それまで蛮族をこちらへ――」
「いや、その必要はないみたいだぞ」
ユニスが振り返った瞬間――
「「「ウギャアアア!! 」」」
数人の蛮族達が吹き飛ばされた。
「やっと出れた! 」
「相変わらず凄まじいパワーだな」
蛮族が吹き飛ばされ、代わりに現れたのは、ラノアニクスとイアンであった。
「来たか、二人共! では、さっさと谷を抜けるぞ! 」
イアンとラノアニクスが蛮族の群れから抜け出したことで、四人は谷の外を目指して走り出した。
「「「ウオオオオオオッ! 」」」
残った蛮族達がイアン達を追い始める。
「ユニス、これからどうするのだ? 」
走りながらイアンがユニスに問いかける。
「このまま走り続ければいい! 第三、四拠点の部隊がなんとかしてくれるだろう! 」
「む! 見ろ、噂をすれば何とやらだ! 」
アントワーヌが前方へ指に差した。
イアン達が走る先に、大勢の騎士達が並んでいた。
騎士達は皆、弓を構えている。
「来るのが遅い……が、助かった」
ユニスが騎士達を見て安堵した。
すると、騎士達は弓に矢を番え始めた。
「俺達が逃げ出した後、矢を放つ……わけないか」
アントワーヌは後ろを振り向きながら呟いた。
イアン達と蛮族達との距離は近い。
「馬鹿な! 小生達ごと蛮族共を掃討するつもりか! 」
イアン達が逃げるのを待っていられないため、彼らがいるにも関わらず、騎士達は矢を放つつもりであった。
「おーい! まだ打つな! 待ってくれーっ! 」
ユニスが手を振りながら、騎士達に向かって声を上げる。
「無駄だ、ユニス。この状況で矢を放たないわけがない」
「くっ、ならば、このまま死ねというのか? 」
「それがあいつら……騎士長殿の言い分だろうな。結果的には、ツチ族の大半を殲滅すると同時に、気に食わない部下を始末する。あいつにとっては良い事ばかりだ」
「……ここで終わりなのか」
「前は矢の雨、後ろは蛮族……だが、こちらにはイアンがいる」
アントワーヌは頬を吊り上げながら、イアンを見た。
「イアン……そうか! 先程のあれをやるのだな! 」
暗い表情をしていたユニスの顔が途端に明るくなった。
「それしかないな。よし、ではオレに……」
「いや、待て。まだ早い」
抱きつかれる準備をしたイアンに、アントワーヌが口を出した。
「ギリギリまで待とう」
「何故だ? もう飛び越えられる距離まで来ているぞ」
「ギリギリで避けたほうが気持ちいいだろう? 」
「……いい性格してるな、おまえ。では、タイミングは任せるぞ」
「フフフ、任せろ」
アントワーヌが頬を吊り上げながら答えた。
そして、弓を引く騎士達に目掛けて走っていく。
「…………よし、イアンに飛びつけ! 」
「すまん、頼んだぞ! 」
「ギャウ! 」
アントワーヌの掛け声で、三人は一斉にイアンに飛びつく。
「ぐっ…ううっ……」
一斉に飛びつかれ、イアンが苦しげに呻く。
「ぐ……うおおおっ! サラファイア! 」
イアンは三人に飛びつかれた衝撃に耐え、足下から炎を噴射させた。
三人を抱えながら、イアンは高く飛び上がると同時に――
「なっ…なに!? や、矢を放て! 」
騎士達が蛮族目掛けて、矢を放った。
「グッ―!? 」
「ウアッ―!? 」
次々と放たれた矢が蛮族を刺さっていく。
「ふぅ、これでツチ族の大半……いや、全滅できたのではないだろうか」
次々と崩れていく蛮族達を見ながら、ユニスが呟いた。
「はっははははは! 見ろ、あいつらのアホ面を! 傑作だ! 」
空を飛ぶイアン達に唖然とする騎士達を見下ろしながら、アントワーヌが笑っていた。
「ぷっ! これに関してはアンの言う通りだな。さて、どういうつもりだったか、この部隊の統率者に後で問い詰めねばなるまい…フフフ」
ユニスが怪しげに微笑む。
「ギャオオオオオ!! たかい、たかーい! 」
ラノアニクスは、純粋に空を飛ぶのを楽しんでいた。
「……おまえら楽しそうだな。もうすぐ降りるぞ」
イアンだけは、少々浮かない顔をしていた。
(さっきも思ったが、この炎の調整……すごく難しい。気を抜けば、炎を爆発させてしまいそうだ…)
彼は三人の知らない所で、必死に炎の調整をしていた。