百三十九話 決心
太陽が真上に近づいてきた頃。
フォーン王国の平原にある林の中にイアンがいた。
ネアッタン島から戻って来てから数日経ち、いつものように薬草採取の依頼を行っている。
彼らは、普段の依頼をこなす日々に戻ったのだ。
イアンの妹であるセアレウスも冒険者であるが、今は彼とは別の依頼を受けている。
いつもは、イアンの自称従者を名乗るミークという大男がセアレウスと共にいるのだが、今日も彼女は一人で依頼を受けていた。
ミークはネアッタン島での戦いで負傷し、今もベッドから降りられない日々を送っているのだ。
意識は既に取り戻しており、一刻も早く復帰すると、毎日イアン達に言っている。
イアンが保護をしているラノアニクスという少女はというと、町の子供達と遊んでいた。
「はぁ…終わった。今日は少し時間が掛かってしまったな」
イアンは立ち上がり、額の汗を腕で拭う。
摘んだ薬草は袋に入れ、側に生えている木の根元に置く。
「……あった」
その後、近くの茂みに入ったイアンはそこから、縄が縛り付けられた丸太を持ち上げた。
木に登り、枝から丸太を吊るした後、イアンは地面に下り――
「ふぅ……」
ショートホークを右手に持ち、投擲した。
ショートホークは、丸太の横に目掛けて飛んでいたが、弧を描くように曲がり――
カッ!
丸太を掠め、木々の中へ飛んでいってしまった。
「ほう、少し曲がったな。まだ戻ってこないが、そのうち上達していくだろう」
イアンは今の投擲をそう評価した。
今、彼は新しい技の練習をしている。
以前は戦斧であり、まったく曲がりもしないことから、ショートホークでやってみることにした。
その結果、ショートホークならば僅かに曲がることが分かったので、イアンはショートホークで練習することに決めた。
「今日で、どこまでうまくできるか……しかし、投げた斧を探しに行くのは面倒だ。そのうち何か考えないとな…」
イアンはそう呟きながら、投擲したショートホークを探しに行った。
夕方になり、キャドウの宿屋に戻ったイアンは、食堂で夕食を取っていた。
同じ席には、セアレウスとラノアニクスも座っている。
「ふぅー、お腹いっぱい! 」
大量の料理を口に運んでいたラノアニクスが腹を抱ええる。
彼女の前に置いてある皿は空のものばかりで、早々に食べ終わってしまったようだ。
「どうした? 昨日より少ないではないか」
イアンが、向かいに座るラノラニクスに訊ねる。
「今日は、家の中で遊んだ。動いてないから、あんまり腹減ってない」
「ほう、そうなのか。まぁ…食い終わった時に、おまえの顔が見えないのはいつも通りだが……」
イアンは呆れた表情で、前方を見る。
ラノアニクスの前には大量の皿が積まれており、彼女の頭の先しかイアンには見えなかった。
「ご飯も食べた。ラノはもう寝る。おやすみ! 」
ラノアニクスはそう言うと、大量の皿を一気に持ち上げ厨房に運んだ後、二階へ上がっていった。
「……これからは、皿洗いもさせるようにするか…」
大量の皿を洗わされるキャドウを思い、イアンはそう呟いた。
「ククッ…いえ、お気遣いは無用です。確かにあの量は骨が折れますが、私の仕事ですので…」
イアンの呟きに、通りかがったキャドウが答えた。
「そうか? 」
「ククッ…ええ、その分のお金は頂いておりますので……」
「ぐっ…! そこなのだ。あいつの食欲のせいで、その日稼いだオレの金が消える……もう少し、どうにかならんのか…」
「ククッ……今は育ち盛りですし、仕方ないと思われます。保護者は大変ですな…」
キャドウはそう言うと、厨房へ向かった。
「はぁ…あいつも冒険者なら、楽になるんだが……試験がな…」
頭を抱えるイアン。
現在、冒険者になるには、筆記試験に合格しなければなれない。
その試験に、ラノアニクスが合格できると思えないのだ。
「……あ、そうだ。セアレウス、おまえがラノアニクスに勉強を教えてくれ。満点を取ったおまえが教えれば、あいつが合格するかもしれん」
イアンは、斜向かいに座るセアレウスに声を掛けた。
「……」
しかし、彼女は返事をせず、まったく口にしていない料理をじっと見ているだけであった。
「おい、セアレウス」
「……あ…は、はい」
再びイアンが呼びかけ、ようやくセアレウスは返事をした。
「ラノアニクスに勉強を教えてくれ」
「勉強…ですか…あ、ああ、冒険者の筆記試験ですか…」
「そう、それだ……が、どうした? あまり乗り気でないみたいだが…」
セアレウスの反応は、イアンは思っていたものとは違った。
「いえ、そういうわけではありません…」
「……? 先程から口数が少ないようだが、何かあったのか? 」
「…………」
セアレウスは俯いてしまう。
「……! …………」
顔を上げて、何かを言おうとする仕草をするが、口を閉じ俯いてしまう。
それを何度か繰り返した後、セアレウスは立ち上がり――
「すみません。今日は…もう寝ます。残してしまったご飯は明日の朝食べますので、申し訳ありませんが、キャドウさんに伝えておいてください…」
「あ、ああ…」
イアンの返事を聞くと、セアレウスは階段の方へ向かった。
「……」
イアンは、立ち去るセアレウスの背中をじっと見つめていた。
その日から、セアレウスの口数は減るが、彼らはいつも通りの日々を送っていた。
しかし、ラノアニクスもセアレウスの異変に気づき、彼女を気遣うような仕草するようになった。
イアンがミークの様子を見に、彼の部屋に行けば、ミークもセアレウスのことを聞いてくる。
皆がセアレウスを心配するようになり、とうとうイアンが動いた。
夕食を食べ終わった後、セアレウスを自分の部屋に呼び出し、何があったのかを聞き出すことにした。
「セアレウス、今おまえは何を抱えているのだ? 」
「……」
セアレウスは返事もせずに黙ったまま。
かと思いきや、顔を上げてようやく口を開いた。
「ずっと…考えていたことがあります」
「……」
イアンは黙ったまま、セアレウスの言葉に耳を傾ける。
彼が話しを聞く姿勢になったことを察したセアレウスは、再び口を開いた。
「ネアッタン島でのあの戦い…わたしがもっと強ければ、ミークさんが怪我を負わず、兄さんも危険な目に遭うことはなかった……そう思わずにはいられませんでした」
(そんなことはない…が、ここでそれを指摘する必要はないな…)
イアンはセアレウスの言葉に耳を傾けながら、そんなことを思っていた。
「そこで、わたしはもっと強くなるために考えたことがあります。しかし、その決心がつかず、今日に至ります……」
セアレウスはそこで言葉を切った後、深呼吸をし、呼吸を整えた。
「今日、その決心がつきました。兄さん、わたしを聖獣さんの所に連れて行ってください! 」
セアレウスは、イアンに向けて頭を下げた。
「……そこに行っただけで強くなるとは限らん。おまえは、あいつらのもとで、何を学んでくるつもりだ? 」
「……水の巫女の技…それで、この水魔精の力を更に引き出したいと思います」
「ほう、あの水を操る力を強化するか。で、なんのために強くなる? 」
イアンの問いを聞き、セアレウスはしばらく沈黙した後――
「誰かを守れる人になる……自分のためです…」
とイアンの目を見ながら言った。
「……分かった。モノリユスにおまえを迎えにこさせるよう連絡をしておく。それまで、特訓だ」
「特訓!? 教えられる前にある程度、うまくできるようにするということですか? 」
「違う。アックスエッジの扱い方だ。あそこにいる間、アックスエッジを使う機会はなくなるだろうから、今のうちにオレから技を盗んでおけ」
「ほ、本当ですか!? え、あ、では、倒木一連を教えてください! 」
セアレウスがイアンに詰め寄る。
「慌てるな、あと教えるつもりはない。さっきも言ったとおり、オレの動きを見て自分が使えるようにしろ。では、話しは終わりだ」
「ええ!? せめて、枝払いの振り下ろす時の力を入れるタイミングだけでも~~」
イアンは、興奮するセアレウスを部屋から押し出した。
「ふぅ……」
イアンは扉の前で一息つき、モノリユスに通信を繋ぐ。
(モノリユス)
(…はい、イアンさま、どうされましたか? )
(そちらにセアレウスを預けたい。悪いが迎えに来てくれないか? )
(……左様でございますか。では、すぐに……)
(いや、三日ぐらい時間を掛けて、ゆっくり来てくれ。そう急ぐことはないだろう)
(そうですか。分かりました)
(ああ、頼んだぞ)
イアンはそこで通信を切る。
「……ラノアニクスにあんまり食うなと言わんとな」
特訓の間、収入がなくなってしまうことを考え、ラノアニクスの食事制限をすることに決めた。
次の日から、セアレウスの特訓が始まった。
その内容は、イアンと練習用に作った木の棒で戦うというものだった。
以前、イアンの家の前でやっていた時とは違い、かなり実戦に近い状態でやっていた。
まず、イアンの持っている木の棒の中に、縄が括りつけられたものがあり、これは縄斧の代わりとして作られたものだった。
イアンは戦斧を模した木の棒に加え、縄斧を使うのである。
一方のセアレウスは、水の操作を一部禁止した状態でイアンに挑んでいた。
「くっ……ぐぅぅ…」
ボロボロになったセアレウスが膝をつく。
その状態でイアンに敵うはずがなかった。
「…先程、おまえがやった倒木一連だが、隙だらけだったぞ。最初のニ連撃は相手の動きを封じるためのものだ。最後の一撃が一番大事だが、最初を疎かにしてどうする? 三連撃すべてに力をこめろ」
「……はい…」
セアレウスは、イアンの言葉を一語も聞き漏らさないよう耳を傾け、ゆっくり立ち上がる。
「だが、流れは自然にできるようになったな。よし、準備ができたらかかってこい」
「……はい! よろしくお願いします! 」
セアレウスは呼吸を整えた後、再びイアンに立ち向かった。
散々打ちのめされているセアレウスだが、その表情は明るく、今の時間は彼女にとって、とても充実した時間であった。
そんな日々が三日続き、ようやくモノリユスがキャドウの宿屋に辿り着いた。
「では、セアレウス様をお預かりします」
モノリユスが頭を下げる。
彼女の隣にはセアレウスがおり、キャドウの宿屋の前でイアンが見送りのため、彼女達の向かい立っていた。
イアンの隣には、ラノアニクスもいる。
「兄さん、この三日間で覚えた技の数々を忘れないよう、日々特訓します」
「ああ、水を操る力のほうもしっかりな」
イアンが三日間の特訓で、少し凛々しくなったセアレウスに声を言葉を返した。
「ギャウ、セアレウス、行っちゃうのか……」
ラノアニクスが悲しげに呟く。
セアレウスが修行をした後、また帰ってくることは理解しているが、その間会えないだけでも寂しいようだった。
「はい、しばらくお別れになります。ラノちゃん、ちょっと…」
「ギャウ? 」
セアレウスがラノアニクスを引き寄せ、イアンに聞こえないようラノアニクスに耳打ちをする。
「わたしがいない間、兄さんをお願いします」
「……わかった。ラノに任せろ」
「……? 二人共何をしているのだ? 」
「いえ、食べ過ぎは程々にと…」
「ギャウ! ラノ、我慢する…」
「う、うむ。そういてくれ…」
二人にごまかされ、イアンは二人の交わした言葉の内容が分からなまま、モノリユスに顔を向ける。
「ところで、ロロット達の様子はどうだ? 」
「ええ、元気ですよ。三人共、夜はぐったりしていますが…」
「……大変そうだな…あいつら…」
「それほど過酷な修行を……気を引き締めないと…」
三人の修行の過酷さを察し、イアンとセアレウスが青ざめる。
「まあ、そのうち慣れるでしょう。では、そろそろ行きますか」
「はい。兄さん、ラノちゃん、行ってきます。ミークさんにもよろしくと言っておいてください」
「分かった。また会おうセアレウス」
「バイバイ! 」
セアレウスはモノリユスに連れられ、町の外へ歩いていく。
「……さて、オレは依頼をしに出かけるとするか。いつものように夕方には――」
「ラノもついていく! 」
「なに? 」
イアンはラノアニクスの言葉に驚いた。
遊びに行ってしまうラノアニクスだが、今日は違った。
「……おまえの分の金はでないが……まあいいだろう。行くか、ラノアニクス」
「うん! 」
イアンはラノアニクスを連れて、冒険者ギルドを目指した。
しばらくセアレウスの出番はなくなります。
2016年6月8日―誤字修正
モノリユスにおまえを向かえにこさせるよう連絡をしておく → モノリユスにおまえを迎えにこさせるよう連絡をしておく